20. 2015年9月10日 15:31:10
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「難民で稼ぐ国」と「難民が稼ぐ国」…日本は「難民を見ない国」 論説委員 太田泰彦 http://www.nikkei.com/article/DGXMZO84345190T10C15A3000000/ 「難民」と聞いて、どんな姿の人物を思い浮かべるだろうか。汚れてボロボロの衣服、簡素なテント住まい、やせこけた身体、苦痛と悲しみでゆがんだ表情。もしかしたら履く靴がなく、素足かもしれない……。 ■合格率0.2%の狭き門 面と向かって難民と会って会話したことがある日本人は、そう多くはないはずだ。難民は日本の町の中を歩き回ってはいない。日本国内に住む難民の人数は限られている。ところが、難民認定を求める外国人の数は昨年、初めて5000人となった。これまでの最高だった2013年の3260人から、約5割も膨れあがっている。10年前の05年は、わずか384人にすぎない。世界の「難民候補者」にとって、日本の人気は急上昇しているのだ。 申請者が増える一方で、法務省が公式に難民と認定する人数は少ない。昨年は11人にすぎなかった。合格率と呼べば語弊があるが、約0.2%という極めて狭き門である。理由の一つは日本政府による「難民」の定義が、他の先進国に比べて厳しいからだ。 自慢するわけではないけれど、私は日本で何度も難民に会ったことがある。おそらく自分自身で気づいている以上に、しょっちゅう会っている。一番よく出会う場所は東京・高田馬場のあたり。JR駅の周辺に何軒もあるミャンマー料理のレストランで食事をすれば、すぐにこの意味が分かるだろう。厨房で料理してくれるおじさんも、皿を運んでくれるおばさんも、難民、もしくは元難民である。もちろん、汚れてボロボロの衣服など着ていない。ちゃんと靴もはいている。おまけに日本語が達者で、快活で、ミャンマーの少数民族の話や仏教の教えをおもしろおかしく話してくれる。なんで来日したのかと聞くと、過去の政変の際に難民として日本にやって来たのだと教えてくれた。いまは日本に住む普通の外国人だ。 世の中に「難民」という特別の人種がいるわけではない。制度や法律などの規定に基づいて社会の側がそう呼ぶから、普通の市井の人々が「難民」になるのだ。日本人は受け入れ実績が少ないこともあり、「難民慣れ」していないのは事実だろう。異質を嫌うのは日本社会の特性かもしれない。だから難民という言葉は、時に偏見をもって語られがちだ。 そもそも、難民の正確な定義はどうなっているのか。詳しくは1951年7月に国連で採択された「難民の地位に関する条約」と、67年の「難民の地位に関する議定書」に書いてある。この2つを合わせて、通常「難民条約」と呼ぶ。法的な文章では、こんな風に表現されている。 「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、または政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者、またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」 なるほど、条約上はかなり広い解釈ができるようになっていることが分かる。これを読めば、日本人の中でも「ひょっとして自分も難民になって外国に逃れられるかも?」と考える人もいるかもしれない。さまざまな理由で、自分の国で差別や迫害を受けていると感じ、よその国に逃れたいという願望を抱く人がいても不思議ではない。 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、13年末の時点で、紛争、迫害や人権侵害のために移動を強いられた人の数は5120万人に上る。イタリアや南アフリカなど、中規模の国の丸々一国分の人口にも匹敵する規模の人々が、自分の国を追われて世界中でさまよっているのだ。1年前に比べて600万人も増えたのは、泥沼化したシリア紛争が原因である。 ■難民の出身国1位はアフガニスタン ちなみに人数で見た難民の出身国の1位はアフガニスタン(256万人)、2位はシリア(247万人)、3位はソマリア(112万人)で、この3カ国で全体の半分以上を占める。受け入れ国の首位は、意外にもパキスタンで、イラン、レバノン、ヨルダン、トルコと続く。受け入れ国に新興国や発展途上国が多いのは、紛争地域と地理的に隣接しているのが理由だろう。 