http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/547.html
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温暖化の話題ばかりが出てきていますが、火山噴火の頻発から気候の寒冷化の可能性を予測する出来だと思います。
ウィキの「小氷期」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B0%B7%E6%9C%9F
からの引用です。
以下、引用開始:
火山活動
小氷期の全体にわたって、世界各地で広範な火山活動が記録されている。火山が噴火した時にその火山灰が大気上層に達し、地球全体を覆うように広がることがある。この灰のベールが日射をある程度遮り、噴火後2年にわたって全世界の気温を引き下げる。さらに火山ガスの成分であるSO2が噴火の際に大量に放出されるとこのガスが成層圏に達したときに硫酸の粒子に変化し、太陽光線を反射して地表に届く日射量をさらに縮小させる。1815年に起きたインドネシアのタンボラ火山の噴火は大気中に大量の火山灰をばら撒き、翌年の1816年は「夏のない年」として記録されている。このときニューイングランドと北ヨーロッパでは、6月と7月に降霜と降雪が報告されている。
以上引用終わり
ウイキの「18世紀」からの引用:
火山の噴火と異常気象[編集]
アイスランドのラキ、グリムスボトン、エルトギャウ、日本では浅間山、岩木山などで激しい火山噴火が起こった。
日本[編集]
元禄文化と江戸の改革[編集]
江戸時代の中期から後期にあたる。江戸初から続いた新田開発ラッシュとそれによる米穀増産のもたらす経済と文化の発展は17世紀末の元禄文化に結実したが、農地開墾可能な土地はすでに枯渇して経済成長は行き詰まり、幕府財政は次第に逼迫していった。八代将軍・徳川吉宗は享保の改革を推し進め、慢性悪化に陥っていた財政の復興を果たしたが、一方で一時凌ぎ的な法令を濫発した事などは却って幕府の権威を弱体化し、社会的な矛盾を残すこととなった。18世紀の後期には田沼意次による重商主義的政策が執られ、幕府の財政状況は一定の改善をみた。だが、田沼による改革は江戸の経済・文化の繁栄をもたらした一方、浅間山の噴火に代表される天災の続発と諸藩の財政維持のための大阪米市場への飢餓輸出が重なり農民層の困窮を招いて中絶。代わりに老中となった松平定信により儒教的農本主義に基づく守旧的な寛政の改革が進められ、経済・文化の停滞が進んだ。
宝永大噴火[編集]
1703年に元禄地震(相模トラフ巨大地震)、1707年に関東南西部、東海地方〜紀伊半島〜四国にかけて宝永地震(南海トラフ巨大地震)という二つの巨大地震が発生すると、宝永地震から49日後に宝永大噴火が起きた[1]。これは、現在までにおける歴史上最後の富士山の噴火である。
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311大地震が発生し、東北や北海道だけでなく、富士山の噴火もほぼ確実にかなり近い将来起こります。それだけでなく、1950年から1960年代のM8からM9地震の連鎖の時、北米大陸の西岸での地震が無かったことから、今後かなり近い将来北米西海岸でのM8以上地震の確率が高く、その結果、イエローストン噴火の可能性もかなりあるのです。北米だけでなく、地球的に寒冷化が進展するはずです。
そもそも、二酸化炭素は海にかなり吸収されますが、噴火の結果大気中に排出されたチリや硫酸基の微粒子は数十年大気中にとどまり、日光を遮ってしまいます。二酸化炭素ガスによる温暖化は産業革命以来続いてきていて、長期的なものですが、火山噴火による日射量減少は急激に起こります。
寒冷化はほぼ確実です。日本でも、朝鮮半島の根元にある白頭山噴火による火山灰被害と寒冷化に備えるべきではと思います。
多分、この数年は温暖化による大気中の水蒸気量の増加と、火山噴火による日射量の低下による春や秋の気温低下による雨量の増加がかなりあるはずです。
1990年代から2003年程度までは、夏の日差しの強さをこの5月の時期には感じることがよくありましたが、この数年は夏の日差しの強さが弱まっているなと感じることが多いです。
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