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サウジアラビア王家の内紛
http://tanakanews.com/160206saudi.htm
2016年2月6日 田中 宇
最近、サウジアラビア王家の内紛がひどくなっている。内紛の中心は、モハメド・ナイーフ皇太子と、モハメド・サルマン副皇太子という、王家の若手世代の筆頭である2人の「モハメド」の権力闘争で、どちらが次の国王になるかをめぐる戦いでもある。現在の継承権は、副皇太子の方が低位だが、副皇太子はサルマン・アブドルアジズ現国王の息子だ。国王は、暗殺など何らかの方法でナイーフ皇太子を外し、自分の息子を皇太子に格上げして、王位を継承させようとしていると指摘されている。米当局筋によると、皇太子の交代は、今夏に行われそうだという。 (`Saudi king `plots to bypass nephew' in handover of crown)
ロシア発の情報によると、ナイーフ皇太子は、国防相でもあるサルマン副皇太子が、軍を動かして自分を暗殺するのでないかと恐れている。諜報機関を握るナイーフは、サルマンら王族たちの電話をさかんに盗聴しているという。内務相でもあるナイーフは、国内の諸部族の族長と連絡をとり、部族を動かして治安を悪化させ、それを副皇太子や国王のせいにすることで、自分が外されることを防ごうとしている。現国王が就任したとたんに起きたイエメンとの戦争や、今年初めのシーア派のニムル師の処刑は、ナイーフの策に沿っている感じだ。 (Russian Publication: Mohammed Bin Salman to Use Miltary Force to Topple Would-Be King Bin Nayef)
【サウジの王族などの人名は「自分の名前・父親の名前・(祖父の名前・曽祖父の名前・・・)」という構造になっており、ナイーフやサルマンは父親の名前だが、彼ら自身の名前で呼ぶと2人とも「モハメド」になってしまうので、ここではナイーフ皇太子、サルマン副皇太子(もしくは父親のサルマン国王と区別する意味で「若いサルマン」)と呼ぶ。サウジなどでは、頭文字をとってナイーフをMbN、サルマンをMbSと書くが、日本ではアルファベットの羅列で識別するのが苦手な人が多いので使わない】
この内紛は「親馬鹿な国王のわがまま」を超えた、サウジの国家戦略の行方をめぐる政争である。米欧アラブのメディアには、プロパガンダを大量に含んでいそうな各種の見方が散乱しており、どれが事実か見極めにくいが、私が見るところ、ナイーフ皇太子が対米従属派で、サルマン副皇太子(と父親のサルマン国王)は対米自立派であり、米国の覇権が低下するなか、サウジがどこまで米国の支配につき合い続けるかという国家戦略をめぐる戦いだ。
これまで数代にわたり、サウジの国王は80歳前後の高齢の兄弟(スデイリ・セブン)が順番に数年ずつ継承してきた。だが今、ナイーフ皇太子は56歳、サルマン副皇太子は弱冠30歳だ。国王は死ぬまで王位を維持できる。次の国王は20−50年、王位を保持しうる。ナイーフとサルマンのどちらかしか国王になれないだろう。ナイーフが次期国王になると、日本と同様、衰退する米国にどこまでも付き従っていく可能性が高い。対照的に、若いサルマンが王位を継ぐと、サウジは対米自立していき、多極型の世界体制のもとで、中露やイランと並ぶ地域大国として振る舞う傾向を強めるだろう。
ナイーフ皇太子は、米国諜報界とのつながりが強く、サウジ政府の治安担当の最高責任者でもあり、米国主導のテロ戦争をサウジ側で率いてきた「軍産複合体」の一員だ。皇太子は若い時に米国に留学してCIAなどと親しくして以来、サウジ王室屈指の親米派で、2012年に内相に就任した時は「最も親米的な閣僚」と米マスコミから賞賛された。 (Muhammad bin Nayef From Wikipedia)
