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http://www.dailyshincho.jp/article/2015/01301930/?all=1
1月29日、イスタンブール在住の日本人、高谷一美さんが交通事故に巻き込まれて亡くなりました。後藤健二さん拘束事件を取材するテレビ局のスタッフに同行した際の悲劇だということです。高谷さんは、イスタンブールに20年以上住み、トルコと日本との橋渡しに尽力してこられたコーディネーター、ライターです。生前、共著者として刊行した『ニッポンの評判』には、高谷さんのトルコへの想いが綴られた文章が収録されています。「世界で一番の片思い――トルコ」と題した章の一部を抜粋してご紹介します。
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■海外で出会う本物の笑顔
「お客さん、日本人? そうかい、そうかい、日本とトルコは大親友だ、知ってるだろ、あっはっは」
もしあなたがトルコを訪れるのがはじめてなら、空港から市内に向かうタクシーの中で運転手の手放しの歓迎振りにあっけに取られてしまうかもしれない。運転手はトルコ語が東洋からの客人に通じない事はわかっているだろうに、身振り手振りと満面の笑顔でなんとか好意を伝えようとするに違いない。
以前あるテレビ番組で「世界一の親日国はどこだと思いますか」という質問に150カ国を取材したことで知られるジャーナリストの兼高かおるはこう答えていた。「そうですねえ、トルコかしら」。そう、あなたが日本人であるなら、運転手から向けられる笑顔は、必死の営業スマイルでも、ホテルまでの道を遠回りするのをごまかすためでもない、ホンモノの好意でできている―― 。
地図の上でアジアとヨーロッパ、アフリカという大陸の接する点を探すと、トルコが見つかる。東地中海に面した国だ。イスラム教徒の国のせいか、日本ではよく中近東に分類されるものの、政教分離が徹底しているため、酒もミニスカートもOKという一風変わったお国柄で、雰囲気はむしろヨーロッパに近い。首都はアンカラ、最大の都市はイスタンブールで、東京とほぼ肩を並べるだけの人口を抱えた大都市である。そんな遠い国の人が出会った途端に大歓迎してくれるのだから、本当にびっくりさせられる。
■赤ちゃんが見世物に
私事になるが、トルコで出産したときのこと。「日本人の赤ちゃんがいる」と病院中で話題になり、「見せてもらえませんか」とひっきりなしにドアがノックされた。看護婦は娘を見せびらかして歩き、「おむつを替えるから」と新生児室に連れて行ったまま戻らない。見に行くと、娘を捧げ持ってガラス窓に向けていた。その向こうには、トルコ人の人だかりがやいのやいのと押し合っている。まるで珍獣扱いだが、旅行者でもトルコの田舎町で地元の子供たちに「ジャポン、ジャポン」と群がられた経験を持つ人は少なくないだろう。こう熱烈では、事情がわからない日本人がとまどうのも無理はない。
トルコ人は何故こんなに日本のことが好きなのか。これにはいろいろな説がある。
よく言われるのは、もともと同じ民族であり、同族を懐かしんで歓迎しているのだという説。昔、中央アジアに暮していた遊牧民が長いあいだに西と東に分かれて移動し、日本人とトルコ人になったというのである。歴史的に世界の貿易物資と文化の交差点となってきたその立地のせいか、トルコ人は混血が進み、容姿の上での統一されたアイデンティティは失っていると言ってもいいほどだ。だから、単一民族に近い日本人と同根と言うのはかなり苦しいと思うのだが、トルコ語と日本語の文法構造はほとんど同じでウラル・アルタイ語に属すると言われる。家の中で靴を脱ぎ、座卓で食事を取るなど、文化にも多少は共通点が見られる。
日韓共催のサッカー・ワールドカップの時には、トルコは台風の目になってベスト4入りした。その時、日本ではトルコの選手イルハン・マンスズがベッカムと人気を二分したといわれる。その理由を、トルコ人は「日本人がマンスズをあれほど好きなのは、彼にタタールの血が入っていて、日本人に似ているから」だと思っている。
■「エルトゥールル号事件」の恩義
日本とトルコが歴史上縁が深いからという説明もよく耳にする。有名な美談を紹介しよう。オスマントルコの軍艦エルトゥールル号は1890年、はるばる日本の明治天皇を表敬訪問、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受けた。しかしその帰路、台風に遭い座礁、587名が死亡する大惨事となってしまったのだ。現在の和歌山県串本町に流れ着いた生存者は住民の献身的な介護を受け、生還した69名は明治天皇の名のもとに日本海軍軍艦によって1891年に無事イスタンブールに送り届けられた。また正式国交が結ばれていない中、民間からも義捐(ぎえん)金が集められトルコに届けられた。誇り高く信義に厚いトルコ人達が、この丁重な日本側の扱いに感動しなかったわけがない。
イラン・イラク戦争中の1985年、イラン在住の日本人が現地に取り残される事件が起こった。自衛隊は法的問題で出動できず、ナショナルフラッグ・キャリアであるJALが救出を躊躇(ちゅうちょ)するなか、イランに飛んだのはトルコ航空機であった。爆撃迫る戦地への救援要請に応じたトルコ政府はこういったのだ。「エルトゥールル号遭難事件の礼をしただけだ」と。
