05. チベットよわー 2015年4月22日 16:01:49
: Xy93FIMaJupUQ
: N3LkLJRWpI
Sam cooke のWonderful worldDon't know much about history Don't know much biology Don't know much about a science book, Don't know much about the french I took. But I do know that I love you, And I know that if you love me, too, What a wonderful world this would be. Don't know much about geography, Don't know much trigonometry. Don't know much about algebra, Don't know what a slide rule is for. But I do know that one and one is two, And if this one could be with you, What a wonderful world this would be. Now, I don't claim to be an "A" student, But I'm tryin' to be. For maybe by being an "A" student, baby, I can win your love for me. ルイ・アームストロングのWonderful world I see trees of green, red roses, too, I see them bloom, for me and you And I think to myself What a wonderful world. I see skies of blue, and clouds of white, The bright blessed day, the dark sacred night And I think to myself What a wonderful world. The colors of the rainbow, so pretty in the sky, Are also on the faces of people going by. I see friends shaking hands, sayin', "How do you do?" They're really sayin', "I love you." I hear babies cryin'. I watch them grow. They'll learn much more than I'll ever know And I think to myself What a wonderful world Yes, I think to myself What a wonderful world 勉強できねー性欲おさえられねー VS 生かされていることへの感謝の自然な現れ
では、あまりに差がある。サムが1960年。アームストロングのほうが1967年。 サム・クックが殺害されたのが1964年。これはアームストロングによる手直しというか、 同じ黒人としてあまりに愚鈍な奴の歴史を修正したいという試みだったのではないだろうか。 マイケル・ムーアによる「ボーリング・フォー・コロンバイン」では、911のツインタワー 追突崩壊のバックグランドにこのアームストロングのほうの(What a)Wonderful Worldを 使用している。あれは問題になってもおかしくなかったはずだ。黒人にとってのWonderful World 白人にとっての破滅を意味するのか。 |
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07. チベットよわー 2015年4月23日 12:59:08
: Xy93FIMaJupUQ
: N3LkLJRWpI
ウルフルズ 『借金大王』歌詞を通してきいたら、全然サラ金とは無関係な話だった。 これは「大人になれずに無職無収入で人に迷惑ばかりかけている 少年時代からの友人」の歌だ。 無職!といえないかわりに借金王といいかえているだけの話である。 トータス松本は井上ひさしの『ナイン』という小説は読んでいただろうか。 私は井上ひさしは他の同世代の小説家が踏み入ることのなかった人間心理の 極みについて今でいえばイニャリトゥや園子温が喜びそうなタッチでなにげなく 描写するのが優れていたことを知っているのだがこのナインだけは駄目だった。 大人になれない奴。なにやっても長続きせず、一人前に扱われない。昔の 仲間の家にいりびたり、家計にたかるは、カミサンを誘惑するわ、どうしようもない ゴロツキであることがわかっても「子供の頃はいい奴だった」などといって同情しては 子供の倫理で大人の世界を裁こうというナイン(少年野球のチームメンバー)の 友情を井上は短編に書きあげている。 泥棒や乞食が親の教育、親の与えた環境のせいだ、ということで親に面倒みさせる。 これならわかるが、どうして泥棒や乞食を社会がのばなしにして甘やかすことが正統化 されようか。私はこういう思想の背景にシナを見る。魯迅はこういうのだ「喉のかわいた 旅人が農家の西瓜を盗んで食べても犯罪ではない」。こんな気の狂った価値観を 武士道の国、日本に持ち込んで犯罪をまかり通らせるサヨクというものには断固厳しい 眼を向けるべきだろう。 悪いことは悪い。悪い奴はきっちり制裁するべきであり、できない場合はこちらの 志が崩壊する。自分はお前らにはわからない悲惨な境遇をかかえていたのだなどと いって背徳の道を一生突っ切る覚悟を持つのなら、市民の倫理でさばかれることを拒否 したいのなら、ヤクザになるか出家すべきだろう。 だいたい、大王というのがすでに、シナの字面である。 |