1月2日に行われたサウジのシーア派の宗教指導者ニムル師の処刑を決めたのも、政府の治安担当者であるナイーフ皇太子だとされている。軍産複合体がイランに対してかけてきた核兵器開発の濡れ衣をオバマ大統領が解いてしまい、経済制裁を解除されたイランが台頭し始める中で、中東のスンニ対シーアの対立を再扇動したい軍産複合体を意を受けた処刑だった。ニムルの支持者たちは、反政府デモでナイーフ皇太子を非難するスローガンを叫んでいる。 (◆イランとサウジの接近を妨害したシーア派処刑) (Mohammed bin Nayef, Saudi strong man in a power struggle)
ナイーフ皇太子の父親であるナイーフ・アブドルアジズは、副皇太子の父である現国王の兄で、現国王が副皇太子だった時に皇太子だったが、2012年に死去したため、現国王が皇太子に昇格し、その後昨年1月に国王になった。サルマン副皇太子は、父親の国王が副皇太子になった11年から父親の側近として頭角を現し、経済運営などを手掛けた。父親が国王に即位した後、息子は副皇太子に取り立てられ、経済政策の決定権を握る「経済開発評議会」の議長に就任した。副皇太子は、米国留学組の皇太子と対照的に、国内のリヤド大学を卒業しており、留学していない。 (Mohammad bin Salman Al Saud From Wikipedia)
昨年5月には、それまで石油省の傘下にあった国王石油会社アラムコが、石油省から分離されて政府直轄になり、副皇太子が議長をつとめる評議会がアラムコの経営の最高決定権を握ることになった。アラムコは、サウジの国家収入の9割を稼ぎ出している。アラムコを掌握したことで、副皇太子は、財政面からサウジを牛耳ることになった。 (King Salman consolidates family grip on Saudi power and Aramco)
国王が、息子の副皇太子にアラムコを握らせたことは、対米関係上、大きな意味がある。サウジは14年秋から、原油の国際相場を下落させる政策を続けている。これは、米国のシェール石油産業をつぶし、世界の石油業界でのサウジの支配力を守るための策略だ。巨額の債券発行で自転車操業しているシェール石油産業の崩壊は、米国のジャンク債市場と債券金融システムの崩壊につながる。 (米サウジ戦争としての原油安の長期化) (米シェール革命を潰すOPECサウジ)
そのため、米国の石油産業と金融界は、あらゆる政治力を使ってサウジ王室に圧力をかけ、サウジに原油安攻勢をやめさせようとした。それに抵抗するためのサウジ国王の策が、息子の副皇太子に個人的にアラムコを握らせ、王室内の他の勢力が米国の意を受けてアラムコに圧力をかけられないようにした。サルマン親子(サルマン国王とサルマン副皇太子)は、米国の圧力に抵抗しつつ、米国の覇権を倒そうとし続けている。 (The Prince and Politics Behind a Saudi Aramco IPO)
サルマン副皇太子は今年に入り、アラムコの資本の5%程度を数か月内に株式上場する構想を表明した。これは、長引く原油安でサウジ政府自身の収入が減少し、財政赤字が増大しているのを穴埋めするのが目的だ。 (◆ドルの魔力が解けてきた)
サウジは王政だが独裁的でなく、総勢3万人といわれる王族たちが合従連衡して構成する雑多な勢力が、国王や執政担当者(今は副皇太子と皇太子)に圧力をかけて政治を動かす実質的な合議制が続いてきた。王室内の諸派の中には、米国の軍産や石油業界、金融界とつながった勢力が多い。サルマン親子は「米国に楯突いて原油安を続けるから財政難になる。対米従属に戻れ」と言ってくる諸勢力の批判をかわすため、アラムコの株式上場を計画している。 (Saudi Arabia is considering an IPO of Aramco, probably the world's most valuable company)
サルマン親子が権力を握り続ける限り、サウジは米国が金融崩壊を起こすまで原油安を続ける。逆に、ナイーフが皇太子の座を守って国王になり、サルマン親子から権力を奪取したら、サウジは減産して原油相場を再上昇させ、米国のシェール産業と金融システムを救うだろう。 (Saudi Prince Mohammed bin-Salman Aims to Shake Up the Kingdom)
