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春以降大きな問題になっている中東・アフリカ・アフガニスタンからの難民(移民)流入だが、ギリシャ国民が強いられている過酷な生活は、“当然の報い”のように扱われ、ほとんど問題にさえならない。
EU諸国が受け入れた難民には、生活費として月々13万円程度の給付がある。
一方、ギリシャの年金生活者は、月9万円強の支給から月5万円強に減額されたひとが多数にのぼる。
これは、持ち家のギリシャ年金生活者でもフランスやドイツに受け入れられた難民の生活レベルに達するかどうか危ういことを意味する。
日本を含め世界の多くは、「ギリシャ財政危機」と呼び、原因と責任がギリシャにあるかのように報じているが、ことの本質は「ユーロ銀行危機」であり、ギリシャ支援と称して注ぎ込まれている資金は、ギリシャをスルーしてECBを含む対ギリシャ債権を保有する世界の銀行に支払われている。
その発覚がギリシャ問題勃発の引き金となったギリシャ政府の「財政詐欺」に、ゴールドマンサックスの上級幹部として関与したのが現ECB総裁のドラギ氏である。
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試練続く欧州
(下) 難民対応、国境浮き彫りに
村田奈々子 東京大学特任講師
この夏アテネを訪れる機会があった。財政危機が取り沙汰されるギリシャだが、パルテノン神殿がそびえるアクロポリスの丘は例年になく多くの観光客でにぎわっていた。
統計からみても、ギリシャを訪れる外国人の数は確実に増えている。1〜7月の集計では前年同期比14%の増加である。この趨勢が続けば、外国人旅行者は過去最高の2600万人にのぼると予測される。ギリシャの人口は約1100万人である。観光業が国内総生産(GDP)の18%を占めるギリシャにとっては、明るいニュースであろう。
国別にみると、今年は英国人が最も多い。例年は1位を占めるドイツ人の伸びがいまひとつなのは、ギリシャ国内の反緊縮デモで悪玉にされたのを嫌ったのだろうか。一方で英国人観光客が増えたのはなぜだろう。19世紀初め、ギリシャ独立戦争に身を投じた詩人バイロンのひそみに倣い、観光でギリシャを救おうとでもいうのだろうか。
ギリシャを救う。近現代のギリシャ史を理解する鍵となる言葉である。19世紀に誕生したギリシャという国家は、欧州の助力なしには存立しえなかった。裏を返せば、ギリシャは欧州が決して見捨てることのなかった国だということになる。欧州文明の源としてのギリシャ。そうした意識から、欧州人には親ギリシャ主義の思潮が生まれた。
イスラム教のオスマン帝国に暮らすキリスト教徒のギリシャ人は、欧州人の目から見れば救うべき存在であった。親ギリシャ主義に立つ欧州がギリシャ独立戦争を支えた。第2次世界大戦終了後、英国のチャーチル首相は、共産軍と政府軍の間で内戦が続くギリシャを全体主義の脅威から救わねばならないと考えた。米国のトルーマン大統領がそれに続いた。大量の資金と武器がギリシャ政府軍の手に渡り、「救われた」ギリシャは西側陣営に属した。
1981年、まだ経済発展の不十分だったギリシャは、ポルトガルやスペインに先駆けて、欧州連合(EU)の前身である欧州共同体(EC)に加盟した。当時のフランスのジスカールデスタン大統領が「プラトンの前にドアが閉ざされることはない」と語り、ギリシャのEC加盟に賛成したのは有名なエピソードである。20世紀のギリシャ人は、紀元前5〜4世紀の哲学者プラトンに救われた。
だがギリシャは常に救われる側にあったわけではない。
ECにギリシャを加盟させたことで、欧州はギリシャに救われたという見方もある。70年代半ばの欧州、特に南欧では、共産主義勢力が台頭して不安定な政治状況が生まれていた。冷戦期のEC諸国にとってこれは脅威であった。ECは経済面のみならず、政治的な面でも結束する必要に迫られた。民主主義揺らんの地、ギリシャをECに迎え入れることは、ECの政治的アイデンティティーの表明であった。「プラトン」は民主主義という政治理念を手土産にECに加盟したのである。
ギリシャの財政危機に端を発したユーロ危機をめぐる議論で、欧州の精神的故郷としてのギリシャへの思いが表明されることはまれである。欧州は今回もギリシャを救った形だが、欧州が救おうとしているのは、ギリシャではなくユーロという通貨であり、EUという組織である。
