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なぜトルコでなくヨルダン…日本政府が対イスラム国交渉で犯した“選択ミス”(リテラ)
http://www.asyura2.com/15/senkyo178/msg/837.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 1 月 29 日 19:40:05: igsppGRN/E9PQ
 

なぜトルコでなくヨルダン…日本政府が対イスラム国交渉で犯した“選択ミス”
http://lite-ra.com/2015/01/post-826.html
2015.01.29. リテラ



27日にイスラム国から公開された画像を伝える日本国内のニュース(YouTube「ANNnewsCH」より)


 イスラム国人質事件をめぐり情報が錯綜している。一時は「交渉が成立し、近いうちにイスラム国が後藤健二さんを解放する」との情報が流れたが、その後は再び交渉が難航しているとの見方が広がり、本日朝には「現地時間の29日木曜日の日没までに、リシャウィ死刑囚をトルコ国境に連れてこなければ、ヨルダン軍のパイロットのムアーズ・カサースベは即座に処刑される」という新たなイスラム国のメッセージがアップされた。


 いずれにしても、交渉は完全にイスラム国ペースで進んでおり、日本もヨルダンも厳しい判断を迫られていることは確かだろう。とくに、追いつめられているのがヨルダンで、自国パイロットの解放を優先しなければ当然、国内世論が黙っていないが、日本からは後藤さんの解放協力を要請され、イスラム国もあくまで解放は後藤さんひとりと主張。一方、同盟国のアメリカからは「人質の交換には応じるな」とプレッシャーをかけられている。


 ヨルダンとしてはどうなっても反発を受けるのは必至で、ただでさえ、国内情勢が不安定なところに、大きな火種を抱え込まされたかたちなのだ。


 今後の行方はまだ不透明だが、こうした状況に専門家から「そもそも日本政府がヨルダンを頼ったこと自体が間違いだったのではないか」との声が上がっている。


 日本政府は少なくとも後藤さんがイスラム国に拘束された昨年11月にヨルダンに現地対策本部を置き、以来、交渉窓口をヨルダン政府に委ねてきた。しかし、ヨルダンは親米国であるだけでなく、現状、もっとも激しくイスラム国と対立している国であり、イスラム国空爆の有志連合にも参加している。当然、イスラム国との直接的な交渉ルートがあるわけでもない。むしろ、その選択がイスラム国を硬化させ、解決を大幅に遅らせたのではないかというのだ。


 いや、解決を遅らせただけではない。日本がヨルダンに現地対策窓口を置いたことで、イスラム国側は敵対国に揺さぶりをかけようと、リシャウィ死刑囚の解放を持ち出したと考えられる。つまり、日本政府の選択が無関係なヨルダンを巻き込み、イスラム国側に新たなカードを与えてしまった可能性が高いのだ。


 では、日本はどうすればよかったのか。同志社大大学院教授で中東問題の専門家・内藤正典氏は、26日のテレビ朝日『報道ステーション』に出演した際、こう話した。


「今となっては遅いのですが、事件発生当初の段階で、(日本政府が協力を)トルコに要請をしていれば、まず、トルコ国民は日本の要請に関していえば、ほぼ100パーセント好意的にみるんですね。日本の為になにかしなければいけないと(トルコは)思う」
「しかも人質を49人昨年とられて、3ヶ月におよぶ交渉のすえ、全員無事解放している。なおかつ米軍の対イスラム国の攻撃要請に対しては頑として首を縦に振らない。攻撃のためには基地を貸していない」


 たしかに、イスラム国爆撃の有志連合にも参加しているヨルダンに対して、トルコは昨年9月にオバマ米大統領から「攻撃参加」を強く要請されたものの、その呼びかけを拒否している。また、イスラム国と独自のルートをもち、中東の中で人質交渉を成功させた実績が最もある国でもある。


