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ナチズムやコミュニズムが全体主義の一形態であることは確かだが、それらが全体主義のすべてというわけではない。
個人よりも家族全体を優先する考えや村落共同体の運営を支える価値観も全体主義である。
なにより問題は、2年ほどで世界を震撼させるほどになったISと同じで、「全体主義=悪」という印象を強く与えている歴史的出来事であるナチズムやコミンテルン型共産主義も、個人主義的金融主義的近代支配層が育成し利用していた“偽物”ということだ。
個人自由主義的近代思想のカウンター思想として全体主義的価値観が人々の心をとらえる可能性を読み取ったからこそ、アセットや内通者にコントロールさせながらナチズムやコミュニズム(戦前の日本も)の組織に政権を取らせたあと、軍事的経済的にそれらを叩き潰すとともに、その思想と行動に対する過剰なままの悪宣伝を学校教育まで活用し繰り返してきたのである。
(代弁者である個々のメディアや政治学者は下っ端だが、ナチズムなどの“悪行”を仕組んだ連中の末裔がそのようなプロパガンダを推進している元締めである)
現代先進諸国の多くの人は、なぜか劣化していく生活条件や先行きに希望が見えない世界のなかでも、ファシズムや共産主義に期待を寄せようとはしない。
それだけでも、ファシズムやコミュニズムの“悪”を刷り込んできた甲斐があったといえるだろう。
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[中外時評]忍び寄る全体主義の影 大衆迎合、統合も脅かす 論説委員 玉利伸吾
20世紀の世界を戦争と破壊の惨禍に巻き込んだ全体主義は本当に消え去ったのか。政治家が大衆受けする政策で勢力を伸ばす国々では、とうに滅んだはずの亡霊が、よみがえろうとしているのかもしれない。
公開中の映画「サウルの息子」を見た観客は、いきなり地獄の真ん中に放り込まれたような錯覚に陥る。舞台はドイツ占領下のポーランド、アウシュビッツ強制収容所だ。ガス室での大量殺害、極限状況での人間の姿を労務班の男の目を通して描いている。
カメラは主人公の顔と背中のアップを追い続け、殺りく場面などははっきりは見えない。ぼやけた映像と音で想像するしかない。だが、この手法で恐怖はかえって現実味を帯びる。強制収容所は、全体主義国家だったナチスドイツが個人の自由を奪い、人間をモノとして扱うために作った究極のシステムだった。
その舞台となったポーランドで、強権的な政治運営が強まっている。昨年、誕生したシドゥウォ政権は、民族主義的な色彩の濃い保守強硬派で、「強い国家」の復活を掲げている。
政府批判を封じるために、昨年12月には憲法裁判所の力を弱める法改正を行った。さらに、1月にはメディア法も改正して、公共放送のトップをすげ替えるなど、相次いで政府の権限を拡大している。そこには、国家に権力を集中させる全体主義的な姿勢が垣間見える。
強権政治には、お手本がある。「サウルの息子」のラースロー監督の祖国でもある、ハンガリーだ。オルバン政権は、すでに2010年には、報道を締め付けるメディア法や憲法裁判所の権限縮小などを盛り込んだ新憲法を成立させている。ポーランドに先行して、国の権力を強める政治運営を進めている。
両国は旧東欧の社会主義国だったが、体制崩壊後、経済開放を進めて高成長を続けるなど、ともに民主化の「優等生」と呼ばれ、2004年には欧州連合(EU)に加盟している。それがなぜ強権化するのか。
背景にあるのは、国民の不満だ。2008年の金融危機以降、経済不振が続き、所得格差が広がるなど国民の不満が高まり、大衆受けのする政策を掲げないと政権が維持できなくなっている。
どちらの国もEUや独仏など大国への不満を強調しながら、排外的なナショナリズム、民族主義に訴えて、国民の支持を着実に広げている。
さらに、こうした姿勢を勢いづけたのが、シリアなどから欧州に大量に流入している難民の問題だ。対応できないほどの流入に加えて、イスラム過激派組織などによるテロに対する不安も、政府の排外的な対応を後押ししている。ハンガリーでは、国境にフェンスを建てて難民や移民を閉め出したことを国民が歓迎し、政権の支持率が上昇した。
こうした流れは、東欧だけでなく、欧州各国にも広がり、排外的な政治勢力が支持基盤を広げている。反難民、反移民感情の高まりを背景に、フランスやドイツでは右派の政党が伸長、英国、スペインなどでは左派が支持を伸ばしている。しかも、強権的な政治勢力同士が、互いに連携する動きも出てきている。
排外的、強権的な政治勢力の支持拡大は危険な傾向だ。大恐慌で路上に失業者があふれた1930年代には、民族主義を掲げて国家への権力集中を説く全体主義者ファシストが世界各国に現れた。
国民の不満を吸収して成長したと思ったら、いつのまにか、法律を変えて個人の自由などを制限し、独裁者が出現した。やがて、秘密警察のような組織や強制収容所を作って、国民を抑圧したドイツのような例もある。
もちろん、歴史の教訓がある。時代背景も経済情勢も違うので、強権的な政権の伸長が、すぐに、かつてのような全体主義の復活につながることはありえない。
だが、排外的な政権同士の連携が進めば、統合を進めてきた欧州を分裂の危険にさらしかねない。ポーランド、ハンガリーは、いずれもEUに懐疑的な姿勢を強めており、EU離脱を検討している英国とも接近している。
危機感を持ったEUは、基本理念である「法の支配」に反する恐れがあるとして警告しているが、効果は見えない。強権化の連鎖を断ち切るには、欧州の盟主となったドイツが指導力を発揮すべきだが、難民対策で手いっぱいで、手が回らないようだ。EUの分裂は、世界を混乱に巻き込みかねない。欧州の危機対応力が試されている。
[日経新聞2月7日朝刊P.10]
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