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トーマス・マートン、ショウクウェイ・ルムンバ、暗殺大国アメリカ 私の闇の奥
http://www.asyura2.com/15/kokusai11/msg/776.html
投稿者 お天道様はお見通し 日時 2015 年 11 月 18 日 13:54:16: I6W6mAZ85McLw
 




ローマ教皇フランシス一世は、2015年9月24日、米国の両院合同の国会で講演し、その中で、今年か来年が何らかの記念の年に当たる重要な米国人とし て、アブラハム・リンカーン、マーチン・ルーサー・キング、ドロシー・デイ、トーマス・マートンの4人の名をあげました。初めの二人は米国人のほぼ誰もが 知っているでしょうが、後の二人は違います。Dorothy Day (1897~1980) は米国の女傑の一人で、若い頃は共産主義者、やがてカトリック信者となり、労働運動に挺身した、激しい気性の人でした。Thomas Merton(1915~1968)の知名度は更に低いと考えられます。米国国会議員の中にも「マートンって誰?」と頭をひねった人が沢山いた筈です。 ネットで見る限り、日本では殆ど無名の状態です。マートンは、カトリック教の修道僧で、1948年に出版した自伝『七層の山(The Seven Storey Mountain)』がベストセラーになり、その後も盛んな文筆活動を続けましたから、“知る人ぞ知る”存在ではありますが、ファンの数は限られていると 思われます。ベトナム戦争反対、核兵器反対の筆鋒は激しく、私なども大いに啓発されました。彼の文学論からも感銘を受けました。彼のカミュ論が、日本では 知られてない様子なので、私自身、翻訳してみようかと思ったこともありました。彼のフォークナー論も読み応えがあります。
 教皇フランシス一世は、マートンについて、「マートンは何にもまして祈りの人であり、時代の固定観念に挑戦して、人間の魂とキリスト教会のために新しい 地平を開きました。彼はまた対話の人であり、人々と宗教との間の平和の推進者でもありました。(Merton was above all a man of prayer, a thinker who challenged the certitudes of his time and opened new horizons for souls and for the Church. He was also a man of dialogue, a promoter of peace between peoples and religions. )」と米国国会で述べています。マートンについて教皇フランシス一世が言ったことの全体を読んでみたい方々のために、英語全文を引用しておきます。


http://w2.vatican.va/content/francesco/en/speeches/2015/september/documents/papa-francesco_20150924_usa-us-congress.html


A century ago, at the beginning of the Great War, which Pope Benedict XV termed a “pointless slaughter”, another notable American was born: the Cistercian monk Thomas Merton. He remains a source of spiritual inspiration and a guide for many people. In his autobiography he wrote: “I came into the world. Free by nature, in the image of God, I was nevertheless the prisoner of my own violence and my own selfishness, in the image of the world into which I was born. That world was the picture of Hell, full of men like myself, loving God, and yet hating him; born to love him, living instead in fear of hopeless self-contradictory hungers”. Merton was above all a man of prayer, a thinker who challenged the certitudes of his time and opened new horizons for souls and for the Church. He was also a man of dialogue, a promoter of peace between peoples and religions.
From this perspective of dialogue, I would like to recognize the efforts made in recent months to help overcome historic differences linked to painful episodes of the past. It is my duty to build bridges and to help all men and women, in any way possible, to do the same. When countries which have been at odds resume the path of dialogue – a dialogue which may have been interrupted for the most legitimate of reasons – new opportunities open up for all. This has required, and requires, courage and daring, which is not the same as irresponsibility. A good political leader is one who, with the interests of all in mind, seizes the moment in a spirit of openness and pragmatism. A good political leader always opts to initiate processes rather than possessing spaces (cf. Evangelii Gaudium, 222-223).
Being at the service of dialogue and peace also means being truly determined to minimize and, in the long term, to end the many armed conflicts throughout our world. Here we have to ask ourselves: Why are deadly weapons being sold to those who plan to inflict untold suffering on individuals and society? Sadly, the answer, as we all know, is simply for money: money that is drenched in blood, often innocent blood. In the face of this shameful and culpable silence, it is our duty to confront the problem and to stop the arms trade.
Three sons and a daughter of this land, four individuals and four dreams: Lincoln, liberty; Martin Luther King, liberty in plurality and non-exclusion; Dorothy Day, social justice and the rights of persons; and Thomas Merton, the capacity for dialogue and openness to God.
Four representatives of the American people.


 私は、私なりに、長年、マートンのファンですので、今回の教皇フランシス一世の4人の米国人の選択に興味を持ち、関係記事を探して読んでいるうちに、「トーマス・マートンはCIAによって暗殺された」と信じている人が、結構沢山いることを知ったのです。
 ベトナム戦争たけなわの1968年12月、タイのバンコックの南約50キロの会議施設で、キリスト教とそれ以外の宗教も含めた修道僧の集会が開かれ、そ れに出席したマートンは、10日の昼間、ゲストハウスでシャワーをとった後、部屋の中で、背の高い扇風機が床に倒れたマートンの体にのしかかった形で、死 んでいるのが発見されました。電流は流れたままでした。享年53歳。
 その死については実にいろいろの事が報じられ、論議されました。マイケル・モット(Michael Mott)の筆になる『The Seven Mountains of Thomas Merton (1984)』という浩瀚(690頁)な伝記があります。その中にもマートンが死んだ時の状況が詳しく報じられていますが、他殺の可能性には軽くしか触れ られていません。私の頭にあったイメージは、感電のショックで心臓麻痺を起こし、仰向きに倒れて、石の床で頭をしたたかに打って死んだ、というもので、 CIAのことなど考えてもみませんでした。
 ところが、今回、Wayne Madsen という人の『Is the pope a conspiracy believer? (教皇は陰謀論の信者か?)』という記事を読んで、 


