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どうする人類、今こそ私たちが「多様化」すべき理由 近代化の先駆者・ヨーロッパの人は他より優れていたのか?
http://www.asyura2.com/15/nature6/msg/315.html
投稿者 軽毛 日時 2016 年 5 月 12 日 11:54:41: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

どうする人類、今こそ私たちが「多様化」すべき理由
近代化の先駆者・ヨーロッパの人は他より優れていたのか?
2016.5.12(木) 矢原 徹一

約6万年前にアフリカを出たヒトは、ネアンデルタール人やデニソワ人と交雑しながら進化を続け、農業を開始し、産業を発展させ、近代社会を築いた。

ここで大きな疑問が生じる。

世界に先駆けて産業革命を成し遂げ、近代化したヨーロッパの人たちは、文明を発展させる能力において、他の地域の人たちよりも優れていたのではないか?

この疑問への答えは「ほぼノー」だ。しかし、「ほぼ」の内容をよく理解することが重要だ。この理解こそが、私たちの未来を考える鍵を握っている。

産業革命が“ヨーロッパで”起きた究極の理由

「世界に先駆けて近代化したヨーロッパ人は他の地域の人より優れているのか?」

このデリケートな問題に正面から挑み、進化学や生態学の考え方を取り入れて人類史を考えた本が、ジャレッド・ダイヤモンド著『銃・病原菌・鉄』だ。1997年の出版後、世界中で大きな注目を集めた名著であり、いまなおその内容は古びていない。スティーブン・ピンカー著『暴力の人類史』、ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』と並ぶ、人間を理解するための三大名著だと私は考えている。

ジャレッド・ダイヤモンドは分子生物学の研究者であると同時に、ニューギニアの鳥類を研究する生態学者でもある。彼はニューギニアで知り合った部族のリーダーであるヤリという名の人物から次のような疑問を投げかけられた。

「あなたがた白人はたくさんのものをニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものと言えるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」

この「なぜ?」という問い方は、進化生態学において大きな成功を収めたアプローチだ。生物が示す現象には、直接的な要因だけでなく、その性質を進化させた究極的な要因がある。

たとえば私たちは病原体に感染されると発熱する。この発熱の直接的な原因は炎症反応だ。しかし、そもそもなぜ炎症反応が起きるのか?それは、私たちが進化の過程で免疫系を獲得し、病原体が感染したときには体温を上げて免疫反応を活性化する仕組みを持っているからだ。したがって、発熱したからといって解熱剤で熱を下げることは、必ずしも適切な治療法ではない。

ヤリがダイヤモンドに問いかけたように、「ユーラシア大陸系民族と、そのアメリカ大陸への移民を祖先とする民族」が、世界の富と権力を支配しているという現実がある(「白人」「黒人」のような人種分類は生物学的には根拠がないことが立証されているので、ダイヤモンドは「白人」という表現を避けている)。

人類の地域差はなぜ生まれたのか

このような人類社会の地域差はなぜ生まれたのか。この地域差の直接的な要因は、西暦1500年時点における技術や政治構造の各大陸間の格差だ。

ダイヤモンドはこの格差の象徴として、ピサロが率いた約200人のスペインの部隊が、約2万人のインカ帝国軍に勝利を収めたエピソードを紹介している。

インカ帝国軍は下級兵が上級兵をみこしでかつぎ、棍棒や石器で戦った。一方のピサロの部隊は、馬にまたがり、鋼鉄製の刀剣で戦った。スペインの部隊の勝利には、この技術力の差に加え、2つの大きな要因が関わっていた。

第1に、インカ帝国は文字を持たなかった。一方、ヨーロッパでは古くから文字が使われ、文字情報が記された紙(つまり書物)から多くの物事を学ぶことができた。このため、ピサロの部隊は事前にインカ帝国軍の戦い方を知っていた。

コロンブスによるアメリカ大陸発見以後、多くのスペイン人がアメリカ大陸に渡り、そこで見聞きした事実を文字に記し、ヨーロッパに紹介していたのだ。この情報にもとづいて、ピサロは約200人の部隊でインカ帝国軍に勝利する作戦をたてることができた。

第2の要因は、ダイヤモンドの本のタイトルにもある「病原菌」だ。スペイン人はアメリカ大陸にさまざまな病原菌を持ち込んだ。このためインカ帝国では疫病が流行し、皇帝と皇太子が次々に他界し、内戦が起きた。人口も減少し、スペイン軍と戦う前にすでに国力が低下していた。最後の皇帝アタワルパは、30歳の若さで皇帝の座につき、わずか1年でピサロに敗れ処刑された。

