9. 2015年10月05日 13:06:34
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世界情勢 研究開発 メディア 学術 STAP騒動、Nature誌がつけるべき落とし前科学的には決着も、自身の問題点に触れず 2015.10.5(月) 詫摩 雅子 STAP論文に対する2本の反論(BCA)と総説を掲載したNature誌(筆者撮影) 9月24日、科学雑誌Natureが3本の記事を載せた。このうち2本は昨年、日本を騒がせたSTAP細胞の論文(以下、STAP論文)に関する“反論”で、残りの1つは総説だ。3本はそれぞれ独立した記事だが、互いに関連している。 いずれもSTAP細胞の騒動に、科学界としての決着をつける記事だ。しかし、まだいくつかの疑問は残る。それは、Nature誌自身の役回りについてだ。 今回Nature誌に載った記事を紹介する前に、STAP論文とそれをめぐる不正告発の経緯を簡単におさらいしよう。すでによく知っているという方は、「すでに撤回された論文への反論」から読んでいただきたい。 画期的だったSTAP細胞 2014年1月末にNature誌に掲載されたSTAP論文は、身体中のすべての細胞だけでなく、胎盤にも分化することのできる細胞に関するものだった。赤ちゃんマウスの細胞を弱酸性の液に30分ほど浸けるなどの簡単な手法で、万能細胞であるSTAP細胞へと変えることができたという。本当であればまさに画期的だ。刺激によって細胞を受精卵に近い状態に若返らせる(初期化させる)ことが可能になると分かったからだ。 STAP細胞自体は培養皿の中で維持するのも増やすのも難しいが、培養条件を変えれば、それも可能になる。そうやってできるのが「STAP幹細胞」と「FI幹細胞」だ。 STAP幹細胞は胎盤には分化できないという点からもES細胞やiPS細胞に非常によく似ていた。これは、ES細胞のように胚を壊したり、iPS細胞のように遺伝子導入をしたりするといった手段をとらずに、幅広い応用が期待できる多能性幹細胞を入手できることを意味する。 FI幹細胞の方は、増殖速度は遅いが、胎盤と胎児の両方に分化できるというSTAP細胞の性質を引き継いでおり、科学的に興味深い細胞だった。 STAP論文は、その革新的な中身だけでなく、若い女性である小保方晴子氏が筆頭著者だったことからも大いに注目を集めた。共著者には、世界的に知られた笹井芳樹氏、若山照彦氏、丹羽仁史氏といった理化学研究所 発生・再生科学総合研究所(当時、理研CDB)のスター研究者、さらにはハーバード大学のチャールズ・ヴァカンティ氏らが名を連ねていた。 不正の判定、それでも「STAP細胞はある」 首相や文部科学大臣までが公の場で言及するほどの歓迎ぶりで迎えられた研究だったが、1週間も経つと論文に載っている写真に改ざんの形跡があるなどの疑義が指摘され始めた。 理研上層部は不正調査委員会を立ち上げ、この手の調査としては異例の早さで3月末日には、小保方氏による改ざんと捏造があったと判定し、著者らに論文の撤回を呼びかけた。 しかし、小保方氏、笹井氏、丹羽氏は4月上旬にそれぞれ会見を開き、論文に不備はあったがSTAP細胞は存在するかのような発言をそれぞれ口にし、理研上層部も検証実験と称してSTAP細胞を作る実験を丹羽氏らに行わせた。論文に不正はあったが、STAP細胞があるのかないのかは分からないという宙ぶらりんの状態に、自らしたのだ。 しぶしぶの再調査でES細胞の混入と判定 小保方氏の研究室には細胞などの試料が残っていたが、理研上層部はその解析は「優先順位が低い」として消極的だった。しかし、その後も次々と出てくる新たな疑義に抗しきれなくなり、6月末に論文不正の再調査をすると発表。それは、STAP細胞は混入したES細胞であることが強く示唆される2つの別々な解析結果が報じられた後になってからだった。 1つは著者の1人である若山氏の手元にあった細胞の解析結果。