http://www.intrepidreport.com/archives/16385


マートンがCIAによって殺された可能性がゼロではなかったことを改めて考えさせられることになりました。さらに、マートン自身が、死の2年前、そうした 可能性に関して一般的に論じている著書があるらしいと知って、それを注文して到着を待っているところです。本のタイトルは『Raids on the Unspeakable (1966)』。マートンが亡くなった1968年は、私がカナダに移住した年で、マーチン・ルーサー・キングとロバート・ケネディが暗殺されました。
 もう一つ、日本人の意識に刻まれていない名を挙げます。ショウクウェイ・ルムンバの元の名はEdwin Finley Taliaferro で、1968年マーチン・ルーサー・キングが暗殺されたのを機に、アフリカから連れてこられた奴隷の後裔としての自覚を深め、名前をChokwe Lumumbaと改めました。英語ウィキペディアによると、ショウクウェイは奴隷にされることに反抗した歴史を持つ中央アフリカの部族の名、ルムンバは 1961年暗殺されたコンゴ指導者パトリス・ルムンバから取ってあります。ルムンバの暗殺についてはこのブログでも書いたことがありました。ショウクウェ イ・ルムンバは黒人人権運動に精力的に従事し、また弁護士としても名を上げて、2013年6月4日、86%の得票率でミシシッピー州の首都ジャクソンの市 長に当選し、7月1日、市長に就任しました。ジャクソン市の人口の約80%は黒人です。ルムンバ市長は、直ちに市の荒廃した下水道や舗装道路の修復などに 着手しましたが、翌2014年2月25日、病院で死亡、66歳でした。彼の死は自然死だったと病院は発表しましたが、司法による検死は行われないままで す。
 私がショウクウェイ・ルムンバの死に問題があることを知ったのは、私が信頼するグレン・フォードの記事からです。


http://www.blackagendareport.com/content/how-and-why-did-chokwe-lumumba-die


「ショウクウェイ・ルムンバは、“根底から立ち上げる社会変革”のプロセスを出発させるために、ミシシッピー州、ジャクソン市の市長に立候補した。彼は市 長になって9ヶ月で亡くなったが、州当局は司法検死を行うことを拒絶した。多数の人々が、彼は支配秩序に挑戦したために暗殺されたのでは、と疑っている − これは当然のことだ、何故なら、“ミシシッピー州はこれより遥かに軽い理由で何千もの黒人を殺してきたのだから。”(Chokwe Lumumba ran for mayor of Jackson, Mississippi in order to set in motion a process of “social transformation from the ground up.” He died eight months into his term, but the state refused to do an autopsy. Lots of folks suspect he was assassinated for challenging the ruling order – which is logical, since “Mississippi has murdered thousands of Black people for far less reason than that.” )」
ここで、“from the ground up”という表現に注意しましょう。普通は「徹底的に始めから」とか「一から」という具合の表現ですが、この場合には、ショウクウェイ・ルムンバの意図し ていた社会改革が、文字通りの社会の底辺レベルの生活共同体(コミュニティ)から民主的施政のメカニズムを組み上げて行くことであったことを意味している と思います。彼が市長になれたのは、市の黒人人口が80%を超えていたからですが、今のアメリカの政治システムでは、それから先には進めないことを彼は市 長になる前から痛感していたに違いありません。穏健な黒人雑誌「エボニイ」の記事にも、彼が協同組合的な経済、参加型民主主義、社会的平等を目標に掲げて いたことを指摘しています。
 私は、ここに、近頃、私が考え続けている事との繋がりを見てしまいます。キューバの人たち、シリア/トルコ/イラクのクルド人たち、メキシコのサパティ スタの人たちが実現を目指している政治形態と同じだと思うのです。はっきり言ってしまえば、ごく常識的な意味で、本当に民主的な社会を底辺から築き上げ て、本当の意味での連邦組織に世界を変えて行くということです。(昔、世界連邦という、今は、虚しい言葉がありました。)私は、このアイディアを素晴らし いものと考え、その実現に大きな期待を寄せています。人類を現在の危機から救ってくれるほぼ唯一のアイディアでしょう。
 しかし、このショウクウェイ・ルムンバという厄介者に対する暗殺大国アメリカの反応は直裁でした。(私はルムンバが暗殺されたことをほぼ信じます。)こ の米国という暗殺大国のシンボルは、勿論、世界の大空を我が物顔に飛翔するドローン殺人鬼(文字化けでこう出ました。このままにしておきます)です。
 私は、かれこれもう20年ほども前から、一つの空想を抱き続けています。小型ロボットの形での暗殺テクノロジーが、反権力側の人々の手に届けられる日の 到来です。殺したい人物を殺すテクノロジーを権力側は既に保有しています。今、逆境に苦しみながら反権力の立場を守り通し、戦い続けている人たちが、極め て確実性の高い暗殺のハイテクを入手したにしても、無闇に暗殺が実行されるとは、私は思いません。それは真の反権力の立場と反りが合わないからです。彼ら は権力の取り合いの戦いをしているのではありません。権力の保持拡大のためには個人の暗殺、大量虐殺の実行を躊躇しないような権力システムを消滅させるた めに戦っているのですから。


藤永茂 (2015年11月8日)

トーマス・マートン、ショウクウェイ・ルムンバ、暗殺大国アメリカ 私の闇の奥


 

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