http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/702.html
Tweet |
『自由人物理 波動論 量子力学言論』の著者、西村肇インタビュー なぜ自由人物理なのか
http://jimnishimura.jp/tech_soc/physics_fm/171019.html
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔問〕まず本の題名について伺います。主題である「自由人物理」とは何か,具体的には何を指しているか聞く必要があると思うのですが,
その前に初めて聞くこの「自由人物理」について伺います。文字通り「自由人の物理」ということでしょうか。著者には物理は何かに制約されて自由でなくなっている,自由を取り戻さなければならないという意識とか主張があってのことですか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔答〕間違いなくそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔問〕何からの自由ですか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔答〕二つあります。第一は学問のパラダイム(Paradigm, 手本)化からの自由です。第二はもっと重要なことで学問のビジネス化からの自由です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔問〕まずパラダイム化から伺います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔答〕パラダイムとは,Thomas Kuhn が言い出したことで,Newtonの力学理論のような独創的で画期的な仕事が一つ現れるとそれから当
分は対象も方法もそれを真似るような仕事が続出して学問が大きく進む。この手本と真似の現象のことです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔問〕しかし真似るのは,その方が研究が進むからであって,何も強制される訳ではない。真似るも真似ないもどちらも自由ではないです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔答〕しかし人間のやることは全て組織の中で激しい生存競争の中で行なわれることを忘れないで下さい。物理の研究には学会という組織の中で競争・評価が必要です。仕事を得るのも研究費を得るのも賞を得るのも全て学会内の競争評価です。競争評価には競争ルールが必要です。
各人の好き勝手な「走り」を見ては,順位付けはできません。「走る範囲」「走り方」についてルールを決めておいて初めて競争による順位決定が可能なのです。世界の物理の学会ではこの競争のルールに相当するのがKuhn のパラダイムなのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔問〕ということは自由人は学問の競争ルールであるパラダイムに反対ということですか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔答〕そうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔問〕なぜですか。その前に,自由人であるあなたが,本書で反対を展開している現代物理学のパラダイムとは何なのかを具体的に示して下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔答〕二つあります。まず,量子力学以前の古典物理学については,Newton を最高の天才と仰ぎ,Newton 力学を物理学全体のパラダイムとするのは間違いです。それによってねじ曲げられた科学の歴史を明らかにし,物理学思考の素直な発展を明らかにしたのが本書のT
「Newton の偉大と英国物理の死」の内容です。Newton Paradigmの陰で,軽視・無視・抹殺されていたのは,Leibnitz, Huygens, Bernoulli,Euler,Lagrange らの活き活きした役に立つ物理です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔問〕現代物理学についてはEinstein による相対性理論のパラダイム,Heisenbergによる不確定性原理のパラダイムが確立しているように見えますが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔答〕相対性と不確定性を「現代物理」の核心と見る見方は,今や「現代」を考える人々の間の広い常識となっています。物理学を全く勉強しなかった人の間でもです。こうなった原因は,実はノーベル賞にあります。Nobel 賞委員会は,最初は「相対性」を,次には「不確定性」を現代物理学の根本原理として表彰し,新聞が大宣伝し,哲学者たちがこれこそ「現代」の本質と絶賛したからです。
