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(回答先: イスラム教は改革が必要:アボット前豪首相、「政教分離の概念がない」「近代化の必要がある」と挑発 投稿者 あっしら 日時 2015 年 12 月 19 日 03:51:24)
clMGREmYcIさん、コメントありがとうございます。
詳細なコメント、たいへん参考になりました。
私の立場は、外部者が、個別国家の内部問題や個別宗教の在り様をあれこれいうことには慎重であるべきというものです。アボット氏のような「政教分離」や「近代化」などをアプリオリに善とするような立場からの発言は、提言とも言えないたんなる挑発言動であり論外です。
欧州近代思想が歴史規定的であるのと同じくイスラムのコアはともかくムハンマドのスンナも歴史的規定的なものであり、それらを基礎にして続いてきた立法及び法解釈への展開も歴史規定的なものです。
シャリア法を枠組み的概念(統治の基礎としての法)と考えるなら、シャリア法が支配する共同体といっても差し支えないと思っていますが、ある時代のどこかで実施されていたシャリア法という意味なら問題だと思っています。
むろん、日本や非イスラム諸国にとってシャリア法は無関係です。
(日本などが西欧近代化に傾いた(ご都合主義的ないいとこ取りレベルですが)のと同じようにイスラム化すれば話は変わってきますが(笑)。私自身は、ユダヤ・イスラムといった超越神的宗教が好きではありません)
「7世紀を背景にしたコーランとスンナが根本原理で憲法として扱われていては、いくら一生懸命解釈したところで危険な近代政治思想を背景にした外部からの影響を咀嚼できない」ということですが、7世紀のヒトが現代世界をつかみ取ったり解釈したりするわけではなく、近代欧米世界とも濃密なつながりを持ちながら現代を生きているヒトがそうするわけですから、不可能なことだとは思いません。
ただ、コーランやスンナのエッセンスをつかみ取ることなく字句に囚われたままだと難しいというか不可能だろうとは思っています。また、その思考過程でイスラムを棄教するヒトも出てくるでしょう。
「基本的に中世の宗教のままであるイスラム教(キリスト教も中世では多分今のイスラムのようなものであったと思われる。)」は誤解だと思います。
イスラムとは何かに端的に答えると、政治思想や統治理論だと思っています。
ムスリムには嫌がられるでしょうが(笑)、イスラム的統治(政治)思想の妥当性や普遍性の強化に絶対的超越神の威光を利用したと考えたほうがわかりやすいと思っています。
(あれこれ理屈を言うよりも超越神の意向として“強制”し、理屈は統治に応用する段階であれこれ考えるという「革命」の流れ)
カソリックは、宗教的力によって政治的支配層を引き入れその政治力を利用するという志向が強く、東方正教会は、政治的支配層の庇護を受けることで政治的力を維持する志向が強いと思っています。
英国国教会(国家と宗教の関係の近代的パターンとして国家神道が参考)は別として、いわゆるプロテスタントは、その信仰と伝道の自由を保証させる以上の政治力を求めようとしませんが、信仰にあり方については、カソリックよりもイスラムに近いと考えています。
「国家、共同体とは独立した、国家、共同体からの自由、人権概念は、共同体を崩壊させる危険概念だからイスラムの人々には与えない方がいいのだろうか?」という問いには、イスラム世界がどのような共同体をめざし価値観的プライオリティをどう付けるかは、ムスリムたちの自主的な判断に委ねられるべきだと思っています。
むろん、外部者が、軍事力や経済制裁などの強権策を行使せず、挑発的な内容ではない抑制がきいた提言を行うことを否定しません。
なお、人権概念に近い政治思想はイスラムがもっとも早く導入したと考えています。
今後ともよろしくお願いします。
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