http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/671.html
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私はどうして人間には寿命があるのか、少しわかったような気がする。それは巧妙な権力者が長く権力をふるい、やりたい放題のことをやるのは決して好ましくないからだ。そのために多くの人々が不幸になり、自由は奪われ、息苦しい工作された状況の中で、いつまでもいつまでも長く苦しまねばならないからだ。たまたまその権力者が、ものすごい人格者で、何も不正行為をせず、公平で、平等で、いかなる規則違反もせず、裕福で金持ちで、まったく生活に不住しないのであれば問題はないかもしれない。また対外的にも望ましい関係を構築しており、数多くの味方がいて本当にその権力の下にいる人々が満足しているのであれば、それこそ未来永劫生き続けてほしいと願うだろう。しかし残念ながらそういうケースは非常に少ない。どうしても権力を乱用してしまう。または欲望に負けてしまう。色恋沙汰委で失敗する。いろいろな問題が次から次へと起こる。必死に隠蔽していたことが発覚してしまう。敵の策略とかもあるかもしれない。それに権力の下には追従者がいるが、それも信用できない。裏切り行為は日常茶飯事だ。役所も何もしない。役人は賄賂を要求するだけだ。公的取り締まり機関も全く機能しない。各種相談機関も役には立たない。そういうものはすべて表面的なものばかりで、芝居である。実際には何もしないのだ。つまり、そういうことで、どうにもならず、結局はリセットするしかなくなる。バグがあまりにも大量発生し、修復不可能になってしまうのだ。それはちょうどOSを変更するしかないのと同じだ。修復してあれこれ苦労するよりも、新しいシステムを構築したほうがましだ。台風が接近している。それにまた北海道で地震があった。なぜか熊本までが連動して地震が起きた。巨大地震の前兆現象かもしれない。所は一方的に不当解雇されてしまったが、もはや関係がないとはいえビニールハウスのことが心配だ。以前きた台風の影響で、ビニールハウスが損傷し、まるでい次元空間に入ったかのような状態になった。普通はどんな人でも、どんな豪邸に住んでいようが、どんなぼろの家に住んでいようが、天井はまっすぐなはずだ。デパートでもビルでも、駐車場でも、図書館でも天井がねじ曲がっているということはない。ところが、所のビニールハウスのパイプがねじ曲がり、天井全体が変形してしまった。外観だけでなく内部からも異様だ。そこでをしていると、気分が悪くなった。まるでい次元空間のトンネルの中にいるような感覚になるのだ。地面は変形しておらず、平面なのだが、天井や壁が変形していると、地面まで変形しているような感覚になり、倒れそうになる。だが、ビニールハウスの修復には多額の費用が掛かるという。それで放置されている。台風シーズンが終わって冬になったら、修理するかもしれない。しかし、以前、農業指導員のが、ごみを燃やしていて、その火が飛び火して周辺の草や廃材に引火し、火事になったことがある。それはこのビニールハウスのすぐ近くだった。だからまた火事になって、このビニールハウスも消失するかもしれない。この所でいろいろやってきて思ったことは、常に仕事があるわけではないということだ。逆に忙しいときには本当に忙しい。やるべきことがたくさんある。しかもそれらは早急にやらねばならないことで、遅れれば遅れるほどまずい結果となる。野菜には収穫時期というものがある。さらに出荷時期というものもある。通常は収穫したら、すぐに袋詰めしてできるだけその日のうちに出荷する。そうすれば鮮度が保てる。野菜は腐りやすいのだ。鮮度が落ちると買う人も減る。日持ちがする野菜もある。芋類とかは長持ちする。かぼちゃなんかもそんなに急いで出荷しなくてもいい。それに他の農家も野菜も出荷するので、同じ時期に野菜が並ぶとどうしても価格競争になる。売れ残ると鮮度が落ちる。同じ野菜でも連続して収穫できるものは、できるだけ新しい商品を並べるために、前日の分は持ち帰ることになる。種まきや苗植えも時期がある。消毒も時期がある。草むしりも早くやったほうが楽になる。大きな雑草では大変だし、それだけ大きな雑草になるまでに多くの土壌の養分を奪われることになる。また本来の栽培している野菜の生育が遅れる。所では室内として自動車部品の組み立てもやっていた。だが、これもいつもある仕事とは限らない。納品の数は決まっている。遅れるとまずいが、早くやりすぎても、他にやる仕事がなくなる。仕事がなくなると、写経とか勉強とか他のことをやった。そこで思ったのはいかに時間を有効活用するかという事だ。本当は各自がそれを考えて実行するべきだ。しかし、そういう自由は一切与えられなかった。もしもそれをやすのであれば、早退したり、休んだり、とにかくその所を出ないといけなかった。それはおかしい。個人の趣味活動をするのであればそれは当然だろうが、農に関することとか、全般に関することであれば、自分で考えてできることが多くあった。しかしそれは許されていない。あくまでも指導員の指示に従うしかなかったのである。主導権は利用者にはなく、職員にあった。つまり施設長がすべての権限を握っていたのだ。自由はまったくなかった。それは他の会社でも同じだ。これを人間の頭脳として考えた場合、たとえ動けることがいろいろあったとしても、頭脳がそれを禁止したら、何も起こらないということだ。これが頭脳だけでなく、今の社会全体で起きていることだ。どこまでも権力者の権威が優先される。もしも世の中を少しでも良くするとしたら、この権威主義を撤廃しないといけない。それはかなり難しいことかもしれないが、それだけが問題を解決する。なぜならば、いちいち権威主義でやっていたら不効率であるし、愚かだし、芝居だからだ。ただ、各個人にそれを任せるとしたら危険でもある。今の状況は世界は激変しており、地球そのものも変化しているということだ。自然災害も待ってはくれない。権威主義を維持し続けることはできなくなりつつある。もしも権威主義にしがみつくならば、確実に滅亡の道を進むだろう。もしかしたらそれが自然の道なのかもしれない。恐竜が絶滅したように、人類も絶滅し、次の別の生物が支配するのかもしれない。
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