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上海の軍教育施設では江氏の揮毫を自分のものに差し替えた
※日経新聞連載
[迫真]習近平の闘い
(1) 消された江氏の揮毫
「中国の反腐敗闘争は権力闘争ではない。米テレビドラマ『ハウス・オブ・カード』(の世界)も存在しない」
訪米した国家主席、習近平(62)は22日、シアトルでの演説で、米大統領・議会周辺の陰謀渦巻く権力闘争を描く人気政界劇に触れ、笑いを誘った。中国の権力闘争に注目する世界の視線を意識した演出だった。
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中国の密室での闘いは激しい。習はトップ就任後、2年半余りで石油閥を仕切る最高指導部経験者、周永康(72)、軍制服組トップの徐才厚(3月死去)と郭伯雄(73)を断罪した。皆、元国家主席、江沢民(89)派の重鎮だった。
前国家主席、胡錦濤(72)の側近、令計画(58)も失脚に追い込む。汚職が理由だ。権力固めへ政敵を次々捕らえる手法は毛沢東に倣う第二の文化大革命ともいわれる。
3日、軍事パレード前の北京。青空の下、天安門楼上に江沢民が顔を見せた。1年ぶりの公式の場への登場だけに観衆から驚きの声が上がった。
習はにこやかに隣の江に話しかけた。江も笑顔で応じる。暗闘の主役2人の会話には見えない。それは共産党の一枚岩を内外に示す芝居にすぎない。習の苛烈な「院政つぶし」は続いていた。
江が率いる「上海閥」の本拠地、上海。ここに南京軍区の由緒ある教育施設、南京政治学院上海分院がある。最近、訪れた関係者は仰天した。門から丸見えの校舎の壁一面に掲げられていた江の揮毫(きごう)がはぎ取られていた。替わりに登場したのが習の文字だ。
「まさか自分の文字に差し替えるとは。露骨な老江(江沢民)いじめだ。習大大(習おじさんの意)はやり手だ」。報道統制下でも上海では暗闘が公になりつつある。胡錦濤も江の院政に悩んだが、蛮勇は振るえなかった。習は違った。真新しい習の揮毫が面白い。
「(共産)党の指揮に従い、勝てる、清廉な人民の軍隊に。習近平」
これまでは党の指揮に背き、弱い、腐敗した軍だった、と言わんばかりだ。江の揮毫の消去は、問題の所在が江にあった、との暗示でもある。
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習は昨年末、江の影響力が残る南京軍区の司令部を視察した。江の人脈をつぶし、首都防衛を担う北京軍区や治安維持の要、武装警察の司令官に南京軍区から「お友達」を抜てきした。福建省、浙江省で長く過ごした習は南京軍区に人脈を持つ。「お友達」は軒並み最高位の上将に昇進した。軍は江の色から、習の色に塗り替えられた。
習は軍事パレードで軍掌握を誇示した。司会役は首相の李克強(60)だった。過去は北京市トップが司会を務めた。格上げと言えば聞こえは良い。だが首相が司会に成り下がったのは習への権力集中を象徴する。
習は軍の30万人削減も発表した。「削減を名目に反抗的な軍人の首を切ることができる」。軍政に通じる関係者の説明だ。徐才厚や郭伯雄、その子分を切れば軍はなびく。習はそう読んだ。
習は党組織でも江の影響力の排除を形で見せた。北京郊外の世界遺産、頤和園近くに幹部養成機関、中央党校がある。前の道路脇には江が揮毫した「中共中央党校」の文字を金色に彫り込んだ巨石が横たわっていた。
巨石は観光客の記念撮影の場だった。8月下旬、それが突然消えた。跡地はブルドーザーでならされた。巨石はぐっと後退し、目立たない門の内側に“幽閉”された。
「江沢民の力の後退だ。指導部人事で影響力をそぐサインだろう」。党員らは風向きの変化を感じた。直前には党機関紙、人民日報に院政の弊害を糾弾する文章が掲載された。党員は皆、江の院政批判と受け止めた。
上海と北京、軍と党組織とも習への権力集中が進む。習は「反腐敗」を武器に毛沢東やケ小平に並ぶ地位を確立し、歴史に名を残そうとしゃにむに走る。それは茨(いばら)の道でもある。内部の抵抗はなお強い。長老らも黙ってはいない。
3日、天安門には存命の長老15人が顔をそろえた。牢(ろう)の中の周永康だけがいない。最高齢は98歳の宋平だった。めったに顔を見せない宋平は過去の数代のトップ選びで大きな発言権を持っていた。習にとっては、なお怖い長老らである。
◇
習近平がトップに就き千日余り。2年後の最高指導部人事を見据えて激化する権力を巡る暗闘の現場を追う。
(敬称略)
[日経新聞9月29日朝刊P.2]
(2)トップ視察と大爆発の謎
