http://www.asyura2.com/15/senkyo179/msg/375.html
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イスラム国のテロがあり、イスラムとは何かが、問われていると思います。
この時期に「大和魂<日本人の心のルーツを探る」スレッドから、この部分を抜粋してみます。
「メソポタミア文明」
シュメール人
世界で最初に生まれた文明がメソポタミア文明です。
紀元前3500年くらいには都市国家が成立して、文明といえるものになったといっていいでしょう。
メソポタミアとは川のあいだという意味で、ティグリス、ユーフラテスの二つの川にはさまれた地方をさします。現在の国名でいうとイラクです。今はサダム・フセイン大統領で有名。昨年末(1998)にもアメリカとイギリスに空爆されて大きなニュースになりましたね。
このメソポタミア地方の川下、河口付近にはじめての文明ができます。
文明をつくりあげたのはシュメール人。民族系統不明です。残された彫刻などを見ると、目がくりくりと大きくて、波打つ立派な長いあごひげが特徴的ですね。
今、この地域はイスラム教徒、アラブ人の世界ですが、男たちはみんなひげを蓄える風習がある。ひげがないと子どもかオカマだと思われるらしい。アラブ社会の民俗を研究している人の講演を聞いたことがありますが、その先生は帰国直後で、ヤギみたいなちょび髭を一所懸命のばしていました。「こんなヒゲでも、はやしていないと一人前として扱ってもらえないので」とぼやいてました。
ひげ等のファッションは、時代、文化によって変化するものですが、ひょっとしたらこの地域ではシュメール人以来5000年間ずっとひげを伸ばしていたのかもしれないね。(注:シュメール人はひげを剃るのが一般的らしいが、使用していた資料集の写真にもとづいて、このような説明をしていました)
メソポタミアに最初に文明が生まれたのは、農業生産性が非常に高かったかららしい。
まず、麦と羊の原産地だった。そして、この麦の収穫量が非常に高かった。1粒の麦を播いて、20倍から80倍の収穫があったといわれています。
これが、どのくらいすごいかというと、19世紀のヨーロッパで麦の収穫は播種量の5、6倍くらい、現代でもヨーロッパで15倍から16倍、アメリカで23倍という数字があります。
だから、現代と同じかそれ以上の収穫があったというわけだ。たくさん穫れれば、余裕も生まれる。その余裕が、後世に残る文明を生み出したのでしょう。
ちなみに、日本の米はどうかというと、江戸時代は30から40倍、今は110倍から144倍です。
シュメール人はメソポタミア地方にたくさんの都市国家を築きました。ウル、ウルク、ラガシュなどという都市が有名です。しかし、都市国家どうしの抗争が激しく、統一国家ができることはありませんでした。政治は、神殿を中心に神権政治がおこなわれていたらしい。
シュメール人の文化
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かれらの残した文化は後世に大きな影響を与えているからこれはしっかり覚えておきましょう。
まずは、暦(こよみ)。世界初の暦。月の満ち欠けで、年月をはかる太陰暦です。
数字は60進法でした。これは、現在もある分野で日常的に使われるね。何ですか。そう、時間です。一時間はなぜか60分。なぜかというとシュメールなの。多くの小学生が、時間の計算でつまづく。君たちも苦しんだでしょ。シュメールだね。
なぜ、シュメール人が60進法を採用したかははっきり判っていません。
土器は彩文土器というのがでます。土器に赤い模様が描かれていますね。
文字は、くさび形文字を発明しました。紙はまだない時代、粘土板に葦を切ったものでくさび形に字を刻み込んでいきました。細かい文字でたくさん書いているね。シュメール人が歴史から消えたあとも、メソポタミア地方では長いあいだこの文字を使っていました。今のアルファベットの役割を果たしたわけだ。
シュメール人の時代から二千年もあとですが、アケメネス朝ペルシアという国が大帝国をつくります。この国もくさび形文字を使っていて、ダレイオス大王という王が、自分の功績を刻んだベヒストゥーン碑文というのを残しました。これは三つの言語をくさび形文字で刻んだもので、くさび形文字解読のきっかけとなった重要な碑文です。解読したのははローリンソンというイギリス人。覚えておきましょう。
この碑文は地上100メートル以上の絶壁に刻まれていて、ローリンソンは今でいうロッククライミングみたいなことをして、まあ命がけで碑文を模写したんです。19世紀のことです。
それからハンコ、印章です、これもシュメール人が最初。円筒印章というのがあって、絵が刻んである。これを粘土の上をコロコロと転がすと長い絵が浮かび上がるわけです。円筒印章は中心にひもを通して首に懸けるようになっていた。これを身につけているのが高い地位の象徴だったらしいです。
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エデンの園
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シュメール人の文化、暮らしはいろいろな伝説や物語に、大きな影響をあたえています。
たとえば、旧約聖書にはシュメールの影響がかなりあります。
旧約聖書の最初の話、神が世界と人間を創造する話があります。
神が「光あれ」といって光ができる。これが一日目。二日、三日といろいろ造って、六日目に人間を造って、七日目にお休みします。これは、シュメールの七曜の影響。
それからアダムとイヴの話。
神が泥からつくりあげた最初の人間がアダム。一人じゃ寂しかろうと、神はアダムの肋骨を一本採って、これで女イヴを造る。二人は、裸のままの姿でそれを恥ずかしいとも思わずに、働かなくても暮らせる地上の楽園、エデンの園に住んでます。
さて、神は二人に一つの約束をさせるんだ。エデンの園の真ん中に知恵の木がある。その実だけは、絶対に食べてはならないという約束です。ところが、なぜか蛇がでてくるのです。その蛇がイヴを誘惑する。知恵の木の実を食べても死にませんよ、ほら、こんなにおいしおっませ。食べなはれ、と言う。イヴはついつい食べてしまう。おまけにアダムにも勧めて、結局二人とも食べてしまった。すると、急に知恵がついてしまってかれらは互いに裸であることに気がつき、葉っぱで腰蓑をつくって、局部を隠します。
約束を破ったことが神に知られ、その怒りに触れて二人はエデンの園を追放されました。追放されたのがエデンの東。そこでは、地にはいつくばって厳しい労働をしなければ生きていけないんです。ジェームズ・ディーン主演の「エデンの東」という映画があります。楽園のすぐ隣だけれどそこは楽園ではない、それがエデンの東。そう思って見るとこの映画また一段と深いよ。
エデンの園の話がシュメールとどんな関係があるかというと、エデンの園はシュメール人が住んでいた実在の場所らしい。
