http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/854.html
Tweet |
アインシュタインが放った量子力学への疑問…「量子もつれ」の謎を解く物語がドラマティックすぎた/現代ビジネス
山田 克哉 の意見
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%8C%E6%94%BE%E3%81%A3%E3%81%9F%E9%87%8F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E5%AD%A6%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%96%91%E5%95%8F-%E9%87%8F%E5%AD%90%E3%82%82%E3%81%A4%E3%82%8C-%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%82%92%E8%A7%A3%E3%81%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E%E3%81%8C%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%99%E3%81%8E%E3%81%9F/ar-AA1mqlZc?ocid=msedgdhp&pc=U531&cvid=aebfd22d76ba4ba39ad1c4e541623e0a&ei=29
直観と論理の狭間で、物理学者がもがく!
一人の天才の独創によって誕生した相対論に対し、量子論は、多数の物理学者たちの努力によって構築されてきた。数十年におよぶ精緻化のプロセスで、彼らを最も悩ませた奇妙な現象=「量子もつれ」。
たとえ100億km離れていても瞬時に情報が伝わる、すなわち、因果律を破るようにみえる謎の量子状態は、どんな論争を経て、理解されてきたのか。EPRパラドックス、隠れた変数、ベルの不等式、局所性と非局所性、そして量子の実在をめぐる議論……。
当事者たちの論文や書簡、公の場での発言、討論などを渉猟し尽くし、8年超の歳月をかけて気鋭の科学ジャーナリストがリアルに再現した本『宇宙は「もつれ」でできている』。これが物理学史上最大のドラマだ!
1世紀におよぶ量子力学構築の物語
『宇宙は「もつれ」でできている』の最大の魅力は、数式をまったく使うことなく、量子力学の構築に携わった物理学者たちがどんな考えやきっかけからどのような着想を得て、そしてどんな議論を通じてこの理論を精緻化していったかを、個々の人物のエピソードをふんだんに交えつつ、巧みに描写している点にある。
量子力学は、原子や原子核、素粒子から、広大な宇宙にいたるまで、その性質とふるまいを理解するためになくてはならない存在だが、たった一人の独創によって誕生した相対性理論とは対照的に、一夜にして生まれたものではない。
数多くの物理学者たちが取り組んだ結果、個々の科学者が打ち出した理論がすべて相互に関係していることが判明したのである。この驚くべき科学史上の紆余曲折について、『宇宙は「もつれ」でできている』は丹念に順を追って説明している。
量子力学の完成は必然的に、彼ら当時の物理学者たちが互いにコミュニケーションを取り合わないかぎり、ありえなかった。
アインシュタインやボーア、ハイゼンベルク、シュレーディンガー、パウリ、ボーム、ディラックら、錚々(そうそう)たる物理学者たちが直接会って会話をしたり、手紙のやり取り(当時は電子メールなどあろうはずがない!)をしたりすることで侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が闘わされ、世紀の初頭から約30年の歳月をかけて、1930年代に量子力学が完成したのである。
『宇宙は「もつれ」でできている』の著者であるルイーザ・ギルダーは、長年にわたって彼らが交わしたさまざまな形によるコミュニケーションを、あたかも彼女自身が直接、見聞したかのような鮮やかな“口調”で語っている。
本書の執筆にあたり、ギルダーは8年半もの歳月をかけて、先人たちが執筆した論文や書簡、公の場での発言や討論の記録などを渉猟したという。
