http://ryumurakami.com/jmm/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼INDEX▼ ■ お知らせ ■ 『from 911/USAレポート』第712回 「混迷続く予備選、ケーシックの浮上はあるか?」 ■ 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ (冷泉彰彦さんからのお知らせ) もう一つのメルマガ、「冷泉彰彦のプリンストン通信」(まぐまぐ発行) http://www.mag2.com/m/0001628903.html (「プリンストン通信」で検索)のご紹介。 JMMと併せて、この『冷泉彰彦のプリンストン通信』(毎週火曜日朝発行)も定期 的にお読みいただければ幸いです。購読料は税込み月額864円で、初月無料。登録 いただいた時点で、月初からのバックナンバーが自動配信されます。 直近2回の内容を簡単にご紹介しておきます。 第106号(2016/03/08)「現実味を帯びる日本の同日選と改憲論」「厳寒期の環境と JR北海道」「リベラル派と倫理的優越感の問題」「トランプ現象が壊すアメリカの 対立軸」「フラッシュバック71(第88回)」「Q&Aコーナー」 第107号(2016/03/15)「暴力問題はトランプ凋落の契機となるか?」「311の5 周年、深く静かな落胆」「フラッシュバック71(第89回)」「Q&Aコーナー」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 『from 911/USAレポート』 第712回 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 3月15日(火)に行われたフロリダ、ミズーリ、イリノイ、ノースカロライナで の勝利で、ドナルド・トランプは「共和党の大統領候補指名選挙の代議員数」を着実 に稼いで行きました。ですが、その一方で、この日に行われたオハイオ州予備選では、 ジョン・ケーシックという中道候補に「まさかの」敗北を喫しています。 この「オハイオを落とした」ことで、7月の党大会でのトランプは「1位だが過半 数に達しない」という微妙な状態になる可能性が出てきました。アメリカの大統領予 備選は、純粋な票数を競うのでも、勝った州の数を競うのでもありません。各州ごと に人口比で決まっている「代議員数」を集めるゲームであり、過半数を取らないと勝 てないのです。 では「過半数の勝者」が出ないという事態になるとどうなるかというと、党大会の 第二回投票以降は、一部を除いて代議員たちは「個人の判断で自由に投票」ができる ようになります。そこで、「どうしてもトランプを排除したい」共和党の保守本流は、 この「自由投票」に持ち込んで「トランプ降ろし」を狙っているわけです。 こうした点については、これまでも散々議論されてきたわけですが、今回の「オハ イオでの不覚」によって、にわかに現実味を帯びてきたわけで、メディアでの議論も 盛んになって来ています。これに対してトランプ候補は激怒しています。「そうなっ たら暴動だ」という脅迫の言葉を何度も口にしているぐらいです。 この「暴動」という表現ですが、どうにも笑えない話になっています。というのは、 既にその徴候があるからです。この3月15日へ向けて予備選がヒートアップする中 で、「トランプは人種差別主義者」だと主張している「反対派」がトランプの演説会 に乗り込んでいって「抗議」を行うと、反対に支持派から暴力を受けるということが 何度も起きています。 こうした暴力行為に関しては、トランプが「示唆」したという問題もあります。特 に、ノース・カロライナ州で起きた「トランプ支持派による反対派への殴打事件」に ついては、トランプ本人による「反対派が来たら顔面にパンチをお見舞いしてやれ」 とか「反対派はストレッチャーにくくって叩きだせ」といった暴言に影響を受けたも のだとして、州の検察では「トランプ本人を起訴」することを検討していましたが、 結果的には断念しています。 いずれにしても、15日にトランプは「オハイオ州を落とし」ました。そのために、 この州での代議員数「66」は、勝ったケーシック候補が「総取り」しています。そ の「66」という数字が、これから7月へ向けて大きな意味を持っていくというわけ です。では、そのケーシックというのは何者なのでしょう? ブッシュ・ファミリーの期待を担ったジェブ・ブッシュ、キューバ移民の子として 「オバマの再現」になるかもしれないと言われたマルコ・ルビオといった顔ぶれが、 既に選挙戦からの撤退を余儀なくされる中で「しぶとく」選挙戦を続けている、この 人物について、少しお話をしておこうと思います。 ジョン・ケーシックという人は、1952年生まれの63歳。団塊の終わりの方の 世代に属しています。