ラガシュとウンマという二つの都市国家が、前2600〜前2500年頃に「グ・エディン」(平野の首)という土地をめぐって戦争を繰り返しているんです。どうもこのグ・エディンがエデンの園のモデルらしい。
話が後先になりましたが、旧約聖書をつくったのはヘブライ人という人たちです。かれらは前10世紀頃に自分たちの国家を建設するんですが、それ以前は部族ごとに分かれて牧畜などをしながらメソポタミア地方からエジプトにかけて放浪生活をしていた。豊かなシュメールの土地に住みたいけれど、そこに入り込むだけの勢力がなかったんだろう。なぜ、自分たちはあの豊かな土地に住めないのか、という不満・不運を自分たち自身に納得させるため楽園追放の物語がつくられたのではないかと思います。人間というのは納得さえできれば不運に耐えられる生き物なんだと思う。エデンは、豊かなシュメールの地の、その中でももっとも豊かな土地の象徴だったんだろう。
それから、バベルの塔の話です。これは知っていますか。
人間が天まで届きそうな高い塔を建てる。これを知った神が、この塔を打ち壊すんだね。
「神に届こうとする不届きな振る舞いだ」と神様が怒ったと一般にいわれていますが、聖書を読むとそんなことは書いていません。理由は解らないがとにかく神は塔を壊し、人々はちりぢりになり、お互いに話す言葉が通じなくなった、という話。
で、このバベルの塔のモデルがやはりシュメールにあるらしい。
シュメール人たちが建設した神殿にジッグラトというものがあります。高い塔の形をした神殿で、その遺跡はたくさん残っています。これがバベルの塔のモデルといわれています。
大洪水
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極め付きの話は、ノアの箱舟でしょう。
人々が神に対する信仰を失って、自堕落な生活を送っているときに、ノアという男だけが信仰を守って敬虔な生活をしていた。神は、信仰を忘れた人類を滅ぼそうと思ったけれど、まじめなノアだけは助けようとするんですね。ある日、箱舟をつくれと、ノアにお告げをする。なんだかわからないままにノアはお告げに従って、家族みんなして箱舟をつくります。長さこれだけ、幅これだけとか、神は結構細かいお告げをする。で、そのとおりにつくります。他の人たちはそんなノアを馬鹿にするんだけど。
ところが大洪水がやってきて、舟に乗り込んでいたノアの家族だけが生き残ったという話。
このとき、ノアはあらゆる動物をつがいで舟に乗せていて、これも助かる。
このノアの箱舟の話も、シュメール人の話に元ネタがあるのです。
シュメール人が残した粘土板に『ギルガメシュ叙事詩』といわれる物語があって、そこにノアの箱舟とそっくりの話が載っていたのです。
プリント見てください。少し読んでみよう。
まず、神のお告げです。
「シュルパックの人、ウパラ=トゥトの息子よ、家を打ち壊し、舟を造れ。…すべての生きものの種を舟に積み込め。おまえが造るべきその舟は、その寸法を定められた通りにせねばならぬ。…
六日六晩にわたって、嵐と洪水が押し寄せ、台風が国土を荒らした。七日目がやってくると、洪水の嵐は戦いに敗れた。…そしてすべての人間は泥土に帰していた。…舟はニシルの山にとどまった。…七日目がやってっくると、私は鳩を解き放してやった。鳩は立ち去ったが、舞い戻ってきた。…私は大烏を解き放してやった。大烏は立ち去り、水が引いたのを見て、ものを食べ、飛び回り、かあかあ鳴き、帰ってこなかった。そこで私は…、生け贄をささげた。」(ギルガメシュ叙事詩の洪水物語、高橋正男訳)
聖書にも大嵐がおさまったあと、ノアが鳥を飛ばして陸地が現れたかどうか確かめる場面があるんですが、こんな細かいところまでそっくり。
キリスト教を信仰するヨーロッパ人たちは聖書に書いてあることは真実の物語と考えていたのですが、『ギルガメシュ叙事詩』が発見されることによって、旧約聖書が成立する1000年以上前に、その元の話があったことがわかった。
洪水神話はメソポタミア地方全域で広く普及した物語だったのだろうということです。古代の説話のひとつとして、聖書が相対化されたという意味で、ヨーロッパ人にとってギルガメシュの物語は大発見だったのです。
実際にシュメール人の遺跡発掘がすすんでいくと、シュメール人の都市国家が大きな洪水にみまわれていることもわかってきた。
『ギルガメシュ叙事詩』には、こんな一節もある。
ある時ギルガメシュは太陽神ウトゥに訴える。
「…
心悲しいことに、わたしの町では、人はすべて死ぬ。
…
わたしは城壁の外を眺めていて
死体がいくつも河面に浮いているのを、
見てしまったのだ」
洪水で苦しんでいたんだね。
ティグリス・ユーフラテス河の氾濫の記憶がしだいに大洪水の神話物語に発展したのだといわれています。
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「もののけ姫」
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ギルガメシュ叙事詩の話をもう一つ。聖書の元ネタといったんだけど、映画の元ネタにもなってるんだ。
「もののけ姫」見ましたか。私、4回見ました。大流行したから見た人も多いんじゃないかな。
あれの元はギルガメシュ叙事詩ですよ。5000年前のシュメール人の物語が現代人に訴えるパワーを持ってるんだね。
ギルガメシュ叙事詩の前半にこんな話がある。
当時からメソポタミア地方は森林資源は乏しかったらしい。
英雄ギルガメシュは町を建設するために木材が欲しい。そこで、レバノン杉、このレバノン杉はまた後々でてきますからよく覚えておいてください、そのレバノン杉の森に木を採りに出かける。ギルガメシュは親友のエンキムドゥという勇士とともに旅立つんです。祟りがあるから止めとけ、という周囲の制止を振り切って。
ギルガメシュとエンキムドゥはレバノン杉の森にやってきて、その美しさに立ちつくす。
美しさに圧倒された二人は呆然と森を見続けます。
しかし、ギルガメシュは気を取り直してこう思った。
「この森を破壊し、ウルクの町を立派にすることが、人間の幸福になるのだ」
森の中に入っていくとそこには森の神フンババというのがいて、森を守るためにギルガメシュたちと闘うんですが、最後には森の神はエンキムドゥに殺されてしまう。フンババは頭を切り落とされて殺され、エンキムドゥは「頭をつかみ金桶に押し込めた」。
その後、エンキムドゥは祟りで別の神に殺されてしまうんですがね。
「もののけ姫」と同じでしょ。
エンキムドゥが「たたら場」のエボシ様、フンババがシシ神、首を落として桶に詰めるところまで同じ。
ギルガメシュ叙事詩では、フンババが殺されたあと「ただ充満するものが山に満ちた」と書かれている。
「もののけ姫」では、シシ神の体から流れ出たどろどろのものが山を焼き尽くす。宮崎駿の解釈なんだろうな。
エンキムドゥは祟りで死にますが、エボシ様は、狼の神モロに片腕を食いちぎられるだけですんでいますがね。この辺、優しい解釈だね。
人間が文明を発展させれば、必ず自然を破壊する、森を破壊しなければ生きていけない。
