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シリアは二つの戦いによって崩壊しつつある。一つは同国のアサド大統領と自由シリア軍など反乱軍との内戦で、外交的手法によってしか解決できない。もう一つの過激派組織「イスラム国」をめぐる戦いには、全く異なるアプローチが必要である。
イスラム国によるベイルートやパリでの残虐なテロ攻撃を見れば、話し合いや和解の余地がまずないのは明白だ。彼らの狂信的思想と悪習はあらゆる文明社会の基準と相容れないもので、この組織と政治、外交、領土面で調整を行うのは不可能だ。
全ての関係諸国が同意するだろうが、イスラム国は世界中のどこにおいても合法的な役割を与えられていない。米国のジョージ・W・ブッシュ前大統領の言葉を言い換えると、各国は決断せねはならない。同盟国側とテロリスト側のいずれにつくかということを。
■ サウジは「イスラム国」攻撃に転じよ
イスラム国の進出を許したのは、イラクのシーア派指導者の努力が足りなかったせいだとする主張もあるが、この説明は不十分だ。
確かに、イラクの的外れで、無謀になりがちなシーア派指導者の中には、ネルソン・マンデラのような人物はいなかった。しかし、イスラム国がシーア派による反スンニ派闘争に利用されていただけならば、この紛争はシーア派人口の多い地域の外には広がらなかっただろう。
イスラム国はつまるところ、サウジアラビアなどの湾岸君主国が容認する超保守的なスンニ派教派、ワッハーブ派から大きな影響を受けている。スンニ派イスラム教社会は、もっと断固たる行動を取るべきだ。
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サウジは最近の決定を覆して、イエメンのシーア派反乱軍への怒りを、むしろイスラム国に向けるべきなのである。イスラム国に刺激を与えた裕福な隣国の責任は重い。
アサド政権と反対派との内戦については、ウィーンで行なわれている和平交渉は慎重ながら楽観できる進展を見せている。欧米だけでなくトルコ、サウジアラビアまでが参加しており、紛争解決の糸口にはなり得る。
しかし、この交渉はまだ完璧ではない。努力を批判するには時期尚早だが、現時点で幾つか、潜在的な懸念を指摘することはできる。
まず初めに、和平交渉の成果が選挙だけであってはならない。シリアには多くの少数民族がいるが、人口が少な過ぎて代表を当選させられない民族もあるかもしれない。このため、少数民族の権利保証に的を絞った機関などが必要になる。
もう一つ心配なのは、参加国の中に、「シリアが率先」して紛争を解決すべきだの主張がある点だ。しかし、過去4年間戦い続けているシリアでは、率先して平和を実現しようとする勢力はまったく見当たらない。
■ ボスニア紛争の教訓
危機に面している時、各国は過去の教訓を忘れるようだ。ボスニア紛争を終わらせたデイトン協定が署名されて今月で20周年になるが、協定成立には2つの段階があった。まずは国際社会、続いて紛争に直接関与した当事者たちが、平和構想に同意した。恩着せがましく聞こえるかも知れないが、この方式は成功した。
数十万人もの無実の人々を殺傷するとともに数百万人を退去させた紛争に加わった者たちは、この大混乱を終わらせるのに必要な行動を起こす決断を下すべきだ。そうすればイスラム国を一気に崩壊させることに、誰もが注意を向けられるようになるだろう。
原文はこちら(週刊東洋経済12月5日号)
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クリストファー・ヒル
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151205-00094677-toyo-int
【以上、転載】
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【投稿者コメント】
この記事も、参考のために転載・投稿します。
なお、私は、投稿記事の内容に全面的に賛成するものではありません。
同記事は、スンニ派の保守派であるサウジアラビア等に、ISを退治するよう勧めています。また、阿修羅にも、スンニ派だけがISを押さえることができる、などという主張をする人もいます。
それは無理でしょう。イスラム原理主義は、イスラムの「本義」なのです。本来のイスラムの教理を忘れた「日和見派」に原理主義を押さえられるわけがありません。
イスラムは、神への反抗も疑義も決して許さない宗教です。近代化や穏和化は不可能です。基本的に「疑問」をもつことを許さないし、離教や背教は死で報います。
「批判」を許さないイスラムに「発展性」はなく、歴史を前に進めることを阻害します。永遠に7世紀のイスラム社会への固化を強います。
また、イスラムは、近代市民社会の原理(特に自由と人権、民主主義、世俗)、およびそれを法的に制度化した近代憲法を認めない宗教です。シャリア支配を世界中に行きわたらせることは、イスラム過激派だけでなく、イスラム穏健派の目標でもあります。
この事実を凝視しましょう。
なお、私は、思想や宗教を「殲滅」することは不可能だと考えます。人々が宗教にしがみつかないでいいような社会ができる以外に、宗教や狂信が消えることはありません。
政情の安定と、民生の安寧の増大だけが、民主化と世俗化を可能にします。
世俗主義だけが、諸民族、諸部族の共存を可能にします。
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