もう1つは、小保方氏らが公開データベースに入れた遺伝子データを理研の遠藤高帆氏が再解析した結果だ。 STAP論文は紆余曲折を経て、7月に撤回された。一方で、4月にスタートしていた丹羽氏によるSTAP細胞の検証実験に加え、小保方氏本人による論文の記載通りの再現実験も9月には始まった。 どちらもSTAP細胞を作り出すことはできなかったとする結果が公表されたのは12月中旬。さらに12月下旬には、6月に発足した外部委員による不正調査委員会による報告書が公表された。小保方氏の研究室に残っていた細胞などは、すべて別の人が作ったES細胞の特定の株と一致する可能性が高いとされた。 すでに撤回された論文への反論 Nature誌には、掲載された論文に対して、他の研究者が訂正や撤回を求める論文が載ることがある。Brief Communication Arising (BCA) といって名前の通り短いものだが、他の学術論文と同じく専門家によるチェック(査読)を受けた論文だ。 データに基づいた反論や批判は健全な科学のあり方で、BCA自体はそれほど珍しくない。だが、すでに撤回された論文に対するBCAは珍しい。 論文が撤回されれば、それは「なかったこと」になるというのが研究者たちのルールであるし、「著者たちに訂正や撤回を求める」というBCAの趣旨に照らしても奇妙なことだ。実際、まだSTAP論文が撤回される前にBCAとして投稿したのに、「STAP論文は著者たちに撤回の動きがある」ことを理由に、掲載を拒否された例は耳にしている。それにもかかわらず、もとのSTAP論文の撤回から1年以上がたっているのに、それに対するBCAは掲載された。 小保方研にあった細胞はES細胞だった 同時掲載されたBCAのうち1本は「STAP細胞はES細胞に由来する(STAP cells are derived from ES cells)」。理研CDBの小保方氏の研究室に残っていたSTAP幹細胞などを解析した結果で、9人の著者は、1人を除き全員が理研(神戸、横浜、つくば)の研究者だ。 この解析結果は、STAP論文の不正を調査していた外部調査委員会の報告書(昨年12月26日に公開)のベースとなった。 調べられたSTAP関連の細胞株は、いずれも別の研究者が樹立した特定のES細胞の株だった可能性が高いというのが結論だが、そこに至るまでのデータが今回のBCAに載っている。投稿されたのは今年の1月23日。報告書の公開から、わずか1カ月後なので、執筆陣には最初から投稿の意志があったことがうかがえる。 世界のあちこちで再現できず もう1本のBCAは「STAP細胞現象の再現失敗(Failure to replicate the STAP cell phenomenon)」で、著者にはハーバード大学のヤーニッシュ氏やスタンフォード大学のホッケドリンガー氏など、幹細胞の分野ではよく知られた研究者の名前が並ぶ。 米国、中国、イスラエルの7つの研究室が行った合計133回の再現実験の結果を報告したものだ。いずれもSTAP細胞を作ることに失敗している。 投稿されたのは、去年の11月10日。STAP論文の著者である丹羽氏らや小保方氏による検証実験で再現できなかったとの報告は12月19日なので、その前に投稿されていたことになる。 7つの研究室の中で最も多い54回も試したのは、ハーバード大学のデイリー氏のチームで、メンバーのデ・ロサンゼルス氏は筆頭著者になっている。彼はSTAP論文の責任著者の1人、ヴァカンティ氏の研究室に出向いて再現実験を試したとある。 昨年2月17日のNature誌ニュース欄に載った記事によれば、ヴァカンティ氏は「何度も問題なく再現した」と語っているが、再現できたとする根拠は示されていない。そして、ヴァカンティ氏の研究室で再現実験をしたデ・ロサンゼルス氏らも失敗している。 