しかし、森を殺せばそれは必ず人間、人類といっていいかな、にそのしっぺ返しは来る。どうすればいいのか。森とともに生きる道はないのかと「もののけ姫」ではアシタカが苦悩するまま、解答なしで終わります。
5000年前にすでに、自然破壊の問題が起こっていたということは、しっかり覚えておいた方がよい。
レバノン杉は、地中海東岸のレバノン山脈から小アジアにかけて広く分布していました。
しかし、シュメール人の時代にすでにレバノン山脈東側の、メソポタミア地方に面している方はほとんど切り尽くされていたらしい。現在では西側地中海に面した地域もわずかに残っているだけです。現在のレバノン国旗の真ん中には、レバノン杉が描かれています。
森林資源が乏しいために、メソポタミア地方ではインダス川流域からも木材を輸入していた。レバノン山脈から運ぶよりも、インドから海上輸送した方が簡単だったらしい。そのインダス川下流地域も今は森林資源は枯渇しています。
アッカド王国
前2400年頃、シュメール地方にはじめて統一国家ができます。
これがアッカド王国。
建国したのはシュメール人ではなく、メソポタミア北部の山地に住んでいたアッカド人。
民族系統はセム系といいます。残された言語で民族系統を判断するのですが、セム系というのは現在のアラブ人と同じです。念を押しておきますが、シュメール人は民族系統不明ですよ。
アッカド王国の王の名前を覚えておきましょう。
サルゴン1世。
史上最初の大王といっていいでしょう。アッカド王国はサルゴン1世だけ覚えればいいからね。
ここからはサルゴン1世のおまけの話。
サルゴン1世の伝説を記した粘土板も発見されている。サルゴン1世のお父さんはアッカド王、ところがお母さんは尼さん。
その尼さんがサルゴンを妊娠、出産してしまう。
尼さんが子どもを産むのは許されていないので、彼女は生まれたばかりのサルゴンを籠に乗せて川に流すんです。まあ、捨てたわけね。
サルゴンは灌漑人に拾われ、かれの息子として育てられます。成長したあと、イシュタル女神がかれを愛し、そして王として君臨した、というんです。
英雄というのは一度は捨てられ、成長してから別の世界から異様なパワーを身につけて帰ってくる。そして、本来あるべき地位につく。こういうパターンの話を英雄流離譚というそうです。
世界各地に似たようなパターンの神話や物語が残されています。前の授業でしたアーサー王の出生の話や、旧約聖書のモーセも同じです。
それから、お母さんが尼さんというところ、イエスの母が処女マリアという話を連想しませんか。ここは、きわどいですが考えはじめると面白いところですよ。
もっと、大胆に連想を飛躍させると、川に流すところ、逆に流れてくる側から描けば、これは桃太郎ですね。桃太郎は鬼退治して英雄になりますが、一体誰がどこから流したんでしょうね。桃太郎の原型の原型もひょっとしたらこれかも知れませんね。考えはじめたらキリがないね。
アッカド王国のサルゴン1世によって統一されたメソポタミアも、200年ほどたつと、山岳民族の侵入によってまた分裂します。
豊かで、文化の高いメソポタミア地方は周辺の蛮族にとってはかっこうの略奪対象です。あわよくばそこを支配できればこれに越したことはない。
メソポタミアの歴史は次から次へと、この地に侵入する諸民族の歴史といってもよいくらいです。
アッカド王国滅亡後、一時はシュメール人のウル第三王朝というのが栄えますが、これもエラム人とかアムル人とかいうのが侵入し崩壊。
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バビロニア王国
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次にメソポタミアを統一したのがセム系アムル人が前19世紀に建てた古バビロニア王国です。別名バビロン第一王朝。前17世紀までつづきます。
都は有名なバビロン。
王も一人覚えてください。ハンムラビ王です。
この王は、シュメール時代からこの地方におこなわれてきた法律を集大成したので有名。
ハンムラビ法典。超重要です。
ハンムラビ法典の説明します。
ハンムラビ法典の説明します。
特徴二つ。
1,同害復讐の原則
「目には目を、歯には歯を」ですね。
「もし人が自由人の目をつぶしたときは、かれの目をつぶす。」(第196条)
誰かに危害を加えたら、同じことをされるということだ。
非常に厳しい法律のように感じますね。でも、この同害復讐の原則は復讐に合理的な限度を定めたという点で社会が発展したことを示しています。
多くの民族が侵入し、戦を繰り返したメソポタミア地方は、生きていくうえで常に緊張していなければいけなかったと思います。
古バビロニア王国の支配者はアムル人でしょ、支配されているのはシュメール人、アッカド人、そのほかいろいろな民族がいたと思う。違う言葉をしゃべって、違う風習で暮らしている。争いがおきたときどうやって仲裁するか、合理的なルールが必要だったんだね。
そういう中で生み出されたのが同害復讐の原則。
2,身分差別的刑罰
「もし奴隷が自由人の頬を殴ったときは、かれの耳を切り取る。」(第205条)
奴隷が自由人に危害を加えたら、それ以上の重い刑をうけるわけだ。逆に身分の高い者が奴隷を傷つけても罰金ですみます。厳しい身分差別があったことがわかります。
この、「頬を殴ったときは」、という表現、頭の隅の方に残しておいてください。これに関する話をまたいずれします。
以上二つの特徴を見ると現代的感覚からはやはり残酷な感じがします。
しかし、ハンムラビ法典のあとがきに、こんな文がある。
「強者が弱者を虐げないように、正義が孤児と寡婦とに授けられるように」この法をつくったと。
単純に古い時代は野蛮だったとか遅れていたとか、考えないようにしてください。
以上で「世界史講義録」の紹介を終わります。
エジプト文明---ナイル川
インダス文明---インダス川
黄河文明--------黄河
などの紹介は割愛しますが、上記サイトには書かれていますので興味のある方はサイトを御覧ください。
さて、随分と長い引用をしてきましたが、ここで感じていただきたいのは、キリスト教圏の場合も同じですが、この地域は中国、インド、ましてや日本などと異なり、民族間の相克が激しい地でありました。
このような地域で一神教は発達してきたことと無関係ではないように思います。
これからイスラムと言う概念の発祥がどの時代、どの地域を中心に起きてきたか、からはじめたいと思います。
前回でイスラムとは、そういう世界ですと書きましたが実は、まだイスラム教は生まれていません。
チグリスユーフラテス河の流域の興ったメソポタミア文明圏に6世紀の中ごろマホメッドが今のサウジアラビアのメッカに生まれました。
今日メッカはイスラム教最大の聖地とされており、当地へは体力と財力が許す限りあらゆるムスリム(イスラム教徒)が一生かけても巡礼することを目指しています。
世界最大の宗教イスラム教は西アジア、北アフリカ、西アフリカ、東アフリカ、中央アジア、南アジア、東南アジアなどの57か国、オブザーバーが5ヵ国がイスラム諸国会議機構を構成し、イスラム教を信仰する人口は世界で13億人と言われています。
