2. 2015年9月29日 23:47:26
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アングル:欧州が掲げた「友人の輪」構想、難民流入の悪夢招く ロイター 9月29日(火)14時42分配信 9月29日、東はコーカサス地方から南はサハラ砂漠にかけて「友人の輪」を築くという欧州連合が掲げた構想は、内戦や紛争を逃れる難民が欧州に押し寄せたことで、悪夢へと変わろうとしている。ヘジェシュハロムで23日撮影(2015年 ロイター/Leonhard Foeger) [ブリュッセル 29日 ロイター] - 東はコーカサス地方から南はサハラ砂漠にかけて「友人の輪」を築くという欧州連合(EU)が掲げた構想は、内戦や紛争を逃れる難民が欧州に押し寄せたことで、悪夢へと変わろうとしている。EUの「東方拡大政策」が奏功し、旧共産圏諸国が市場経済の民主国家に移行して欧州に同化したのとは対照的に、2003年に始まった「欧州近隣政策」は目を覆うばかりの失策となった。 スウェーデンのカール・ビルト元首相は「現状を見る限り、われわれは『友人の輪』ではなく『苦難の輪』に囲まれているという結論を避けられないようだ」と述べた。 欧州近隣政策は、欧州の近隣に位置する16カ国に対し、EUの民主主義、行政、経済の基準を導入するのと引き換えに、資金や技術支援、市場アクセスを提供するが、ただしEU加盟は認めない、というものだった。 EUの近隣諸国を安定化または民主化するという狙いが頓挫したのは、欧州には制御できない力が働いたことも一因だ。すなわちソビエト連邦崩壊をめぐってロシアが抱く遺恨や、中東における激しい政治闘争や宗派間対立といったものだ。 東方6カ国のうちウクライナ、モルドバ、ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンの5カ国は、ロシアが加担する一発触発の「凍った紛争(フローズン・コンフリクト)」を抱えて弱体化し、残るベラルーシは権威主義的政権のもとでEUの経済制裁を受けている状態だ。 しかしEU高官はいまや、欧州の近隣政策は初めから傲慢さと稚拙さが入り混じった不完全なものだったと認める。友人というより「目下のものを保護する」立場で、何をすべきかを教えようとしたためだ。近隣諸国は自分たちのようになりたいに違いない、という思い込みが背景にあった、とある高官は指摘する。 EUのやり方は多くの条件を課す半面、見返りがあまりにも少なかった。押しつけがましい監視に対し、ベラルーシやアゼルバイジャン、エジプト、アルジェリアなどの権威主義者や独裁者は自分たちの利益が脅かされかねないと受け止め、直感的に抵抗した。 また、経済発展や統治の水準が大きく異なる国々と画一的な関係を築こうとしたものの、大半の国ではEUの市場や環境、保健、安全性の法制度をそのまま導入する準備ができていなかった。 北アフリカや南コーカサス地方の国々がそれぞれ域内で協力関係や貿易関係を築くだろうという前提も、実際には異なっていた。 そのためEUの近隣政策について抜本的な見直しを行うことになり、より穏当で柔軟、かつ差別化した新しい方針が11月17日に発表される予定だ。今回の見直しが効果的かどうかは今後を見なければわからない。 元英国大使で現在はロンドンのシンクタンク、欧州改革センター(CER)に在籍するイアン・ボンド氏は、現行の政策が「矛盾と希望的観測に満ちたもの」だと指摘する。 2010─11年の見直しでは「深化した持続可能な民主主義」の促進を目指したが、その後リビアとシリアは無政府に近い状態に陥り、エジプトでは軍事クーデターが起き、アゼルバイジャンなど複数の国々で市民社会やメディアの抑圧が悪化した。 EU高官らは新たな現実主義が必要だと話す。それは人権や民主主義について説き教える前に、パートナー国との共通の利益を追求することだ。 ただ、現実にはEUと近隣諸国との関係で喫緊の課題となるのは中東やアフリカからの大量の難民流入を抑え、制御することであり、それが他のすべての重要事項に優先される公算が大きい。 すなわち、経済発展や行政改革に割り当てるべき予算は、難民の収容施設の準備や欧州に押し寄せてくる原因の解決のために回すことになるだろう。 友人の輪は、もっと良い時期が来るまで待たねばならない。差しあたってEUが望んでいるのは難民の洪水から身を守ることだ。 (Paul Taylor記者 翻訳:長谷川晶子 編集:加藤京子) 【関連記事】 9月のユーロ圏景況感指数、105.6に上昇 4年ぶり高水準を更新 〔アングル〕欧州の掲げた「友人の輪」政策の失敗、難民流入の悪夢招く 〔マーケットアイ〕外為:ドル119円半ば、独HICP後のユーロ動向に関心 欧州委、「ユーロ圏財務相」ポスト新設する必要=モスコビシ委員 欧州市場サマリー(28日) 最終更新:9月29日(火)20時31分 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150929-00000054-reut-m_est 地中海渡る難民50万人超=国連 時事通信 9月29日(火)20時30分配信 【ベルリン時事】国連難民高等弁務官事務所は29日、中東やアフリカから地中海を渡って欧州に入った難民らの数が年初からこれまでに約51万4000人に上ったと明らかにした。 過去最多を大きく更新し増え続けている。 ギリシャに約38万3000人、イタリアに約12万9000人が押し寄せた。全体の54%がシリア人で、アフガニスタン人(13%)、北東アフリカのエリトリア人(7%)が続いている。地中海を渡る途中で2980人が死亡または行方不明になっている。 【関連記事】 【特集】「黄金郷」を目指す難民たち:EU統合「理想と現実」の相克 〔写真特集〕西欧目指す移民たちの群れ 〔写真特集〕シリア政変〜「イスラム国」が勢力拡大〜 〔写真特集〕「イスラム国」〜異教徒を並ばせ、集団斬首〜 【特集】イスラム国〜恐怖統治の実態〜 最終更新:9月29日(火)20時34分 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150929-00000157-jij-int ブローカー35人 シリア難民に聞いたドイツまでの道のり 難民を海へと引きずりおろすギリシャ警察 Wedge 9月28日(月)12時11分配信
「ギリシャ警察は難民の命なんてどうでもいいと思っている。おぼれて死んだ人もいたと思う」 ファディ氏も海に投げ出され、漂流物につかまりながら3時間くらいは海の上を漂っていただろうか。手を貸してくれたのはトルコ警察だった。キオス島の近くまで連れて行くと「あとは泳いで行け」とだけファディ氏に伝えた。 欧州難民で密航業者が急成長 悲劇に咲いた“あだ花” ブローカー35人 シリア難民に聞いたドイツまでの道のり 難民を海へと引きずりおろすギリシャ警察 ドイツに入国したシリア人難民のファディ氏一家 SMSで連絡を取り待ち合わせたのは、フランクフルト中心部にあるマクドナルドの前。この街の住民の4分の1を外国人が占める。お互いすぐには分からないかもしれないと心配したが、5歳、7歳、9歳の愛らしい少女3人を連れ、マクドナルドの前の道の真ん中をたちつくす夫婦は他の外国人とは少し違って見えた。もちろん、自転車で現れた日本人の私に向こうも同じ感想を持ったに違いないが。 「どこかお店に行きましょうか」 私がそう言うと、「外ではだめですか?」と言う。店に入るのをあまりにも頑なに拒むが9月のフランクフルトはもう風が冷たい。 「子供たちに風邪をひかせたくありません。私がご馳走するのでお店に入りましょう」 それを聞いた子供たちは目をきらきらと輝かせ、父親に何か耳打ちした。父親はたしなめるような仕草をしたが、どうやら子供たちは「マクドナルドでアイスクリームが食べたい」と言ったようだ。 父親は「一番小さいのにしてください。自分は水だけで何も要りません」と言ったが、子どもたちは「チョコレートかイチゴのソースにしてね」と人懐っこく私の手をとった。 ブローカー35人 シリア難民に聞いたドイツまでの道のり 難民を海へと引きずりおろすギリシャ警察 画像 ダマスカスからトルコ、そして欧州へ 父親は昨年12月、ドイツに入国したシリア人難民のファディ氏、38歳。未だ正式な仕事は見つからず、フランクフルト市内にある難民収容施設内で通訳などをしながら他の難民と共同生活している。毎月、ドイツ政府から支給される手当は399ユーロ。この8カ月というもの生活費を50ユーロ以下に抑えて貯金し、先月、ついに家族をドイツに呼び寄せることができた。 この日、ファディ氏一家は難民支援のNGOが見つけてくれた市の中心部にあるアパートの下見にきていた。難民収容施設からアパートまでは4キロほどある。しかし、移動は地下鉄や市電ではなく、家族6人揃って徒歩での移動だ。 ファディ氏一家はシリアの首都ダマスカス近郊にあるハラスタの出身。ハラスタは、ちょうど2年前の2013年10月ころから激しい戦闘が米CNNや英BBCでも繰り返し報じられ、壊滅に至った街だ。 英語の流暢なファディ氏は旅行会社のエグゼクティブ・マネージャーとして働き、一家は不自由のない生活を送っていた。ところが、2011年、シリア内戦が始まると戦禍はハラスタにも及び、爆撃や殺戮が始まった。 