これに対し,学会の頂点にいる物理学者たちは,「不確定性」を量子力学の基礎原理とするには,疑問を感じたのですが,あえて異を唱えませんでした。自分たちの地味な研究がNobel 賞の巨大な宣伝力を利用して社会的関心の中心になることを選んだのです。その結果,Nobel 賞が現代物理学のパラダイムを決めることになりました。パラダイムとはNobel 賞のことになりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔問〕自由人物理とは,学問をパラダイム化から守ることであるということの意味が少し解かってきた気がします。本書が三部構成になっていて,第二部のYに「量子力学最高位のHeisenberg を見直す」があるのはその為なのですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔答〕その通りです。不確定性が量子力学の基本定理だとする間違い= 虚像 = 神話を打ち砕くためです。量子力学は,10 数人の天才たちが競い合い,力を尽くして登りつめた巨峰ですが,Nobel 賞神話では,Heisenberg を除く多くの天才たちが不当な扱いを受けました。
頂点に立つべきSchrödinger とDirac は矮小化され,激しく争っていた行列派と波動派の両者を総合した最大の功労者Born は軽視され,電子の波動性というとんでもないことを思いついて量子力学の第一歩になった。
de Broglie(ドブロイ)は無視され,行列力学を実際に作ったJordanは完全に抹殺されました。全てはHeisenberg の不確定性原理を神格化(神棚に上げる)するためです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔問〕Nobel 賞が学会の物理学者と一緒になって作ったパラダイムを否定し,その裏に隠された真の姿を発見し世に問うことが著者の意図であることは分かりますが,学会の物理学者から嫌われるばかりのこのような仕事に著者を駆り立てている原動力は何ですか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔答〕子供の頃から体質的に好きだった「物理」に対する愛着です。この素朴な物理屋がNobel 賞と一体となった学会の物理学者たちに向けて正面から問い掛けたい質問が二つあります。第1が物理は「職業か学問か」です。第2 は「物理は対象か精神・方法か」です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔問〕これらに対し,自由人を主張する著者の答えを聞かせて下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔答〕私はこのような問題に関し,物理のような学問は絵画のような芸術とは,基本的に変りはないと考えて判断します。物理を職業とする物理学者とは,物理で生活の資を稼ぎ,研究成果をもとに学会内地位を高めて栄誉栄達し,生涯にわたって安定的な研究費と生活費を得ることを考えている人でしょう。絵画の場合,自分の絵を売って生活の資を得る人は売絵画家と言います。その中には人気が高く国民的英雄となる人もいますが,基本的には売絵画家であり,芸術家とは呼ばれません。
芸術家と呼ばれるのは,van Gogh(ゴッホ)やGaugin(ゴーギャン)やModigliani(モジリアーニ)のように絵は全く売れなくても,生活の資は稼げなくても,自分が画くべき絵を画いていた天才たちです。その中から次の時代の絵画は生まれました。物理屋の中にはNobel 賞受賞を最高の目的とする現代の主流物理学を職業とはしないで,自分が学問としての物理学はかくあるべしとの信念に従って物理学を研究している人がいると思います。それが「自由人物理」です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔問〕「自由人物理」は,物理を最高の職業と見る思想に反対ということが分かりました。物理は職業ではなく学問だというのですね。では端的に伺いますが,Nobel 賞を志向する現代職業物理学と,自由人が考える学問物理とはどこが違うのですか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔答〕一番の違いは,物理とは物理とみなされる専門対象ではなく,物理的と感じられる追求方法であり,さらに「さすが物理」と思わせる追求全体の精神です。科学には対象ごとに化学も生物も地学もありますが,物理にだけは決まった対象はありません。