さて、ここでマホメッドのことについて触れておきましょう。
http://www.b-family.org/public_html/public_html/omoi/010/mahmeddoc.htm
神の啓示
時は西暦610年。日本では推古天皇と聖徳太子の時世です。場所はアラビア半島の中ほどにそびえ立つヒラー山の頂上。一人の男が頂上にある洞窟で瞑想にふけっていると、いきなり凄まじい衝撃に見舞われました。超自然的な何者かが彼の身体を抑え込み、「読め!」と鋭く迫ってきたのです。それは、まことに衝撃的な出来事でした。抑え込まれて息絶え絶えになった男は、今にも死ぬかと思いながら、「何を読めばいいのか」と必死になって尋ねるのですが、その何者かはひたすら彼に強く迫ります。「読め、さあ読め!」と。男は再び死ぬ思いをしながらも、この恐るべき者の来襲に耐え忍びます。そして、三度「読め!」と迫られ、たまりかねて再度問い直しました。「一体何を読めばいいのか」と。そこで、その何者かは初めて答えました:
読め、「あなたの主は最高の尊貴であられ、
筆によって(書くことを)教えられた御方。
人間に未知なることを教えられた御方である」
(コーラン 96章1〜5節 )
マホメッドはそれをひたすら復唱しました。どのくらい経ったでしょうか?何者かはそれをじっと聞いていると、ふっと姿をかき消してしまいました。意識が戻り、まどろみから目が覚めました。しかし、心に刻み込まれたその章句は生々しく存在していました。と、洞窟から出たマホメッドに、再び何ものかの声がしました。「マホメッドよ、汝は神の使徒である…」思わず顔を上げてみました。それは、壮絶な光景でした。その何者かは、両足で地平線をまたぎ、すっくと立っているではありませんか!眼を背けました。その場を逃れようと試みました。しかし無駄でした。得体の知れぬ何者かは、行く先々に現れ続けたのです。マホメッドは、ただ立ち尽くしてそれを見つめていました…。これが『預言者伝(スーラ・ナバウィ−ヤ)』の伝える啓示の際の光景です。そしてこれ以後、マホメッドのもとへは神の啓示が頻発します。そしてここに、ユダヤ教、キリスト教と続いてきたセム系一神教最後の分派『イスラムの預言者マホメッド』が誕生しました。マホメッド40歳の時のことでした。
ユダヤ教・キリスト教との訣別
メディナ遷行からメッカ入城に至る8年間、マホメッドが敵として闘ったのはクライシュ族だけではありませんでした。当初、マホメッドは、ユダヤ教徒に対して自分の教説が受け入れられるのではないかとの強い期待を抱いていました。同じ啓典の民として、メッカの多神教徒と共同して戦えると思っていたからです。彼が、メッカとエルサレム(ユダヤ人の聖地)の双方をキブラ(礼拝の時に向かう方向)としていたことは、そうした思いが働いてのことでした。ところが、ユダヤ教徒はみなマホメッドの敵に回ってゆきました。いや、メッカの多神教徒以上にマホメッドに抵抗してゆきます。
いかに苛酷な拷問を受けても、どんな惨烈な禍難の裡に投げ込まれても、絶対に父祖の信仰を守り通そうとするユダヤ人の宗教性は、マホメッドが考えていたような甘いものではありませんでした。彼らは、マホメッドの聖書に対する知識の欠如を嘲りました。そして、その解釈の誤謬を鋭く突くのでした。さらには、マホメッドが多数の女性を妻に迎えたことに対して、公然と揶揄嘲笑しました。「この好色の偽預言者が!」と。彼らの視線は限りなく冷ややかでした。このため、マホメッドも急速に反発を強めてゆき、メッカ側に勝利して自己の地歩を築くと同時に、これらユダヤ諸部族を次々と追放・粛正していったのです:
あなたがた信仰する者よ、
ユダヤ人やキリスト教徒を、仲間としてはならない。
かれらは互いに友である。
あなたがたの中誰でも、かれらを仲間とする者は、
かれらの同類である。
アッラーは決して不義の民を御導きになられない。
(コーラン第5章51節 )
マホメッドにとって、キリスト教徒も彼の期待を裏切った背信の輩でしかありませんでした。こうして、唯一の心頼みだったキリスト教とも決然と袂を分たなければなりませんでした。とりわけマホメッドは、キリスト教の三位一体説を徹底して批判し、神の子イエスの存在について難詰します:
「神が子をもたれただと?」
「唯一絶対の神が、自分と並び称される者を持たれているだと?」
「いったい、神に対してこれほどの冒涜があるだろうか!」
マホメッドは、神の唯一性・絶対性・全知全能性を犯す多神教的な傾向を断固として排除しようとします。その最大の根拠となったのが次の一節でした:
彼はアッラー、唯一のお方であられる。
アッラーは自存され
産み給わず、産まれたまわぬ。
彼に比べうる何ものもない。
(コーラン112章1〜4章)
この短い宣言の中に、イスラムの神の概念が見事に塗り込められています。イスラム教の宗派的自立です。イスラム教は、メッカの多神教との抗争、メディナでのユダヤ教・キリスト教との闘争を経て、ついにアラビア半島の一角に産声を上げたのです。そして、彼らとの戦いに勝ち抜きながら、630年にメッカ入城を果たしました。ラクダでカーバ神殿に入ってきたマホメッドは、そこに祀られていた一切の神々を打ち壊しながら、新たなるイスラムの時代の到来を宣言します。8年前、石をもて追われるようにメッカから逃亡した預言者は、アラビア半島を統一した勝利者として帰還したのです。彼の一生のなかで、最も晴れがましい瞬間でした:
(引用おわり)
イスラムの神、アッラー
アッラーとは、「崇められるもの」または「神そのもので」であり、全知全能で唯一絶対であり、すべての超越である。そして、「目無くして見、耳無くして聞き、口無くして語る」とされ、姿形を持たない、意思のみの存在であるため、絵画や彫像に表すことはできない。イスラーム教がイメージを用いた礼拝を、偶像崇拝として完全否定しているのも、このためである。
同時に、アッラーは人格神として人々に直接語りかける。
アッラーは創造者であるとともに立法者でもある。
それがイスラムの戒律となって、イスラム教徒はコーランにしたがって生活するが、コーランには宗教的な話だけではなくて、日常生活のルールもいろいろ定めている。
実際に一日五回の「礼拝」とか一年に一ヶ月断食月の習慣は現在でも生きている。
コーランはマホメットがアッラーから啓示を受けた経典で、アラブもイラン(ペルシャ)もイスラム世界では共通の経典です。
「左手にコーラン、右手に剣」という言葉がありますが、これは後世にアラブを恐れた欧州人が言った言葉で、実際のイスラム教徒は他の宗教に対しても寛大で、キリスト教や、ユダヤ教も認めています。
コーランはイスラム教徒の生活全般を規定しており、豚肉や酒を禁止しています。イスラム教の始った7世紀当時の環境では理由のあることだったかも知れませんが、イスラム教では現在もこれを遵守しているわけです。
イスラム教では一夫多妻や、女性の就業を制限するとか、顔を隠させる、車の運転も許さないなど、女性を差別するような規制が沢山ありますが、後で触れますが、決して女性を見下している訳ではありません。