「今日、8月12日で習近平(62)が共産党トップに就いて1000日。6月11日には天津の裁判所が周永康(72)に無期懲役を下し、聖域なき反腐敗への決意を示した」。中国メディアが最高指導部経験者の断罪をたたえる評論を出したのは8月12日の昼前。その夜、周が裁かれた天津で空前の大爆発が起きた。165人が犠牲となる大惨事だ。
劇物保管の事実を知らない消防隊の放水が爆発の原因とされるが、密封したコンテナになぜ火が付いたのかは謎だ。「製造工程にない薬品は簡単に火が付かない。自然発火は困難。意図を持った着火なら別だが」。化学品の扱いに詳しい専門家の声だ。全ての爆発物質の特定もできていない。政権中枢でも「故意説」は根強く残る。
爆心地に直径100メートルの穴が出現した天津の浜海新区には、新たな「中国(天津)自由貿易試験区」のビル群が立ち並ぶ。習は北京、天津、河北省の「一体開発」構想を主導している。長老らを交えて河北省の保養地で意見を交わす8月前半の「北戴河会議」でも「一体開発」を含む次期5カ年計画が議論された。
天津では北戴河会議を終えた習による自由貿易区視察への期待があった。8月11〜13日の中国の人民元切り下げは、中国経済への不安を誘発した。習が自由貿易推進、経済安定へのメッセージを内外に発する地に天津を選べば「一体開発」にも役立つ。しかも天津トップは習の秘蔵っ子、黄興国(60)だ。
「主席の天津視察は当初、8月13日の予定だった。爆発で飛んだ」。関係筋が語る。本当に視察計画があった場合、12日深夜から続いた大爆発は習への露骨な威嚇との解釈さえできる。
習は警察、武装警察を仕切った周永康や、軍制服組トップ2人を軒並み捕らえ、部下らも排除した。当然、恨みを買った。皮肉にも習の視察予定は、警備担当の警察、そして軍が把握している。警察、軍の主要幹部は習の「お友達」に差し替えたが、全ての残党排除は難しい。
「真相はやぶの中。それでも内部犯行という最悪のケースも念頭に軍事パレードでは厳戒態勢を敷いた」。関係者によると、9月3日の北京での軍事パレードは疑心暗鬼の中で進んだ。
危険物が詰まるガソリンスタンドは封鎖。戦闘機の編隊飛行では後部座席に銃を構えた兵士を配した。万一、パイロットが天安門上空で奇妙な動きをすれば制止する特殊な役割を担ったとの見方がある。
(敬称略)
[日経新聞9月30日朝刊P.2]
(3) 2年後へ「竜虎」にらみ合い
9月21日、天津市トップの黄興国(60)は、大爆発があった浜海新区内にある天津自由貿易試験区を視察した。前日、開業した北京から天津駅を経て浜海新区に至る高速鉄道に乗り、新駅に降り立った。「事故後の混乱で厳しい視線にさらされた黄の復活を狙う演出だ」。中国の政治研究者が指摘する。
そもそも石油閥、司法・警察系統を仕切った最高指導部経験者、周永康(72)の裁判はなぜ天津で開かれたのか。周派残党の不穏な動きを封じるには、北京以外の地方都市が望ましい。しかも天津には、習近平(62)の肝煎りでトップに引き上げたばかりの黄が控えていた。
習は浙江省時代に同省出身の黄と関係を深めた。浙江省や福建省での縁で抜てきされた子飼い人材は習の「新軍」と呼ばれる。黄は2年後の人事で習の秘蔵っ子として指導部入りが噂される。「誰も信用できない」という習は「お友達」で周囲を固めたい。黄は重要な駒だ。
大爆発から1カ月後の9月12日。現場付近はなお封鎖され、顔を全て覆うガスマスク姿の武装警察が要所に立っていた。何とも言えぬ焦げ臭さが立ち込めている。一度、国営メディアが公式報道した「神経ガス」の発生は一転して否定されたが、現場は物々しい。黄が事故処理の不手際を政敵に批判されれば、習の痛手になる。だが、習は逆に攻勢に出ようとしている。
習は「お友達」抜てきへ様々な布石を打った。「共産党では既にトップ独裁に道を開く幹部任用制度の改正が進む。皆、気付かないだけ」。党制度を熟知する人物の指摘だ。簡単に言えば前国家主席、胡錦濤(72)時代に客観基準を設けた任用制度の否定である。柔軟な登用といえば聞こえが良いが、トップの意のままの抜てきが可能になる。
最も重要な変化は「年齢を重視しない」ことだ。今の内規では共産党大会時、67歳以下なら最高指導部に入れるが、68歳以上は引退する。現最高指導部7人中、2年後も続投できるのは習と李克強(60)だけだ。年齢制限が有名無実化すれば、習の盟友で反腐敗の司令塔、王岐山(67)が残る奇策もあり得る。
「ポスト習」の有力候補は、共産党の人材育成組織、共産主義青年団が推す広東省トップ、胡春華(52)。対抗馬が重慶市トップ、孫政才(52)だ。“老人”続投なら次世代の席は減る。焦る胡や孫は、習にこびを売らざるをえない。
(敬称略)
[日経新聞10月1日朝刊P.2]
(4)消しきれなかった反日