 また、内藤教授は情報の面でも、トルコの方がはるかにメリットがあったのではないかと語っている。
 
「それにトルコとシリアの間は人の往来が非常に活発ですので、結局トルコ側でそういう世論を醸成すればシリア側に伝わるんです。しかし、ヨルダンからそこへ伝えるのは困難です。」(26日の『報道ステーション』)
「現地対策本部はヨルダンでなくトルコの首都アンカラに置く方が、はるかに情報が集中してくる。多くのガセ情報から本物を選ぶときに、ヨルダンでは欧米の情報機関が中心になるが、トルコでは欧米+現地情報が得られる」(23日のツイッター)


 こうした意見は内藤教授がトルコの専門家だから出たものではない。宮田律氏はじめ他の中東の専門家の間でも同じ見方をとる人は多い。中東支局の経験がある全国紙の外信部記者もこう話す。


「日本政府は今頃になって、トルコとシリアの国境で引き渡しがある、として、トルコ政府にも協力を働きかけ始めましたが、遅すぎます。初動段階で日本政府がトルコに現地本部をおいて交渉を依頼していたら、ここまで事態が錯綜することはなかったかもしれません。もしかしたら、Youtubeでの公開もなく、秘密裏に交渉が進み、それこそ身代金で湯川遥菜さんも解放された可能性もあった」


 しかしだとしたら、日本政府はなぜトルコではなく、ヨルダンを選んだのだろう。


 まず考えられるのは、アメリカの顔色をうかがった判断、ということだ。前述のように、トルコはイスラム国に対しては独自外交を展開しており、アメリカとは距離をとっている。「テロとの戦い」でアメリカに追従する安倍政権としては、親米で有志連合に入っているヨルダンに現地対策本部をおくのが当然、と安易に選んでしまったの可能性が高い。


 また、この判断には外務省の事情も関係したのではないかとささやかれている。今回の人質交渉を担っているのは外務省の中東アフリカ局だが、同局はアラビア語の研修を受けたアラブスクール出身者が主流のため、トルコ系のルートは軽視されがちなのだという。


「しかも、局長の上村司氏も元イラク大使館参事官で、同代理大使時代にイラク日本人外交官射殺事件にも遭遇した人物ですから。ヨルダンのほうに人脈が圧倒的にある。それで、トルコに、という省内の声をおさえて、ヨルダンに本部をおいたんでしょう」(全国紙・外務省担当記者)


 こんな大事な決定を省内の力学で決めていたとしたら唖然するしかないが、いずれにしても、安全保障や危機管理などどという名目で「戦争のできる国」づくりをめざす安倍政権の実態はこんな程度ということなのである。


 しかし、ため息をついていても始まらない。現実問題として日本政府はヨルダンを選び、イスラム国からリシャウィ死刑囚の釈放を交換条件としてつきつけられた。こうなったら、なんとか後藤さんとヨルダン人パイロット、リシャウィ死刑囚という2対1の交換を実現できるよう働きかけるしかない。


「現実的には、死刑囚の釈放に加えて裏金を積み、2対1の人質交換にもっていける可能性はゼロではないと思います。ただ、ヨルダンにここまで頼ってしまった以上、日本がイスラム国や過激派から有志連合の一角として認識されてしまうのはもう避けられない。心配なのはこれからですね」(中東外交の専門家)


 いっておくが、この事態は後藤さんの責任ではない。「2億ドル支援」をめぐる不用意発言をはじめ、アメリカに付き従うことしかできない安倍政権の稚拙な外交がもたらした結果である。


(野尻民夫)




 

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コメント
 
01. 2015年1月29日 20:20:11 : vgPgbrsFTs
 まったくもってそのとおり。  加えて言わせてもらうなら、安倍はヨルダンにも相当つぎ込んでいるはずだ。  だから思い通りになると思っていた。
 金さえ積めば何でも通ると思ったら大間違い。  ヨルダンは安倍のせいで国家存亡の危機にひんしている。