西欧民主主義的な観点ではないのです。
種々の戒律にしても弱者については免除されていますし、アッラーを中心として、相互扶助の心が強い宗教です。
元々、ユダヤ教、キリスト教圏で、分派として生まれたイスラム教が同じ一神教でありながら、その発展過程は随分と異なってきました。
その一端の死生感について比べてみましょう。
「イスラム教における天国」
イスラムにおける天国は、信教を貫いた者だけが死後に永生を得る所とされる。イスラム教の聖典『クルアーン(コーラン)』ではイスラムにおける天国の様子が具体的に綴られている。
イスラムでは男性は天国で72人の処女(フーリー)とセックスを楽しむことができる。彼女たちは何回セックスを行っても処女膜が再生するため、永遠の処女とされる。
また決して悪酔いすることのない酒や果物、肉などを好きなだけ楽しむことができるとされている。
そのためこのような天国での物質的快楽の描写がジハードを推し進める原動力となっているという指摘もある。実際に過激派組織が自爆テロの人員を募集する際にこのような天国の描写を用いている場合が少なくないとされ、問題となっている。
反イスラーム主義者からはこの事を厳しく批判されており、『このような天国描写は単なる売春宿である』という主張[3]もなされてきた。またムハンマド風刺漫画掲載問題でもイスラームを侮辱するためにこの事がネタとして取り上げられている
それに対して
「カトリックの天国」
キリスト教では「死」を人間の原罪がもたらした刑罰と見なしている。
新約聖書には来世に関する具体的な表現はないが、教会での教説が精密化するにつれて、天国、地獄・煉ごくの区別がつくられてきた。天国では祝福された魂が無上の喜びを永遠に享受するが、地獄に堕ちた魂は神の領域から閉め出され苦しみを味わうとされる。
イエスは十字架を背負うことで人類の罪をあがない、復活したことを信じる者は、すべての死者が復活する最後の審判の場面において、永遠の生命を与えられる。
「私の父の御心は、子(キリスト)を見て信じる者は皆、永遠の命を受け、終の日にはその者を復活させる」(ヨハネ福音書)
死後の5つの世界
死者は死後、次の5つの場所に行く。(1)地獄:邪悪の人間が行く。(2)天国:キリストを信じ、徳に生きた人が行く。ここには肉の復活の希望がある。(3)辺獄:キリスト以前に生れた義人、徳高い異邦人たちは父祖の辺獄に行く。(4)幼児の辺獄:洗礼を受けないで死ん だ幼児は、幼児の辺獄に行く。リンボは天国と地獄の中間にある。ここでは地獄の苦しみはないが、神を見ることはできない。(5)煉獄:キリストを信じたが、罪を犯しその償いが果たされていない人間が、浄化のために行く。
ここはリンボと地獄の中間にある。ここにいる人間は、罪悪感の為、火に焼かれるよ うな苦しみを味わう。もはや行為によって償いをすることができないので、苦悩によって償うのである。生者が死者に代わって功徳を積む場合、そのとりなしによって罰や苦痛が軽減されるという。祈り、喜捨、ミサはそうした役割をもつ。
肉の復活のための埋葬
カトリックでは、臨終の時を大切にする。この時に罪を告白し、懺悔することによっ て罪を拭い取り、聖別された油を塗ることで、霊的な健全さを回復する。これは7つの秘跡のうちの「終油の秘跡」という。
亡くなるとまずその故人を偲び、故人のために祈り、遺族を慰めるために通夜を行な う。次に葬儀はミサ(聖餐式)で行なう。このミサがレクイエムで始る。レクイエムとは安息を意味するラテン語である。ミサが終ると告別式を行なう。葬列では、イン・パラディスム(天国ヘ)が歌われる。この葬列は普通日本では行なわれない。キ リスト教では、遺体処理は、肉の復活との関わりから土葬が普通である。墓地では、信仰的にさらに希望に満ちた歌が用いられる。こうして徐々に生者も死者も、悲嘆の状況 から未来の救い、再会への希望へと尊いかれていく。追悼は死後3、7、30日。そして年ごとの命日に行なう。この時に追悼のミサを行なう。
「プロテスタントの天国」
あらゆる人間は生れながらにして罪人であり、死後永遠の地獄行きが定められている。ただキリストを信じ、「義」とされた人々だけが永遠に天国に入ることができる。死後の状態は自分の力によらず、キリストの死と復活のゆえに、この恵みに対する信仰によって決定され、死後は神の御手に委ねられている。カトリックとは異なって浄罪界、煉獄もなく、引導や追善供養も無駄であるとプロテスタントでは説明している。これは無慈悲な世界観だという感じがするが、それにたいして、死後に救いの手を差し伸べたいという気持があるのなら、なぜその人が生きている間に、その人を愛し、救いの手を差しのべなかったのか。それをしなかった埋め合わせとして、死んでから祈っても無駄であると考えている。信仰をもつ者にとっては、死は神の祝福であり、プロテスタントの葬儀は生者のためのものであり、そこに集う者が信仰を深めるためのものである。
最後の審判を持つ死後の魂
人間の生涯は3段階に別れる。第1はこの世の生れてから死ぬまでの肉体をもった存 在である。第2は死んでから復活するまでの中間状態で、肉体のない不完全な段階である。第3はキリストの再臨後の復活した体における生活で、永遠に続く段階である。こ の間、ずっと意識は持ち続ける。誰も決して死後永眠することはないのである。不信心者は死後黄泉(ハデス)に入り、苦しみながら最後の審判を持っている。キリストの再 臨のとき、体の復活とともに永遠の苦しみである地獄に入る。信者は死後パラダイスに入り「神の御座にいて、聖所で夜も昼も神に仕え」(黙示715)て喜びと安らぎのなかで、 復活を待ち望んでいる。キリストの再臨とともに、故人の体が復活し、永遠の喜びである天国に入る。黄泉とパラダイスの間には大きな深淵があって、行き来することはでき ない。
如何でしょうか、死生感として、そんなにかけ離れているとは思いませんが、これくらいの違いで深刻な宗教闘争を生んでいるのです
イスラムの最後に、過激なテロを行う民族、宗教性の強い生活をおくる民族として一般的認識されるイスラムとは、どのような社会であるのか、現代から覗いて行くことにしましょう。
ここでも、ネットにより収集した資料を紹介することになります。少し長くなりますが、この機会にイスラムの人たちの様子を垣間見てください。
http://www.aii-t.org/j/maqha/magazine/islamsociety/20061121.htm
【サウジ・イスラーム社会における家族の存在の必要性】
サウジアラビアの法源であるイスラームは、家庭を幼児の保護と世話、肉体的・精神的育成、そこで愛情や慈悲という感情や必要な責任感を身につける働きをもつ自然の保育所とみなしている。そして人間の仕事が偉大なもので、地上におけるその役割が最も大きな役割であるゆえに、人間の幼児期は将来のための準備と教育をよりよくするために他の生き物のそれより延長された。