電波だって,半導体だって,遺伝子だって,まず物理学者が目をつけ,物理学的な方法と精神で取り組んで複雑な問題の門戸を開き,そこから新しい分野が始まっている訳です。学問としての物理学にとって一番大事なのは,この点だと「自由人物理」は考える訳です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔問〕「自由人物理」とは,職業化した物理を嫌って学問としての物理の再建興隆を目指しているのだということ,学問としての物理は対象とする分野ではなく,物理的精神と物理的方法なのだというところまで理解しました。でも精神とか方法と言われると,自分で物理をやったことのない人間には何のことか全く分かりません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔答〕そういう方々に物理学的精神を解かってもらうには,物理学と芸術の一つの共通性に気付いてもらうのが良いと思います。芸術の代表である音楽,絵画をとってみると,Beethoven(ベートーベン)の音楽,Da Vinci(ダヴィンチ)の絵画が,芸術性において最高と評価され,ゆるぎないのは,単なる美しさではなく,人を深く感動させる力が特別だからです。
その感動とは,生き方として自由と美を希求させる強い力です。これが最高の音楽性,絵画性と評価されます。最高の物理性も同じと考えます。真実をあくまで客観的に追求する物理の中にあっても,人々に生き方として人間精神の自由と美しさを確信させるのが最高の物理と思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔問〕物理においてBeethoven やDa Vinci のような傑出した存在は誰ですか。いるのですか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔答〕いません。でも1920〜30 年代の量子力学革命と言われる時期に,私が数学派と呼ぶ人々と激しく戦いながら量子力学を完成に導いた少数の人たちがいます。私は彼らを物理派と呼んでいますが,物理派がBeethoven に相当するというのが私の考えです。実はこの本はその考えで貫かれています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔問〕著者が名付けた数学派,物理派は感覚的分類ですか,それとも定義されたものですか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔答〕定義されています。物理の研究は,必ず矛盾について研究するものです。矛盾とは,言葉で考えて行くと行き詰まってしまう事柄です。この矛盾を課題として研究するのに二つの態度があります。一つは物理学は絶対確かな論理の積み重ねであるという信念から,反論を許さない正確精緻な数学理論を展開する人々です。ただし矛盾を対象にした問題でこれに成功するには,巧みに矛盾を回避する方法を見つける必要があります。
実はこれがNewton の方法です。彼が選んだ回避方法は,矛盾の核心である「万有引力」を問答無用の公理にしてしまうことでした。そして数々の疑問反論には, 「hypotheses non fingo」(ごちゃごちゃしたことは言わない)と開き直りました。Newton をパラダイムとする職業物理家は,みんなNewton のこの方法に倣っています。
これに対し,私が物理派と名付けた人々は,矛盾を回避せず,矛盾の解決に固執する人々です。しかし正面衝突は意味がないので,解決の答えを見付け出すため,矛盾に関連する周辺分野にはくまなく調査研究の手を伸ばします。まず物理学のどの分野に解決のカギがあるか分からないので,物理学の全分野を頭に入れます。
次に物理以外の関連分野にも探求の手を広げます。広げただけで解決するルートが見つかるとは限りませんが,矛盾を見据えて努力を続ける人々で,私は「数学派」に対し,「物理派」と名付けました。主な人物は,Einstein, deBroglie, Schrödinger, Dirac, Feynman らです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔問〕Nobel 賞志向物理に批判的な「自由人物理」には手本にする物理があって,それは「物理派物理」であることが分かりました。そこまで分かった読者に対し,著者が3 年かけた本書は,何のため,何を伝えようとするのですか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〔答〕「自由人物理」に共感した読者に,「自由人物理」を実行していくための力量をつける指導書です。「自由人物理」にまず必要なのは,Nobel 賞志向物理家を超える物理の実力だからです。さもないと売絵画家を超えるつもりの素人画家が,実は売絵画家の足許にも及ばない趣味のお遊びになっていることの生き写しだからです。
物理派物理を目指す自由人物理家にまず必要なのは,物理学全分野についての正確な知識と理解を確実に頭の中に入れることです。頭の
中を変えることです。これは数学派物理家の多くはやっていないことです。できていないことです。その主な理由は,その必要を認めていないからです。もう一つの理由は,彼等は物理を数学で考えるものと決めつけていて,言葉で考える物理の重要性を鍛えられていないからです。数式の連鎖を考えていたのでは,物理の十の分野(古典力学,解析力学,電磁波理論,熱力学,統計力学,波動力学,行列力学,特殊相対性理論,一般相対性詩論,場の量子論)をすぐ出せる形で頭に入れることはできません。
