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唯一オランウータンと心が通ったと思ったとき
研究室に行ってみた
国立科学博物館 オランウータン 久世濃子(6)
2017年2月11日(土)
川端 裕人
東南アジアのボルネオ島とスマトラ島に暮らす“森の人”、オランウータン。群れを作らず、木の上で暮らすため、同じく大型の類人猿であるゴリラやチンパンジーなどと比べると多くの謎に包まれている。そんな野生のオランウータンを研究すべく、自ら調査フィールドを拓き、10年以上にわたり野生での調査を続ける久世濃子さんの研究室に行ってみた!(文=川端裕人、写真=内海裕之)
進化の歴史の中で、ぼくたちの隣人である大型類人猿オランウータンが、合わせ鏡のようにぼくたちに見せてくれるトピックとして、「少子化」やら「孤独な子育て」といったきわめて現代的な問題がある、と久世さんは言う。連載の1回目で触れたし、その後も通奏音のように背景に響いていた。
久世濃子さんも二人の幼いお子さんの母親だ。
オランウータンは、「環境が良ければめいっぱい繁殖する」よりも、「少なく産んで確実に育てる」方式の先達(かもしれない)。また、今の日本の子育て世代で、母親が家にいる場合、ただ一人で子どもの面倒を見るような密室的な孤独な環境になってしまいがちなのは、「ヒトのオランウータン化」と言えるかもしれない。
「オランウータンって、まさに孤独な子育てをしてるんです。ほかの大人と誰とも会話することなく、ただただ子どもとだけ一緒にいるって、人間にとってはものすごくつらいですよね。でも、オランウータンは全然つらくなくて、それが日常だし、一生でもあるんです」
親より子ども
孤独が日常で一生。フィールドで会いやすいのは、比較的行動範囲が狭いメスだけれど、メスにとっては、「孤独な子育て」を何年かごとのサイクルでまわしながら暮らしていくのが、まさに「一生」だ。ヒトだったら、本当に頭がおかしくなりそうな状況だが、オランウータンのお母さんたちはまったくつらそうではないという。オランウータン化しているヒトと、どんなところが違うのだろうか。
「自分も子どもを育ててみて思うのは、親が違うというより子どもが違うんですよね。オランウータンの子どもって騒がないし、要求しないし、かわいいだけで。あれだったら私もできると思いました。だから、お母さんの問題じゃないです。人間の赤ちゃんの性質とか行動とかが、お母さん一人だけで子育てするようにできていないんです。基本的に」
思わず、大爆笑。
「ヒトのオランウータン化」といっても、少子化する傾向は共通するものの、孤独な子育てはヒトにはそもそも無理! という見解なのである。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/227278/121500075/1-ph2.jpg
ナショナルジオグラフィック2016年12月号でも特集「オランウータン 樹上の危うい未来」を掲載しています。Webでの紹介記事はこちら。フォトギャラリーはこちらです。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/magazine/16/112200016/112200003/?P=2&img=ph1.jpg
久世さん自身、2005年にフィールドに入った後で、09年に出産、育児をする立場になり、今では二人のお子さんがいる。
すると、オランウータンのお母さんたちは、単なる観察の対象というよりも、より明確な「合わせ鏡」の対象になる。その結果、久世さんが感じ取ったのが、前述のような感想だ。学術的な雑誌に論文として発表されるような知見ではないけれど、大型類人猿の研究では、この手のヒトに直接返ってくる部分が常にある。
1対1じゃない
「だから、お母さんが一人で抱え込むんじゃなくて、保育所こそ、ヒトの本来の子育てだと思います。たくさん子どもたちがワラワラいて、見る人もワラワラいて、1対1じゃないという。孤独に子育てしているオランウータンだって、実は、子どもがほかの子どもと遊ぶ時間を確保しているとことが分かってきているくらいですからね」
単独行動が基本のオランウータン同士でも、食べ物になる木の近くでばったりと出くわすことがあって、お互いに子どもがいたら、積極的に(というか、子どものなすがままに)遊ばせるのだそうだ。その結果、母も子も食べる時間が減って、摂取カロリーが減ることになろうと。
ダナムバレイの母子。(写真提供:久世濃子)