この夏、元国家主席の江沢民(89)ら中国共産党の長老に数枚つづりの文書が何回か渡された。国家主席、習近平(62)による根回しだった。締めくくりの文言は「正義必勝 平和必勝 人民必勝」。北京の天安門に立った習が、抗日戦勝70年記念の軍事パレードを前に読み上げた演説文だった。
2回出てくる「日本」の文字の後ろには必ず「軍国主義」が付く。戦前の日本の軍国主義を責める一方、一般の日本人や現日本政府とは区別するという姿勢だ。「一時は強い日本批判が含まれていたが、複雑な調整の結果、削った」。作成の過程を知る党関係者が明かす。それは習自身の判断だった。
8月14日の安倍晋三(61)の首相談話への反応も同じだった。中国メディアが「直接の謝罪を避けた」と責め立てるなか、中国外務省は直接的な評価を避けた。日中関係の改善・維持を目指す習の意向を反映したおとなしい反応に、「すわ安倍訪中か」との期待さえ広がった。
実態は違う。不満を表に出さないだけで党中枢に近いほど談話への不満は強い。根強い対日強硬論の抑え込みにはリスクがあった。習は軍事パレードによる権力固めを優先し、安倍訪中の準備を指示しなかった。8月中旬、中国政府は首脳が参加する可能性がある国の大使館員を集め、式典の警備体制を説明した。日本は呼ばれなかった。
9月3日夜、駐中国大使の木寺昌人(62)はテレビにくぎ付けになった。戦勝記念行事を締めくくる「文芸の夕べ」の舞台だ。各国首脳を前に血まみれの多数の女性が恨みを込めた表情で立ち上がる。「南京大虐殺」を再現した演出で、背後には「300000」と中国が主張する犠牲者数が浮かび上がった。
舞台内容は各国代表団に伏せられていた。訪中実現なら安倍も見る可能性があったが、予想外の構成だ。「首相が来ないで正解だった」。日本大使館ではため息交じりの声が漏れた。
権力基盤を固めつつある習も反日を消しきれない。一定の配慮までが限界だ。中国は歴史認識や領土を巡るカードを手放さない。関係改善に向かっても尖閣諸島の領海への侵入は続く。中国でのスパイ容疑による日本人拘束事件も対日圧力に映る。
米ニューヨークの国連総会に出席した安倍と習は結局、首脳会談はおろか、立ち話もせず米国を離れた。緊張の中で協力を探る関係は、中国内の闘いと絡みながら続く。
(敬称略)
[日経新聞10月2日朝刊P.2]
(5)米国揺るがす「狐狩り」
9月中旬、米国に14年も潜伏した汚職絡みの中国人容疑者がチャーター機で中国に降り立った。米側が引き渡しに応じたのだ。1週間後、米中首脳会談を終えた国家主席、習近平(62)は「厳格な共産党の統治を進める」と自らの反腐敗運動を宣伝した。公安当局も高飛びした犯人を連れ戻す「狐(キツネ)狩り」作戦に没頭する。中国の内政が米国に持ち込まれた形だ。
米中間には犯罪人引き渡し条約はない。協力度合いは米のさじ加減で決まる。焦点は米国に逃げた令完成の扱いだ。兄は汚職理由で失脚した令計画(59)。前トップ、胡錦濤(72)の側近だった。新華社の記者経験がある令完成が持ち出したとされる指導者絡みの機密情報が暴露されれば習の痛手になる。
令完成引き渡しを狙う習指導部は、中国外務省の若手エース、劉建超(51)を引き抜き、国家腐敗予防局と中央規律検査委員会の国際協力の責任者に据えた。「中国の反腐敗はますます国際社会の支持を得ている」。重圧を受ける劉は、米国から容疑者が着いた空港で米中協調を演出してみせた。
日本も他人ごとではない。中国メディアは京都に「令氏の豪邸」があると報じた。中国系企業が令計画の家族への贈り物として巨額で購入したとの示唆だ。中国人観光客の間では有名で、記念撮影の場にもなった。
今回、ニューヨークで習が泊まったのは名門ホテル、ウォルドルフ・アストリア。歴代米大統領が国連総会の定宿とし、各国首脳と会う重要な外交の場だったが、急成長した中国の保険会社、安邦保険集団に買収されたばかりだ。当然、米大統領のオバマ(54)や首相の安倍晋三(61)は宿泊を断念した。中国のサイバースパイを問題視する中、リスクは冒せなかった。
安邦保険を巡っては、果敢な報道で知られる広東省の有力紙、南方週末が1月、高級幹部の子弟「太子党」人脈との関わりを詳報し、物議を醸した。元帥だった陳毅、ケ小平の一族の利権を暗示していた。南方週末は反腐敗に聖域はないとする習のスローガンを逆手にとった。だが結局、謝罪に追い込まれた。
習の基盤である太子党は一枚岩ではなく、習との距離も様々だ。それでも太子党には勢いがある。安邦保険など米に浸透する中国マネーは国連外交の様相さえ変えた。
(敬称略)
中沢克二、大越匡洋、中村裕、阿部哲也、永井央紀、原島大介、柏原敬樹が担当しました。
[日経新聞10月3日朝刊P.2]
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