2012年7月、ファディ氏一家はダマスカスへと居を移す決断をした。ハラスタではたくさんの知人や親せきが亡くなり、生き残った数少ない人たちにも生命の危険が迫っていた。しかし、ダマスカスへ移ったところで状況は良くならなかった。ダマスカスの都市機能は麻痺し、物価は高く、仕事は無かった。 ファディ氏がダマスカスで始めたのは、自家用車を使った、反体制派の市民向けの私設地下病院への救急搬送サービスだった。 この病院の医師はたったの2名。机の上にマットレスを敷いてベッドの代わりとした簡素な施設には、連日のように負傷者が担ぎ込まれていた。薬は入手困難で、ブラックマーケットで高騰していた。 ファディ氏は兵士を対象とすることはせず、あくまでも一般市民のみを対象としたサービスを提供していた。ところが、間もなくして、ファディ氏が反体制派の医療施設に患者を運んでいることが知れると、ファディ氏は政府に命を狙われるようになる。 「このままでは家族まで巻き添えになる可能性がある」。そう判断したファディ氏は2012年10月、トルコへの逃亡を決意する。ダマスカスからイスタンブールへの直行便はすでになくなっており、ダマスカスからベイルートまでバスで向かい、ベイルートから飛行機を使って飛ぶことにした。今では国際線のチケットが高騰しているベイルートだが、当時はまだ高くなかった。 イスタンブールでの仕事は、物資を運ぶバンのドライバーから始めた。家を借りる金もなければ保証人もいないため、オフィスで寝泊まりして金を貯めた。2カ月後、湾岸国のかつての顧客から資金を借りることもでき、家族をイスタンブールに呼び寄せた。 少し金が貯まると、ファディ氏は再び湾岸からの旅行者向けの通訳や旅行案内を始めた。とはいえ、正式な旅行会社ではなく、自宅にいて個人で宿や交通機関の手配をするような仕事だ。家族を呼び寄せるために借りた航空券代を返し、家を借りることもできるようになったのまでは良かったが、在留許可を持たず、許可なく旅行業をしていることがトルコ政府の目に触れると営業を禁止された。 間髪入れず追い打ちをかけたのは、トルコ政府の外国人在留資格に関する政策転換だった。2014年、不法滞在者や難民に手を焼いたトルコ政府は、これまで隣国のシリア人だけは例外としていた、約200米ドルの在留許可を6か月ごとに取得し、かつ、年間の約3000米ドルの健康保険に入るという在留条件をシリア人にも義務づけたのだった。 2014年10月、音を上げたファディ氏は、再び単身で新天地欧州を目指すことにした。イスタンブールからバスでエーゲ海の街イズミルへ。ブローカーに料金を払うと、深夜、他の難民と寿司詰めのロングボートに乗り込み、イズミルからわずか40分の対岸にあるギリシャのキオス島を目指した。 ところが、ファディ氏を乗せたボートは、運悪く沿海を警備していたギリシャ警察に見つかってしまう。TIME誌によれば、最近ではトルコに近いエーゲ海に常時7、8艘のボートが見られ、ギリシャ側のリゾートホテルのプライベートビーチを難民が歩いている姿は日常茶飯事だという。ファディ氏によれば、当時そこまでの数の船はなかったが、ギリシャ政府は常に難民の上陸に目を光らせており、警察はファディ氏を含む全員をボートから海へと引きずりおろした。 「ギリシャ警察は難民の命なんてどうでもいいと思っている。おぼれて死んだ人もいたと思う」 ファディ氏も海に投げ出され、漂流物につかまりながら3時間くらいは海の上を漂っていただろうか。ファディ氏を見つけ、手を貸してくれたのはトルコ警察だった。キオス島の近くまで連れて行くと「あとは泳いで行け」とだけファディ氏に伝えた。ビニール袋に入れ肌身に着けていた財布、携帯、パスポート以外はすべて水浸し。着の身着のままの短パンにTシャツ姿で上陸し、キオスからアテネに行く船に乗りこんだ。 繰り返しアテネまで送り返される 「そこからの2カ月と4日は悪夢のようだった」 ファディ氏がそう語るのはアテネからの道のりだ。旅はエーゲ海で命を落とさず、キオスに泳ぎついて、アテネに着けば終わるわけではなかった。当時から、マケドニア、セルビアを経由してオーストリア、ハンガリー、ドイツに至るルートは難民たちの間で一般的だった。しかし、このマケドニア国境こそが最大の難関だった。 「ギリシャからドイツまで、歩けば3週間。かかる金は800から1200ユーロ」 これが難民たちの間でささやかれていた言葉だ。もちろん、気候と巡り会う警察官の性格や気分にもよる。しかし、人を介さなければ、かかる時間と金はこれだけのはずだった。 季節は秋を過ぎ、冬の始まりを感じさせていたが、ファディ氏はマケドニア国境を目指して歩き始めた。ギリシャとマケドニアの国境は山岳地帯である。