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記事に「アメリカの対ソ防諜(ぼうちょう)作戦である「ヴェノナ作戦」などが彼に関する証拠をつかむが、彼を逮捕・拘留はできない。彼は特権階級だからである」とあるが、超支配層は、“敵”に内通するものについても、意図的ないし泳がせて重宝に使っているのである。
本当に敵対的な動きをする人物なら、たとえ特権階級であろうとも“抑制”される。
裏でというか海の底でつながっていたとう米ソ関係にまつわる陰謀論を持ち出さなくとも、共産主義(国家管理資本主義)は近代主義の一形態であり、金融家的観点から言えば、自由主義的資本主義と対立するものではない。
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ピンポン外交の陰にいたスパイ ニコラス・グリフィン著
卓球で中国を助けた英国貴族
ピンポン外交。何とも滑稽さがただようが、これは、どの国も、あるいはどの組織もできなかった前代未聞の外交だった。
1971年3〜4月、名古屋で開かれた世界卓球選手権大会。文化大革命で出場できず6年ぶりの参加となった中国チームが、アメリカチームを北京に招待した。いまだ反共ブーム一色のアメリカ側にとっては、まさに青天の霹靂(へきれき)。チームは米国大使館から中国行きの許可を取り付け、訪中する。49年の中国共産党政権樹立後アメリカ人の最初の公式訪問であった。
これをきっかけに、米中が急接近し、翌年2月のニクソン大統領の訪中と米中共同声明の発表にこぎつける。この年の年末には、中国は、田中首相の訪中と日中国交回復をも含めて、約100カ国と国交を結ぶ。ピンポン外交は外交史に刻印される大成功であった。
このピンポン外交の立役者は、イギリス人のアイヴァー・モンタギュー(1904〜84年)で、イギリスで5本の指に入る大富豪の御曹司。大学進学前から社会主義運動に参加し、ケンブリッジ大学キングス・コレッジに入学するが、卓球に夢中になる。やがて彼は国際卓球連盟を創建し、自らが会長に就任する。22歳の時である。
その後、ソ連の海外秘密情報機関のエージェントとなる。「インテリゲンツィア(知識階級)」が彼のコードネームとなり、卓球による共産主義の伝播(でんぱ)を目指す。当然、イギリスの情報機関のMI5やMI6、さらにアメリカの対ソ防諜(ぼうちょう)作戦である「ヴェノナ作戦」などが彼に関する証拠をつかむが、彼を逮捕・拘留はできない。彼は特権階級だからである。
52年、建国3周年に合わせて訪中した彼は、台湾の排除と中国の卓球連盟加盟を承認し、61年に世界大会を北京で開くよう要請する。果たせるかな、58年から始まった「大躍進政策」の失敗がもたらした1700万人とも4500万人ともいわれる餓死者や、中ソ国境紛争などの負の部分を見事に隠蔽し、国民にナショナリズムを再確認させた大会は大成功をおさめた。
新生中国にとって、卓球は単なるスポーツではなく、外交手段でもなかった。強力な政治そのものになっていたことを日本人関係者を含む綿密な調査・取材をもとにあぶり出す。それにしても、モンタギューは39年の独ソ不可侵条約締結に遭遇しても、転向する構えを全く見せない、不退転の共産主義者であった。こうした彼の強靭(きょうじん)な姿勢をどう解釈すべきであろうか。
原題=PING−PONG DIPLOMACY
(五十嵐加奈子訳、柏書房・2600円)
▼著者は71年英国生まれ。作家・ジャーナリスト。現在は米国在住。
《評》法政大学名誉教授
川成 洋
[日経新聞9月13日朝刊P.23]
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