生まれは、ペンシルベニア州のマッキーズ・ロックスというと ころですが、要するにピッツバーグの近郊です。ピッツバーグが製鉄の町として繁栄 していた時代に、ダウンタウンからオハイオ川を渡った反対側の少し北寄りにある、 庶民的な住宅地として発展した街です。 父親はチェコからの移民、母親はクロアチア移民という家庭で、ケーシックは「そ の双方の文化を継承しているが、家庭の持っていたカトリックの信仰には後に反抗し た」と言っています。確かに、ケーシックというのはアメリカでは珍しい名前で、チ ェコ系の苗字というわけです。 1970年に大学進学にあたっては、ピッツバーグのすぐ西隣にあるオハイオ州の コロンバスにあるオハイオ州立大学に入学。当時は、公立大学の学費は廉価でしたし、 親元を離れて「自立」するためには、別の州に行きたかったのでしょう。そして、以 降は、このオハイオが彼の「地元」となっていきます。 この時代は、正にベトナム反戦運動が、アメリカのあらゆる大学で盛り上がってい ました。ですが、面白いことにケーシックという人は、そうした左派の運動を醒めた 目で見ていたのだそうです。反対に、弱冠20歳にして、ニクソン大統領に親近感を 抱き、その上で「今のままでは世論の支持を失う」として、ニクソンに対する「若者 世代からのアドバイス」というのを書き送ったのでした。 当時のニクソンは、泥沼化するベトナム戦争と、世論の離反に悩んでいましたから、 その手紙には深い印象を持ったようで、何と一大学生のケーシックをホワイトハウス に呼び寄せて、20分間「教えを請うた」ということがあったそうです。ケーシック は、後に「あの時は本当に必至で、自分の持っているものを何とか全て大統領に訴え ようとして燃え尽きた」と、その経験が鮮烈であったことを語っていますが、とにか く不思議な学生であったようです。 そんなケーシックは、とにかく「政治」、つまり文字通りの「利害調整と人心掌握 のゲーム」を天職と心得ていたようで、卒業後はほどなく26歳でオハイオ州議会議 員に当選し、やがて30歳の若さで連邦下院議員に当選(オハイオ12区)、以降9 回連続して当選しています。 ケーシックの政治姿勢は、この下院議員時代を通じて研ぎ澄まされていきます。基 本的には「小さな政府論」の共和党カルチャーを中核に、財政均衡主義の闘士でした。 ですから、ニュウト・ギングリッチ率いる下院共和党が当時のビル・クリントン政権 と徹底対決して、最後には「予算を通さずに政府閉鎖」へ追い込むという事態を演出 した際には、その「戦犯」と呼ばれたこともありました。 ですが、この時のクリントンは、共和党の脅迫に屈することはなく、均衡予算を目 指すとしながらも福祉関係のカットは拒否したわけです。そんな中IT革命とグロー バル金融による好景気が後押しすることで、税収が拡大してクリントンは「均衡予算」 を実現してしまったのでした。 結果的に、このことはギングリッチの政治生命を奪ったのですが、一方のケーシッ クは、民主党案との是々非々の駆け引きなど、超党派的な行動が評価されて、一時期 は「共和党の次世代の星」だという言われ方もしていたようです。そうした機運に乗 って、2000年の大統領予備選に立候補したのでした。 この時は、ジョージ・W・ブッシュが本命視されていたものの、二世政治家であり、 知的な切れ味をちっとも見せないブッシュに対して、ケーシックは闘志をかき立てて いたようです。ですが、政界では「いぶし銀」の存在として知られていても、全国的 な知名度は全くダメ、そして何よりも資金が全く集まらない中で、予備選前年の夏に 早々に撤退ということになりました。 そこで、ケーシックは政界からもスパっと身を引いてしまいます。2001年から 08年にかけては、FOXニュースでキャスターをやったり、オハイオで「リーマン ・ブラザース」の地域統括責任者をやったりしていました。リーマンには、同社が倒 産するまで在籍しています。 その後2010年にはオハイオ州知事選に出馬して勝利、景気の低迷する中で、オ ハイオ州の失業率を全米の平均より速いペースで改善するなど、人気知事になって行 きます。2014年に再選された時は圧勝で、知事としての支持率は現在でも80% 台という報道もあるぐらいです。 そのケーシックは、今回どうして善戦しているのでしょうか? まず、これまでの共和党の予備選では、トランプが暴言で挑発するたびに各候補は 自滅してきたわけですが、ケーシックは偶然もあって非常に上手い立ち回りができて います。というのは、昨夏の「トランプがまだ泡沫候補だと思われていた」時期には、 「この人は立候補する資格なし」とスパっと切り捨てており、他の候補が「ヘラヘラ とトランプ批判」をしている一方で、一人だけ真顔で「この人は絶対にダメ」と断言 していました。 その時は「珍しい直球勝負」とか「ポピュリズム批判じゃあ、大衆の支持はムリで しょ」的な印象があったわけですが、今から思えば巧妙な作戦だったように思います。 