サウジ王政の上層部に深刻な暗闘がありそうなことは、以前から感じられていた。近年のサウジは、対米従属と米国離れという、相反する2方向の戦略をバラバラにやっている。兵器の多くを米国から買ったり、米国と一緒にシリアのアサド政権を倒そうとする一方で、米国の金融崩壊につながるシェール石油つぶしの原油相場の引き下ろし戦略を続けている。中国やロシアに接近する一方で、中露と並ぶ多極化勢力であるイランとの敵対を扇動したり、イエメンのシーア派勢力に戦争を仕掛けたりしている。 (米国を見限ったサウジアラビア) (米国依存脱却で揺れるサウジアラビア)
だが、サウジ上層部の暗闘が誰と誰の戦いなのか、以前は判然としなかった。状況が変わったのは、今年に入ってからだ。米英やロシアのメディアが、諜報機関などからの情報をもとに、ナイーフ皇太子とサルマン副皇太子が対立していることを報じるようになった。米NBCの記事は「ナイーフ皇太子は米国に愛されているが、そのことが王室内の戦いで皇太子に有利になるとは限らない。米国は皇太子を応援しすぎており、これは逆効果かもしれない。すでに皇太子は、サルマン副皇太子の許可を得ないと国王に会えない態勢を敷かれている」と書いている。英インデペンデント紙は、副皇太子を「親の七光りしかない無能者」と酷評している。日本のマスコミが対米自立派の鳩山元首相を酷評していた時を思わせる、軍産系らしいプロパガンダだ。 (Royal Pains: Two Princes Vie for Power in Saudi Arabia, Make a Mess) (The most dangerous man in the world?) (Battle Royal: The Prospects of a Palace Coup in Saudi Arabia)
イランがサウジのシーア派から得た情報によると、1月下旬、中国の習近平主席がサウジを訪問した際、国王や副皇太子と会談したが、ナイーフ皇太子は習近平と会うことを拒否した。これが事実とすると、ナイーフが対米従属派なので、米国が敵視する中国の首脳との会談を拒否したという解釈ができる。対照的に、サルマン副皇太子は、中国と並んで多極化の雄であるロシアのプーチン政権と親しく、昨年サンクトペテルブルグの経済サミットにサウジを代表して財界を率いて参加したのは若いサルマンだった。 (Chinese Furious after Saudi Crown Prince Shuns Meeting with President Xi)
若いサルマンは、父親が国王に就任するとともに国防相に就任している。経済の大黒柱であるアラムコを支配する経済開発評議会の議長もしている彼は、サウジの安全保障と経済の両方を一手に握る独裁的な権力者になっている。もし今後、彼がナイーフを押しのけて皇太子になり、父親の死とともに国王になると、これまでの合議制のサウジ王政では考えられなかったような独裁的な国王になり、サウジ王政の権力は分散型から集中型に転換する。サウジ王室上層部で対米自立の国策を目指す勢力は、50年間やれる若いサルマンを独裁的な国王にすることで、王室内の対米従属派をずっと排除し、サウジの国家戦略を恒久的に対米自立、多極型対応にしたいのだと考えられる。
サウジ王政は従来、権力構造が合議制なので、王室内部の騙し合いや目くらまし戦略が優先され、国家的な意志を明確にできなかった。しかし今後、若いサルマンが独裁的な国王になると、明確な国家戦略を世界に向かって打ち出す傾向を強めそうだ。米国覇権下でプロパガンダを担う米欧マスコミや国際人権団体は、サウジの独裁体制を批判し続けるだろう。しかし、彼らの真の狙いはサウジの対米自立を妨害することであり、サウジの人々の権利を守ってやることは二の次だ。
