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(回答先: ノーベル賞 本庶さんに日本各地から祝福の声〜医学・生理学賞の受賞に/nhk 投稿者 仁王像 日時 2018 年 10 月 01 日 21:13:46)
≪なぜこの本を書いたのか≫
私は、自分が指導した6人の学生の卒論を審査した。すると、研究者が書いた論文になっているものと、学生の書いた実験報告にしかなっていないものと出来栄えにあまりに大きな差があるのでびっくりしました。(中略)
大学の受験技術なしに希望の大学に入ることははなはだ難しい。しかし、いったんこういう技術を身に着けてしまった人たちを、いくら大学で教育しても、自ら研究する人に育てるのは、まず不可能に近いのです。
卒論の例では、よい論文を書いた人たちは、そうでない人たちと比べると、あくなき好奇心があるかどうかの違いでした。…大学教育で好奇心を育てることはできないのです。
私は、研究する人に重要なのは、モノに対するセンスと、知的好奇心だと感じていますが、これは学校教育で育つものではなく、各種環境の影響が大きい。
≪総合的にものを見る目≫
総合的な視野と考え方は、たくさんの本を読んで身に付くといったものではなく、何か目的をもって一つの事を実践する中で身に付くのだというのは確かだと思います。
だから研究テーマを選ぶ時、実践的関心からテーマを選びます。君たちが考えたり発言したりする時、とことん具体性を要求するからです。どんな仮説を抱いても良いが、実証する努力を要求するからです。
私が今、なぜ、環境問題を研究しているかというとー私は決められている枠を少し越えてしまったのだがーそれは東大紛争がきっかけでした。
この東大紛争が何であったかー評価はまちまちだがー若い世代の中には、深刻な影響を受けた人たちが数多くいます。それは東大の中に限りません。東大紛争は、けっしてナンセンスな事件ではなく、一つの大きな思想的事件でした。それは、思想的影響の上では、1945年の終戦につぐ大きな事件でした。
日本の思想的戦後というのは、東大紛争後に本格化したと思います。これで思想的解放が進み、戦後が一段と定着したのだと思います。この解放の機会をとらえて、それまでにできなかったことをやりだした人は多いのです。現在日本の活力の重要な部分を支えているのは、この人たちではなかと思います。東大紛争で2年も3年も苦しまなければ、こんなだいそれた転進をすることはなかったと思います。
≪私の転機となった日〜先輩の忠告≫
「公害の研究はそろそろお終いにしたら。みなさんが心配しているよ」
私は頭をガーンと殴られたように感じました。(中略)
人から言われたからといって、意味もない後退をするのは、自殺行為だと直観しました。と同時に、常識的な助教授のコースを外れて、少し変わった道を歩き出すきっかけになった、あの日のことが思い出されました。紛争派から闘争派に変わったあの日のことです。
それは、間違った学生処分の撤回を求めて、総長室の前に座り込んだ学生を、大学側が機動隊を導入して追い出した直後のことでした。
(総長は、話し合いに出てきたが、明らかに言い逃れをしようとしていた。著者は思わず手を挙げて、大学当局を批判した。…著者は最後に「なによりも冒険する心と頭で」と結ぶ)。
【出典】『冒険する頭〜新しい科学の世界』西村肇/ちくま書房’83年
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