史実に裏打ちされた再現ドラマは実にヴィヴィッドに描かれており、時に激しく、時に哀感をもって語られる物理学者たちのやりとりに、読者は生々しささえ感じることだろう。
量子力学誕生の舞台となった当時のヨーロッパは、ナチスドイツの台頭に伴って風雲急を告げる時代でもあった。純粋に科学だけを追究できない難しい時代の空気を追体験することもできる本書からは、理論物理学者である私自身、初めて知るエピソードが多く、大いに興味をそそられた。
ルイーザ・ギルダーは、2000年にアメリカの名門・ダートマス大学を卒業した若い科学ジャーナリストだが、描写が実に巧妙で、往時の物理学者たちの会話を見事に再現している。
存命の科学者たちへのインタビューも含め、20世紀初頭からの約1世紀におよぶ量子力学構築の物語を、まるで現場に居合わせているかのような迫力で体感させてくれる。その一端をご紹介しよう。
大きな論争の火種となった難問
アルベルト・アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言って、量子力学を受け入れようとしなかったことで有名だ。
彼は量子力学が「不完全な理論」であると主張したが、ニールス・ボーアは徹頭徹尾、量子力学を支持し、両者は互いに自身の主張を譲ろうとはしなかった。アインシュタインは巧妙な思考実験を思いつき、ある物理学会(ソルヴェイ会議)でボーアにそれを披露している。
さすがのボーアも「うーん」とうなってしまったが、「もしアインシュタインの主張が正しいなら、物理学はもうおしまいだ」と考えて、なんとしても量子力学を擁護しようと試みた。
その場ですぐには反論できなかった彼だが、翌日になって(前夜はおそらく、一睡もしなかったことだろう)、論敵の「一般相対性理論」を逆手に取り、こんどはアインシュタインをぎゃふんと言わせてみせたのだった。ギルダーは『宇宙は「もつれ」でできている』で、彼らの“論争”を間近に見ていたような鮮やかな描写で紹介している。
ギルダーはまた、ドイツでナチスが台頭し、ヒトラーが実権を握るようになって以降の、優秀なユダヤ人物理学者たちが散り散りになっていく姿を哀感を込めて描写している。
その象徴が、ノーベル賞こそ受賞しなかったものの、当時を代表する優秀なユダヤ人物理学者だったエーレンフェストを襲った悲劇である。障害のある息子とナチスの非道な政策の狭間でついに命を落とす彼の末期について、私は本書で初めて知った。
ギルダーが描く量子力学の発展史のなかで、とりわけ重要な役割を果たすのが「量子もつれ」という概念である。これもまた、アインシュタインとボーアの間で大きな論争の火種となった難問だ。本書の理解を促すために、ここでかんたんに「量子もつれ」について解説しておこう。
量子力学が一応の完成を見たとされる1930年からわずか5年後の1935年、「EPR論文」とよばれる有名な論文が発表されている。それは、「量子もつれ」を用いて、量子力学が「不完全な理論」であると指摘するものだった。
EPRとは、この論文の三人の共同執筆者であるアインシュタイン(Einstein)、ポドルスキー(Podolsky)、ローゼン(Rosen)の頭文字をとったもので、その内容からしばしば「EPRパラドックス」ともよばれている。
「量子」とは、ときに“波”のごとくふるまったり、ときに“粒子”のごとくふるまったりする物理的な「実体」で、光子や電子が典型的な量子である。一般に、量子は内部構造をもたないが、エネルギーや運動量、スピン(自転)などの物理量を有している。
二つの量子のあいだでいったん相互作用が生じると、その二つの量子は「相関」をもつと言われる。相関をもった二つの量子がどんなに離れていっても――たとえ互いに100兆km離れても――、その相関性は完全に保たれる。
二つのうち、一方の量子の物理状態(たとえばスピン)だけを実際に測定器を使って測定し、その値をはっきりと確定してしまうと、その瞬間(同時に、すなわちゼロ秒間で!)、100兆kmのはるか彼方にあるもう一方の量子の物理状態が、いっさい測定することなく自動的に決定してしまうのである。
このような意味で、二つの量子の間の相関性は「量子のもつれ」とよばれるようになった(名付け親はシュレーディンガー)。
EPR論文が提起したのは、100兆kmも離れた二つの量子の相関関係は崩れることなく、完全に保たれることに対しての疑問であった。
幽霊のしわざ!?