これも農業の「副産物」だった

ダイヤモンドはこれらの直接的な答えに加え、進化学的アプローチを念頭に置いて、より究極的な問いをたてた。

「なぜ人類社会の歴史は、それぞれの大陸によって異なる経路をたどって発展したのだろうか?」

ヨーロッパの人たちが世界に先駆けて産業革命を起こし、近代化した、そのルーツをたどると、メソポタミアで約1万1000年前に開始された農業に行きつく。

メソポタミアにおけるオオムギの栽培化は、中国におけるイネの栽培化(約9000年前)に先立つ。このわずかな差に加え、メソポタミアにはウシ、ヤギ、ヒツジの原種が棲息しており、メソポタミアの人たちはこれらを家畜化することができた。

ウシは動力源としてさまざまな工事を可能にしたし、ヤギやヒツジはタンパク質に富む食糧の安定供給を可能にした。この地理的条件の優位さが、メソポタミアにおける世界で最古の農業文明の発展を可能にした主要因だ。

これが上記の「究極的な問い」に対するダイヤモンドの答えだ。ヨーロッパの人たちは決して遺伝的に優れていたのではなく、メソポタミアにおける自然の恵みのおかげで、世界で初めての農業(しかも牧畜をともなう農業)を発展させることができた。

そして農業が人口増加を可能にし、階層的な社会を生み出し、治安を安定させ、科学技術や芸術を発展させる礎を築いた。そして、その副産物が病原菌だ。ヒトに感染する多くの病原菌は、家畜由来である。このため、家畜をほとんど持たなかったインカ帝国の人たちは、ヨーロッパから持ち込まれた病原菌に対する抵抗力が弱かったのだ。

産業革命は知的能力を進化させたのか?

ダイヤモンドは人道主義者だ。彼は『銃・病原菌・鉄』を書くことで、しばしば「白人」と呼ばれる「ユーラシア大陸系民族と、そのアメリカ大陸への移民を祖先とする民族」にある、自分たちの民族への優越感と他の民族への差別意識に根拠がないことを論証したかった。

彼の論証は根拠に基づく緻密なものであり、ほぼ納得がいくが、その後の研究の進歩をもとに修正を必要とする点もある。

前回の記事(「この6万年でヒトの進化は急激に加速していた!」)で紹介したように、ヒトは過去6万年間、進化を加速してきた。しかも、農業開始後もこの加速は続いてきた。

ヨーロッパの人たちは、家畜由来の病原菌に対する抵抗性の遺伝子を進化させ、一方で牛乳を飲むことへの適応として、大人になっても乳糖分解酵素を生産する能力を進化させた。

このような加速的進化は、ヨーロッパでもアフリカでも起きた。その結果、皮膚の色・体格などの身体的特徴や、気候・食事の違いに適応した生理的特徴などにおいて、ヒトには顕著な地域差が生じた。

それならば、文字を使い、文明を生み出す創造力の点でも、地域差が進化した可能性はないのか?もしその進化が起きたとすれば、ヨーロッパの人たちには遺伝的優位性があったのではないか?

奇跡の成長を成し遂げられた理由

ヨーロッパの人たちに進化が起きた可能性を主張したのは、計量経済史の研究者、グレゴリー・クラークだ。彼は2007年に出版した『10万年の世界経済史』(邦訳書は2009年)において、産業革命前後で、1人当たりの収入と人口の関係についての興味深い事実を指摘した。

統計資料が得られる紀元前1000年以来、産業革命までの間、1人あたりの収入は、変動はするものの、決して増加を続けることはなかったのだ。ペストが流行して人口が減った1450年代には一時的に1人あたりの収入が増えた(この事実は、人口減少に直面している日本にとって示唆に富む)。しかし、再び人口が増えると、1人あたりの収入は紀元前1000年の水準に戻ってしまった。

産業革命以前にも当然、技術革新はあった。しかし、技術革新によって生産力が高まり、社会全体の富が増えても、同時に人口も増加したために、1人あたりの収入は増えなかったのだ。

ところが、産業革命がこの状況を変えた。1790年代に入ると、人口が増えながら、1人あたりの収入も増えるという、奇跡のような経済成長が実現した。この大転換をもたらした要因として、クラークは利子率の低下、識字率・計算能力の向上、労働時間の増加、暴力の減少を挙げている。

識字率・計算能力の向上については、遺言状の記録を使って、自分で遺言をかけた男性は死亡時の資産額が高かったという興味深いデータを紹介している。そして、1790年代には男性で60%。女性で30%の水準だったイングランドの識字率が、その後増加を続け、1900年にはほぼ100%に達したことを指摘している。

多くの人が文字を読み、計算ができるようになった結果、人口が増えることがさまざまなイノベーションにつながり、社会全体の富を大きく増やす結果になったと考えられる。そしてこの識字率・計算能力の向上の背景に、「ヒトの進化」があったのではないかとクラークは主張した。

いまでは、文字を覚える能力や計算能力を含む、人間の情報処理能力に50%程度の遺伝率がある(個人差の約50%が遺伝で決まっている)ことが分かっている。したがって、もし情報処理能力が高い人ほどより多くの子孫を残すという関係があれば、私たちヒト集団では情報処理能力に関する進化が進むはずだ。

