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外交では事実認識が大事
米ハーバード大学名誉教授エズラ・ヴォーゲル氏に聞く
2015年6月19日(金)石黒 千賀子
このほど来日したハーバード大学名誉教授のエズラ・ヴォーゲル氏に、習近平国家主席下の中国と米中関係をどう見ているかを聞いた。ヴォーゲル氏は、欧米の学者187人が5月5日に発表した日本政府に対し第2次大戦における「過去の清算」を促す声明(日本語、英語)に名を連ねている。現在の安倍晋三政権のアジア政策と、今回の声明を発表した理由とそこに込めた思いも併せて聞いた。ちなみに同声明への賛同研究者は450人に達している。
(聞き手は、石黒 千賀子)
現在の習近平政権下の中国をどうご覧になっていますか。
エズラ・ヴォーゲル(Ezra Vogel)氏
ハーバード大学名誉教授
1930年米国オハイオ州生まれ。50年オハイオウェスリアン大学卒業後、米陸軍に2年間勤務し、58年米ハーバード大学にて博士号(社会学)取得。日本に加え、61年以降は中国研究にも着手。67年にハーバード大学教授、72〜77年同大学東アジア研究所長、80〜88年同日米関係プログラム所長、95〜99年同フェアバンク東アジア研究センター長などを歴任。79年に出版した『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』は日本でベストセラーになった。2011年には10年強を投じて執筆したという『ケ小平』(日本語版は2013年)を出版した(写真:大高 和康、以下同)
ヴォーゲル:習氏は若くして福建省長や浙江省党委員会書記を務めるなど、地方では行政手腕を発揮し、高く評価されてきました。父親がかつて副首相だったおかげで広い人脈があったことも功績作りに役立ったと思います。
しかし、国家主席に就任するまで世界情勢を学んだり国際政治に接したりする機会はあまりなかった。ここがケ小平氏とは大きく異なる点です。
米国でも州知事から大統領になる人は、行政は経験が豊富で強いですが、世界情勢には疎いケースが多い。一方、連邦議員から大統領になる人は、世界情勢には詳しいものの、行政に弱い。
習氏はゴルバチョフを反面教師にしている
習主席は、米国でいうガバナータイプということですね…
ヴォーゲル:そう。海外の経験が豊富だったケ小平氏と比べると、世界のことをあまり知らないできた。ケ小平氏ともう1つ異なる点があります。ケ小平氏は、国の政策の方針など大事なところはよく考えて、あとはまかせていたが、習氏は権力を自分の手に集中させ、毎日15時間くらいは働いて、細かいところまで自分で統制したいタイプです。
そうした習氏が中国を統治する立場に立った時、国民に自由を認めたことでソ連の崩壊を招いたゴルバチョフ氏のことを意識し、中国がそうした事態に陥ることを非常に懸念したと聞いています。だから中国共産党と異なる意見を持つ西欧の思想や知識階級、少数民族の存在を非常に危険視しており、厳しいスタンスを貫いている。
今の中国は1978年頃とは異なり、経済面でも、軍事面でも大変力を付けてきており、非常に自信を深めている。国際政治の経験が乏しい一方で、自信を持ったがゆえに、外交をうまく展開できなかったと私は見ています。
例えば、尖閣諸島問題もケ小平氏のように棚上げしていたら、いろんなことがうまくいったでしょう。しかし、自信満々だったから強気に出てしまった。
しかし、中国は南シナ海でも領有権を主張し、暗礁を埋め立てるなど強気な姿勢はむしろ一層際立っています。
ヴォーゲル:中国は今、大国にふさわしく海洋を自由に移動できる「Freedom of navigation(航行の自由)」というものを確保したいと強く考えている。過去100年強は弱かったが力を付ければ、それを表すのは自然なことで、南シナ海や東シナ海で強気に出ても外国は認めると考えていたように思います。
東シナ海、南シナ海ではまだ国際法が厳密には成立していない
しかし各国から強い反発が出ました。それらに応じる気配はありません。
ヴォーゲル:確かに様々な建造物を埋め立てた地に建てていますが、それには平和的な目的もあるようです。つまり、何か非常事態が発生した時には、「ほかの国に利用してもらってもいい」という「世界のために」という発想もあるようです。我々、専門家の間でも「危険だ」と見る向きと2つの見方に分かれています。
また、太平洋や南シナ海の辺りについては、まだ国際法が厳密には確立していません。非常にまだあいまいなので、それだけにベトナムもフィリピンも自国に少しでも有利にと強気、強権的に出ています。
中国も様々な国と衝突するのは危険だと分かっている。もしケ小平氏が生きていたら、中国がああいう動きには出ることはなかったでしょう。棚上げ政策を続けたと思います。それは、ケ小平氏は歴史をよく理解し、大国を含め諸外国と仲良くすることがいかに大事かを分かっていたからです。
