http://www.asyura2.com/15/kokusai12/msg/642.html
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(バチカン放送局)
http://ja.radiovaticana.va/news/2016/02/16/%E3%83%A1%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%82%B3%E8%A8%AA%E5%95%8F%EF%BC%9A%E6%95%99%E7%9A%87%E3%80%81%E3%83%81%E3%82%A2%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%A7%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93%E3%81%A8%E3%83%9F%E3%82%B5/1209035
教皇フランシスコ/司牧訪問
メキシコ訪問:教皇、チアパスで先住民共同体とミサ
16/02/2016 13:38
教皇フランシスコは、メキシコ訪問4日目、サン・クリストバル・デ・ラス・カサスで先住民族の人々とミサを捧げられた。
サン・クリストバル・デ・ラス・カサスは、メキシコ東南部、チアパス州の都市で、マヤの伝統と、コロニアル様式の美しい建築群で知られる。
2月15日午前、教皇はメキシコシティから、チアパス州の州都トゥストラ・グティエレスへ特別機で移動。さらに州都からはヘリコプターでサン・クリストバル・デ・ラス・カサスに向かわれた。
市内の競技場で行われた教皇ミサには、同州はもとよりメキシコ全土から様々な先住民族の共同体が集い、会場は色とりどりの民族衣装であふれた。
教皇はミサの説教で、先住民の人々が社会の中で疎外され、彼らの文化や伝統に対する無理解にさらされてきたこと、権力や富にとりつかれた人々が、先住民の土地を搾取し、環境を汚染したことに悲しみを表された。
そして、これに対し教皇は、わたしたちは良心を問い、兄弟たちに赦しを請うことを学ぶべきと呼びかけられた。
また、今日、人類が体験している史上最も重大な環境危機について、教皇はこれから眼をそむけることはできないと強調。
自然と調和のうちに生き、自然をわたしたちを育む源、共通の家として尊重することを、先住民の人々から多く学ばなければならないと話された。
様々な文化の豊かさや、違い、特徴を消し去り、同一化しようとする現代文化の傾向の中で、若者たちが先住民族のお年寄りたちの知恵を忘れることがないようにと教皇は願うと共に、実利だけを追求する今日の世界が、無償性ということを再び学ぶよう希望された。
司牧訪問、ミサ、メキシコ
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(Mexique: le pape appelle à demander «pardon» aux indigènes: RFI)
http://www.rfi.fr/ameriques/20160216-mexique-pape-appelle-demander-pardon-indigenes-chiapas
メキシコ|教皇フランシスコ|宗教|キリスト教
メキシコ:教皇は先住民に「許し」を乞うよう促す
記者 RFI
発表 2016年2月16日・更新 2016年2月16日05:04
教皇フランシスコがメキシコ・チアパス州のサン・クリストバル・デ・ラス・カサスで執り行ったミサに先住民の女性たちが参加している。2016年2月15日。
REUTERS/Max Rossi
法王はメキシコ滞在の4日目に南東端のチアパスに行った。ローマ教皇として初めてのことだ。彼はメキシコで最も貧しいこの州で、非常に数多くの先住民を含む100,000人の信者を前にミサを執り行った。先住民たちが負わされた苦難について真摯に「良心を問う」ようローマ教皇は促した。
報告 RFI特派員、アントワーヌ−マリー・イゾアール、RFIメキシコ特約記者、パトリック・ジョン・ブッフェ
チアパスの住民たちの前には紛れもなくその人がいる。彼らはサン・クリストバル・デ・ラス・カサスで教皇フランシスコを迎えて、貧者の教皇・正義の教皇・闘う教皇である彼に歓呼の声を上げた。水曜日、米国と国境を接し無数の移民が国境へとひしめくメキシコ北部に行く前に、人口の75%が先住民である南東端の貧困州・チヤパスに彼が行ったとしても、これは偶然でない。
ザパティストの反乱の地で、ローマ教皇はとりわけ色彩豊かなミサを執り行った。その会衆の中心には土着の言語で朗読を行う数多くの祈祷者がいた。
数千人の先住民を前に、彼は続いて数世紀に亘り先住民に犠牲を強いた差別に向き合い真摯に「良心を問う」よう促した。「一部の人々が価値・文化・伝統において劣ると判断されている」と教皇フランシスコは嘆いた。チアパスの人口の70%を占める先住民はいまなお二級市民と見なされており、疎外と排除の犠牲になっている。さらに他の人々が権力やお金のために「皆さんの土地を皆さんから奪い汚した」と、彼は言葉を発した。「緑」の教皇は手袋を外したままの手で、地域の資源を掘り出している巨大多国籍企業群を指さした。
教会の存在感を強める
教皇はまたチアパスに来ることにより、サン・クリストバル・デ・ラス・カサスのサミュエル・ルイス前司教の墓前で同氏の活動を再開したいとの希望を示した。解放の神学を信奉した彼は、2011年に死亡するまで先住民の庇護を続けた。カトリック教会の上層部にはこの活動への反対が常にあったが、こうしたことから、将来に向けてこれを続けることになりそうだ。
しかし、教皇の訪問には先住民の地でカトリック教会の存在感を強める目的もある。教会は実際にこの数十年の間で多くの地盤を失っている。それというのも、チアパスで自分がカトリックだと言う人は60%に満たない。その理由として、先住民の共同体でプロテスタント諸教会の設置が急速に進んでいる。そのためこの数時間後に、彼はチアパスの州都・トゥストラで、「愛することを怖れる」と彼の目に映る「病んだ社会」の中での試練にも係わらず、キリスト教徒として家族が生活することの利点をアピールした。
−参考−
教皇、メキシコのミサのために先住民言語の使用を許可へ(AP - VOA)[英文]
サミュエル・ルイス・ガルシア師(庭野平和財団)
メキシコ:教皇、トゥストラ・グティエレスで家庭の集い(バチカン放送局)
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(投稿者より)
RFIサイトがこの話題を一時トップで扱っていたので興味を持ちました。バチカンの日本語記事だけを読んでも分かりにくいと思いましたので、RFIの記事を日本語に換えて添えた形にしました。15世紀以降の搾取と簒奪の上に成り立つ欧米文明に、その在り方を「悔い改めよ」と言っているのだと思いました。
「良心を問う」« examen de conscience »、英語では "examination of conscience" 、カトリックにそのような行法が実際にあるようです。日本のカトリック教会では「良心の糾明」と呼んでいるようですが、この投稿ではバチカン放送局の記事に合わせました。英語版のウィキに以下のような説明があります。
This last method is called examination of "conscience" because it is a review of one's actions from a moral point of view, reflecting upon one's responsibility and looking at one's sins and weaknesses in preparation for repentance in contrast with the examination of "consciousness" which does not focus on morality even if sins will emerge during the review of the day.
この最後の行法は、「意識」の糾明がその日を見直す最中に罪が見つかることがあっても道徳性には焦点を合わせないことと対照的に、これが悔い改めの準備として道徳的な観点から自己の行動を見直し、自己の責任を反省し、自己の罪と弱さを見つめることであるため、「良心」の糾明と呼ばれている。
日本にも浄土真宗の「身調べ」を一般化した「内観法」という精神修養の方法がありました。尤も、これは「内観療法」と言った方が適切かも知れません。
日本に直接関係のない話題は扱わないようにしていますが、世界史の転換点を垣間見る思いがしたので、今回は取り上げさせて頂きました。
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