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2015/01/27 18:46
後藤健二氏が「イスラム国」に囚われていることから「I am Kenji」と書いたプラカードをか胸に掲げて映像をyou tubeに多くの人が投稿している。「イスラム国」に囚われて命の危険に曝されている後藤健二氏を支援する意味があるというのだが、みんなが後藤健二氏の無事な生還を願っている純真な心情には大いに心を動かせられるものがある。
しかしそれでも、後藤氏はジャーナリストとして戦場の取材で「イスラム国」へ入って行ったのではないことに大いなる憤りを覚える。いやしくもジャーナリストが本人のことで記事になることがあってはならない。彼はそうした意味でジャーナリストとしては失格だ。
さらに言えば、戦場ジャーナリストとは一体いかなるものなのかという疑問が湧き上がる。戦場はいうまでもなく弾丸飛びかい弾薬が弾け人間が原形をとどめない肉片となって命が消し飛ぶ地だ。その悲惨さを伝えるのは一種の命懸の英雄的な行為かも知れない。
しかし戦場は「イスラム国」の専売特許ではない。日本国内にも戦場は存在する。そこでは人々が傷付き自ら年間三万人前後も命を絶っている。これほど悲惨な戦場が世界の何処にあるだろうか。
世界の弾丸飛びかう戦場へ出掛けるまでもない。日本国内にこそ戦場があり、弾丸飛びかう最前線が日本の各地に存在している。
そこで若者や中壮年や初老や老齢の人々が傷付き敗れ果てて、自ら命を日々絶っている。この戦場の悲惨さは想像を絶する。あなたの日常生活の直ぐ傍にも熾烈な戦場が展開されているかも知れない。
世界の名だたる戦地を駆け巡る人たちだけが「戦場ジャーナリスト」ではない。そんなのは功名の木登り程度の幼稚なものでしかない。自分がどれほど危険な細い枝に登ったかを競う愚かな自慢大会に過ぎない。
しかし日本国内の戦場はもっと地味で奥の深い人間に存在の本質にかかわる問題だ。しかも確実に年間三万人前後の人たちがその戦いに敗れて自ら命を絶って戦死している。このことこそが問題だと、日本のジャーナリストたちは声を上げるべきではないだろうか。
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