最近、サルマン親子がナイーフを追い落とそうとする政争が激しくなるとともに、米英などのマスコミが、この政争についてプロパガンダと思える歪曲された解説をさかんに流すようになった。その主なものは、サルマン副皇太子のせいでサウジがひどいことになっているという見方だ。たとえば、イエメンとの泥沼の戦争を起こしたのは、国防相になったばかりのサルマンだったという見方がある。だが、若いサルマンがイエメンと戦争したいと考えたのなら、国防相になったばかりの時でなく、国防相になった後、数か月かけて軍内をある程度掌握してから開戦するはずだ。
そもそもイエメン戦争は、米国が起こした戦争だ。以前の記事に書いたように、米当局は昨年3月、イエメンでフーシ派が首都サナアを掌握し、それまでのハディ大統領から権力を奪ったまさにその時に、ハディ政権に支援してあった5億ドル分の兵器を放置したままイエメンから米外交団を総撤退させ、フーシ派に兵器がわたるようにした。フーシ派が急に戦闘機やミサイルを手に入れ、隣接するサウジを攻撃できる力を持ったため、サウジはフーシ派が態勢を整える前に、急いでイエメンを空爆し、米国が放置していった戦闘機やミサイルを破壊しなければならなくなった。米国は、昨年1月にサルマン父が国王になり、息子が国防相になって、サウジが非米的なサルマン親子の体制になった直後に、この展開を引き起こしている。 (◆米国に相談せずイエメンを空爆したサウジ)
イエメン戦争は、米国がサウジの対米自立を阻止するために起こした戦争だ。サルマンが若気の至りでイエメンに戦争を仕掛けたという「解説」は、軍産傘下のマスコミによる、善悪をねじ曲げたプロパガンダである。 (The Young Saudi Royal At The Heart Of The Middle East's Great Power Struggle)
昨年12月には、ドイツの諜報機関BNDが、サルマン親子を酷評する報告書を作り、マスコミに流した。報告書は、イエメン戦争を起こしたのも、イランとの敵対を扇動して中東の混乱に拍車をかけているのもサルマン親子だと書いている。私から見ると、イエメン戦争やイランとの敵対を起こしているサウジ国内の勢力は、サルマン親子でなく、サルマンの対米自立戦略をつぶしたいナイーフ皇太子らの方だ。この報告書は、サルマン親子に濡れ衣をかけることでドイツやEUとサウジの関係を悪化させたいと考えた米英の軍事諜報筋(国防総省やCIA、MI6)が作ってBNDに出させた感じがする。 (German spy agency warns of Saudi intervention destabilizing Arab world) (Saudi Arabia Stoking Sectarian Conflict)
この報告書が報じられた後、ドイツ政府が自らの傘下であるBNDを叱責するという異例な展開になった。ドイツが率いるEUは、中東で対米自立的な外交戦略を模索しており、それを挫折させたい米英に「はめられた」感じだ。歪曲した報告書を、歪曲した出し方で発表する。これが諜報界(軍産、外交官)やその傘下のマスコミの手法だ。 (Berlin rebukes spy agency BND for criticism of Saudi Arabia)
「サルマン国王は痴呆症だ。数か月以内に、ナイーフ皇太子に王位を譲るだろう」「原油安は、若く未経験なサルマンが産油政策をコンサルタントに頼り切りにした結果の失策だ」「シーア派のニムル師の処刑を決めたのも若いサルマンだ」「若いサルマンの自動車の隊列が通るために道路を封鎖したことが、昨年9月にメッカで2千人の巡礼者が死亡した圧死事件の原因だ」などなど、味噌も糞も一緒にした、すべてサルマンが悪い的な歪曲報道が、米英などのマスコミから流されている。 (Saudi Arabia has bigger problems than Iran)
このようなサルマンたたきの誹謗中傷が席巻するということは、逆に、サルマン親子の対米自立策がそれだけ成功しているということだ。軍産複合体は、自分たちが支援しているナイーフ皇太子らサウジの対米従属派がサルマンにやられて不利になっているので、サルマンたたきを激化していると考えられる。サウジ王家の内紛は、今年が山場かもしれない。引き続き注目していく。
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