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http://mewrun7.exblog.jp/22755130/
2015-01-25 16:39
これは『安倍と日本人の覚悟が問われる〜イスラム国の日本人人質事件http://mewrun7.exblog.jp/22745173/』の続報になるのだが・・・。(関連記事・『安倍責任論も出ているイスラム人質事件〜今こそ国民は、国のあり方を考えるべきhttp://mewrun7.exblog.jp/22750181/』)
これまでの事件経過は。*1に。
イスラム国が人質の身代金要求のため設けた72時間のリミットを超えた24日。夜になって、人質事件に新たな展開があった。午後11時過ぎ、イスラム国のサイトに新たな動画がアップされたのだ。
動画には、ジャーナリストの後藤健二氏が、湯川遥菜氏の遺体だと見られる写真を胸の前に持たされている静止画像と、英語で、日本政府や妻に向けて、自分の救出やその条件について訴える音声がはいっていた。
(後藤氏が持っていたボードには、湯川氏がひざまずいている(処刑前の?)写真と、斬首後の遺体と2枚の写真が写っていたと伝えられている。)
またこの動画は、24日夜、後藤氏の妻に送られたメールにも添付されていたという。
『◆ネット上のメッセージ全文◆
私はケンジ・ゴトウ・ジョゴ。同房のハルナ・ユカワが「イスラム国」の地で殺害された写真を見たでしょう。あなた方は警告を受け、期限を示された。そして、私を捕らえていた者たちは、その言葉どおりに行動した。
アベ、あなたがハルナを殺した。われわれを捕らえていた者たちからの脅迫を真に受けず、72時間以内に行動しなかった。愛する妻、2人の娘に会いたい。私の身に同じ事をアベにさせないでほしい。諦めないで。私の家族や友人、「インデペンデント・プレス」の同僚たちと共に政府に圧力をかけ続けてほしい。
彼らの要求は、より容易なものだ。彼らは公平になっている。もはや金を求めていない。だからあなたは、テロリストに資金を出すことになると心配する必要はない。彼らはただ、収監されているサジダ・リシャウィの釈放を要求している。単純なことだ。彼らにサジダを引き渡せば、私は自由になる。実際に可能なことだと思われる。
日本政府の代表たちが皮肉なことにヨルダンにいる。サジダはヨルダン政府によって収監されている。私の生命を救うことがどれほど容易かを強調したい。あなた方が、サジダをヨルダン政府から取り戻せば、私は即座に解放されるだろう。私と彼女が引き換えということだ。
(妻に対し)これらの言葉はおそらく私の最後の言葉になるかもしれない。これらの言葉をあなたが聞く私の最後の言葉にしないでほしい。アベに私を殺させないでほしい。
(メッセージは英語。不明な部分を一部割愛し、誤りとみられる部分を修正)
共同通信15年1月25日)』
* * * * *
後藤氏が画像の中で、釈放を要求していたサジダ・リシャウィ氏は、イスラム国の前身のグループに関わっていた女性。05年にヨルダンで身柄拘束され、死刑囚として収監されているという。
『過激組織「イスラム国」が釈放を要求したサジダ・リシャウィ死刑囚は、ヨルダン人テロリスト、故アブムサブ・ザルカウィ容疑者が率いたイスラム国の前身組織「イラクの聖戦アルカイダ組織」が起こしたテロに関わった。ヨルダンの首都アンマンのホテルで2005年に起きたテロで、自爆しようとして当局に拘束され、後に死刑判決を受けた。(中略)
ヨルダン当局によると、リシャウィ死刑囚はイラク西部のアンバル州出身。夫はザルカウィ容疑者の部下で、このテロで自爆死した。テロでは約60人が犠牲になった。
同死刑囚は「夫が攻撃を実行した後、(爆発物を)起爆しようとしたが失敗した。人々が走りだし、私も彼らと逃げた」「夫がすべてを準備した。彼が私に爆発ベルトを装着させ、どのように扱うか教えた」などと語っていた。
ヨルダン国内では、イスラム国の支配地域に墜落して拘束されたヨルダン軍パイロットと、リシャウィ死刑囚との「捕虜交換」の可能性についても議論されている。イスラム国がこうした情報を把握し、日本、ヨルダン両政府に同時に揺さぶりをかけようとしたとの見方もできる。(時事通信15年1月25日)』