02. 2015年1月29日 20:36:09 : R8TuVcpRCs

 本当にミスかな・・???
 元より、解決するつもりが無いのかも。
 悲惨な結果を利用したいのかも・・・

03. 2015年1月29日 20:51:47 : GChfM9iwZA
亡くなられた故菅原文太氏の大傑作映画「仁義なき戦い」の名台詞をパクらせていただくとイスラム国はきっとこう言っていたことだろう。

イ「日本とヨルダンを表に引こずり出してよお、どっちも一緒に並べてガタガタいわしたりゃあいいんじゃ。そうすりゃあれらは勝手に自滅するんでぇ。」

そのとおりになりそうだ。


04. 2015年1月29日 21:20:55 : hzQrKE2H9U
>しかしだとしたら、日本政府はなぜトルコではなく、ヨルダンを選んだのだろう。


こういう情報がある。

昨年、安倍ちゃんはヨルダンと原子力協定を締結したね。「事故のすべてを日本が補償し、放射能物質(プルトニウムも)はすべて日本へ返還etc.‥」という協定内容だよ。今回のヨルダン訪問にも原発建設リーダー・商社が同行してたわ。

https://twitter.com/kuroda06sayuri/status/560696604127002624

http://blogos.com/outline/83602/


(安倍の戦争ビジネスを兼ねたもので、人質救出より安倍・岸一族の武器商人としての核爆弾につなげたい私欲が勝ったということでしょう。)


05. 佐助 2015年1月29日 22:37:45 : YZ1JBFFO77mpI : 439YTZK3Rc
人質交換後の経済支援として原発基地の無償提供を申し出ているかも知れない

だが人類は水素発電&電磁波起電力に移行させて発生する。そのため、CO2や放射能を発生させる動力は一掃され家庭も工場も乗り物も、電子電池電源で動く時代になるので、都市も農業も漁業も本当にかわり、人類は第二次産業革命を謳歌することになる時代にプルトニウム原発武器を無償輸出,それもウランはあと5年で枯れる。そのプルトニウムを再利用するのでしょうか。呆れてしまう。もしミサイル砲でテロ攻撃されたらどう防御するのだろうか。米国はプルトニウム返せと言っていますが,どうなったのだろうか。

原子が分子化される時に発生させる,劣化イオン化すると強い共鳴振動数によって容器やパイプを酸化または還元して、穴をあけたり、亀裂を発生させたり、腐食させる。しかもプルトニウムは電子を激突させると崩壊は加速され原子爆弾のように大量に殺傷破壊させられる。従って

原発は水素爆発や高温の熱での蒸気爆発が避けられない。そこで原発は、水素や蒸気を逃がし爆発を防ぐため、水素や蒸気に含まれた「致死量」の放射能を大気開放と海洋にドレン放出しなければならない。そして亀裂・腐敗・穴があくと放射能はジャジャ洩れになる。

そして水と気温,しかも冷却水には真水ではなくてマグネシウム(Mg)が使われている。海水にはマグネシウムやナトリウムが含まれている。マグネシウムはリチウムと共にイオン化すると強い共鳴振動数によって容器やパイプを酸化または還元して、穴をあけたり、亀裂を発生させたり、腐食させる。

もっと低い発熱量を放射する原子を燃料棒に採用する案が良いが,原発の目的は動力とプルトニウム生産なので,まずない。イオン劣化によって浜岡原発と福島原発は地震・津波の発生する前に,亀裂・腐敗から穴があいていたはずです。だから津波(海水)で穴が大きく開いたと思われる。


06. 2015年1月30日 00:38:06 : WZn4PfffPk
間抜け安部はアホ整形大卒と、、、、バカに政治をやらせるとこうなる見本だよ。
後藤は残念だが殺害される。

07. 2015年1月30日 08:56:12 : 78hSOl8OuQ
安倍総理と外務省には全く洞察力が無い。 
国王と仲良しだからと言ってお願いしたのだろうか。
それともアメリカの推薦があったのか。
複雑な事情を持つ國に飛び込んで日本は自縄自縛状態になった。

安倍総理は自らテロを呼び込み一人でテロと闘うと叫んでいる。
独り芝居。

政府はいつも「緊張感をもって」やっていると云っている。
当たり前の事。この言葉に甘えを感じる。


08. 2015年1月30日 09:39:38 : pBipN2KXDo
 
ヌール王妃がアメリカ人女性だったってことを
知ってる奴がどれくらいいるかな?