話を簡素化するために、ここでは二つの量子に「二つの電子」を選ぶ。
電子にもまた内部構造がなく、粒子としてふるまうときは点のごとくふるまうのだが、スピンしている。電子は2回転して初めて元の状態に戻るような量子であるため、1回転では「半分」まで戻るという意味で「スピン1/2」とよばれている。
右ネジを右回りに回すと前進し、左回りに回すと後進するように、スピン1/2の電子の「自転軸」には「上向き」と「下向き」の二つの方向がある(前者を「スピン・アップ」、後者を「スピン・ダウン」とよぶことにする)。
実際に、相関をもっていて100兆km離れた電子Aと電子Bとからなる系に測定器をかけて、それぞれの電子の状態を測定してみるとどうなるだろうか。
たとえば、測定器を電子Aに向けた結果、電子Aのスピンがアップであると測定されたとする。電子Aがスピン・アップと観測されたその瞬間(そう、まさにその瞬間、ゼロ秒間で!)、100兆km離れた場所にある電子Bのスピンは自動的に(観測することなしに!)スピン・ダウンに決定する。相関をもつ(つまり、もつれた)二つの電子の合計スピンは、必ずゼロにならなければならないからだ。
では、100兆km離れたところにある電子Bは、いったいどうやって電子Aのスピンが上向き(スピン・アップ)であることを知ったのか?
アインシュタインの特殊相対性理論によれば、信号伝達の最高速度は光の速度=秒速30万kmである。電子Aの測定結果が、光速度で100兆km離れた電子Bに到達するまでに要する時間は3.3億秒(約10年)であり、とても「瞬時」とは言えない。観測によって実際に現れる電子Aのスピンの状態が瞬時に電子Bに到達することは、明らかに特殊相対性理論に違反している。
それにもかかわらず、電子Aの測定結果が瞬時に(測定することなく)電子Bのスピンの状態を完全に決定してしまうということは、電子Aを測定する以前に(電子Aのスピンの状態いかんにかかわらず)、電子Bのスピンの状態がすでに「下向き」に決まっていたということにはならないか?
逆もまたしかりで、もし電子Aのスピン状態を測定した結果が「下向き(スピン・ダウン)」であったなら、その瞬間、100兆km離れたところにある電子Bのスピン状態は、なんの測定もなしに「上向き(スピン・アップ)」となる。やはり、電子Aに測定操作を施す以前に、電子Bのスピン状態はすでに決まっていたと結論せざるを得ない。
アインシュタインは、あたかも因果律を破るかのようなこの現象を“幽霊”による遠隔作用であると非難し、こうした不条理な結論をもたらす量子力学を「不完全な理論」であると批判したのである。
「隠れた変数」理論とは?