ただし、この進化には時間がかかる。大陸間の格差が生じた西暦1500年以後、今日までの約500年間は、ヒトの平均世代時間(生まれてから子孫作る時間)を20年と仮定すれば、25世代だ。この程度の世代数で情報処理能力に関する顕著な進化が起きるとは考えにくい。

一方で、第2次大戦後のわずか50年程度の間に、人間の知能(一般認知能力)は格段に向上したという事実がある(「フリン効果」と呼ばれるこの事実については、「挑戦!本当の思考力を問う3つの大学入試問題」で紹介した)。産業革命以来の人間の進歩に関しては、クラークのように進化を考える必要はない。人間は進化ではなく、学習によって賢くなったのである。

ただし、その学習能力が過去6万年という時間を通じて進化したことは十分に考えられる。6万年は3000世代に相当する。これは進化が起きるには十分な時間だ。では、1500年の時点で、ヨーロッパの人たちと他の地域の人たちの間で、知的能力について遺伝的な違いが進化していた可能性はないだろうか。

地域差よりも大きいのは「個人差」

その可能性はゼロではないが、もし違いがあったとしても検出が難しい程度のわずかなものだ。その理由は2つある。

第1に、人間の能力は環境によって大きく変化する。人間の個人差の約50%は遺伝的に決まっているが、残る50%は環境によって決まるのだ。

身長を例に考えてみよう。第2次大戦当時の日本人の平均身長は、ヨーロッパの人たちよりも顕著に低かったが、いまではその差は縮まっている。同様に、人間のさまざまな特性や能力は環境によって大きく変化するので、遺伝的違いを調べるためには、同じ環境で育った集団どうしを比較する必要がある。

しかし、国や地域が違えば、人が育つ過程で触れる教育・文化などの環境は大きく異なり、その影響はとても大きい。現在見られる学力に関する地域差は、教育によって解消できるものである。

第2に、人間の能力(知的能力に加え、実行力、協調性、積極性、慎重さ、体力など)には大きな個人差がある。地域差よりも、同じ地域内での個人差のほうがずっと大きいのだ。この点も、身長を例に考えてみれば明らかだ。どの国、どの地域でも、身長が低い人も高い人もいて、その個人差は地域差よりも大きい。

この個人差(つまり多様性)こそが、過去6万年の間の進化を通じて保たれてきたものであり、そして人間社会の進歩を支えてきた原動力だ。

前回の記事で、過去6万年の間にヒトの進化が加速したことを紹介したが、ホークス博士らがヒトゲノム中から発見した約3000個の「有利な変異」は、いまなお個人差として残っている。

つまり人間がみなこれらの変異を持つ状態には至っていない。この事実は、「有利な変異」の有利さの程度がごくわずかであることを意味している。そしておそらく、「有利かどうか」は状況次第だろう。たとえば新しいことを追求する能力に長じていることは、それを評価する社会では有利だが、より保守的な社会では危険視されるかもしれない。

仮に100個の遺伝子に、少しだけ有利な変異と少しだけ不利な変異が1:1であるとしよう。これらの組み合わせは、2の100乗、つまり10の30乗という天文学的な数にのぼる。

私たちは、このような天文学的な組み合わせの中から選ばれた、たった1人のユニークな存在なのだ。

いま人類が選ぶべき道は「多様性」

この莫大な多様性がどの国の人間集団にもあることを考えれば、地域や国による違いなど、とるに足りないものだ。

冒頭、「世界に先駆けて産業革命を成し遂げ、近代化したヨーロッパの人たちは、文明を発展させる能力において、他の地域の人たちよりも優れていたのか?」という問いに、私は「ほぼノー」と答えた。「ほぼ」に私がこめた意味は、この点にある。

産業革命以後の奇跡的な経済成長を支えたのは、このような個人差に由来するさまざまな能力・技量・アイデアが生み出した「社会的イノベーション」だ。そして多くの人がこの事実を経験的に知るようになり、社会は次第に多様性やマイノリティを尊重する方向へと動いている。

私たちは人類史の転換点に生きている。過去6万年間続いてきた人口増加がやがて止まろうとしている。これまで人類は、人口の増加を駆動力に、進化を遂げ、発展を続けてきた。人口が減りゆく中でより豊かな社会を築く道は、おそらく1つしかない。

多様性を尊重し、一人ひとりが持つ多様な能力を伸ばすことだ。幸いにして、私たちの社会は少しずつその方向へと歩んでいる。この歩みをより確かなものにするためには、人間の個人差や文化の地域差に優劣をつける発想を捨て去る必要がある。私たちはみな違うからこそ、互いに補い、高めあえるのだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46802  

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コメント
 
1. 2016年5月12日 12:11:49 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[1471]

>約500年間は、ヒトの平均世代時間(生まれてから子孫作る時間)を20年と仮定すれば、25世代だ。この程度の世代数で情報処理能力に関する顕著な進化が起きるとは考えにくい
>人間は進化ではなく、学習によって賢くなった