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首相官邸では、25日0時過ぎから関係閣僚が集まって、情報交換の会合を実施。日本政府は(英米政府も)この画像には信憑性があるととらえているようで、安倍首相や菅官房長官は、イスラム国への強い非難をあらわにしていた。
『菅義偉官房長官は25日未明、官邸で緊急記者会見し、「湯川遥菜さんとみられる邦人1人が殺害された写真を持つ後藤健二さんの写真がインターネット上で配信された」と発表した。
会見で菅氏は「このような行為は言語道断の許し難い暴挙であり、強く非難する」と述べた。同時に「残る後藤氏に危害を加えないよう、直ちに解放するよう強く要求する」と述べた。
同時に内閣危機管理監、国家安全保障局長に、関係省庁と連携し、情報収集をはじめとして対応するよう指示したと明らかにした。
政府は関係閣僚会議を開催。安倍首相は「ご家族のご心痛は察するに余りあり言葉もありません。このようなテロ行為は許し難い暴挙で、強い憤りを感じる。残る1名の解放を強く要求する。我が国はテロには屈しない」と述べた。(日刊スポーツ15年1月25日)』
* * * * *
イスラム国に殺害されたと見られる湯川遥菜氏は、民間の軍事会社を設立。その営業活動のために、シリアを訪問したと言われているのであるが。同氏が民間の軍事会社を設立するに至った経緯について、かつて、このような記事が出ていた。
『シリア拘束の湯川遥菜氏 事業失敗、妻の死、自殺未遂…渡航の背景を父が激白
シリア北部アレッポで、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」に拘束されたとみられる湯川遥菜(はるな)さん(42)の消息がいまだ不明のままとなっている。そんななか、千葉県内に住む父親の正一さん(74)が夕刊フジの取材に応じ、揺れる胸中を激白した。事業の失敗に妻の死、自殺未遂。シリア行きは、多くの挫折を経験した湯川さんにとって再起を賭けた「人生のラストチャンス」だったという。
「6日に電話で話したときには『お盆明けには帰る』と言っていたのに…。今はただ1日も早く元気な姿で帰ってくることを願っています」
千葉市花見川区の自宅で取材に応じた正一さんは、苦渋の表情を浮かべて言葉を絞り出した。
外務省からの連絡を受けたのは17日。
次男の湯川さんが渡航先のシリアで武装勢力に身柄を拘束された疑いがあることを告げられた。
現地から伝わる情報はごくわずか。時間がたつごとに焦りだけが募っていく。生死さえ判然としないわが子の安否を気遣いながら、「息子がこれほど世間を騒がせるようなことをして本当に申し訳ありません。親として、教育の部分で足りない部分があったのか、と反省しています」と複雑な心情を吐露した。
今年1月、東京都江東区で「国際民間軍事業」「国外警護」などを主事業とする「民間軍事会社」を立ち上げた湯川さん。活動実績はほとんどなかったが、日本でのその肩書が今回の災難を招いた可能性もある。経験不足も指摘されていたが、なぜ無謀な挑戦に及んだのか。
「出発前、彼は『これが人生のラストチャンスだ』と言っていました。もともと、国際問題に関心がある様子もなかった。向こうで、事業の展望を開こうと思っていたのではないでしょうか」
正一さんによると、湯川さんは、千葉県内の高校を卒業後、20歳過ぎで習志野市内にミリタリーショップを開業した。
2000年に常連客だった女性と結婚。千葉市内に2号店をオープンさせるなど事業は順調だったが、05年に暗転する。
「店が潰れて莫大な借財ができた。借金は、私が方々かけずり回って返済しましたが、彼は夜逃げ同然に姿を消してそれからすっかり疎遠になってしまいました」
10年、湯川さんの妻が肺がんにかかったことを知った正一さんは、入院先の病院を訪ねたが、そこでもわが子と顔を合わせることはなかった。
(下につづく)
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その後、湯川さんの妻が亡くなり関係は断絶。親子の縁が戻ったのは、昨年12月のことだった。
「突然、実家にやってきたんです。そこで名前を『正行』から『遥菜』に改名したことを聞かされた。『知り合いに短命な字画だと聞いたから』と言っていました。自殺を図って局部を切り取ったことも知りました。生活の部分で、限界を感じていたのでしょう。親としてそのまま放っておくことはできなかった」
正一さんは、今年1月、実家近くのアパートで独り暮らしを始めた湯川さんから新事業についてのプランも聞かされていた。
