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秘境の音楽板。数日前か、中山千夏スレがあがっていて笑ってしまった。あれはもう動画が消えているゴーストなのに、どういうわけかヒット数がコンスタントに累積されて最人気拙スレになっているのだ。もう少し、ちゃんと書いたのも他にあったはずなのだが・・・・
どういうことかわかった。中山千夏の誕生日が7・13だったのである。納得、そうでもないか。私は中山千夏スレをそれ以前に書いていて、そっちも廃墟になってはいるが、出会ったばかりの曲が本当に新鮮で何百回とききながらその感情の抑揚のままに投稿したのだった。
というわけで、何百回聴き続けても心地よいような曲を選んでみた。
チェット・アトキンズというアメリカ人は、ジャンルの創始者のようにいわれる伝説のギターリストである。どういうジャンルかというと、一言でいうと、親指でピアノの左手、他の指でピアノの右手にあたる役割を同時にギターの上でこなし複合音群を並列的に奏でるフィンガーピッキングの奏法である。無論、彼がはじめたわけではないだろうが(ナッシュビルなど中西部のギターのスタイルには親指と他の指をシステマチックに切り離して伴奏と旋律を同時進行させる技術は昔からあるし、又、クラッシック・ギターにもその要素はある)、ポピュラー音楽の中でギターの音色の膨らみを使って語らせる一つの水準を築いてキャリアを成功させたという意味では彼がやはり象徴的な存在のようである。
日本漫画でいう手塚治虫のようにギターの世界では大きな存在であるチェット・アトキンズだが、彼にはもっと有名な曲や、華々しいコラボがあるのに私が選んだのはこの曲だった。
Mr.Sandman。映画「バックtoザ・フューチャー」ではじめてオリジナルを聴いてその時にいいな、と思ったのだが(あえて動画は載せない)、チェットのギター独奏バージョンはそれよりさらにマインドに染み入るのだった。
どうしてこの朗らかで無害そうな反社会的要素の感じられない田舎の白人のオジサンが、これだけ夢があって悲しくて冒険的でドラマチックで孤独な音楽を生み出すのか・・・・・
チェット・アトキンズは小児喘息の影響で、普通に睡眠をとると呼吸困難を起こすため椅子に座って寝ていたのだという。そしてギターを抱えたまま眠りにつくのだった。彼にとってギターはへその緒がつながった関係にあり、不安と背中合わせのよりどころだった。学校でもトイレで練習をするなど、外界において自分の世界を守るための相棒であった。
「チェットは俺にこういったんだ。ギターを演奏することは、ネックから12フレットまでの間にどれだけ隠された神話を発掘できるか、という行為だとね」トミー・エマニュエル
無理から中山千夏の話題に戻すと、私が歌手としての中山千夏に疑問を持つのは、言葉で語りすぎていて音(声)で表現することが負けているということだろうか。言葉に意味をこめすぎていると、観念の壁がうまれて、音のギザギザ(波形)が包み込んだり突き動かしたりする情動が保護されてしまうと私は思うのだ。囁けずに会話をするようなものか。
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