以上は実態としての難民の数字や順位だが、国や国際機関などに公式に難民の「地位」を申請した事例を統計で見ると、出身国の1位はシリア、2位はコンゴ、3位はミャンマー、4位がアフガニスタン、5位はイラク。受け入れ国の1位はドイツ、2位が米国、3位が南アフリカ。そしてフランス、スウェーデンと欧州の国々が続く。世界第3位の経済大国である日本の名前はリストの上には出てこない。 こうした世界の難民の実情について、私たち日本人はあまりにも無知で、あまりにも鈍感ではないだろうか。ありていに言えば、現在の日本は「難民受け入れ後進国」である。認定条件が厳しいのは、先述の難民条約を狭く解釈しているからでもある。シリアなどの紛争地域から逃れてきた人々は、戦乱が収まるまでの間、国外に一時的に避難しているのだと考えれば、本当の難民とは呼べない――。今の日本政府は、こうした立場をとっている。 さらに、日本では繰り返して難民申請ができ、申請中は本国に強制送還されない。在留資格を持つ人に限り、申請の半年後から就労も認められている。この制度を悪用して、難民と呼べるほどの背景や事情もないのに、出稼ぎ目的で来日した「偽装難民」が特権的な難民の「地位」を申請する例は、枚挙にいとまがないそうだ。 今後の日本にとっての難民問題を考える上で重要なヒントは、南洋の常夏の島々にあった。ジパングの取材班は太平洋に浮かぶ小さな島国、キリバスとナウルに飛んだ。番組の中では「アリ」と「キリギリス」として、対照的な例として紹介している。その衝撃的な難民の生活実態をとらえた取材映像にご期待いただきたい。 ■全国民が難民になる可能性も キリバス共和国は水没しつつある国である。地球温暖化で水面が上昇し、サンゴ礁でできた美しい国土が、どんどん小さくなっている。そう遠くない将来に、人が住む場所は無くなってしまうかもしれない。つまり人々は国を去らざるをえず、10万人の国民全員が難民となる可能性はゼロではない。その危機感から、いまキリバスは、国民がどこに移住しても稼いで食べていけるようにと、職業に直結した技能訓練に力を入れている。仮に国土が消えたとしても、漁師として技能工として勤勉に働くキリバス人は、歴史に生き続けるだろう。いわば自らが「稼ぐ難民」となる覚悟で頑張っている国なのだ。 ナウル共和国は逆に、外国から難民を大量に受け入れている。といっても、ナウルを目指してやってきた難民ではない。移民国家であるオーストラリアを目指して中東や南アジアから命を賭して航海してきた「ボートピープル」が、めぐりめぐって、この国に送られてくるのだ。豪州は時々の政権によって移民・難民政策が猫の目のように変わる。 現在は受け入れに消極的で、豪州政府によって洋上などで身柄を確保された難民たちは、インド洋にある豪州領クリスマス島に集められ、数カ月間にわたって「移住受付処理センター」に収容される。その中の相当数の難民は豪州本土ではなく、はるか遠方のナウルに送られ、豪州政府はナウル政府に対して「難民委託費」とも呼べる補助金を支払う仕組みになっている。いわば札束をつけて難民を押しつけるのだ。ナウルの財政は、この豪州からの資金によってなんとか成り立っているのだという。ナウルは難民を受け入れることでカネを稼ぐ国なのだ。 難民は輸出したり輸入したりするモノではない。人間である。美しい南洋の島に住み、安全で健康な暮らしが保証されるのは素晴らしいことではあるが、生きる目的があり、自分自身が価値のある存在だと感じなければ、充実した人生は望めないだろう。仕事をして何かを生み出すか、人の役に立つか、あるいは勉強をして自分の能力を磨くか。施設に放り込んだだけでは、人は生きてはいけない。 ■真正面から向き合うオーストラリア だが、どんなにひずんだ形であれ、豪州やナウルは現実に日本より多くの人数の難民を受け入れている。豪州政府も国内世論や経済情勢をにらみながら、苦渋の選択をしているに違いない。少なくとも世界共通の課題である難民問題に、真正面から向き合い、悩んでいる。難民に無関心の日本は、さしずめ「難民を見ない国」と呼べるのではないか。 番組が描くのは、世界に5000万人いる難民の、ほんの一部の極端な事例にすぎない。だが、普段は日本人の視野や思考に入ってこない難民問題について、少しでも思いをめぐらせる一助となれば幸いである。3.11の東日本大震災から4年がたった。日本国内にだって、仮設住宅で暮らし続ける“難民”がいるではないか。わたしたち日本人は、国内の“難民”にすら、目をそらしてはいないだろうか。
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