ギリシャの国内政治は、欧州の圧力にさらされ続けている。今年1月に政権に就いた急進左派連合(SYRIZA)のチプラス首相の動きは、欧州とどう折り合うかという構図でとらえられた。国民投票実施後、同氏は一転してEUの要求を受け入れた。9月の総選挙で再び勝利したチプラス政権の課題は、緊縮策をいかに実行するかに絞られる。
共通通貨ユーロは、EU統合の政治的シンボルだ。それは数年来続くユーロ危機で、経済への配慮より政治的思惑が先行したことにも表れる。
EUに共通通貨ユーロを導入するにあたり、発展の度合いの異なる加盟国にいかに経済成長をもたらすのか。金融危機発生時にどう対処するのか。さほど深い議論がなかったことに改めて驚かされる。
ユーロ圏内の国々の財政規律も、現在ほとんど守られていない。ユーロ圏に属する国は本来、政府債務残高をGDPの60%以内に抑えなければならないが、昨年は平均で92%に達している。ギリシャは177%で確かに突出する。ただしドイツも75%だ。ユーロ導入の条件を満たさない国が過半を占めるのである。それでもユーロは使われ続けている。ユーロが、経済的合理性に優越する、政治統合のシンボルであることの証左だ。
また、EU統合の理念には、域内のヒトとモノの移動の自由がある。この理念が、今年に入って急増した難民の波に揺さぶられている。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の報告によると、今年1〜9月に海路で欧州に到着した難民は52万人にのぼった。このうち約39万人がギリシャに上陸している。EU内では最大の受け入れ国である。ギリシャはキプロスを除けば、難民発生国からは地理的に最も近い欧州だ。エーゲ海には無人島も含めると6000ともいわれる島々が点在する。難民流入をとどめることは不可能に近い。
EUには難民への対処に関するダブリン協定がある。これによれば、難民は最初に足を踏み入れたEU加盟国で保護申請をする。また、難民が最初に入国した国が、難民に対して責任を負う。
難民問題では、ハンガリー政府の強硬な態度がメディアで大きく取り上げられたが、ギリシャでは今のところ大きな混乱はない。ギリシャには、1920年代に小アジアからトルコとの住民交換による約110万人の難民を受け入れた歴史がある。そうした歴史的記憶が難民への対処に反映するのだろうか。あるいは経済危機にあるギリシャに、難民たちがとどまる心配はないとの計算があるのだろうか。
9月22日、EUは12万人の難民受け入れと、加盟国間での受け入れ数の配分を決定した。ハンガリー、チェコ、スロバキア、ルーマニアの4カ国はドイツへの反発をあらわにした。一方、ギリシャとイタリアに割り当てはなかった。
ヒトとモノの移動が自由なら、難民がEU内のどこに居住しようと自由なはずだ。ここへきて、国ごとに割り当てが示されたことの意味は何か。それは、なくなったはずの国境が再び現れようとしていることを意味しないか。
ギリシャの経済危機は、自らが国内問題として解決することを求められる。ギリシャ経済をめぐって「欧州の連帯と責任」が語られることはほとんどない。一方、難民問題への対処では、EU内で「欧州の連帯と責任」という言葉が繰り返される。その解決策は、EU内に国境が存在することをむしろ顕在化させた。
欧州の統合という高尚な理念とは裏腹に、ギリシャ発のユーロ危機も難民問題も、EU内の不協和音を増幅している。欧州統合など絵空事ではないかとすら思われてくる。
これはEUという組織の硬直化を表すのだろうか。あるいは欧州は統合される「べき」かという問題を、再び原点に立ち返って考える機会が提供されたということだろうか。
ともあれ、ギリシャに自己決定権はなく、この巨大な組織に運命は握られている。ギリシャをどうするか。覚悟を決めるのはEU側である。
ポイント
○欧州が救ったのはギリシャではなくユーロ
○経済への配慮よりも政治的な思惑が先行
○ユーロ危機と難民問題が不協和音を増幅
むらた・ななこ 68年生まれ。ニューヨーク大博士(歴史学)。専門はギリシャ近現代史
[日経新聞10月9日朝刊P.27]
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