また両親と共にある必要が非常に大きくなり、静かな安定した家庭が人間のシステムに必要不可欠になり、またこの人生における人間の本質とその形成、及びその役割には欠かせないものとなった。そして家庭以外のいかなる組織もその代わりにはならず、それどころか幼児の成長と教育にとってむしろ有害であることは既に科学的実験によって確証されている。
サウジ社会において家庭は子供に対して最高の責任者であり、子供の性格と素行に最も大きい影響を与え、彼らの行動を公然と監視するものと見なされている。そして正しく建設的な世代が社会に育まれるために、夫婦という家庭の支柱に最も大きい関心が払われている。
それゆえイスラームの教えに基く諸習慣は、結婚前に払うべき様々な注意の必要性を強調している。つまり結婚前の最初の義務は、男は宗教的にしっかりした良い女性を探すことで、女性はといえばその保護者が彼女のために良い男性を選ぶことである。それは彼らが互いに良い暮らしを営み、彼らの間に愛情と慈しみが芽生えるためである。そして良い男性と良い女性が1つになれば、それは良い社会の核である良い家族の形成につながる。そこで生まれた子供たちは彼らから身体的、知的、精神的教育を受け、その模範的環境の中で彼らの将来の人生における活動や素行、方向性などが大方において決められる。
幼少時に精神的に培ったものや家庭において両親から育まれたものは、通常成長後もそれを変えるのは難しいほどに確固として根付く。このような理由から、両親は理論的指導や教育とともに、その行いにおいて子供たちの良い模範とならなければならない。悪い模範が行う教育に利益はないのである。また行いというものは言葉よりも強く心に訴えかけるものであり、それが子供が両親に日常的に認めるところのものであればそれは尚更である。
そして家庭における両親の悪い模範は、子供が家の外で目にする悪事と助長し合う。子供はそのような中で悪事を好み、良いことを嫌うように育ってしまう。実際のところ子供の父親と母親に対する諸権利は沢山あり、非常に重要なのだ。しかし両親は物質的な意味において子供の存在の直接の原因であるから、両親の子供に対する権利についてまず話そうと思った次第である。
あなたの存在の原因である者のあなたに対する権利は、他のいかなる者の権利よりも重要であることは当然であろう。それどころかその権利は、あなたが彼に対して有する権利よりも重要なのである。もしこの意見に同意されるのなら、ムスリムの啓典クルアーンはこれらの権利を確証するために偉大なる主アッラーの御許から下されたということを述べるのは今私にとって容易くなる。
読者は至高のアッラーが偉大なるかれの権利に、子供に対する両親の権利以外のものを並置しなかったことを知って驚くであろう。主アッラーはクルアーンの中でこう仰られている。「アッラーを崇拝して何ものをもかれに並置してはならない。そして両親に孝行するのだ・・・」(女人章:36)また別の箇所ではこうも仰られている。「言え、“来なさい。あなた方の主があなた方に禁じられたことを語って聞かせよう。かれに何ものをも並置してはならない。
そして両親に孝行せよ・・・”」(家畜章:151)主アッラーが人々にかれを崇拝するというかれの権利を命じ、その逆のこと―つまりシルク(訳者注:多神教。アッラー以外のものを崇拝すること)―を禁じ、そして両親の権利を命じているこのようなクルアーンの句というのは、何度も反復されている。そして両親の権利とは孝行されることであり、その逆の事―つまり親不孝―の禁止である。
またクルアーンの別の箇所では、両親の優越性や子供が彼らを気遣い奉仕すること、そして彼らに良い返事をすべきことについても言及されている。母親は子供の妊娠、授乳、その世話と配慮ゆえの不眠などに疲労し、父親はといえばその教育や躾け、生活の糧の獲得などに奔走する。これらのことにより子供は、彼らに感謝し、彼らへの善行や強い絆を保つこと、奉仕、慈しみ、彼らを喜ばせ、幸せな気分にさせることなどの諸権利を果たさなくてはならない。
両親への世話や奉仕は、特に彼らが老齢に達した時により必要なものとなる。なぜなら彼らは老齢による障害により幼少のような状態に逆戻りし、様々な配慮が必要になるからである。両親は彼が不能の時代に彼らの彼に対する権利を果たしたのであるから、彼もうんざりしたり嫌悪感や不潔感などを抱いたりせず、彼らから言われる前に子供の両親に対する権利を果たさなければならない。
むしろ率先してそうしなければならないのだ。また両親は子供の大小便やよだれ、吐しゃ物などの汚物を厭わなかったのだから、子供はそのことを念頭に置き、どのような場合にでも彼らに良い返事をし、そして彼らの権利の遂行が主の崇拝行為であることを知らなければならない。この件について最も詳細に渡って言及されたクルアーンの章が、次に示すものである:
「われら(アッラーのこと)は人間に両親への孝行を命じた。母親は子を辛い思いをして懐胎し、苦労して分娩した。そして懐胎から分娩までは30ヶ月間要するのだ。子は成長し、40歳にも達すればこう言う。“主よ、私と両親にあなたがお与え下さった恩恵に感謝させて下さい。そして私にあなたがお悦びになる行いをお許しになり、私の子孫において私を正して下さい。私は実にあなたに悔悟しました。私はムスリム(服従した者)です。”われら(アッラーのこと)は彼らの行った善行を受け入れ、天国の住民として彼らの悪行を大目に見る。彼らに約束されていたところの、真実の約束ゆえに。
一方、両親にこう言う者もいる。 “全くうんざりするなあ、(死んだ後に)蘇らされるって!?何世紀も前に死んだ奴らはどこに行ったって言うんだよ?”そして彼の両親は主に助けを求めてこう言う。“何ということか、信仰しなさい。主の約束は真実なのですよ。”すると彼は言う。“そんなのは大昔の作り話に過ぎないんだよ。”このような者たちこそ、彼ら以前の時代の人間とジンからなる諸社会を滅ぼしたところの御言葉が実現するところの者たちである。彼らこそは損失者であるのだ。」(砂丘章:15〜18)
そして子供に彼らを扶養する能力がある限り、両親、あるいはそのどちらかを彼らの生活費捻出のために働かせることは、例え彼らにその能力があったとしても、親孝行に真っ向から衝突することである。アッラーはこの親孝行ということにおいて、いかなる人的社会システムを創り出した者の脳裏にも浮かばないような事を定めた。つまり親孝行の内でも最も孝行な行為を、両親の死後に彼らが親しくしていた友人と絆を保つこととしたのだ。またイスラームという教えが両親の権利を重要視していることにおいて、前出した全てのことよりも更に驚くべき、素晴らしいことを申し上げれば、読者の皆さんは驚かれるかもしれない。
つまりムスリムはその宗教においてとても排他的と言われているが、イスラームの教えは両親の権利を特別な重要性を持って強調し、どのような教えを信じていようと両親への孝行を命じているのである。それゆえ例え両親がムスリムでなくても、彼らを遠ざけたり手ひどく扱ったりすることは、ムスリムのすることではないのだ。一体家族の相互保障や一体化の維持という面を徹頭徹尾に渡って目的としたこのシステムを上回るものがあるだろうか!?
