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1. はじめに イスラム教自体に問題はないのか
ISISをはじめとしたイスラム過激派によるテロが世界中で続発している。パリだけでテ
ロが起こっているのではない。世界中で、イスラム教徒が存在している場所で発生して
いるのだ。
人によっては、今回のテロを過小評価しているかもしれないが、非常に危険な状態で
ある。ISが生物兵器をすでに手に入れている可能性を主張するメディアもある。保有し
ていれば、何の倫理的なためらいものなく使用するだろう。仮に、もしISが核を手に入
れたら、やはり何のためらいもなく使用するだろう。まさに悪夢である。人類、文明の
崩壊の危機である。
ISをはじめとしたテロリストが「悪」であることは、社会しっかりと認識されている。
と同時に、イスラム教徒のうちテロリストは、ほんのわずかであるし、イスラム教徒を
悪く認識するのは正しくないと、ごく常識的な人々には認識されている。「イスラム教
徒を憎むべきではない。イスラム教徒は、むしろ被害者である。イスラム教は平和な宗
教である。」と。
もちろん、犯罪の罰は、犯罪を起こした犯人が負うのが個人主義の理念だし、犯罪をし
ていないイスラム教徒に罰を負わせるべきではない。しかし、イスラム教自体には、本
当に問題がないのだろうか。イスラム教自体に問題があり、それがテロを生み出してい
るのではないだろうか。
事実として、現在地球上で発生しているテロの、大部分がイスラム過激派が引き起こし
ている。ISやアルカイダなどのよく知られている過激派組織をはじめ、主にアフリカで
活動しているボコハラムやタリバン、ラシュカレトイバなど残忍なテロを引き起こす多
くの組織がイスラム教を標榜している。キリスト教を標榜するテロ組織や、仏教を標榜
するテロ組織などはイスラム教に比べるとほとんど存在しないに等しい。
事実ベースとして、何らかの形でイスラム教には問題があるのである。だから、テロの
ほとんどがイスラム教をもとに引き起こされるのである。どこに問題があるのだろうか。
それを、フランシス・フクヤマが唱えた普遍主義という概念をもとに分析していく。そ
して、イスラム教が必ず取らなくてはならない道をこの論文で主張する。
2. 文明の衝突か、普遍主義への収斂か、文明の共存か ハンチントン、フクヤ
マ、標準のリベラル
フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」が発表されたのは1989年である。当時は大
変に話題になり、現在でも重要な書物であると考えられているが、改めて、どういう言
説であったか述べてみたい。
フクヤマが主張したのは、「普遍的価値観」が共産主義党に勝利し、もはや歴史が終
わったのだという主張である。もはや「普遍的価値観」に勝る、イデオロギー、政治体
制は生まれずに、世界は、すべて普遍的価値観に収斂されていくだろうという予想で
あ
る。フクヤマが「普遍的価値観」の構成要素としてみなしたのが、「民主主義」と「資
本主義」である。そして「普遍的価値観」を共有した国間では、戦争はおこらないと主
張した。
一方それに反抗するように。ハンチントンが「文明の衝突」を出版した。これも、特
に外国では大変話題となった。
ハンチントンが主張したのは、フクヤマに対する批判である。世界は、「普遍的価
値観」に収斂しない。むしろ、文化、文明によって分断されると。世界は、西洋文明、
イスラム文明、儒教文明等複数の文明に分かれ、永遠に収斂しない。場合によっては、
文明間で戦争が起こる可能性があると主張した。
しかし、フクヤマもハンチントンも「良識のあるリベラル」というマジョリティーか
らは、非常に批判的に論じられてきた。彼らからすると、フクヤマの描いた世界もハン
チントンが描いた世界も正しくない世界なのである。
彼らが主張したのが、いってみれば多文化共存主義、マルチカルチャーイズムであ
る。西洋的世界を絶対的に正しいとして、第三世界に強制するのではなく、また、互い
の文明が必然的に衝突するのではなく、互い共存する。それは、先進国内でも同様にで
ある。
現在のテロが慢性化しつつある状況がみると、ハンチントンが正しかったとみなした
くなる。これから、ハンチントンは再評価されていくだろう。しかし、ハンチントンは
未来を予見しただけで、ゴール、「正しい世界の在り方」を予見したわけではないのだ
。
自分はここで、再度フクヤマの理論が正しい、むしろ世界は「普遍的な価値観」へ収
斂しなければならないと主張する。そしてそのためにイスラム世界は、イスラム教から
距離を置かなければいけないと主張する。
3. 普遍的価値観とは、普遍的価値観の再定義
フクヤマの主張する普遍主義とは、民主主義と資本主義のセットを意味していた。自
分の主張する、普遍的な価値観はさらに細かい。それは、ほとんどすべての西洋の民主
主義国家及び、西洋から、民主主義を輸入した東洋の国家が、採用している、政策、政
策の指針である。まさに普遍的な価値観なのである。
以下に、箇条書きで普遍主義国家が採用する普遍的な政策を述べる。
1. 信仰、宗教の自由、政教分離
2. 言論、表現の自由
3. マイノリティー、弱者への平等な権利、抑圧の禁止
4. 民主主義、選挙による権力の選択
5. 教育の機会の平等
6. 資本主義、労働、起業、経済活動の自由
7. ある程度の福祉
いずれも、西洋の民主主義国家のみならず、日本のような国家でももはや空気のように
当たり前の概念である。ハンチントンは、中国やシンガポール、韓国を儒教文明とみな
したが、シンガポール、韓国当たりも大部分が上記を満たしている。また数多いアフリ
カの貧困国家さえである。ところが、イスラム社会は全く異なっているのである。
4. イスラムがどれ程普遍主義と異なっているか
イスラムがどれほど、普遍主義と異なっているか見てみたい。先進国では空気のような
常識的なことができないのだ
1. 信仰、宗教の自由、政教分離
⇒全く政教の分離できていない、イスラム国家で、イスラム教以外を信仰するのはほと
んど不可能である。命の危険すらある
2. 言論、表現の自由
⇒とくに宗教関連はあり得ない、フランスの新聞社へのテロや、翻訳者の暗殺などの事
件があった
3. マイノリティー、弱者への平等な権利、抑圧の禁止
⇒特に女性の権利は、ひどく抑圧、強制されている、またクルド人のような宗教的マイ
ノリティーへの抑圧もひどい
4. 民主主義、選挙による権力の選択
⇒イスラム国家はほとんど独裁制であることが多い、イスラム教がカリフ制のような独
裁的権力体制を支持すような傾向がある
5. 教育の機会の平等
⇒女性は基本的に教育を受ける権利がない
6. 資本主義、労働、起業、経済活動の自由
⇒これはほとんど情報がない
7. ある程度の福祉
⇒これもほとんど情報がない
普遍的価値観として7つの項目を挙げたが、情報がほとんどない2つをのぞくと5つ中5
つすべてほとんどのイスラム国家で普遍的価値観が設立してないのである。
続きます
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