雪の中、何日も山を歩き、その行程は決して楽ではなかったが、国境には何度も到達した。しかし、国境には驚くほどたくさんのマケドニア警察官が配備されていた。ファディ氏は「数えきれないほど繰り返し」国境に辿り着き、数えきれないほど繰り返しアテネまで送り返された。 しびれを切らしたファディ氏が相談したのは、以前、家族をイスタンブールに呼び寄せる際に金を融通してくれた湾岸の顧客だった。アテネにいるブローカーのひとりに5000ユーロを支払うと、ギリシャ国籍の偽造パスポートと航空券がすぐに準備された。 ブローカーとの取り決めは「飛行機内のトイレで偽造パスポートを破棄し、どこのパスポートも持たない“難民”としてドイツに入国すること」だった。 しかし、フランクフルト空港へ到着してファディ氏が入国審査官に提示したのは、母国から隠し持ってきたシリアのパスポートだった。 空港内の警察署へ連れて行かれ、「どうやってきたのか?」と質問されると、今度は黙って偽造されたギリシャのパスポートを差し出した。 その後、ファディ氏が送られたのは、ギーセンという田舎町にある「アメリカン・キャンプ」と呼ばれる難民の収容施設だ。ここは大戦後、アメリカの兵舎だった大きな建物で、当時はシリアの他、アルジェリア、アルバニアなど様々な国出身の難民が3000人ほど収容されていた。 ファディ氏によれば、「非常に治安が悪かった」というアメリカン・キャンプから、現在、住んでいるフランクフルトの別の収容施設へと移されたのは、2カ月24日後の2015年4月25日。最初、フランクフルト近郊のバーデンブルクに送られそうになったが「大きい町の方が安心して暮らせる」と答えたところ、フランクフルトへ来ることが出来たという。 シリアからドイツに至るまでの間、ファディ氏が金を払ったブローカーは35人にのぼる。ファディ氏はあらかじめ作っておいた、ブローカー全員の名前、連絡先、そしてスマホで撮った顔写真をリストにしたものをフランクフルト空港の警察で提出している。 「難民から法外な金をまきあげるブローカーを取り締まってほしい」 温和な表情で話し続けていたファディ氏が初めて憤りを露わにした。 ***** 「パパ、まだ?」 長時間にわたる取材に、さすがの子どもたちも飽きてきたようだった。私が持っているパイロット製の「消えるボールペン」に興味を持っているようなので、紙にひとりの子どもの名前をカタカナで書いて消すと「もう一度書いて」「私の名前も」とせがむ。 赤・青・黒の「消えるボールペン」をひとりずつプレゼントするとしばらくは静かに遊んでいた少女たちも、2時間を過ぎると限界のようだった。父親に何かをねだる子供たちに母親は少し険しい表情で何か言ったが、私には「フライドポテト」という言葉しか聞き取れなかった。 「5分だけ時間をください」 そう言うと、ファディ氏は子どもたちを連れてカウンターのある1階に降りて行き、Lサイズのフライドポテトを4つ注文した。フライドポテトはひとつ2.5ユーロ。会計は全部で10ユーロだ。慌てた私は「子供たちが退屈してお腹を空かせてしまったのは私のせいなので」と10ユーロ札を差し出した。しかし、ファディ氏は「子供たちに食べさせるのは自分の仕事。10ユーロは要りません」と受け取らない。 「今、NGOが新しいアパートに入れる家具を買うためのお金をくれると言っているのですが、それも断りました。ドイツ政府からは十分なお金をもらっている。ドイツ人には十分してもらった。私たちが家具を買うお金で、一人でも多くの移民を受け入れて欲しいからです」 マクドナルドに残って取材メモをまとめ帰路につくと、午後7時をまわったフランクフルトは暗くなり始めていた。自転車を走らせていくと、疲れた様子の小さな子どもたちの手を引く家族がいた。 ファディ氏一家だった。夜風は冷たくお腹は空いているが帰り道も徒歩。一人当たり数ユーロの地下鉄代がもったいないのだろう。手を振りながら自転車で通り過ぎて振り返ると、まだゆっくり寄り添いながら歩いている家族の姿が見えた。 村中璃子 (医師・ジャーナリスト) 前へ 1 2 次へ 2/2ページ 【関連記事】 人口減少、少子高齢化に対応 ドイツ、難民開放政策の背景 メルケルさん、重い扉を開いた先、見てますか? 西側の失政が難民危機招く EU、割当制巡り“東西対立”も激化 北欧最大のフェスに見る デンマークのチャリティ精神 オバマ政権の対シリア政策が破綻 ロシア、巻き返しの絶好機 最終更新:9月28日(月)12時11分 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150928-00010006-wedge-int&p=2 |