この問題を解決するためにアインシュタインやその他の高名な物理学者たちが持ち出したのが、「隠れた変数」理論だった。
量子力学は、ハイゼンベルクの「不確定性原理」等によって、実際に測定しても量子の測定値(物理量)をはっきりと決めることができないが、相関している二つの電子(合計スピンがゼロ)の場合には、一方の電子のスピンを正確に測定すると、もう一方の電子のスピン状態が測定なしに正確に決まってしまう。
「隠れた変数」理論とは、それがどんなものであるかは具体的にわからないものの、「隠れた変数」を用いることで不確定性原理による測定値の「あいまいさ」が消えてしまい、すべては古典物理学のように(測定器による測定誤差を除けば)測定値にはなんのあいまいさも残らず、明瞭に決定できる「決定論」に帰着できるというものだ。
つまり、「隠れた変数」によって、「EPRパラドックス」はパラドックスではなくなるというのである。この「隠れた変数」理論は、デヴィッド・ボームを虜にした。『宇宙は「もつれ」でできている』でギルダーが詳しく紹介しているように、ボームは1980年代まで、執拗にこの理論に固執することになる。
すべては「非局所的」に起こる
一方、物語の転換点が、1964年に訪れる。北アイルランド出身の物理学者、ジョン・ベルは当時、EPR論文にすっかりとりつかれ、夢中になっていた。ベルは当初、ボームの「隠れた変数」理論に大きな関心を寄せていたが、ある日、自ら「思考実験」を思いついたのである。
彼は、二つの粒子間の「相関性」について深く考え、EPR論文が理論を「局所的」に考えていることに気づいた。局所的とは、「情報が部分から部分へと伝わる」という意味である。
ベルは、二つの相関している電子が100兆kmも離れているのに、一方の電子の測定結果が瞬時にもう一方の電子の状態に影響を及ぼすということは、二つの電子の相関関係は局所的ではなく、「分離不可能」な一つの系(そう、全体で一つ!)を成していて、その系の中で起こることは部分から部分へと伝わるのではなく、系全体に瞬時に影響を及ぼすと考えたのだ。
すなわち、すべては系内の全範囲にわたって「非局所的」に起こるのだ、と。
「EPR論文」が示す二つの相関した電子は、たとえ100兆km離れていても一つの系内に収まっており、測定結果は系全体に非局所的に及ぶ。そこには、信号が伝わるという現象はいっさい起きていない。なぜ信号なしで情報が伝わるのか? それは、系内の粒子(量子)たちが「もつれて」いるから――。
もつれた粒子たちからなる一つの系は、「部分」に分けることができず、したがって「部分から部分に伝わる」ような局所的な現象は起こらない。「非局所性」と「分離不可能性」が一致しているのである。ジョン・ベルは、もつれた二つの量子の相関性の強さから、ある「不等式」を数学的に導き出し、それはやがて「ベルの不等式」とよばれるようになった。
その着想のもととなったのが、彼の同僚のラインホルト・ベルトマンの履く、左右で色の異なる靴下だった(このユーモラスなエピソードの顛末も『宇宙は「もつれ」でできている』で詳しく語られている)。
ベルの不等式が成り立てば「隠れた変数」の必要性が生じ、「非局所性」や「分離不可能性」は現れない。その場合には、系の部分部分を考えねばならず(局所的)、すべては決定論に従うこととなって、量子力学は不完全な理論となってしまう。一方、ベルの不等式が成立しなければ、すべては量子力学が主張するとおりの結果が得られる――。
1970年代以降、このベルの不等式を実験的に検証する試みが多くなされ、1980年代に入ってようやく、ある決定的な実験事実が発表されることになる。それは、ベルの不等式が成立しない(破れる)ということであった。
その結果、量子力学が完全に成り立ち、晴れてその正当性が認められることになったのだが、時すでに遅く、あれほど「量子力学は不完全であり、神はサイコロを振らない」と主張していたアインシュタインは、すでに他界していた。草葉の陰で、彼はどう思っていることだろう。
量子力学の理論としての正当性に難問を投げかけ、やがてその正当性を明確に示すことにつながった「量子もつれ」(Quantum Entanglement)。その奇妙でふしぎな現象は、アインシュタインやボーアをはじめとするあまたの物理学者たちの頭を悩ませ、時に人間関係をももつれさせながら、量子論の精緻化に貢献してきた。ギルダーが見事に解きほぐす「もつれの物語」を、ぜひ堪能していただきたい。
そして、本書『宇宙は「もつれ」でできている』で紹介されているエピソードの数々は、一般の量子力学について書かれた本(教科書や啓蒙書)では見受けることがないものが多い。この点においてもギルダーの仕事は貴重な存在であり、物理学専攻の学生にも一読する価値があると信じる。
宇宙は「もつれ」でできている 「量子論最大の難問」はどう解き明かされたか
▲上へ ★阿修羅♪ > 環境・自然・天文板6掲示板 次へ 前へ
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
▲上へ ★阿修羅♪ > 環境・自然・天文板6掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。