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[時事解析]米国の中東政策
(1)冷戦下のドミノゲーム ソ連と影響力競う
今年7月、米国など6カ国がイランと核開発を巡る合意に達した。米国の中東政策の変化を象徴する動きだ。この機をとらえ曲折に富む米国と中東の関係史を振り返る。
米国が中東に接近し始めたのはアラビア半島での石油確保のためだ。第2次大戦中、ルーズベルト政権が調査団を派遣。「世界の石油生産の重心は、メキシコ湾―カリブ海から、中東へ――ペルシャ湾岸へ移ろうとしている」(ダニエル・ヤーギン著「探求・エネルギーの世紀」)と判断、サウジアラビア接近を加速した。
大戦後、中東の英仏植民地では独立の動きが相次ぎ、アラブ民族主義が高まりをみせた。中心にいたエジプト・ナセル政権は当初、米に近づくがアスワンハイダム建設の融資を断られ、一転ソ連に接近。米ソが中東で影響力を競う時代に入る。
米国は湾岸産油国のほか、欧州からのユダヤ移民が建国したイスラエルを支援。ソ連はエジプトなど軍人出身者が率いる共和制国家に武器を供給し、アラブ・イスラエルの中東戦争が激化する。
米ソのドミノゲームでは策略が渦巻いた。1950年代にサウジがヨルダンを親米陣営に誘うが、同国では親米のフセイン国王(当時)の意に反し政府がソ連に接近。米は第6艦隊を地中海に派遣し威嚇で親米陣営に引き込むといった具合だ(田村秀治著「アラブ外交55年」)。
80年代に軍拡競争でソ連経済が傾くにつれて、米国の影響力が増す。米は「和平の配当」として資金援助をテコに、イスラエルやアラブ陣営を懐柔。域内諸国と投資・貿易交流も強めていく。
(編集委員 中西俊裕)
[日経新聞10月12日朝刊P.15]
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(2)サウジとの相互依存 原油と防衛 両面で
米国は石油大国サウジアラビアと長く政治・経済両面の取引関係を結んできた。契機は1973年の第4次中東戦争だ。アラブ産油国は敵国イスラエルを支援する米国に石油禁輸戦略を発動。以降、米政府は原油の安定供給を求め、サウジが望む軍事面での協力を拡充した(鹿島正裕著「中東戦争と米国」)。
80年代、イラン・イラク戦争でアラブ産油国の原油輸送が危機にさらされると、クウェートのタンカーなどを米軍用艦が護衛。90年の湾岸危機でフセイン政権のイラク軍がサウジに迫ると、米軍は翌年の湾岸戦争でイラク軍を駆逐した。
一方でサウジも、原油需要が伸びた際には、米の要請に応え増産するなど市場安定に配慮。米とサウジの間で「原油と防衛の相互依存」が進んだ。
両者の関係に北米で進むシェール革命がどう影響するか注目される。
この数年、シェールオイル開発の進展で米原油生産が拡大し、米国が石油自給体制になるとの見方が現実味を帯びた。その中で昨年11月、サウジは石油輸出国機構(OPEC)内の減産要求を抑え価格下落を容認した。
生産コストの高いシェールオイルが減り、米国の原油生産は8月に1年ぶりの水準に低下。米エネルギー情報局は10月の短期見通しで、2016年末まで減少が続くと予測する。
サウジが収入減覚悟で原油安を容認するのは、自国産原油のシェア確保が狙いと指摘される。同時に、米国の自給体制確立を遅らせて「相互依存」関係を保たないと、安全保障面で影響が出るとの計算も働いている。
(編集委員 中西俊裕)
[日経新聞10月14日朝刊P.32]
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(3)調停から介入へ 同盟国と調整課題
米国は冷戦後期から中東和平の調停に大きく貢献した。1978年にはカーター政権が、4度の中東戦争を戦ったエジプトとイスラエルを和解に導くキャンプデービッド和平合意をまとめた。
90年代はブッシュ政権主導でマドリード中東和平会議を主催。クリントン政権もパレスチナ自治拡大で調停に尽力した。両政権の努力で和平には「創造的で一貫したアメリカの助力が必要」(L・Z・アイゼンバーグ、N・キャプラン著「アラブ・イスラエル和平交渉」)との認識を生んだ。
ところが2001年の米同時テロ後、米国は「中東を民主化することがテロを減らす」との考えから、調停者より介入者の性格を強める。イラク戦争では米軍がフセイン政権を打倒。ほかのアラブ諸国にも公正な選挙実施や市場経済化を促すことに力を入れた。
11年の「アラブの春」を経て域内が内戦で混迷に転じると、オバマ政権は中東関与を縮小。「域外から、力のある国を通じて均衡を図るオフバランス政策」(ジョン・ミアシャイマー米シカゴ大教授)に転換し始めた。
約30年ぶりに外相会談を開くなどイランと接近し、6カ国と同国の核を巡る最終合意を導いたのが一例だ。軍事力も折衝力もあるイランが過激派の動きを抑止するよう期待しているようだ。
ただ、イランが核兵器開発の野望を秘めると疑うイスラエルは反発している。宗派の違いでイランを警戒するサウジの不満も募る。米は従来の両同盟国とイランとの連携を両立させるという課題を背負い込んだ。
(編集委員 中西俊裕)
[日経新聞10月15日朝刊P.29]
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(4)手詰まりの対テロ戦略 地上軍派遣に慎重
2001年の米同時テロで、米政府が中東系過激派に抱く警戒感は著しく高まった。もともと中東のイスラム過激派は自国要人やアラブ領を占領するイスラエルを主な標的にしていた。以前にも在レバノン、ケニア米大使館が大型爆破テロに見舞われたが、米同時テロは桁違いの衝撃だった。
米当局は10年がかりの捜索の末、首謀者ウサマ・ビンラディンを殺害。イエメンやアフガニスタンで過激派をドローン(無人飛行機)で遠隔攻撃する作戦を続けるなど、対テロ作戦を広く中東・イスラム圏で実行するようになった。
昨年には過激派組織「イスラム国」(IS)がシリア、イラクで大きな脅威として台頭。旧イラク・フセイン政権の軍人らも参加し正規軍並みの戦力をテコに、交流サイト(SNS)でメンバーを募り拡大するなか、米軍の強い介入を期待する声も出た。しかしオバマ政権はイラク戦争で8年間駐留した兵力を11年に撤収。中東への地上軍再派遣に抵抗感が強い。
マーク・リンチ米ジョージ・ワシントン大教授は「08年の金融危機のころイラク占領や対テロ戦争に踏み込みすぎ、ひずみが出た」との反省があると指摘する(米誌フォーリン・アフェアーズ9〜10月号)。
地上からの強い反撃を欠くなか「ISは戦略的優位を持つ」(米軍事アナリストのクリス・ハーマー氏)。最近のアフガニスタンのように米軍機やドローンの誤爆で民間被害者が出ればイスラム系過激派を利することにもなり、米国のテロ戦略には閉塞感が漂う。
(編集委員 中西俊裕)
=この項おわり
[日経新聞10月16日朝刊P.27]
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