「私も観察していたことがあるんですけど、母子ともども食べるのが終わって、休んでいるときに遊びに行くんです。お母さんは、その間、子どもが遊び終わるのをただ待っています。ときどきチラッチラッと様子を見て、『ああ、まだ終わらないわ』みたいな顔をして、じぃーっと待っている。自分が子どもを産む前だったんですが、待っているお母さんの忍耐力がすごいなと思いました」
そういうオランウータン研究者自身、「忍耐」を要求されるフィールドで生き残ってきた人たちだから、あなたたちの忍耐力もすごいよ、とぼくは言いたくなる。野生オランウータンの研究は、かかる期間が長いこともあって、自らの人生と、野生オランウータンをめぐる経験が、濃厚に混ざり合う傾向にある。
久世さんもそうだ。
ポスドクとして新しいフィールドを拓くのに没頭した時期の後、自らも子を得た。すると、今度は、子どもを持ちつつ、オランウータンの母子を観察するという立場になるわけだ。子育てとフィールドの両立は一大テーマなのだけれど、久世さんは、お子さんをつれていくという決断をした。
「私、ポスドクの時、京都大学の人類進化論研究室というところにいたんです。その時の教授が、今、京大総長の山極寿一さんです。山極さんも家族を連れてゴリラの調査に行ったと聞いたりしていたので、子どもが生まれたら連れて行こう、夫に育児休業を取ってもらってでも行こうと思っていたんです」
しかし、ここで思いがけない壁にぶつかることになる。
保育園の壁
「立ちはだかったのが保育園の壁で、1カ月以上休ませると強制退園。帰って来たらまた入れる保証がないんです。じゃあ、いっそ何年も向こうに行ってしまうかというと、自分の身分ではできないし、せいぜい数カ月。結局、1歳4カ月で断乳して、子どもは日本に置いて、1回1週間とか10日とか、長くて3週間までのフィールドワークにとどめることになりました」
本当に、この「保育園の壁」は切実だ。長期間休むと自動的に退園という以前に、「保育園落ちた」というケースも多い。すると、フィールドワークどころか、自分の研究生活そのものが成立しなくなる。若い研究者は日本学術振興会の特別研究員(いわゆる学振)に採用されていることが多いが、この場合、働いていると認めてもらえないことすらあった。学術振興会と特別研究員は、直接の雇用関係にはないので、採用証明書は出しても勤務証明書は出してくれなかったからだ。やっと最近になって、保育園関係に関してのみ、勤務証明書を出すようになった、という経緯がある(これから学振制度を利用する人は、知っておいて損はない)。
しかし、二人目のお子さんが生まれて、事情が変わってきた。
「二人とも日本に置いていったら、夫が大変すぎるとか、私も、一人目よりも経験があって、気持ちにも余裕があるし、じゃあ、連れて行こうと。まだ1歳ですけど、この8月にはじめて行ってきたんですよ」
一番近い町まで、車で2時間かかるところだから、何か大きな病気をした時に心配だとか、いろいろ不安はある。それでも期間的に長くないし(なにしろ1カ月を超えると強制退園!)、なにはともあれ、現地の人が住んでいる環境だ。えいやっ、母子二人でのフィールドワークへと旅立った。
こちらもダナムバレイの母子。子どもが1歳半のときに撮影。(写真提供:久世濃子)
結果は、とても満足の行くものだっそうだ。
「さすがに、オランウータンの追跡にフル参加するのは無理なんですけど、楽しんでいるのが分かるんです。調査助手に霊長類の写真を見せてもらって『オランウータンはどれ?』と聞かれると、ちゃんと指差すんですよ。子どもを連れて行くことで、これからまた別な経験ができそうっていう予感があります」
子どもと一緒にフィールドに入ることで、違った経験をする、というのは、文化人類学の研究者などがよく口にする。子どもと一緒だと、まず、自分自身が地元の親コミュニティに受け入れてもらいやすくなるし、子どもは勝手に現地の子たちと遊び始めるから、子どもの社会も見えてくる。
鍵はコミュニケーション
では、野生のオランウータン研究者にとってはどうだろう。
お子さんの目を通して、あるいは、その成長を通して、オランウータンとヒトをより深く知り得る手がかりは得られるのだろうか。
ひとつの鍵は、「コミュニケーション」ではないか、と久世さんと話していてぼくは感じた。すごく雑な言い方になるが、オランウータンの母子のコミュニケーションと、ヒト(久世さんたち)の母子のコミュニケーションを、オランウータンに近いところで比べることに意味があるのではないかと。
印象的なエピソードがある。