学習効果が主因であるのは間違いではないが、

環境の変化で、記号処理能力が低く低知能で学習能力が低い者が子孫を残せずに淘汰され、

相対的に高知能な者が生き延びて繁殖したとしたら

別に、高知能遺伝子が新たに出現しないとしても、

加速的に、他の集団に比べ賢くなっていくことは十分ありうる


ただし先進国のように、社会保障が充実すると、その効果は消滅するし

AIが進化して、高知能よりもEQや外見が重要になれば

高知能であることが有利にならないので、相対的に低知能者が増えていくことになるだろう

つまり多様性が自然に高まっていくということだなw


2. 中川隆[2436] koaQ7Jey 2016年5月12日 13:18:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2685]
>ヨーロッパの人たちは決して遺伝的に優れていたのではなく、メソポタミアにおける自然の恵みのおかげで、世界で初めての農業(しかも牧畜をともなう農業)を発展させることができた。


これは致命的な間違い

そもそも農耕民のメソポタミアは遊牧民のヨーロッパ人とは全く関係ないし影響も与えていない

マルクス史観の進歩史観の影響で中東文明がヨーロッパと直線的に繋がると誤解してしまったんだな


3. 中川隆[2437] koaQ7Jey 2016年5月12日 13:25:13 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2686]
>そして農業が人口増加を可能にし、階層的な社会を生み出し、治安を安定させ、科学技術や芸術を発展させる礎を築いた。


遊牧民のヨーロッパ人は人口なんか増えてないよ

植民地で搾取した金で産業革命を起こしただけ

奴らは自分では働かないからね


4. 中川隆[2438] koaQ7Jey 2016年5月12日 13:33:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2687]
>このような人類社会の地域差はなぜ生まれたのか。この地域差の直接的な要因は、西暦1500年時点における技術や政治構造の各大陸間の格差だ。

これは完全な誤り

ヨーロッパ人みたいな遊牧民は自分では働かないで農耕民からの略奪と搾取で食べている

農耕民は国家を作る能力がないから支配階級から搾取されるだけなんだ

働かないで学問ばかりやっていられるのも遊牧民だけだからね


5. 中川隆[2439] koaQ7Jey 2016年5月12日 13:40:53 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2688]

アングロサクソンの文化  

アングロサクソンは戦争で勝つ事で世界の覇権を持つことが出来ましたが、日本との世界最終戦争で核兵器を使用した事で自らの手を縛る事になってしまった。核戦争の時代ともなるとアメリカ本土と言えども核ミサイルの脅威にさらされて戦争が出来なくなってしまった。

戦争が生業のアングロサクソンは、戦争が出来なくなると金融で世界支配を試みようとしたのだろう。大戦後は朝鮮戦争からベトナム戦争・イラク戦争に至るまでアングロサクソンは戦争に勝てなくなり限定戦争を余儀なくされた。いわば自分で墓穴を掘っているようなものですが、戦争によって栄えたアングロサクソンは戦争ができなくなった事で覇権は終わろうとしている。

それに代わって金融による経済覇権や英語による文化覇権は戦争に代わり得る手段だろうか? 戦争に強ければ経済覇権や文化覇権はついてきたのですが、これからは経済力と文化力で覇権は争われるようになるのだろう。アングロサクソンは経済力や文化力でもでも覇権をとり続けていけるのだろうか?

それを考察するには、アングロサクソンの文化を知らなければなりませんが、太田述正氏のブログには「アングロサクソン社会は当初から資本主義社会であり、それと同時に反産業主義であった」ということです。彼らにとっては戦争が生業であり、平和な時は酒を飲んで賭け事に夢中になっていた。勤勉に働くという事は彼らの文化には無い。


だからこそ大戦後には限定的な戦争で覇権を維持したのでしょうが、イラク戦争やアフガニスタン戦争は大義のない戦争であり、アングロサクソンの時代は終わったとも言える。核戦争の時代では戦争で決着をつけることは不可能だからだ。それで彼らはバクチで稼ぐ金融覇権を試みたのですが、今回見事にそれは失敗した。

アングロサクソンは、ローマ化した大陸のゲルマン民族とは違って、戦争好きなゲルマン文化を多く残していた。個人主義と自由主義はアングロサクソン文化でもあり、大陸の全体主義文化や社会主義文化とは相容れないものだ。しかし今回の金融恐慌は社会主義的な方法でしか混乱は収められないものであり、市場原理主義は敗れたのだ。

だからこそ倉都康行氏は、社会民主主義的な伝統を持つEUが主役に踊り出るだろうと予想していますが、そもそもヨーロッパ全体が戦争好きなゲルマン文化の要素を持っており、ヨーロッパの歴史は戦争の歴史でもあった。すなわち全面戦争が出来なくなった時代は長く平和が続き、戦争で決着をつけるアングロサクソンの文化は衰退せざるを得ない。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu178.htm