(以下省略)
【サウジイスラーム社会における個人の諸権利 1】
家庭はいくつもの個人から成り、社会はいくつもの家庭から成る。これまでの文章で示してきたように、私はサウジ社会において個人と家庭が学ぶところの道徳や特質の多くを説明してきた。疑念の余地のないことだが、健全なる教育を受けてきた個人と家庭から成立する社会は、互助性が強い、正しく良い社会になる。というのもそこにおいて各個人は義務と権利をわきまえ、自らの義務を果たすことに満足し、生命と財産と尊厳において安心していられるからである。それゆえ社会全体も平和と安定の下にあることが出来るのだ。
それでは各個人が全ての面において一丸になって助け合うことが出来るようになるため、社会に堅固さと安定を供給する原因と手段とは何であろうか? アッラーがそのしもべたちにお与えになった恩恵の中でも最も偉大なものの1つである、イスラーム兄弟愛がそのうちの1つであろう。この兄弟愛は愛情、平安、相互扶助、結束といったものをもたらす、ムスリム共同体の基本なのである。そして相違や争いといったことは、それが起こったら即その基本に立ち返らなければならないところの例外なのである。
これから私がこの文章を通じて行おうとしていることは、サウジ社会が個人にインプットし、そしてその実践に努力するところの道徳意識かつ特質を読者の皆さんに説明することである。そしてそれらは人々の間に兄弟愛を芽生えさせるがためなのであり、かつ社会に平安と堅固さと幸福を実現させるがためなのである。そして読者の皆さんは、私が述べていくこれらの項目―私が「個人の他人に対する諸権利」と呼ぶもの―が決して真新しいものではないことにお気づきになられるだろう。
というのもサウジ・ムスリム社会も他の多くの民と同様、平和を望む社会であるからだ。ただ何がサウジ社会を際立たせるかと言えば、それは彼らが実践しようとしているそれらの特質が国民の心に深く根付いた宗教的・信仰的なものであり、かつ人間の健全な性質にそぐっていることであろう。それゆえこれらの特質を実践しようとする彼らの衝動は強力になるのであり、イスラームの教えがもたらしたものの実践によって現世と来世の幸福が実現するという彼らの信仰は非常に固いのである。
このテーマを説明するにあたり、読者の皆さんに分かりやすく読んで頂くため、話を2分割することにした。前半ではそれを実践することで社会に兄弟愛が芽生える特質を取り上げ、後半では兄弟愛を損ない、かつ社会からの平和と幸福の喪失と社会の退廃をもたらす禁じられた要素を取り上げようと思う。
1.主アッラーにおいて愛し合うこと
それはつまり、社会に属する個人が互いに愛し合うことである。そしていずれ消えゆく現世的な目的ではなく、アッラーの御顔を意図した愛でもって愛し合うことである。アッラーゆえの愛はかれが永遠であるゆえに、永続する。しかし物質的な目的ゆえの愛は、物質が消えゆく性質であるゆえに消滅するのである。愛し合う者たちは互いに安らぎを得る。それゆえアッラーは人間に、愛する者には「愛しています。」と明言するよう命じた。
それはより互いの親近感が増し、また相手の心に平穏をもたらすがためである。このようにして人々の間には愛情や寛容さ、他者優先の精神などが生まれる。そして誰もが住みたいと夢見るような、素晴らしい社会が世界に出現するのだ。しかし残念ながら、物質主義が人々の心と理性を支配してしまった。そしてムスリムもまたイスラームが命じる義務を忘れ、他の民と同様に物質主義の中に埋もれ、憎しみと嫉妬の社会の中に溺れているのだ。
2.お互いに訪問と連絡をもつこと
ムスリムがアッラーの御許での報奨を望んでその同胞を訪問することは、アッラーが最もお悦びになるところの良い行為の1つである。ただ訪問者はそのタイミングをよく見計らなければならず、相手が訪問されることで喜びそうな場合は訪問を重ね、一緒に時を過ごす。しかし相手が忙しそうだったり、あるいは1人で居たそうな場合は訪問を控え、彼の邪魔をしないようにする。
病人のお見舞いも同様で、病人がそう望むのでなければ、長居はしない。尚病人のお見舞いは預言者ムハンマドが強く推奨したことの内の1つで、病人とその家族、お見舞いする者たちの間の愛情を深めるものである。それによって病人は気遣いの気持ちを感じ、心が癒され、訪問する側は彼の安否を知り、かつ病状の回復を望むことにつながる。
預言者ムハンマドは、病人のお見舞いをムスリムの同胞に対する義務の1つに数え上げている。お見舞いや訪問の真価は、1人きりで誰からも気遣われずに病気や孤独と戦ったことのある者にしか分からないだろう。そしてこのような状況は、不信仰の国や、イスラームの作法から遠のいてしまったイスラーム諸国になんと多いことだろうか。
しかしサウジ社会に暮らしたことのある者なら、各人の中にこの特質が根付いていることを明白に知ることが出来るだろう。1週間に1度も訪問者のない家はなく、訪問や集まりが幾度と繰り返されることについては前にも述べた通りである。病人のお見舞いも気軽かつ頻繁に行われ、お見舞い客のない病室は皆無に等しい。数年前私の祖母が病気になった時、私たちは数ヶ月間に渡って彼女を病院に入院させなければならなかった。
そして当時その病院が提供してくれていた高度のサービスと、祖母がほぼ意識不明の痴呆的状態であった事実にもかかわらず、私は彼女が一晩として一人で夜を過ごしたことを覚えていない。私たちは毎晩彼女に交代制で付き添い、奇妙にも誰が付き添い役を獲得するかを争っていたほどだったのだ。実際のところ、彼女の病状は重かったにもかかわらず、私は彼女が私たちにいつも囲まれて幸せだったのではないかと感じている。このようにサウジ社会では病人も障害者も、生きている者も死んでいる者も互いに隔離されることはない。墓地もまた死人の訪問者で溢れているのだ。
(中略)
4.困窮者と弱者の援助
アッラーはその創造物をその強さや弱さにおいて多様にお創りになり、そしてある者をその糧において他の者より優遇された。そして通常弱者は強者を、貧者は富者を必要とし、病人は健康な者を、ある事に無知な者はそのことについての知識を持つ者を必要とする。
またアッラーは善行と敬神の念において援助しあうことを命じ、罪悪と敵対心のもとに援助し合うことを禁じられた。そして今日同志が必要としているものは、明日は自分自身が必要となるかもしれない。必要を満足させることはイスラームの兄弟愛の求めるところのものである。そしてイスラームにおける社会教育は善行を勧め、悪行を禁じることなのである。全世界が求めている平和とは、実にこのことなのだ。そしてそれは孤児の援助や貧者の救済、無所有者に衣食を与えることなどを命じているイスラーム教育の他にはない。もとより困窮している者を援助するのは社会がそうでならなければならないところのもので、それは特定の個人や場所、時間に限定されてはいない。それどころか特定の宗教だけに向けられてもいない。逆に人間は宗教や国籍、時間や場所などに制限されることなく、困窮者を援助しなければならない。
親愛なる読者の皆さんに向けてもう一度強調するが、イスラームという教えはムスリム以外の人々に対して邪険に振舞うことなど命じてはいない。その反対に、彼らへの奉仕はムスリムに対する奉仕と同様のものである。もし彼らが私の言うことと矛盾することをしているのを見たら、あなたはムスリムが真のイスラームから遠くかけ離れた所にいることを確認するだろう。
この項、以下略
9.他者優先の精神
他者優先とは、この世の何らかの物事において自らが必要としているところのものを、他人に優先させて譲ることを言う。その逆は独占だが、それは人が何かを占有して他人にそれを渡さず、あるいは力をもって他人をその占有物から閉め出す事である。他者優先の精神は人の品行のうちでも最も優れたもので、順番としてその後に正義が来る。前にも触れたように、正義とは各人が自らの権利を有する状態である。一方独占は人の品行のうちでも最も悪いものだ。この他者優先の精神は、社会を平和の頂点にまで到達させる。というのも各人が自らの現世的チャンスから身を引き、他人にそれを優先させるからである。彼は独占や占有などということを考えることは言うまでもなく、彼自身の権利を全て享受しようとすることすらしない。