なぜ100年以上も前のことをトルコ人が記憶しているのか、不思議に思われるかもしれない。実は、トルコはまだ核家族化が始まったばかりなのだ。つまり、じいちゃんと子供の話題はまだかなり共通しているのだ。そのおかげで、この美談は今に至るまで広く知られている。
またエルトゥールル号事件のころ、自ら義捐金を携えてトルコに渡った民間人の一人に山田寅次郎という人物がいた。彼はその後スルタンの要請でトルコに留まることとなり、士官学校で教鞭をとった。その生徒の中に、のちに建国のヒーローとなるケマル・アタチュルクがいたのである。
アタチュルクとは「トルコの父」を意味する尊称で、後に国民から贈られたものだ。本来はムスタファ・ケマル・パシャといった。若き日に受けた寅次郎の指導の影響か、アタチュルクは明治天皇の写真をいつも机上に飾っていて、明治維新を手本としてトルコ革命を推進したと言われる。オスマントルコといえばヨーロッパを震え上がらせた大帝国だったが、弱体化が進み第一次世界大戦の敗戦をきっかけに、積年の恨みとばかりヨーロッパに分割されようとしていた。失われようとする祖国を目前に、国民の心をまとめあげ、猛然とトルコ革命を開始したのが、この青年将校だった。奇跡をおこしたとしかいいようがない。瀕死の祖国を救った英雄は、スルタンの退位と共に樹立したトルコ共和国の初代大統領に就任し、国民からトルコの父と呼ばれる存在となった。アタチュルクは大統領就任後もそのカリスマ性を最大限に発揮し、アラビア文字からアルファベットへの移行、政教分離の徹底など、国の構造を根本から変える政策手腕を発揮した。今も彼の命日には全国民が動きを止めて黙祷(もくとう)を捧げる、ほとんど信仰の対象に近い偉大な存在だ。その彼が、日本を尊敬し、手本としていたとなれば、国民が日本に悪感情を持つわけはない。そういう説もある。
■日本に美味しい色眼鏡
トルコ人は日本のことを、本当はすごくよく知っているわけではない。「ゲイシャ、スシ」レベルの人もたくさんいる。だから、国内で違法に生産した工業製品に「MADE IN OSAKA」なんて付けてしまったりする。韓国製の高級薄型テレビを、確認しないで日本製だと豪語したりする。大型連休を作るかどうかの議論で、「トルコ人はいまだ世界で一番休みが多いから、大型連休案は却下。ちなみに一番多く働いている国は日本である」と首相が言ったりする(祝祭日は日本の方がずっと多い)。色々な説にみられる色々な要素が組み合わさって、とにかく日本人は優しく親切で、成功していて、トルコを親友だと思っている相思相愛の兄弟国のイメージが、広く浸透してしまっている。好感度をあげようと、商品をわざと日本風に呼ぶことでもわかる。黒く細長いひまわりの種は「ジャポン」、瞬間接着のりは「ジャポン ヤプシュカン(日本のり)」、使い捨てライターは「トーカイ」、ビーチサンダルは「トーキョー」といった具合だ。
こう書いたが、相手をよく知らないことにかけては日本も大きなことは言えない。遺跡で有名なトロイや、サンタクロースことセント・ニコラウスが施しをしながら暮していた土地がトルコにあること、それにノアの箱舟がたどりついた山がトルコの最高峰アララット山であることを知っている人はほとんどいない。けれど、トルコ側が知らないなりに日本のイメージを美しくはっきりと描き上げてしまったのに比べ、日本はトルコ側のイメージさえ持っていないのはあまりに寂しい。トルコの熱烈な片思いなのだ。情報化の波はトルコにも押し寄せ、いいところだけではなく日本の問題点も時には報道される。日本の駐在サラリーマンの中にも、欧米に派遣された場合とは違い、トルコ人を格下に見て横柄(おうへい)な態度を取る人もいる。それでもこうした現実は、強大なイメージの中にいつのまにか消えて行く。日本人にとっては実に美味(おい)しい色眼鏡である。
しかしそれもいつまでも続くと保証されたものではない。トルコが将来色眼鏡を外すとき、より成功しているのはどちらの国だろうか。トルコは若い労働力が豊富で、国土も広い。陸軍はNATO一と言われる軍事力や、世界銀行が今後期待する新興市場十指に数える経済力がある。イラク戦争でアメリカ軍の国土横断にNOと言ってのけた度胸をみても、化ける可能性を秘めた国だ。トルコでは経済・政治の不安定が指摘される半面、ここ数年世界中から資本が流れ込んだとも言われ、バルカン半島や旧ソ連独立国家からの出稼ぎ労働者があふれている。
しかし、そんなトルコにヨーロッパ連合(EU)は冷たい。トルコにとってEUは「先進国クラブ」であり加盟を悲願としているのに、無理難題を言って翻弄している。「EUは輸出先として、また中東への軍事の楯としてトルコを利用したいときだけ仲間の顔をするが、その実見下している」。トルコ人はそう不満を感じている。この国の可能性の高さを、日本がヨーロッパのかわりにじっくり評価、検討してみたら。片思いしているトルコにもう少し興味を持ってみたら―― 。
シルクロードの東の果てにある白地に太陽が昇る国旗を掲げた国と、西の果てにある赤地に月と星を写した国旗を掲げる国。かの山田寅次郎のように、あなたも、トルコと友達になりに出向いてみても損はない。
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高谷さんのご冥福をお祈り申し上げます。
デイリー新潮編集部
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