アングロサクソンは純粋のゲルマン文明

アングロサクソン文明とアングロサクソン以外の欧州(以下、欧州とします)文明は、なぜ近くにあって大きく違うのでしょうか。また、それぞれどのような文明なのでしょうか。

 太田さんの言によると、アングロサクソンはゲルマン民族の伝統をほば変わらず持ち続け、他方、欧州(のゲルマン諸族)はローマ化してゲルマンの伝統をほぼ失ってしまった人々であり、また(大雑把に言って)アングロサクソン文明はゲルマン由来の「個人の自由の尊重」(=個人主義)を中心的価値とする文明であり、欧州はローマ由来の「宗教(中世まで)や一般意思(近代以降)の優越する」文明(=全体主義的)、ということのようです。

 では具体的に、ゲルマン民族の価値観や文化とはどういうもので、どのように形成され、なぜブリテン島のアングロサクソンにだけ受け継がれたのでしょうか。


戦争を生業とするゲルマン人


「タキトゥスの「ゲルマーニア」(岩波文庫1979年4月。原著は97-98年(1世紀))は、ローマ時代のゲルマン人について記述した有名な書物ですが、以下のような記述があります。

 「人あって、もし彼ら(筆者注:ゲルマン人のこと)に地を耕し、年々の収穫を期待することを説くなら、これ却って、・・戦争と[他境の]劫掠<によって>・・敵に挑んで、[栄誉の]負傷を蒙ることを勧めるほど容易ではないことを、ただちに悟るであろう。まことに、血をもって購いうるものを、あえて額に汗して獲得するのは欄惰であり、無能であるとさえ、彼らは考えているのである。」(77頁)
 これは、ゲルマン人の生業が戦争であることを物語っています。つまり、戦争における掠奪(捕獲)品が彼らの主要な(或いは本来の)生計の資であったということです。

 こういうゲルマン人がやがてローマ帝国に侵攻し、これを滅ぼしてしまうのですが、欧州大陸のゲルマン人はやがてローマ化していまい、戦争が生業ではなくなっていきます。

 ところが、ローマが自分でイングランドから撤退した後、文明のレベルが違いすぎてローマ文明を受け継ぐことのできなかった原住民のブリトン人(ケルト系)を、スコットランドやウェールズといった辺境に駆逐する形でイングランドを占拠したアングロサクソン人(ゲルマン人の支族たるアングル、サクソン、ジュート人がイングランド侵攻後、混血したもの)は、ゲルマン「精神」の純粋性を保ち続けます。

だから、アングロサクソンにとっては、戦争は生業であり続けたのでした。


「では、そのゲルマン人とは、どのような人々だったのでしょうか。

 私はかつて(コラム#41で)、タキトゥスの「ゲルマーニア」(岩波文庫)の中の以下のようなくだり・・(略)(77頁)・・を引用して、「これは、ゲルマン人の生業が戦争であることを物語っています。つまり、戦争における掠奪(捕獲)品が彼らの主要な(或いは本来の)生計の資であったということです。」と指摘したことがあります(注8)。

 (注8)戦争にでかけていない時、つまり平時においては、男性は「家庭、
    家事、田畑、一切の世話を、その家の女たち、老人たち、その他す
    べてのるい弱なものに打ち任せて、みずからはただ懶惰にのみ打ち
    暮らす。」(79頁)というメリハリのきかせ方だった。

 ゲルマーニアには、「彼らは、公事と私事とを問わず、なにごとも、武装してでなければ行なわない。」(70頁)というくだりも出てきます。

 つまり、ゲルマン人の成人男性は全員プロの戦士であったわけです。
 しかも、以下のくだりからも分かるように、ゲルマン人の女性もまた、その意識においては男性と全く同じでした。


 「妻・・らはまた、・・戦場に戦うものたち(夫や子息たち)に、繰りかえし食糧を運び鼓舞・激励をあたえさえする・・。」(53頁)


戦争が生業であったということは、ゲルマン人はハイリスク・ハイリターンを求める人々(リスク・テーカー=ギャンブラー)であったということです(注9)。

 (注9)「彼らは・・賭博を・・あたかも真摯な仕事であるかのように行な
    い、しかも・・最終最後の一擲に、みずからの自由、みずからの身
    柄を賭けても争う・・。」(112頁)

 注意すべきは、ハイリスクであるとはいえ、戦争は、それが生業である以上、合理的な経済計算に基づき、物的コストや自らの人的被害が最小になるような形で実行されたであろう、ということです。」(コラム#852(*2)より抜粋)

 以上のように、ゲルマン民族は一人一人が戦士であり、戦争を生業とする人々であったようです。額に汗して働くことよりも、自分が負傷したり命を落とすリスクがあっても、戦争によって掠奪品を得るほうが、はるかに効率がよく得るものも大きいと、当然のように考えている人々だったのです。

