http://www.asyura2.com/15/kokusai12/msg/106.html
Tweet |
http://japanese.irib.ir/news/commentaries/item/60587
2015/12/11(金曜) 21:50
国際舞台でのパレスチナ人の勝利
ジャヴァーディ解説員 「パレスチナ難民の帰還の権利」に関する決議が採択された記念日にあたる12月11日を前に、国連は、シオニスト政権イスラエルに対する8つの決議を採択することで、パレスチナ人に国際舞台での新たな勝利をもたらしました。
これらの決議は、国連総会でのNPT核兵器不拡散条約へのシオニスト政権の加盟を義務付ける決議を受けて、賛成多数で採択されました。この8つの決議は、 UNRWA・パレスチナ難民救済事業機関と被占領地でのシオニストによるパレスチナ人の権利侵害問題の特別調査委員会に関するものです。これらの決議の中で、パレスチナ難民への支援提示に関する決議が、賛成167、シオニスト政権の反対1、アメリカとカナダを含む棄権11で採択され、さらに、東エルサレムなどパレスチナ被占領地で戦渦に巻き込まれている民間人の支援についてのジュネーブ条約の実行に関する決議が賛成163、反対6で採択されました。
これらの決議は、特別な政治問題とシオニスト政権の占領の終結を審議する第四委員会の勧告によって、総会で採択されました。これ以前にも国連総会は、11月29日のパレスチナ人民連帯国際デーに際して、被占領地でのパレスチナ人に対するイスラエルの犯罪に反対する6つの決議を採択しました。パレスチナの占領から67年が経過し、世界は今も被占領地でのイスラエルの野蛮な戦争誘発政策の継続を懸念しており、この政権に対して人権を守ることで、パレスチナ人への犯罪を停止し、難民の帰還を妨害しないよう求めています。
パレスチナの人々は、難民の苦しみを二度、味わってきました。
初めは1948年、パレスチナを占領するシオニスト政権の樹立により、多くのパレスチナ人が難民となったことです。そして二度目は、1967年6月の6日間の戦争で、イスラエル軍がヨルダン川西岸、ガザ地区、東エルサレムを占領し、パレスチナ人数十万人が住んでいた家を追われ、シオニスト入植地の建設により、難民たちは近隣諸国や世界へと移住していきました。
UNRWAの統計によれば、現在、世界におけるパレスチナ人の難民の数は590万人をこえています。これらの難民の大部分が、レバノンやヨルダンの難民キャンプで、数十万人がシリアのキャンプで暮らしています。シリアの難民キャンプで暮らしていたパレスチナ人は同国の情勢不安により、再び難民と化し、シリアを去ることで、西側諸国や地域諸国に避難しています。
こうした中、ガザ地区やヨルダン川西岸の人口の大部分がパレスチナ難民で占められており、彼らは何年もUNRWAの支援をあてにしています。
1948年12月11日付の国連総会の承認事項に基づき、パレスチナ人はすべて故郷に帰還する権利を持ちます。シオニスト政権の関係者は、このような権利を認めていないだけでなく、現在、パレスチナ人を排除したイスラエルという国の計画を提示することで、パレスチナ人の追放を続け、20世紀、そして 21世紀の不公正を拡大しようとしているのです。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。