http://www.asyura2.com/15/senkyo179/msg/285.html
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「共感を断絶するような言説に共感が集まるようになってきた気がする:じこぼう氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/16536.html
2015/2/2 晴耕雨読
https://twitter.com/kinkuma0327
> 佐藤正久 一般に、テロ集団の人質事件の目的の一つとして、自己の存在感を国際社会にPR及び対象国の政府と国民との分断があると言われる。その場合、身代金や人質交換は単なる手段に過ぎない。今回ISILは数次の動画・声明で日本とヨルダン国民に政府を突き上げるよう要求していた。要求に屈してはいけない
「国民が政府を批判すること=テロリストの要求に屈すること」ということになってしまったな。
テロに便乗して自説を開帳するのもアレだが、テロを利用して国内の政権批判勢力の発言を沈黙させようというのも、なんとも困りものである。
防衛省幹部が「できるはずがない」と否定しているところを、リスクを恐れて何もしないのはよくない、などと鼻息を荒くする首相は、精神論に流れすぎだろう。/東京新聞:自衛隊の活用 首相が意欲 現実味薄く、自民も慎重:政治(TOKYO Web) http://t.co/dF5S82NGMd
> 深町秋生 人質になった方を「日本人ではないのではないか」「自決しろ」「自己責任だ」とぶっ叩いた人ほど、今度は「テロを許さん、断固戦うべし」などと憤怒の感情を爆発させて、威勢のいいことをぎゃんぎゃん吠える姿が見える。
共感を断絶するような言説に共感が集まるようになってきた気がする。
窮地に陥った個人の境遇に共感するのではなく、「自己責任だ」と切り捨てる言説に共感が集まる。
巷間にあふれるヘイトスピーチやネットの差別的な書き込みは、社会的弱者やマイノリティーに対する共感断絶を扇動している。
一方で、テロとは断固闘うべきだ、殲滅すべきだといった憎悪感情や報復感情に基づく勇ましい言説を振りまく者がでてきて、そういう憎悪感情や報復感情に共感を示さないような者を、「内なる敵」として認定する。
「共感」という私的な領域にあるべき体験が、国家的なものにかすめ取られていく。
本来なら、自己責任論と報復論は相容れないわけだけど、両者に共通するのは、大勢(体制)があちらに向かっているのに別の方向に向かう人間は許せない、という心性ではないか。
> Shoko Egawa 日本には日本のやり方がある。それを堅持する。テロでは日本を変えられませんよという、静かな表明。これも「テロに屈しない」こと →Reading:官房長官 有志連合へ支援行わず NHKニュース http://nhk.jp/N4Hb6LUO
ぼくは自己責任の原則は正しいと思うわけだけど、困った事態に直面している人は、その段階ですでに、自身の行為に対する不利益という結果を受けているじゃないか、と思うわけですよ。
だのに、その人をそれ以上の窮地に追い込みたいというのは、自己責任論の名を借りたサディズムなんじゃないのか。
どうも、昨今の自己責任論の根底には、国の方針に逆らって行動する者や、マジョリティが向いている方向に向かわない者に対する懲罰感情のようなものが含まれている気がするんですよね。
そして、「あいつらは私たちとは違う」などと断絶を煽る意識が、自己責任論にサディズム的な性質を与えている。
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