 そして戦争遂行という最優先事項のためには、部族の全員が一丸となって協力し、また戦争をする上では、合理的な計算に基づいて、可能な限りコストや被害を少なくして、いかに効率よく戦争を遂行できるかということを追求した形で、実行されていたのです。


ゲルマン人の個人主義


ゲルマンの成人男子は一人一人がプロの戦士で、部族全体が戦争という生業のために一致協力していた、ということは分かりました。では、その戦闘民族的な側面以外に、ゲルマン特有のユニークな点はあるのでしょうか。

 「ここで、女性も戦場に赴いた、という点はともかくとして、このようなゲルマン人と似た特徴を持った民族なら、例えば、モンゴル等の遊牧民を始めとしていくらでもある、という反論が出てきそうですね。

 それはそうなのですが、ゲルマン人がユニークだった点が二つあります。

 その個人主義と民主主義です。

 「彼らはその住居がたがいに密接していることには、堪えることができない・・それぞれ家のまわりに空地をめぐらす。」(81〜82頁)、「蛮族中、一妻をもって甘んじているのは、ほとんど彼らにかぎられる・・。・・持参品は・・夫が妻に贈る・・。妻はそれに対して、またみずから、武器・・一つを夫に齎す。」(89〜90頁)が個人主義を彷彿とさせる箇所です。

 また、「小事には首長たちが、大事には・・[部族の]<成人男子たる>部民全体が審議に掌わる。・・最も名誉ある賛成の仕方は、武器をもって称賛することである。・・会議においては訴訟を起こすことも・・できる。・・これらの集会においては、また郷や村に法を行なう長老(首長)たちの選立も行なわれ・・る。」(65〜69頁)のですから、古典ギリシャのポリスのそれ並に完成度の高い直接民主制であったと言えるでしょう。

 以上をまとめると、ゲルマン人は、個人主義者であり、民主主義の下で、集団による戦争(掠奪)を主、家族単位による農耕(家畜飼育を含む)を従とする生活を送っており、合理的計算を忘れぬギャンブラーであった、というわけです。」(コラム#852より抜粋)


「まず、押さえておくべきは、プロの戦士であったアングロサクソンにとって経済活動は、食い扶持を確保した上で、更に戦士としての実益の追求を兼ねた趣味ないし暇つぶしに過ぎない、ということです。

 ここで実益の追求とは、個人的戦費及び集団的戦費(税金)を確保することであり、かかる実益の追求を兼ねた趣味ないし暇つぶしを、彼らはいかに楽に行うかに腐心しました(注13)。

 (注13)ちなみにアングロサクソンは、「戦士としての実益の追求を兼
    ね」ない趣味ないし暇つぶしの多彩さでも知られている。彼らが後
    に、読書・科学研究・スポーツ・レジャー・観劇・旅行、等に狂奔
    したことが、近代文学・近代科学・近代スポーツ・近代レジャー・
    近代演劇・パック旅行、等を生み出すことになった(コラム#27)。

 タキトゥスの叙述からもお分かりのように、彼らは、その生業としての戦争に従事している間、生死をかけること等に伴うストレスにさられただけでなく、集団行動に伴うストレスにも(個人主義者なるがゆえに)さらされたことから、平時においては、各自がばらばらにリラックスをして過ごすことによって、精神的バランスを回復する必要がありました。

 しかも彼らにはその「自由の意気と精神」から支配者がおらず、またその「戦争における無類の強さ」に恐れをなして彼らを掠奪の対象とするような者もほとんどいなかった上に、彼らにとって戦争が経済計算に立脚した合理的営みである以上、戦費は巨額なものにはなりえませんでした。ですから彼らは、支配者に貢ぐために、あるいは外敵によって掠奪されることを見越して、あるいはまた巨額の戦費を捻出するために、ひたすら額に汗して働かなければならない、という状況にはなかったわけです。

 そういうわけで彼らが経済活動にあたって考えることといえば、目標とした一定の収益を、いかに最低限の労力やコストの投入によって確保するかだけでした(注14)。」(コラム#857(*3)より抜粋)


自由の意気と精神、つまりは戦士たる己の力(能力)のみを頼りとして支配されることを由としないということ、それぞれが戦士として自立していること、戦時以外の自由を尊重すること、これらのことから、ゲルマン人にはごく自然なこととして個人主義が定着していたと思われます。

 部族内においては、戦時以外では自分も他人も自由が侵されず、制度的なしがらみもない。ゲルマン人は戦争を生業とする戦士であったことで、かなりの程度、個人主義、自由主義が文化として浸透していたようです。また(義務を果たしている人々である)戦士による直接的な民主主義も行われていました。一見、個人主義や民主主義というと、古代ギリシャ等、文化的に高いレベルにあって初めて実現すると思い勝ちかもしれませんが、なるほど、武の伝統から生まれることもある、というところはユニークで面白いですね。