「海賊からタンカーを護衛したり、海外法人のサポートをする仕事だと言っていました」
会社の実績作りのために「シリア行き」を計画していることも明かしていた湯川さん。4月に最初の渡航を果たし、今回が2度目だった。
正一さんは、「最初の渡航時には成田空港までタクシーで送って『腹をくくって行け』と言って送り出しました。帰ってきたときには、『現地の人と親しくなった。歌も一緒に歌った』と目を輝かせていた。友人が少ない子でしたが、あちらでは必要とされているという実感を持てたのでしょう」と振り返った。
人生の再出発を賭けて赴いた紛争地。そこで出会った人との縁が、湯川さんを危険な最前線へといざなったのか。』
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またNYの新聞は、湯川氏について、このように報じていたという。
『ニューヨーク・デイリー・ニューズは21日、イスラム国に拘束されている湯川遥菜さんについて、これまでに拘束された人物の中で最も変わった経歴の持ち主だろうと報じた。記事によると、東京郊外の出身である湯川氏は、この10年ほどは苦難の日々を送っていた。自身が経営していたミリタリーショップは倒産し、住む家がなくなって公園で寝泊まりしたこともあるという。自身の局部を切り落として自らを命を絶とうとしたこともあるという。湯川氏は妻に助けられて一命を取り留めたが、「もし失敗したら女性として生きようと思っていて、あとは運命に任せようと思っていた」と、ロイター通信に語ったことも伝えている。
妻を肺がんで失った後、湯川氏は名前を男性の名前の「正行」から女性の名前の「遥菜」に変えて、第二次世界大戦で男装の麗人のスパイとして名を馳せた川島芳子の生まれ変わりを自称していたという。その後、湯川氏は突然、極端に男性らしい行動に走り、日本の右翼思想に傾倒したと伝えている。それまで武器を扱った経験がないにも関わらず、戦士を自称し、民間軍事会社を設立したという。
湯川氏とともにイスラム国に拘束されているフリージャーナリストの後藤さんについては、湯川氏を探すためにシリアに入国したと伝えており、シリア入りする前に撮影したビデオ映像では「とても危険な地域なので何が起こってもシリアの人々を恨まない」と語っており、「必ず生きて戻る」とのメッセージを残しているという。レコードチャイナ 2015年1月23日』
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まだ湯川氏の生死について正式に確認されたわけではないので、湯川氏が生存していることを祈りたい。
また何とか後藤氏が救出されるように、日本政府は本当の意味で、最善を尽くして欲しいと願うばかりのmewである。(@@)
p.s. 日本政府が人質事件が起きてすぐにヨルダンに対策本部を設置したことと、今回、イスラム国がヨルダンに収監中の死刑囚との釈放を要求していることと、何か関連はあるのかな?(イスラム国は、以前or当初から、日本人と死刑囚の交換を水面下で要求していたとか。)
THANKS
『<事件経過>
▼14年8月14日 シリア北部アレッポ郊外で、湯川遥菜さんとみられる男性が拘束される。その後、イスラム国によるものとされる犯行声明
▼10月25日 後藤健二さんがシリア北部の村からイスラム国「首都」のラッカに出発、その後連絡が途絶える
▼15年1月17日 安倍晋三首相が、カイロでの演説でイスラム国対策として2億ドル支援を表明
▼20日午後2時50分 過激派「イスラム国」とみられるグループが、日本人2人の殺害を予告するビデオ声明を発表
▼同5時47分 安倍晋三首相がイスラエルでの記者会見で「テロに屈せぬ」と発言
▼21日午前11時20分 菅義偉官房長官が人質は後藤さん、湯川さんと判断と発言
▼同午後4時26分 安倍首相が中東歴訪から帰国。関係閣僚会議で「テロとの戦いに万全を期す」
▼23日午前9時半すぎ 後藤さんの母、石堂順子さんが東京都内で記者会見し、解放を訴え
▼同午後2時50分 身代金支払期限とされる72時間が経過
▼24日夜 インターネット上に、後藤さんとみられる男性の画像が投稿される。湯川さんが殺害されたとの音声も (日刊スポーツ15年1月25日)』
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