これら全ての分野がメモを見ないで頭に入っている物理学者は,殆ど居らず,それを本に表わせた人はLandau とFeynman,それに,
Landau の弟子のKompaneyets の3 人ぐらいです。この3 人といってもLandau だけで著書は10 冊ですが,自由人物理志望者にこれで勉強すればよいと奨めることはなかなかできないものです。一番読みやすいKompaneyets の『理論物理学』(山内恭彦訳)をとってもこれを1頁から順に読みだして1〜2 年かけて巻末まで読み通すことは,内容を既に半分以上知っている人でなければ無理です。
2〜3 割しか知らない素人物理好きが独学でそれを行なうことは絶対に不可能です。かろうじて巻末にまで達しても,読み終えた所は全く頭に残っていないでしょう。理由は数年の勉学で何かマスターするには,前に進ませる見通し,続けさせる刺激と楽しみ,習ったことを忘れさせない話の組み立て方が必要です。そして優れた先生の講義では,表通りの本格的講義の他に,主題に触発された裏通りの放談があって,そこで表通りの公式的見解に対する補足,皮肉,逸話が語られます。
これによって,無味乾燥だった表通りの話が急に活き活きして来るのです。特に天才たちに関する個人的逸話は絶対に忘れ難いものであり,主題に対する興味関心を忘れ難いものにし,次への学習意欲を駆り立てます。ところが,講義が教科書になると,表通りの話だけが補強されて完全にされますが,裏通りの放談はバッサリ切られてしまいます。そして,よほど強固な意志と関心がない限り,巻末までは読み続けられない教科書が出来上がるのです。
そこで考えたのは,表通りと裏通りの比重を変えた教科書を書いてみようというアイデアでした。自分が講義するなら,するであろう裏
通りの話の方を中心に,これを補強し,本格的講義の方は最小限を加えた本を作ったらどうか,ということです。本格的講義の方は,教科書があるからそれでよい訳です。つまり教科書を脇に置いて読むサブリーダーです。名前はサブリーダーでも勉学者にとってはメインリーダーです。それがあるからこそ,物理全体を学ばなければならないという意味が分かり,意欲が湧き,楽しみが分かり,勉学に弾みがつくからです。こういうつもりでまず書いたのが,T「Newton」,U「Lagrange」,V「Maxwell」,W「Hamilton」,X「de Broglie(ドブロイ)」,Y「Heisenberg」,Z「Schrödinger」の7 つです。
全て数々の大天才に関する興味ある逸話から始めて,主要な仕事の意味を原典から読み取って著者自身の言葉で語り,あとは著者の思想
と力量に基づいて,大胆に持ち上げ,こき下ろしています。今までどの物理教科書でも語られなかったことばかりと思います。
この第1稿が出来上がって気付いた欠点があります。第1は古典力学から始めて量子力学の完成が主要関心事であったため,物理学全体のうち相対性理論が抜けていたことです。これに関連することですが,現代物理学を作った天才のうち,決定的な貢献をした二人,EinsteinとDirac がこのような章立てからは抜けてしまったことです。Planckのようにたった一つの仕事であれば天才列伝に載せやすいのですが,二人の場合はそういかないからです。もう一点,欠けていると感じられたのは,一人ひとりの天才について自由人物理の立場からの評価と批判は出来るのですが,自由人物理屋はなぜ物理学全分野が頭に入っていなければならないかということ,これこそが物理は物理的対象ではなく,物理的精神であるという自由人物理の精神ですが,これがどこにも入っていないことに気づきました。そこで書いたのが次の展望です。
@混迷を見透かす「物理派」眼鏡
A見えて来た現代物理学の骨格と本質
B電子こまスピンモデルの見直し
C化学と物理の断絶なくす新理論
D自由人物理の歴史と実績
これらの展望は本書の華≠ナす。それだけに内容にも表現にも十分な力を注ぎました。展望はBird’s Eye View と名付けている方法で行ないました。これは単に鳥瞰図として知られている方法と違い,空高く飛ぶタカが地上の小ネズミを探し逃げたあとを追い求める目にある光景という意味です。これは全体を示す遠景図の中にネズミが走る近景と,逃げたネズミが岩陰に隠れる拡大図がはめ込まれているものです。
これは著者が10 種の重大な病気を遺伝子から説明する『ゲノム医学入門』(2003 年10 月)を書いたときの方法で,遠景の中に拡大図を入れるBird’s Eye View こそ,重要な展望の書き方と思います。では早速出発しましょう。
▲上へ ★阿修羅♪ > 環境・自然・天文板6掲示板 次へ 前へ
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 環境・自然・天文板6掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。