http://www.asyura2.com/15/music16/msg/424.html
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音楽を聴いて出てきたイメージから短歌を作るコンセプトの阿修羅歌壇。一応5回やったので、2つづつ自分で選んで10選とする。
オレのような素人が他人の歌を評価するのは失礼なので、選出対象は自作の短歌にとどめた。
寸評も、当然、自分でする(笑)
http://www.asyura2.com/15/music16/msg/406.html
不吉なる兆しとされし黒猫の陽だまりで見る夢を覗かむ
(評)ジプシーを黒猫に称えた一首。ゆがんだロマンチシズムを押しつけられた人々の、単純素朴な素顔を見たいという作者の欲求を詠んだ歌である。しかし、作者がパリですりにあっていたら、こういう感慨を抱かなかったかもしれない。
ジプシーは1000年前の夢を見る よき事みながそこにあるごと
(評)ジプシーは、1000年以上前にインド北部から、その民族的漂流を始めたとされる。全ての復古主義の誤りは、この黄金時代の幻想に起因するのだが、過去への憧れが表現にノスタルジックな興趣を与えていることも否めないのである。だが、作者が実際に、ジプシーの望郷の歌を聞いたことがあるかどうかは疑わしく、漠然としたイメージで詠んだ歌だと思われる。
http://www.asyura2.com/15/music16/msg/408.html
練習曲アラベスクを聞いて、
息つめてゴシゴシ磨く1分間 ザっーと流してそれで終了
(評)作者は、音楽と日常生活との関係、つまり、あることをしている時に、どういう曲を思い浮かべるかに興味を持っているらしい。また、これは、息せき切って続き、あっけなく、あっという間に終わるこの曲のイメージでもある。実験的ではあるが、ただし書きがなければ理解できず、成功していない。しかし、阿修羅歌壇ならではの歌でもあるから、ここに選んだ。
アラベスク ようやく弾けた嬉しさに気狂いのごとそればかり弾く
(評)作者の実体験を素直に詠んだ歌だろう。「うれしいのは理解できるが、そればかり弾いていては上達しない」という作者の反省の念もこめられているらしい。その小学生のような率直さを多としてこれを選んだ。
http://www.asyura2.com/15/music16/msg/410.html
カノン聴く カゲひとつなき花畑 他人(ひと)の事には無関心でいよ
(評)作者のカノンDへの屈折した感情を歌っている。カノンとは、陶然となりながらも、そのあまりの楽園ぶりに、「こんなことしてていいのか」と不安にさせる曲でもあるのである。この感覚を共有できない人には、全く理解不能な歌であろう。
カノン聞き男式場に乱入す3人死亡重傷者多数
(評)作者のカノンへの反感が露骨にでた歌である。しかし、これは、「こういう奴もいるだろうな」という作者の想像から出た歌であって、作者の予防拘禁を主張すべきでない。結句の字余りが、歌に切迫感を与えている。
次点
石田徹也へ
中庭に冬の日照って お便所で丸まっている団子虫の夢
(評)夭折の画家、石田徹也の絵を見たときに、カノンが頭に浮かんできたという作者の体験を基点として作られた歌だろう。ああいう絵であるにもかかわらず、石田の絵は汚らしい感じがしない。それは、石田の絵には芸術家らしい「調和への憧れ」が潜んでいるからだ・・・という勝手な解釈を、作者は歌にこめている。始めの句は、中原中也のある詩のイメージをパクろうとしているらしいが、成功していない。
http://www.asyura2.com/15/music16/msg/417.html
これは、突然、短歌を始めた作者が、古語の文法に不安を覚えて、百人一首の勉強を始めたために、投稿された。そのため、音楽を聴いて短歌を作るという阿修羅歌壇のコンセプトから外れている。
ちなみに、百人一首の勉強サイトとしては、抜群にここがよい。
http://www.manabu-oshieru.com/hyakunin.htm
百人首 畳の上でシャッフルする 雛人形たちカラカラ笑う
(評)百人一首の札の「挿絵」を雛人形に見立てた一首。ひと勝負終わって、札をかき回したら、札の中にいる人たちが、カラカラ笑った・・・・・。本当に笑ったら、これはチャイルドプレイのチャッキーの世界となり怖いのだが、これはあくまで比喩である。字余りだが、素人は字余りなど気にする必要はない、という作者の身勝手な主張がよく出た歌である。
古(いにしえ)の香りゆかしきトーイたち 遊び終われば箱に帰らん
(評)前作に続いて、作者の幼児性がでた歌である。ハリウッドアニメ「トーイ」を見ていない人には理解不能だろう。唱歌「おもちゃの兵隊」なども、あわせて想起させる一首。作者の童心を評価して、これを選んだ。
http://www.asyura2.com/15/music16/msg/421.html
これは、なぜか、「キミガタメ」から外れて、百人一首のパロディ特集となっている。
歌と解釈がセットの作品であり、解説を読まなければ意味が分からない場合が多い。
(本歌)筑波嶺の 峰より落つる 男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
つくばいの峯より落つる男女川 紙ぞつまりて淵となりぬる
(解釈)水洗式トイレの頂上にある「つくばい」を流れた水は、あの男女川の滝のように便器に落ちて再利用されるというが、私が紙を使いすぎてしまったので、便器がつまり水かさが増し、淵のようになってしまった。これもまた、風流な眺めであることよ。
(評)解説がなければ完全に理解不能な歌だが、作者の苦労を多としてこれを選んだ。筑波嶺(つくばね)に似た言葉を捜すのは難しかったろうが、「つくばい」に思いいたった時、作者の想像力は飛翔のための羽をえたのである。これは、紙がすぐつまる、あるいは、流せないトイレが多い、作者の東南アジアでの実体験にも基づいているらしく、歌にリアリティを加えている。
(本歌)田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ
田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に ウルトラマン立つ
(解釈)田子の裏に出て見晴らしのいい場所に立つと、白雪を冠した富士山の頂上にウルトラマンが仁王立ちしていた。なんと雄大な風景であることよ。
(評)これは説明不要だろう。あまりの雄大さに、息を呑む一首。この歌を作ってしまったときの、作者の呆然、陶然ぶりが目に浮かび、ほほえましい。パロディ歌の域を超えた一首である。
一応、これで小休止。
ではでは
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