選挙戦がその次のフェーズに移って、いよいよ他の候補が「トランプを叩かないとマ ズイ」ということで、荒っぽい応酬になっていった際には、今度はケーシックは「政 策論しかしない。個人攻撃は一切無意味」だとして、超然として政策論を語っていま した。 そうした作戦の巧さもありますが、何と言っても今回の顔ぶれの中で、「中央政界 の経験と実務能力」をキチンとアピールできるのは彼だけということもあります。ト ランプは論外として、クルーズは同じ「均衡財政論者」と言っても、ほとんど「財政 極右イデオローグ」であって実務家の正反対、ルビオも出身はティーパーティー系、 ジェブ・ブッシュは中央政界の経験はゼロ、カーソン医師やフィオリーナに至っては 政界経験ゼロ、そんな中で、やはりケーシックの経歴は「いぶし銀」的な輝きがある というわけです。 そのケーシックの選挙運動は、実に巧みに練られていて、多くのスピーチが「人情 のパート+政策のパート」の二部構成になっています。例えば、オハイオで勝った時 の勝利演説では「さっき、ダイナー(簡易食堂)に寄って簡単な食事をしたんですよ。 終わって、急いで出ていこうとしたら、お客さんが全員立ち上がって拍手してくれた んです。私はネ。止めてくれって言ったんですよ。何故かって?だって、私、そんな ことされたら泣いちゃうじゃないですか・・・」 勿論、百戦錬磨の政治家ですから計算して言っているのですが、この人が言うと何 となくそうかなと思わせる、不思議な人身掌握術があるのです。ビル・クリントンの カッコいい理想主義的なレトリックとはまた違う、レーガン的な華麗な「切り返し」 というのとも違う、一種のポップス演歌風と言いますか、不思議な味です。 そのオハイオの勝利集会では、最初に「反対派」が乱入するという騒ぎがありまし た。たぶん、トランプ派か、あるいはサンダース支持の極左かよく分からないのです が、何かを叫んでいたのを警備員に連れ出されることになったのです。そんなハプニ ングの中、ケーシックはマユをひそめたり、不快感を見せたりしないで、むしろ壇上 から「事件」の方へ歩み寄って「事態を確認」していました。そして、沈静化すると 壇上に戻って「私は70年代に大学生でしたからね、平和的な異議申し立てというの は全然オッケーなんですよ」と「華麗に」決めて場内の喝采を浴びていました。 こういうのが好きな人には、この時代、かなり「たまらない」感じがあって、そん なケーシックの「持ち味」は少しずつ全国に浸透しているようです。 この「人情パート」ですが、各地のミニ集会では、良く「人生の困難に直面してい る人」を連れて来るという企画をやっています。冷静に考えると計算がそこにあり、 TV番組でも作るようにスタッフが「ご当地の悲劇の主人公」を探し出してくるとい うプロセスがあるのでしょうが、いずれにしても「夫が事故死したばかりの女性」と か「商売が傾いて整理したばかりの人」などを連れてくるわけです。 そうした人に悲劇を語らせておいて、その時はケーシックは聞き役に徹するのです が、その後で、まるで牧師さんの説教みたいな彼の人生講話が始まるのです。この人 は色々な「引き出し」を持っていて、87年にご両親が事故で亡くなった際の経験と か、カトリック教会に不満で、かなり突っ張って生きてきたけれども、ある時に別の 教会で救われたとか、スピリチュアルだけれども、福音派のような狂信性はない「味 な講話」をやるわけです。その上で、そうした「悲劇の人」に笑顔を取り戻させるよ うなことをする、そんなことをやっています。計算ずくのショーといえば、それまで ですが、「そういうことが好き」な人には人気があります。 では、政策論についてはどうかというと、これはもう「中道のというイバラの道」 を歩こうというテクニカルな努力をずっとやってきた人ですから、かなり練られてい ます。 例えば通商政策に関しては、「トランプの言う保護主義は21世紀の現在には通用 しない」として「21世紀は国際競争の時代。アメリカは得意分野で勝負するし、他 の各国はそれぞれの得意分野で勝負する。だからTPPも時代の趨勢」だとして、そ の上で「だが、通商ルールの違反は困る。例えば韓国の鉄鋼ダンピングなんかは、私 は許さない」という調子です。 軍事外交に関しても、聴衆が理解しそうであれば、「複雑な利害の錯綜」を丁寧に 説明した上で、現実主義的な姿勢を打ち出しています。「中国は敵(エネミー)では ない。競争相手(コンペティター)だ。だが、南シナ海での行動は許さない」という のは、別にオバマ路線と変わりませんが、この人が言うと実務的に「一桁多い複雑な ファクターを消化した上で言っている」ように聞こえるから不思議です。 そうは言っても、合衆国大統領になるような「豪快なカリスマ」とか「分かりやす い理想主義」があるかというと、この人はどこか「一流半」的な感じもします。