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%AB_%28%E3%83%A8%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%B3%E7%8E%8B%E5%A6%83%29

ヌール (ヨルダン王妃)

ヌール・アル=フセイン(アラビア語: نور الحسين‎, ラテン文字転写: Nūr al-Ḥusayn、Noor al-Hussein、1951年8月23日-)は、ヨルダン国王フセイン1世の4人目の妃。結婚前の名前はリサ・ナジーブ・ハラビー(Lisa Najeeb Halaby)。

アメリカ合衆国ワシントンD.C.でシリア系アメリカ人の家庭に生まれた。プリンストン大学で都市計画を学び、ヨルダンの首都アンマンで働いていた頃フセイン1世に見初められ、1978年6月15日に結婚した。

王妃となってからは地雷禁止国際キャンペーンの活動に携わり、1995年からユナイテッド・ワールド・カレッジの学長、1996年から行方不明者国際委員会の委員を務めている。


子女
ハムザ王子(1980年 - 、حمزة‎)
ハーシム王子(1981年 - 、هاشم‎)
イマーン王女(1983年 - 、إيمان‎)
ラーイヤ王女(1986年 - 、راية‎)

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http://en.wikipedia.org/wiki/Queen_Noor_of_Jordan

Queen Noor of Jordan
  

Queen Noor of Jordan (Arabic: جلالة الملكة نور‎; born Elizabeth "Lisa" Najeeb Halaby on 23 August 1951) is the widow of King Hussein. She was his fourth spouse and queen consort between their marriage in 1978 and his death in 1999. She is also known as Noor Al-Hussein.

A United States citizen by birth and of Syrian,[1] English and Swedish descent, she renounced her American citizenship in favor of Jordanian citizenship at the time of her marriage. As of 2011, she is president of the United World Colleges movement and an advocate of the anti-nuclear weapons proliferation campaign Global Zero.

Family and early life

Queen Noor was born Elizabeth (Lisa) Najeeb Halaby in Washington, D.C. She is the daughter of Najeeb Halaby and Doris Carlquist (Swedish descent). Her father was an aviator, airline executive, and government official. He served as Deputy Assistant Secretary of Defense in the Truman administration, before being appointed by John F. Kennedy to head the Federal Aviation Administration. Najeeb Halaby had a successful private-sector career, serving as CEO of Pan American World Airways from 1969 to 1972. The Halabys had two children following Lisa; a son, Christian, and a younger daughter, Alexa. They divorced in 1977.

Noor's paternal grandfather, Najeeb Elias Halaby, a Syrian immigrant, was a petroleum broker, according to 1920 Census records.[2] Merchant Stanley Marcus, however, recalled that in the mid-1920s, Halaby opened Halaby Galleries, a rug boutique and interior-decorating shop, at Neiman-Marcus in Dallas, Texas, and ran it with his Texas-born wife, Laura Wilkins (1889–1987, later Mrs. Urban B. Koen). Najeeb Halaby died shortly afterward, and his estate was unable to continue the new enterprise.[3]

According to research done in 2010 for the PBS series Faces of America by Professor Henry Louis Gates, Jr., of Harvard University, her great-grandfather, Elias Halaby, came to New York around 1891, one of the earliest Syrian immigrants to the United States. He had been a Christian and provincial treasurer (magistrate) in the Ottoman Empire. He left Syria with his two eldest sons. His wife Almas and remaining children joined him in the United States in 1894. He died three years later, leaving his teenage sons, Habib, and Najeeb (her paternal grandfather), to run his import business. Najeeb moved to Dallas around 1910 and fully assimilated into American society.[1]

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