正義は社会に平安をもたらす。それは個人が互いに不正を犯すということを考えず、自らの権利を全て獲得しようとはせず、かつ他人に不正を働かないからである。それゆえ不正を働くこともなければ、不正を味わうこともない。一方独占は社会から平安を根こそぎにしてしまう、死をもたらす伝染病である。というのもそこにおいて各人は、それが権利に基いていようとなかろうと、自らに最高の現世的利益をもたらすことしか考えないからである。そして力を有する者が、独占者であり占有者である。こうした私欲に基いた社会は、現世の虚栄を追い求めて競争する社会であり、各人や各党は自らを強化し、その力でもって独占と占有を求める。その結果社会には心配や争い、戦争や反乱が続発し、平安が乱されて家庭と個人の関係は恐怖で満ちる。人間というものは私欲が強いほど、神への服従から遠のくものである。というのも人間が真に神への服従に徹したならば、現世的欲望や独占欲は減少し、神が彼に与えた以上のものを得ようとする野望なども薄れるからだ。
ゆえにアッラーは、人を高徳へと誘った。それこそ神のもとにあるものを求めるということから生じる、吝嗇の念を捨てた他者優先の精神である。そしてこの高徳とは稀にしか見られないものであるが、決して不可能なことではない。自らの内で奮闘する者は、奮闘しただけのものを他者優先の精神の形で実現できるだろう。ここで、私が今まで耳にした中で最も素晴らしい他者優先の精神に関わる話をしよう:ある昔のこと、ムスリムの一団が外国に向けて旅に出た。そして彼らの何人かしか食料を携えておらず、しかもそれは僅かなものだった。後に日が暮れ、腹を減らした一行は休憩し食事を取ることにした。しかし食料は少ししかない。それである者が提案し、食料を持っている者はそれを出し、持っていない者たちに恥をかかせないよう、明かりを消して皆一緒に食べることにした。一同はもぐもぐ音を立てて食べ出し、その音が途絶えた時に食事が終わったこと印となった。彼らが明かりを点けると、何とした事だろうか、食べ物は手付かずのまま残っているではないか!?そこにいた全員が友人に気を遣わず食べてもらおうと、ただ音を立てて食べる振りをしていたのだった。これが彼らのしたことだった。それに比べ、盗みや自分に何の権利もないものにまで手を伸ばそうとして明かりを消す人々の、なんとあさましいことだろうか。
(中略)
16.義務と権利の遂行
社会の個人には他人に対する義務があり、また彼らには他人に対する権利がある。そして各人は他人に対する義務を遂行しなければならない。例えばイスラームの5柱の1つであるザカート(喜捨)は、神が富裕な者に義務付けたものであり、それを喜捨の受領の権利を持つ者たちに付与することにおいて遅延することは不正である。これは借金などについても同様である。
以下省略。
長々と、このような話が続きます。
そこで言われていますのは、人々の日常生活においてアラーの神の名の下に多くの具体的な規範があると言うことです。
我が国古来の宗教を神道としてみても、インドのヒンズー教にも神との関係において、このような規範はありません。
おなじ一神教のキリスト教との違いについてはこれから述べることになりますが、その様な意味でこの項を御覧になって欲しいと思います。
ついでに申しますと、ユダヤ教はまた少し異なる考え方となります。
「女性の男性に対する権利」
1.満足のいく結婚相手の選択:
女性を気に入らない相手に無理矢理結婚させることは、許されない。それは平穏な生活や精神的な安らぎ、愛情、平静、慈悲の念などを失わせてしまうだろう。そしてこれらは、イスラーム法における結婚生活の目的の中でも、最も重要な要素なのである。それゆえ結婚に際しては女性の同意が条件付けられ、初婚の女性の場合は「沈黙」が同意の証しとされる。というのも初婚の女性というのは大方羞恥心が強く、はっきりと同意の言葉を言えないからだ。一方初婚でない場合は、言葉によるはっきりとした結婚への同意が条件となる。
2.女性の後見人が彼女のために良い夫を探し、縁談を作る権利:
3.花婿として問題ない者の申し出を拒否しないこと:
花婿として問題のない者が女性に結婚の申し出をしてきた場合、その後見人は彼女自身が拒否しない限り、それを拒否すべきではない。むしろ適当な男性が申し込んできたら、それを受け入れなければならず、財産や地位などの理由で彼をはねのけてはならない。
4.男性は、相手の女性を気に入ったことを確認してから結婚の申し込みをする:
それは結婚をして初めて、彼女への嫌悪感を募らさないためである。そしてそれにより女性が不幸な人生を送り、離婚へと至る可能性を抑えるためである。
5.可能な範囲での婚資金の譲渡:
そして花婿は花嫁に婚資金を払う義務があるが、その金額は適度に控えるべきである。しかし花婿にそれだけの経済力があるならば、金額をそれに見合った高額に設定してもよい。 セクション2:結婚する際の女性の権利:3つの主な権利にまとめられる。
1.婚姻のお披露目
2.晩餐への招待
3.複数の妻がいる夫は、妻たちと一緒に過ごす日を特定しなければならない
夫は花嫁が初婚であった場合は1週間、そうでない場合は3日間、彼女と一緒に暮らさなければならない。その後はまた他の妻たちと代替制で定期的に過ごす。この新婚期の特別期間の規定の意味はアッラーこそがよくご存知だが、おそらく新居地に移転してきた新妻が落ち着くようにとの取り計らいではないか。そしてこの期間新郎新婦が互いに満足し合うため、という意味も含まれているように思われる。。
セクション3:結婚生活における女性の権利
1.結婚・家庭生活において権利や義務とされる宗教的教えを、妻が学習する権利:
そこには子供の権利と義務、両者の親類の権利、隣人の権利など、妻が知るべき諸権利が含まれる。そして妻の教育は、家庭の各人の教育の基礎を意味する。というのも母の教育は、その言葉やよき模範的行為をもって子供らへと受け継がれるからである。そして男性が最も重視すべきことは、家庭の幸福がそれによって成就するところの、妻の宗教教育である。そしてそれは特に彼女が若くして結婚した場合、あるいは無教育である場合に留意しなければならない。
2.妻が夫からよく扱われ、粗暴ではなく優しくされる権利:
夫が妻とよい関係であり、彼女を優しくいたわりかつ優れた道徳をもって接することは、互いの愛情と親愛を結び、家庭の平安と妻の心の安らぎと静寂を生じることにつながる。そして夫婦は最も多く接触する者同志であるゆえ、2人の間には沢山の問題が生まれ、時には視点の相違も生じることもある。それゆえ夫婦は互いに辛抱し合い、互いの過ちを許し合わなければならず、そして互いの権利をおろそかにしてはならないのである。そしてそうすることにより、夫婦生活における恒常的な分裂や不一致を防ぐことが出来るのである。
3.必要なものを十分なだけ扶養される権利:
妻に対する十分な扶養、そして彼女に回りの者と同じような程度の衣服を身につけさせることは、夫の義務である。そしてもし夫が裕福であるなら、彼は吝嗇と浪費をすることなく、妻に余裕をもった扶養をするべきである。預言者ムハンマドは、施しを始めるのは自らが扶養している者たちからであることを命じたが、妻こそは最もその優先権を持つ者であることに疑念はない。
4.必要時に外出する権利:
妻が夫の家に留まり、外出するのに夫の許可を要するというのは、夫の妻に対する権利の1つであることは既に述べた。そしてアッラーは必要に応じ、女性が外出することを認められた。
これが女性が必要に応じて外出することへの、アッラーとその預言者からの許可である。しかし妻はその際、夫の許可を得なければならない。
他にもいろいろと規範が続きますが省略します。
http://www.aii-t.org/j/maqha/magazi
以上で、イスラムへの旅を終わり、次にはユダヤ教、キリスト教が展開したヨーロッパへ行きたいと思います。
※ もし、最後まで読まれた方がおられるならば、感謝感激です。
イスラム教圏について、何かと疑わしい雰囲気のなか、書いて見たかったのです。
http://www.kyudan.com/cgi-bin/bbskd/read.cgi?mode=view&no=814
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