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09. チベットよわー 2015年4月27日 16:22:47
: Xy93FIMaJupUQ
: Jkmx0WuqsU
大阪嫌い、いいですね。僕は自慢じゃないですが、公的機関使用や開催地訪問以外の目的で大阪に行ったことは 一度しかなくて大阪城と古墳を散策しただけでした。殆どシリア人がイスラエルに立ち入らない ようなものだろうか・・・・・・ 大阪発の漫才などお笑い文化は好きなのですが、僕が好きだった吉本芸人は100% 非大阪で、上沼恵美子・ダウンタウンは兵庫、島田洋七は広島、島田紳助は京都。 つかこうへい(福岡)が文芸春秋で「ニューヨークに行ったとき、日本人観光客から 大阪弁が聞こえてきてマンハッタンに興ざめした」といっていた。僕もそれがよくわかる。 も〜〜やめれ〜〜あっちいけよ〜〜とw。武田鉄矢(福岡)も学生時代の得意ネタは 関西弁をこき下ろすことだったと自伝で言っています。小林よしのり(福岡)は手塚治虫 や筒井康隆といった自身にとってのヒーローが大阪出身なのにかかわらず関西人を毎回の ように愚弄している。牧瀬里穂(福岡)なんか映画で関西人の役をしたとき本当にガイタレ 使ったほうがまだマシであるかと思わせるような棒読みをしていた。よっぽど馬鹿にしていない とあれはできない。 島田雅彦(福岡系関東人)が小説『大道天使、声を限りに』というカルトな秀作の中で主人公を大阪のサヨク運動勢力へ合流させるような展開を描いていて、朝鮮料理や部落民との恋愛などが出てきて、なんとなく非関西人の視点として興味を持ってしまったことがありますが、結局、行きませんでした。(かわりに鹿児島に行って補導されかかりましたw) ビートたけし(大阪人クォーター)は自分の芸才は大阪出身の祖母からきているものだと自覚しているし、大阪漫才をキャリアに選び、大阪の女性と結婚しました。フライデー事件でカミサンが家を出て大阪の男のところに駆け込んだことや、自分自身が大阪に愛人を囲っていたことなど、彼の人生には常に大阪がつきまとい、あれだけ闘争心の強い武闘派の人間なのに関わらず「ひょうきん族」では関西人脈の優勢を許していた。はじめは高田純次とのコンビでやっていくはずが、年下のサンマと五分になり、後期には立場が逆転していた。 TVは70年代に黄金期を迎えたのでしょうか?僕はバブルの時代にローカル放送局や民放深夜などでその時代のドラマに触れ、その文芸的なクォリティーの高さ、技術的なクォリティーのお粗末さに感心しながらみていました。 国民行事であったプロ野球が選手の人格を超えたところにスター性を温存させていた頃からして、今では高給なブルーカラー職業として扱われ万人の夢が破れてしまっている。 TVの仕事というのも特権度が薄れ、桜田淳子(統一教会)の法廷での証言の言葉を かりれば「普通の人ばかりになってしまった」ということなんでしょうか。才覚に富んだ人は 想像力をクリエイトなどでなく起業アイデアにつなげることがより高いステイタスであるとされる時代なのでしょうか。 |
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10. 2015年5月02日 11:28:14
: o7LkzoxYeo
私のテレビ70年代黄金期説は単にその時代のビッグバンドの音を私が好き、というだけの100%主観によるものです(笑)。深い考察はありませんw ドラマも大して観てないし。70年代までのビッグバンドは演奏の自由度が高くてとてもいいですよ。ジャズ出身なんでおそらくコード譜くらい渡されるだけであとは各パートに任されてたっぽいんですよね(ストリングスやホーンはそうもいかないでしょうが)。 レコードの録音さえ演奏者のフィーリングに任せてるようです(むろんサウンドPのチェックは受けるわけでしょうが)。 リズムもいわゆるドンカマってやつがないんで一定じゃないんだけど、その分ドラムやベースの熱い肉体的(?)な演奏が楽しめる。 ドラマ音楽もスタイリッシュだったり内容に応じてホロリとさせたり職人技が光りますね。 あとはあれですね、石立鉄男的なあの感じに妙に憧れるというw 自分もバブル期以降の文化が同時代なんで、石立的なものはリアルタイムじゃないんだけど、後追いで「なんか、ええやんか、」とw「キムタク的なものより、ええやんか、」とw 石立鉄男にしろ桜田淳子にしろダン池田にしろ、バブル期を境に姿を消したわけだけど、いい風に言えばきっと純粋で良い人だったから、ついていけずに干されたり変なものにハマったりしたんではないかと。 逆に言うとバブル期前後を通じてテレビで活躍し続けている者は、器用だけど不純で悪人なんだろう(例:堺正章、和田アキ子など)。 「普通の人ばかりになってしまった」・・・テレビ製作者も情熱がなくなって文化の担い手というより広告ビジネスのみになっちゃった、という意味でしょうか。テレビのど真ん中にいた桜田淳子さんの証言ですから真実味があります。 70年代の音像が好き、というだけのことを長々と書いてしまいましたが、つまり私が同世代や下世代の流行に心からのれなくて悲しい、ということでした(笑)。 石松
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