それ が魅力だという人も多いのですが、結局は「政界の黒子」で終わる人材のような印象 もあります。 ただ、今回のオハイオの勝利で、にわかにメディアの露出が増えていますし、現時 点では共和党主流派の「最後の希望」であることは間違いありません。ですから、当 面はこの人を軸に予備選の一つ一つを見ていくことになるのだと思います。 ちなみに、現在まで残っている共和党の大統領候補の中では、代議員獲得数ではケ ーシックは3位であり、2位はテッド・クルーズです。クルーズ陣営では、こっちに 一本化するのが筋だということを散々吠えていますが、これから先に予備選がある大 票田では、クルーズが頼みにしている福音派票は極めて薄い州(ニューヨーク、カリ フォルニアなど)が多く、彼には勝ち目はありません。 何よりも、クルーズの政策は「右派に過ぎて本選では全く通用しない」ということ が、世論調査データでも出ているわけで、どうしてもケーシックに期待が集まるわけ です。ちなみに、各世論調査がやっている「一体一のマッチアップ調査」では、「ケ ーシックとヒラリーの一騎打ちになったら、どちらに入れるか?」という質問につい て、「ケーシック47%、ヒラリー40%」でケーシック有利というのが平均値で出 ているそうですから、本選の候補として「可能性」があるのは否定できません。 では、仮にこのまま予備選が五分五分で進み、トランプは「それなりに勝って」行 くが過半数の1237には到達しない、クルーズは伸び悩むが撤退しない、ケーシッ クはいくつか勝つがトランプとの差は大きいという状態で、7月の党大会になだれ込 んだとします。 面白いのは、なんとも言えない偶然なのですが、今年の共和党の党大会の開催地ク リーブランドは、ケーシックの地元のオハイオ州なのです。ですから、イザ、各代議 員の「ガチンコの自由投票」となった際に、ケーシックというのは、全体のカギを握 る存在に浮上する可能性があります。 シナリオとしては、色々あり、数週間前までは「ルビオ=ケーシックの正副コンビ」 というのが「主流派の夢の組み合わせ」というような言われ方をしていましたが、ル ビオの惨敗が余りに格好悪かったので、この話は無いでしょう。 今、政界などで一番取り沙汰されているのは、自由投票になった時には、共和党の 主流派としてはポール・ライアン下院議長でまとまろうという話です。その場合は、 「ライアン=ケーシック」の正副コンビになるという可能性もあります。 一方で、仮の話ですが、今後、ケーシックのブームが起きて「ニューヨーク、ペン シルベニア、カリフォルニア、ニュージャージー」などを取るようですと、ケーシッ クが大統領候補として「自由投票の際の一本化」つまり「トランプ降ろしの後の共和 党の希望の星」になる可能性もゼロではありません。 トランプに関しては、冒頭申し上げたように暴力沙汰が絡んできており、もしかす ると今後、大きなトラブルを起こして人気が急落することもあり得ます。またスキャ ンダルが絶えない中でも人気を維持拡大する可能性もありますが、その場合は、共和 党の主流派としては「我慢ならない」という政治的なマグマはどんどん溜まっていく でしょう。 いずれにしても、今回、3月15日に「トランプを止めた」ジョン・ケーシックと いう人の存在について、これから7月の党大会まで注目して行く必要がありそうです。 ------------------------------------------------------------------ 冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ) 作家(米国ニュージャージー州在住) 1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。 著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空 気」「場の空気」』『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』『チェンジはどこへ 消えたか〜オーラをなくしたオバマの試練』。訳書に『チャター』がある。 最新作 は『場違いな人〜「空気」と「目線」に悩まないコミュニケーション』(大和書房)。 またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。 ◆"from 911/USAレポート"『10周年メモリアル特別編集版』◆ 「FROM911、USAレポート 10年の記録」 App Storeにて配信中 詳しくはこちら ≫ http://itunes.apple.com/jp/app/id460233679?mt=8
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