7つの研究室による再現実験では、使う細胞などに多少の違いはあるものの、いずれも元のSTAP論文と同じように、初期化されたら緑色の蛍光を発するように遺伝子操作されたマウスの細胞が使われている。特筆すべきは、どの研究室でも酸などの刺激によって細胞が集まって塊を作り、緑色に光り始めたことだ。ただし、この光は、死にゆく細胞が放ち始める「自家蛍光」と区別できなかった。 このBCAには、もとのSTAP論文に使われた網羅的な遺伝子データを公開データベースからダウンロードして、再解析をした結果も載っている。 いくつもの不自然な点を指摘しているが、胎児と胎盤の両方の細胞に分化できることが売りだったSTAP由来のFI幹細胞が、実はすでに知られた2種類の幹細胞(胎児になれるES細胞と胎盤になれるTS細胞)の混ぜ物であったなど、決定的な事実も明らかにした。 この解析結果は、昨年9月に理研の遠藤高帆氏が日本分子生物学会の英文誌Genes to Cells誌に掲載した結果と同じだ。 撤回された論文に対するBCA掲載の意図とは 前述したようにBCAは、公開された論文に対して修正や撤回を求めるような反論だ。撤回された後になって掲載されるのは、奇妙といえば奇妙だ。いったいなぜか? そのヒントは、この2本のBCAとともに載った総説「多能性の特徴(Hallmarks of Pluripotency)」にあるように思える。この総説の17人の著者の多くは、再現実験の失敗を報告したBCAの著者27人と重なる。どちらも幹細胞の専門家集団が著者だから、重なるのは当然だ。それでも総説の方にだけ著者になっている研究者がいる。その1人はカナダ・トロントの小児病院研究所のジャネット・ロサン氏だ。 彼女は昨年7月の国際幹細胞学会で大会長を勤め、開会の挨拶で「幹細胞研究と社会との関係に2つの課題がある」と指摘した。1つは科学的根拠に乏しい幹細胞治療の蔓延で、もう1つは市民の過剰な期待を招くような過大な宣伝だ。後者の具体例としてロサン氏があげたのがSTAP細胞だったという。捏造や改ざんなどの研究不正ではなく、最初の記者会見と報道のされ方を問題視したようだ。 革新的な論文が出ると、同じ分野の研究者はすぐに自分でも試してみるものだ。そうした再現実験に成功すれば、その研究は“本物”と認められる。一方で、誰も再現できない状態が長く続くと、元の論文は忘れられていく。これは、科学のすべての分野に共通して言えることだ。 生命科学の場合、試薬のロットの違いや実験者自身も気づかない環境条件やちょっとした実験テクニックなどが、実験の成否に大きくかかわることがある。なので、再現性がないからといって不正とは限らないが、他の研究室で再現できない研究は、やがては消えていく。 STAP細胞も大騒ぎをせずに、そのように消えるに任せておけばいいという主張は科学界にもあった。不正追及をしてまで、わざわざ否定するまでもない、というわけだ。否定をするにも、時間やコストがかかるという現実的な問題もある。 ニセモノを蔓延させない - データとともに反証する必要性 しかし、そうもいっていられない事情が幹細胞研究にはある。ロサン氏が指摘した課題の1つ、「科学的根拠に乏しい幹細胞治療の蔓延」だ。 実は、幹細胞の分野では再現性がないため“消えつつある”幹細胞がすでにいくつもある。STAP細胞の責任著者であるヴァカンティ氏が2001年に発表した胞子様細胞はその一例にすぎない。 科学界では消えつつあっても、話題になった研究は一般の人々の記憶に残る。それが、科学的根拠に乏しい幹細胞治療がはびこる一因にもなっている。この状態は真摯な幹細胞治療(日本でいう再生医療は幹細胞治療やそれをさらに発展させたもの)の研究を進める上でも好ましくない。 米国では、学会がテレビ局と連携して、怪しげな幹細胞治療を受ける前によく考えようと視聴者に促している(例えば、ほとんどどんな病気も治ると言われた被害者に取材したCBS NEWS)。 こうした事情もあり、わざわざコストをかけてでも、きちんと否定する論文が幹細胞の分野では出始めている。