「私が唯一、オランウータンと心が通ったと思ったのと、どのみちオランウータンとは分かり合えないと同時に思った経験があるんです。リハビリセンターで研究をしている時に、大人メスで攻撃的な個体がいたんですよ。人間も噛むし、ほかのオランウータンの子どもも噛んで怪我させて。私も一回噛まれています。それで、その個体が近くにいるときに、やっぱり噛まれた経験のあるちっちゃい子が一緒にいて、私と2人でガシッと抱き合ったことがあるんです。ああどうしよう、みたいな状況で。お互いがお互いを必要としているってひしひしと感じられたんですけど、でも、その子がふっと手を離して行っちゃったんです。そのタイミングが、私には分からなかった。一方的に切られたみたいな。いや、切るという意識すらなく、行っちゃったみたいな。たぶん、人間とか、チンパンジーなら、そこまでお互いに必要とした後、離れる前にも何かあると思うんですよね」
共感と断絶感のはざまから
ヒトとヒトだったら、去り際に目と目の会話があったり、得も言われぬ時間が流れたかもしれない。相手がチンパンジーでも、そういったことが起きるかもしれない。ちなみに、動物園でチンパンジーやゴリラを担当してた飼育員が、オランウータンの担当に変わった時にもらす標準的な感想は、「何を考えているのか全く分からない!」だ。
では、オランウータンの母子と、久世さん母子は、どんなふうにコミュニケーションの仕方が違うだろう。もっといえば、ヒトの子がオランウータンの母や子とコミュニケーションする瞬間がこの後あったとして、ヒトの母である霊長類学者はそこから何を感じ取って言語化するだろう。
近くて遠い親戚であるオランウータンは、こういう独特の立ち位置からヒトを照らし出す。研究者である久世さん自身も、自らの育児経験も、その合わせ鏡になる。
そして、豊かなサイエンスは、こんな共感と断絶感のはざまから芽吹く。その先にあるはずの新たな知見を期待したい。
おわり
久世濃子(くぜ のうこ)
1976年、東京都生まれ。国立科学博物館 人類研究部 日本学術振興会特別研究員。理学博士。日本オランウータン・リサーチセンター事務局長。1999年3月、東京農工大学農学部地域生態システム学科卒業。同年4月、東京工業大学命理工学研究科に入学してオランウータンの行動や生態を研究し、2005年9月に博士号を取得。京都大学野生動物研究センターの研究員などを経て、2013年4月から国立科学博物館人類研究部に所属。著書に『オランウータンってどんな『ヒト』?』(あさがく選書)、共著に『セックスの人類学』(春風社)、『女も男もフィールドへ(FENICS 100万人のフィールドワーカーシリーズ12)』『フィールドノート古今東西(FENICS 100万人のフィールドワーカーシリーズ13) 』(共に古今書院)などがある。
川端裕人(かわばた ひろと)
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、少年たちの川をめぐる物語『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、天気を「よむ」不思議な能力をもつ一族をめぐる壮大な“気象科学エンタメ”小説『雲の王』(集英社文庫)『天空の約束』、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』『風のダンデライオン 銀河のワールドカップ ガールズ』(ともに集英社文庫)など。近著は、知っているようで知らない声優たちの世界に光をあてたリアルな青春お仕事小説『声のお仕事』(文藝春秋)と、ロケット発射場のある島で一年を過ごす小学校6年生の少年が、島の豊かな自然を体験しつつ、夏休みのロケット競技会に参加する模様を描いた成長物語『青い海の宇宙港 春夏篇』『青い海の宇宙港 秋冬篇』(早川書房)。
本連載からは、「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめたノンフィクション『8時間睡眠のウソ。 ――日本人の眠り、8つの新常識』(日経BP)、「昆虫学」「ロボット」「宇宙開発」などの研究室訪問を加筆修正した『「研究室」に行ってみた。』(ちくまプリマー新書)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)がスピンアウトしている。
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。
このコラムについて
研究室に行ってみた
世界の環境、文化、動植物を見守り、「地球のいま」を伝えるナショナル ジオグラフィック。そのウェブ版である「Webナショジオ」の名物連載をビジネスパーソンにもお届けします。ナショナル ジオグラフィック日本版公式サイトはこちらです。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/227278/121500075
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