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西側支配層のプロパガンダ機関に徹し、戦争熱を煽っているメディアが人びとに見放されている現実
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201602270001/
2016.02.28 00:06:38 櫻井ジャーナル
ドイツの有力誌スピーゲルは、自分たちが人びとの信頼を失っている現実と向き合おうとする記事を掲載した。それだけメディアは厳しい状況に陥っているのだ。日本、アメリカ、イギリスといった国々でもメディアに対する批判は強いが、カネと暴力装置を持つ支配層のプロパガンダ機関に徹すると割り切っているようだ。
2014年にドイツで情報機関と報道機関との癒着を内部告発する人物が現れた。フランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者、ウド・ウルフコテだ。ドイツを含む多くの国でジャーナリストがCIAに買収され、例えば、人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開しているとしている。
彼によると、そうした仕組みを作り挙げるため、アメリカの支配層はドイツの有力な新聞、雑誌、ラジオ、テレビのジャーナリストを顎足つきでアメリカに招待、取り込んでいく。そうして築かれた「交友関係」を通じてジャーナリストは洗脳されるわけだ。
アメリカの有力メディアがCIAの強い影響下にあることは1970年代に指摘された。例えば、ウォーターゲート事件を調べた記者のひとり、カール・バーンスタインは1977年にワシントン・ポスト紙を辞めた直後、ローリング・ストーン誌に「CIAとメディア」という記事を書いている。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)
バーンスタインによると、その当時、400名以上のジャーナリストがCIAのために働いていたほか、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。
こうした関係は組織的に築かれた。ジャーナリストのデボラ・デイビスによると、第2次世界大戦後に情報操作プロジェクトが実行されている。その中心にいたのは情報活動を統括していたアレン・ダレス、その側近で極秘の破壊活動機関を指揮していたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で1966年から73年にかけてCIA長官を務めたリチャード・ヘルムズ、さらにワシントン・ポスト紙のオーナーだったフィリップ・グラハムの4名だ。このプロジェクトは「モッキンバード」と呼ばれている。
この4名のうちダレスとウィズナーはウォール街の弁護士で、ヘルムズの祖父であるゲイツ・ホワイト・マクガラーは国際的な投資家。グラハムの義理の父親であるユージン・メーヤーは1946年に世界銀行の初代総裁に就任している。つまり、モッキンバードは金融界と深く結びついている。
グラハムの妻でメーヤーの娘であるキャサリン・グラハムはウォーターゲート事件でリチャード・ニクソンのを辞任に追い込んだことで知られ、日本では「言論の自由」を象徴する人物として崇拝している人もいるようだが、その彼女は1988年にCIAの新人に対して次のように語っている:
「我々は汚く危険な世界に生きている。一般大衆の知る必要がなく、知ってはならない情報がある。政府が合法的に秘密を維持することができ、新聞が知っている事実のうち何を報道するかを決めることができるとき、民主主義が花開くと私は信じている。」
昨年8月、ドイツの経済紙ハンデスブラットを発行しているガボール・シュタイガートは「西側の間違った道」と題する評論を発表、「西側」は戦争熱に浮かされ、政府を率いる人びとは思考を停止して間違った道を歩み始めたと批判している。キャサリン・グラハムも好戦的な考え方の持ち主だったようで、ウォーターゲート事件でリチャード・ニクソンを追い詰めた理由のひとつはニクソン政権がデタント(緊張緩和)へ舵を切ろうとしたことにあると言われている。
アメリカには、より鮮明に平和を訴えた大統領が存在する。ジョン・F・ケネディである。1963年6月10日、ケネディ大統領はアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行ったのだ。
演説はアメリカが軍事力で世界に押しつける「パックス・アメリカーナ(アメリカ支配による平和)」を否定することから始まり、相手国に対して「屈辱的な退却か核戦争」を強いるのではなく、緊張の緩和を模索するべきだとしたうえで、自分たちの遠大な関心事は「全面完全軍縮」だと表明、「自信を持ち、恐れることなく、われわれは人類壊滅の戦略に向かってではなく、平和の戦略に向かって努力し続けるのです」と結んでいる。
この演説はネオコンの戦略に対する批判にほかならない。この演説の5カ月後、大統領はテキサス州ダラスで暗殺された。当時、ケネディは平和を訴えただけでなく、巨大企業の活動を規制し、イスラエルの核兵器開発にメスを入れ、本格的介入の前にベトナム戦争から手を引こうとしていた。
ケネディが暗殺される前年の8月22日、フランスではシャルル・ド・ゴール大統領の命が狙われているが、ふたつのケースにはパーミンデックスなる会社など共通項が少なくない。その背後にはCIA内の秘密工作部門である計画局(後に作戦局、さらにNCSへ名称変更)、つまりジェドバラ/OPC人脈が存在している可能性が高いと言われている。
ケネディ大統領の葬儀に参列したシャルル・ド・ゴール仏大統領は情報大臣だったアラン・ペールフィットに対し、ケネディに起こったことは自分に起こりかけたことだと語ったいう。自分を殺そうとした勢力がケネディを殺したと考えたわけである。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 20)フランスがNATOの軍事機構から離脱したのは当然だった。
西側の有力メディアは現在でもケネディ大統領の暗殺について疑問を持ち、調査を続けている人びとを「謀略史観の持ち主」扱いしている。ド・ゴールのケネディ大統領暗殺に対するコメントに西側の有力メディアが触れたという話は寡聞にして知らない。
ユーゴスラビアへの先制攻撃前に流された人権話、アフガニスタンを攻撃する前のオサマ・ビン・ラディンに関する話、イラクを攻撃する前の大量破壊兵器の話、リビア、シリア、ウクライナなどにおける民主化弾圧の話など、西側が戦争を正当化するために行ったキャンペーンは全て嘘だった。
かつて、西側の有力メディアは事実の中に嘘を巧妙に紛れ込ませるということをしていたが、最近は公然と嘘をついている。信頼されなくなるのは当然で、まだ西側、特に米英の「報道機関」を信頼している人のいることが驚きだ。事実を見ようとしていないのか、あるいは別の役割があるのかもしれない。
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