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米大統領選で旋風を巻き起こしているトランプ候補 (写真: ロイター/Rick Wilking)
「ペテン師」のトランプが旋風を起こせるワケ 19世紀の思想家トクヴィルの懸念が現実に
http://toyokeizai.net/articles/-/107406
2016年03月05日 イアン・ブルマ :米バード大学教授/ジャーナリスト 東洋経済
原文はこちらhttp://toyokeizai.net/articles/-/104893
19世紀のフランスの政治思想家トクヴィルは、刑務所制度を研究するために訪米した。この訪米を機に生まれた著作が、かの有名な『アメリカのデモクラシー』である。同書では、米国が世界で初めて導入した民主主義制度を好意的に紹介している。
ただしトクヴィルは民主主義をもろ手を挙げて称賛したわけではない。むしろある疑念も持っていた。それは米国の民主主義が選挙で選ばれた多数派による独裁につながり、少数意見の抑圧をもたらすのではとの疑念だった。トクヴィルは、多数派でも無制限の権力を手にすれば、悲惨な終末を迎えると確信していたのだ。
多数派が支配する民主主義には制限が必要だ、とのトクヴィルの主張は後世で生かされ、英国では選挙で選ばれた政治家と特権階級の貴族とが政治の場で共存したほか、米国では今もなお憲法による権力の分離が徹底されている。
トクヴィルは米国で多数派の抑止力の源をもう一つ見つけた。宗教である。人間が民主主義を極端まで追求しようとする姿勢は、キリスト教信仰の姿勢によって緩和される。米国では民主主義と宗教が密接に絡み合ってきたのだ。
■民主主義下での不寛容
しかし昨今の米大統領選の指名候補争いを見ると、トクヴィルの慧眼から逸脱してしまっているようだ。その象徴が、不動産王である共和党のドナルド・トランプ氏の旋風である。彼は宗教的な少数派を非難するなど、民主主義下での不寛容をはびこらせている。
トランプ氏のような扇動的な政治家が既存の主流派を苦しめている構図は、米国に限った話ではない。欧州の一部、トルコやイスラエルといった国でもよく見られる傾向である。
扇動的政治家、すなわちポピュリストのメッセージは、民主主義の世界ではよく似ている。彼らは世の中のすべての病と悩みは、既存の政治エリートたちのせいだ、と主張するのだ。
既存政治家はこうしたポピュリズムを食い止める確固たる方法を見つけていない。彼ら政治エリートたちはポピュリズム自体を民主主義の脅威と見なすが、その見方に対する民衆の不信が、偉大なリーダーを待ち望む傾向へとつながっている。相互不信が独裁政治の温床になりつつあるのだ。
トランプ旋風には別の要因もある。SNSなど新メディアの出現である。既存の新聞やテレビといった権威あるフィルターを通さず、民衆がどんな見解でも直接見聞できるようになった結果、権力に飢えたペテン師が大衆から選ばれる傾向が強まっている。
■政治はショーではない
扇動された民衆は億万長者に怒りを向けるより、むしろ大学教授や金融マン、ジャーナリストといった既存のエリートに怒りを向けている。莫大な富さえあれば、反エリート主義をあおることが可能となっている。この傾向は米国でより顕著だ。ポピュリストはもはや既存のエリート層が制止できるものではない。
今失われつつあるのは、トクヴィルが説いた「民主主義の制限」であろう。ポピュリストの特徴は、有権者に選出されたら、どんな政治的、文化的な反対意見も押し潰せるとの考え方にある。すでにロシアやトルコ、ハンガリー、ポーランドなどで、そうした傾向が見えつつある。イスラエルでさえそうだ。同国は作家や芸術家らに、国家への忠誠を誓わせている。
今後、既存のエリートが権威を取り戻すかどうかはわからない。ただ言えるのは、経験ある政治家が率いる党がなければ、政治は単なるショーに化しかねない、ということだ。民主主義を安っぽい人気コンテストにしてはならない。トクヴィルが向き合った課題は、今なお色あせていないのだ。
(週刊東洋経済3月5日号)
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