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[核心]止められるか「近代の逆走」
テロ・中国で揺らぐ世界 論説委員長 芹川洋一
世界はどこへ向かっているのだろうか。秩序がくずれ混迷してしまうのか、それとも新たな秩序づくりに動いていくのか。
パリ同時テロの惨状、過激派組織「イスラム国」(IS)への空爆、欧州におしよせているシリア難民、ロシアのウクライナ侵攻、波立つ南シナ海……。めまぐるしく動く情勢をみるにつけ、考えこんでしまう。
戦後70年、1989年の冷戦終結から四半世紀。世界が新たな局面に入ってきているのはまちがいない。時代は転回している。
現在の世界を考えるため、一本の補助線を引いてみよう。線上のどこらにいるかで今が見えてくる、そんな性格のものをだ。「プレ」と「ポスト」を含み、世界を3区分してみる「モダン」の線がそれである。
英国の外交官で、世界的なピアニストの内田光子さんのパートナーであるロバート・クーパー氏が提唱した。著書『国家の崩壊』は18カ国で出版され、世界的に話題となった(日本語版2008年刊)。
その議論を紹介すると、3つに分かれる世界は次のようになる。
第1は、権力がばらばらで、国の体をなしていない混沌とした「プレモダン」(前近代)の世界だ。
第2は、国民国家による「モダン」(近代)の世界である。安全を保障するものは軍事力と考えられ、そこでは国境線の変更も可能だ。国の主権が何より優先するのも特徴だ。
第3は、国の主権よりも人権、軍事力よりも相互信頼が尊重され、国という枠組みを超えていく「ポストモダン」(脱近代)の世界だ。欧州連合(EU)がいちばん進んだ例である。
前近代から近代へ、そして脱近代へと世界が進んでいくのが望ましいとの考え方だ。国という枠を乗りこえていく先に新しい世界が開けてくるという意味を含んでいる。
クーパー・モデルは欧州統合を念頭に、21世紀の国家の進むべき方向を示した理想型といえる。魅力的な議論で、長谷部恭男早大教授が集団的自衛権の行使容認に反対する論拠として持ち出したほどだ(13年10月24日付本紙「経済教室」)。
しかしクーパー流のポスト近代論は、残念ながらどうにも一本調子では進んでいない。むしろ逆走しているのが現在の姿ではないだろうか。このモデルの逆回転こそが世界の現状ではないかというのがここでの問題提起だ。
ISはまさにプレ近代の世界である。パリの同時テロは、プレ近代からポスト近代国家への攻撃といっていいだろう。対するフランスの行動はポスト近代ではない。近代国家そのものである。今回の事件は、EUを拡大しながらポスト近代の範囲を広げていく動きに待ったをかけたかたちだ。
そもそも中東世界からみれば、1916年、締結した英仏の代表の名をとったサイクス・ピコ協定で、宗教や部族のひろがりなどを無視して中東に勝手に国境線を引いたことに今日の混乱のおおもとがあるわけで、プレ・ポストの近代論など無縁の話でしかない。
もうひとつ、近代からポスト近代への挑戦がある。ロシアだ。ウクライナ介入でクリミアを併合、第2次大戦後、武力で国境線を変えたはじめてのケースとなった。勢力均衡や軍事力重視の近代国家からは、脇腹にあるウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟は阻止して当然となる。
日本国際問題研究所の野上義二理事長(元駐英大使)は「ポストモダン論は先取りのしすぎだったのではないか。理念を共有しない人たちもどんどんEUに入れていった結果、欧州統合の理想が崩れかかっている。ローマ帝国が周辺からの異民族流入で崩壊したのと同じだ」とEUの先行きに懸念を示す。
東アジアでもモダン国家・中国の挑戦がつづいている。南シナ海の地図上に「9段線」とよばれる境界線を引いて自国領と主張。南沙(スプラトリー)諸島では人工島の埋め立てや滑走路の建設をやめず、業をにやした米国が「航行の自由」作戦でけん制に出た。
中国の行動は国際法を無視したものであるのは論をまたない。だが彼らの論拠は2千年の歴史にある。漢王朝の時代から管理下にあったというのである。
主権国家にしても国際法にしても、近代の国際秩序は1648年のウェストファリア条約からはじまったというのが西欧流の通念だが、中国はそこを跳びこえてしまう。プレ近代の世界に放り込んでしまえば議論はかみ合わなくなる。そこがねらい目にちがいない。
新潟県立大の山本吉宣教授(東大名誉教授・国際政治学)は「08年のリーマン・ショック以来、モダン国家の力が相対的に強くなった。ポストモダンが引っ張られてモダンの世界に逆戻りしているものの、なくなったわけではない。プレモダンを含めて3つが併存している」とみる。
春から冬へと季節が逆にめぐっているアラブ。独自の秩序をさぐる中華の国。
ポスト近代国家は再近代化し、近代国家は近代秩序からはみ出そうとし、プレ近代は国際秩序そのものを否定する――。これを常態とみてニューモダン(新しい近代)と名づけてもいいのではないか。
だからこそ、うまく管理し近代の逆走をとどめることを考えないと、世界は無秩序の淵に追いやられる。
[日経新聞12月7日朝刊P.4]
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