アングロサクソンの起源


では、このようなゲルマンの伝統が、いかにしてブリテン島に伝播し、維持されていったのでしょうか。アングロサクソンの起源を確認しておきましょう。

 「今まで随時、アングロサクソン論を展開してきましたが、このあたりでアングロサクソンとは何かを振り返っておきましょう。

5世紀に、スカンディナビア及び北ドイツから様々なゲルマン支族がイギリスに渡ってきて、ケルト系先住民のブリトン人(=ローマ文明を継承できていなかった)を辺境に駆逐した上で定住し、相互に通婚してアングロサクソンとなります。(8世紀にベード(Bede)は、アングル支族、サクソン支族、ジュート支族の三支族が渡ってきたと記しましたが、これは単純化しすぎだと言われています。)(Historical Atlas of Britain, Kingfisher Books, 1987 PP30)

 このアングロサクソンは、7世紀末までにキリスト教化します(前掲Historical Atlas of Britain PP32)。アングロサクソンの部分的ローマ化、欧州化です。
しかし、9-10世紀には、アングロサクソンは、まだキリスト教化していない、デンマーク(一部ノルウェー)のバイキング(デーン人)の侵入、定住化を経験します。(前掲 PP38)(なお、11世紀初頭には、アングロサクソンは、後にデンマーク王とノルウェー王を兼ねることになる、デーン人(その頃には既にキリスト教化していた)の王族カヌートに一時征服されます。(前掲 PP52))
 更に1066年には、アングロサクソンは、フランス北部に侵入、定住したバイキング(ノルマン人)の子孫である、ノルマンディーの領主ウィリアム公に征服されます。(前掲 PP55-57)

 このように、アングロサクソンは、もともとゲルマン人としての純粋性を維持していた上に、キリスト教化した後も、累次にわたってかつての同胞であるバイキング・・キリスト教化していなかった者も少なくなく、しかも、極めて能動的(=悪く言えば、好戦的で侵略的)でした・・の侵入、定住化、征服を受け、その都度、ゲルマン精神を「再注入」させられ、「純化」させられたのです。そのおかげで、アングロサクソンは、精神のローマ化・欧州化を基本的に免れることができたのです


「また、メイトランドが、アングロサクソン文明と欧州文明の最初の岐路について、イギリスではアングロサクソンが侵攻した時にローマ文明が拭い去られた(swept away)のに対し、欧州(フランス・イタリア・スペイン)ではゴート族やブルグンド族は侵攻先のローマ=ガリアの人々の中の圧倒的少数派に過ぎず、しかも彼らが(征服者ではなく)ローマ皇帝の家来ないし同盟者に他ならなかったことからローマ文明の法・宗教・言語が生き残った(注4)ことを挙げている(PP77)ことも知りました。」(コラム#1397(*5)より抜粋)

 以上のとおり、ガリアのゲルマン諸族はローマ化した結果、ゲルマンの伝統を失うことになり、海を渡ってブリテン島に渡来して現地民と同化したアングロサクソンには純粋な形で残ることとなりました。さて、そんなゲルマンの伝統をほぼ純粋に受け継いだアングロサクソンの国、英国とはどのような社会になったのでしょうか。(ちなみに最新の研究によるとアングロサクソンの起源はバスク系の人々とベルガエというゲルマン系の人々がかなり関係しているようです。詳しくはコラム#1687(*6)を参照してください。)

(*4)コラム#74 アングロサクソンと北欧神話(アングロサクソン論3)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955759.html

(*5)コラム#1397 マクファーレン・メイトランド・福澤諭吉(その1)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954436.html

(*6)コラム#1687 アングロサクソンの起源>
http://blog.ohtan.net/archives/50954197.html


資本主義と反産業主義


個人主義社会であるからには、同時に、資本主義社会でもあると言えそうです。個人主義が貫徹している社会であれば、個人が所有する全ての財産を、誰の干渉も受けずに自由に処分する権利を、誰もが持っているはずだからです。

 「個人主義社会とは、個人が部族・封建制・教会・領域国家等、欧州史の古代・中世におけるような社会諸制度のしがらみから、基本的に解放されている社会です。

 ちなみに、個人主義社会と資本主義社会はイコールであると言ってよろしい。個人主義社会とは、上記のごとき社会諸制度によるしがらみから基本的に自由に、個人が自分の財産(労働力・カネ・モノ)の使用・処分を行うことができる社会であり、これぞまさしく資本主義社会だからです(注6)。

 (注6)これは、英国のマクファーレーン(Alain Macfarlane)の指摘だ
    が、この話をもっと掘り下げて論じたいと以前(コラム#88)記しな
    がら、マクファーレーンのその後の著作等の勉強を怠っているた
    め、今後とも当分の間、この「約束」を果たせそうもない。」(コラム#519(*10)より抜粋)

 「しかも、個人主義社会なのですから、アングロサクソンの各個人は、自分自身(の労働力)を含め、自分が所有する全ての財産を、誰の干渉も受けずに自由に処分する権利を持っており、実際にその権利を頻繁に行使しました。そういう意味で、アングロサクソンは全員が「商」(資本家)でもあったわけです