骨髄にあるとされた多能性細胞「VSEL細胞」は、2013年にスタンフォード大学のワイスマン氏らが詳細な再現実験を行い、今回のSTAP細胞と同じように、否定的な結果を報告している。こうした論文が学術論文として出ていれば、「この細胞で治療できる」という宣伝文句に対して、「再現できないという報告がある」と論文データを引用しながら反論できる。 論文が撤回されたとはいえ、STAP細胞は日本ではほとんどの人が耳にしたことのある有名な細胞となった。きちんと否定しておかないと、「実はできていたんですよ」などと言って、あやしげな治療に名前を使われかねない。データを載せて失敗を報告した論文は、こうしたときに武器になる。 STAP細胞を作れるかどうかを試した丹羽氏や小保方氏の“検証実験”では、緑に光る細胞はできたものの、多能性は確認できなかった。「緑に光るところまでは、できていた」とSTAP細胞を信じる声は今も一部にあるが、STAPのPは多能性(Pluripotency)の意味だ。緑に光るだけはSTAP細胞とは呼べない。 Nature誌に載った総説「多能性の特徴」では、結語として「多能性細胞として論文に発表する前に、その細胞で働いている遺伝子の解析など複数の方法で、複数の研究室で別々に確認することを勧めている。 なぜ不備あるSTAP論文を載せたのか 科学界としての決着はこれでついたと言えるだろうが、Nature誌がそもそもなぜSTAP論文を載せてしまったのかに関する経緯の説明はない。 改ざんや捏造に気がつかなかったのは仕方ないと言えるかも知れないが、Nature誌のライバルであるScience誌が昨年9月11日のニュース欄でスクープした資料によれば、STAP論文をチェックした査読者の評価は芳しくなかった。 本当であれば素晴らしいが、載っているデータだけでは信用できないといったニュアンスで、さまざまな不備を指摘しつつ、それに答えられるデータを追加すべきとしている。載せるべきではないといっているのに近い。 しかし、Nature誌の編集部は「修正を待っている」と著者たちに返している。そして、レビューアーの指摘にあったような修正はほとんどされないまま、受理され、発表されてしまった。これでは査読をする意味がない。査読制度が支えてきた科学論文誌としての価値を、Nature誌は放棄したことになる。 相互批判による自浄作用が科学を支える Nature誌は学術論文誌であると同時に、ネイチャーパブリッシンググループ社が看板商品として出している商業誌でもある。世界的に著名なスター研究者が名を連ねた、幹細胞という旬の話題の論文に飛びついてしまったということはなかっただろうか? (例えば、ライバルのScience誌の母体はアメリカ科学振興協会。PNAS誌は米国科学アカデミーの機関誌。Cell誌はエルゼビア社が出しているが、同社は医学雑誌のトップクラスであるLancet誌などさまざまな学術雑誌を数多く抱えている)。 STAP騒動では科学界からNature誌に対して厳しい声があった。それは、科学界がNature誌を自分たちのコミュニティの仲間だと見なしており、自浄機能が働くのを期待しているからだ。 STAP論文の掲載を決めるにあたり、どういう判断があったのか。編集部の判断で撤回することもできたのに、それをしなかったのはなぜか。昨年の時点で、STAP論文を批判するBCAが投稿されていたのに、掲載を断ったというのが本当ならば、それはなぜか。 今回のBCAとともにNature誌に載った総説の最後の一文を引用しよう。 「科学とは、究極的には、科学コミュニティが決定的で集合的な役割を演じている、自己修正のプロセスである」 Nature誌は誤りを修正することを恐れてはならない。そのためには、経緯を振り返る勇気が必要だろう。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44906 |