「いずれ詳しくご説明するつもりですが、イギリスはその歴史始まって以来、(すべての成人が、生産財、消費財のいかんを問わず、自由に財産を処分できるという意味で)資本主義社会であり、産業革命前に既にその「反産業主義的」資本主義は、高度に成熟した段階に達していました。

 そして、(これについてもいずれ詳細にご説明するつもりですが、)イギリスは反産業主義(反勤勉主義)であったからこそ、(機械化によって楽をしようとして)産業革命を世界で初めてなしとげます。そして、イギリスは良かれ悪しかれ、反産業主義のまま現在に至っているのです。(「産業精神」参照)」(コラム#81(*11)より抜粋)

 「また、古典ギリシャ社会においても古ゲルマン社会においても、労働には低い社会的評価しか与えられていませんでした。

アテネ等のポリスでは、奴隷が労働に従事し、市民はもっぱら政治と軍事に精を出したものですし、ゲルマン民族の男達は、「戦争に出ないときにはいつも、幾分は狩猟に、より多くは睡眠と飲食に耽りつつ、無為に日をすごす・・家庭、家事、田畑、一切の世話を・・女たち、老人たち<など>・・に打ち任せて・・懶惰にのみ打ちすごす」(タキトゥス「ゲルマーニア」(岩波文庫版)78〜79頁)のを常としました。

 ですから、貧しかった時代ならいざ知らず、豊かになった現在の西欧諸国において労働時間が著しく減ってきたのもむべなるかなとお思いになるでしょう。

 それでは、アングロサクソン諸国の労働時間の長さはどう説明したらよいのでしょうか。


アングロサクソンは世界でほぼ唯一生き延びた純粋なゲルマン人であり、ゲルマン人の生業(本来の労働)は戦争(=略奪行為)だったことを思い出してください(上記引用参照)。これは戦争以外の時間はゲルマン=アングロサクソンにとっては来るべき戦争に備えて鋭気を養う余暇だったということを意味します。だから農耕・牧畜(=食糧確保)に比べて狩猟(=食糧確保+戦争準備)をより好んだとはいえ、これら「労働」も「無為・懶惰に過ごす」こととともに余暇の一環であり、「労働」を減らす、制限するという観念は、元来彼らにはなじまないのです。

 そして、キリスト教の聖書を世界で初めてに民衆が読める自国語に翻訳して大量に普及させたアングロサクソンは、ゲルマン人としての彼らのもともとの好き嫌いを踏まえ、農耕・牧畜等の「懲罰」としての「額に汗」する「労働」(labour。「陣痛」という意味もある。同義語はtask)と狩猟等のそれ以外の「労働」(work。同義語はbusiness)とを明確に区別し、hard work を厭わず(?!)labourを減らすことに腐心してきました。その最大の成果の一つがイギリスを起源とする18世紀のいわゆる産業革命です(コラム#81参照)。

 これに対し、西欧ではこの二種類の「労働」を区別することなく、どちらも忌むべきものとして削減することに努めてきた、と私は考えています。」(コラム#125(*12)より抜粋)

 アングロサクソン社会は当初から資本主義社会であり、それと同時に反産業主義であったというのは面白いですね。楽をしたいからhard workを厭わないというのも、とても面白いと思います。英国が様々な創意工夫をして近代的な発明を数多く生み出したのも、よく分かる気がします。


ちなみに太田さんは、近代文明はイギリス文明そのものといってよく、近代のほぼ全てがイギリスで始まっている、とも仰っています。コラム#84(*13)を参照してみてください。

 それと、経済的物質的に貧しい社会においては、個人主義を成り立たせる余裕が無く、乏しきを分かちあいながら、共同体に埋没して生きて行くより他はないところ、イギリスで個人主義が維持できたのはイギリスが大変豊かだったからだ、という側面もあるようです。コラム#54(*14)を参照してみてください。


(*10)コラム#519<米国反仏「理論」あれこれ(その4)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955314.html

(*11)コラム#81<反産業主義(アングロサクソン論4)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955752.html

(*12)コラム#125<各国の労働時間の違い>
http://blog.ohtan.net/archives/50955708.html

(*13)コラム#84<イギリス文明論をめぐって(アングロサクソン論5)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955749.html

(*14)コラム#54<豊かな社会(アングロサクソン論2)>
http://blog.ohtan.net/archives/50955781.html

http://blog.ohtan.net/archives/51258673.html


6. 2016年5月14日 18:38:45 : KRnzzj44FM : yfyqCMtIHFM[1]
どれも違う。西洋人があれほどまでに積極的、かつ残虐・冷酷でありえたのは
キリスト教のせいだ。

7. 2016年5月14日 19:35:32 : w9iKuDotme : S@BYVdB2dgc[2284]
賛成です。多様性を大事にしましょう。

8. 2016年5月14日 22:39:33 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[136]
事実は小説より奇なり。

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