しかし、習氏は「我々の国は強くなったのだから、(ケ小平氏の韜光養晦=能力を隠す=の政策とは)異なる政策が適切なはずだ」という考えです。国内の世論を統一させるためにもああした強気のスタンスが必要だし、中国世論を考えれば自ら間違ったとは絶対に言えないという事情もある。
だから中国が今の動きをやめることはないでしょう。ただ、多くの国と協力し、関係を築きたいとは考えているので、今後、少しソフトになる可能性はあると見ています。
例えばフィリピンでアキノ大統領が来年退任すれば、次期大統領とは少し協力的になる可能性がある。そうした余裕は出てきたように見える。
それは反腐敗運動に見られるように習主席の権力基盤が固まってきたということですか。腐敗撲滅は権力闘争にも見え、習主席にとってはリスクともなり得るように見えます。
ヴォーゲル:確かに権力闘争の面があり、その意味でリスクはありますが、中国では腐敗の問題は極めて大きかったので、中国の国民は大歓迎している。その意味で反腐敗運動をかなりうまく展開してきたし、権力基盤固めという点でも成功しつつある。総書記および国家主席としての2012年からの5年の任期に加えて、後半の2017年以降の任期5年もあるので、反腐敗の動きは続くでしょう。
中国を危険視する傾向はメディアにも責任がある
分かりました。では、米中関係はどうご覧になっていますか。
ヴォーゲル:これには様々な側面がありますが、まず、オバマ大統領と習氏は2013年6月にカリフォルニアで約7時間話をし、昨年北京でも会談した。今年9月には習氏が再び訪米します。天安門事件以降、米中首脳会談で軍事問題を取り上げることはあまりなかったが、この2人は軍事問題についても話せる。
つまり、冷戦時代の米ソのように対立していても、話し合うことで関係を維持できる可能性は高いと見ています。
ただ、米国でも中国を危険視する向きは強くなっています。これはメディアの責任も大きい。雑誌も新聞も、読者を少しでも獲得しようと面白く書こうとする。例えば、オーストラリアの元首相で中国語にも堪能なケビン・ラッド氏*1が今春、中国に関して発表した論文は非常にバランスが取れていていい内容だが、メディアは注目しない。
*1 2007年12月〜2013年9月18日まで首相を務めた。2014年から米ハーバード大学行政大学院(ケネディースクール)のフェローとなり、今年4月に1年かけて執筆したという「U.S.−CHINA 21 THE FUTURE OF U.S.-CHINA RELATIONS UNDER XI JINPIN:(21世紀の米中:習近平政権下における米中関係の将来)」と題した52ページの論文を発表している
一方、マイケル・ピルズベリー氏*2やロバート・ブラックウェル氏*3など、中国について過激な論を展開する人の本ばかりをメディアは大事だ、として取り上げる。
*2 1970年代のニクソン政権から現オバマ政権まで米国防総省で中国の軍事動向を調べる職にあり、中国の軍事戦略研究の権威ともされるピルズベリー氏は今年2月、『The Hundred‐Year Marathon:China’s Secret Strategy to replace America as the global superpower(100年マラソン:米国に変わって超大国を目指す中国の秘密戦略)』を出版した
*3 外交誌「Foreign Affairs」を発行する米外交問題評議会(CFR)のシニアフェローで、今年3月、共著で「Revising US Grand Strategy Toward China(米国の対中基本戦略を改める」と題した論文を発表した
米国が圧倒的な覇権国であるという時代は去りました。米国はまずこれを認識すべきです。一方、中国が圧倒的に強くなるかはまだ決まっていない。
現米政権内でも中国を専門とする米学者の間でも、中国をそこまで危険視する必要はないとの考え方が主流です。
次期大統領に誰がなっても米国は中国と協力し続ける
オバマ大統領の任期はあと1年半。次に誰が大統領になるか分かりません。
ヴォーゲル:米大統領選が始まりますが、ビル・クリントン氏も選挙中は中国政府を「(天安門事件で学生を殺すような)北京の虐殺者たち」とひどい言葉で批判していた。だが、実際に大統領になり、当時の江沢民国家主席と会談した際には互いに抱き合うほど距離を縮めた。
息子の方のジョージ・ブッシュ氏も大統領選中は中国についてひどいことを言っていましたが、大統領になってからは中国トップとは様々な話をした。
キッシンジャー氏も指摘していますが、民主党、共和党に関係なく大統領になれば中国と協力しなければあらゆることがうまくいかないのを知っているので、誰が大統領になっても中国とうまくやるでしょう。
アジアインフラ投資銀行(AIIB)についてはどんな対応になるでしょうか。
ヴォーゲル:アジア諸国はインフラが欠けており、その充実には莫大な資金が必要です。アジア開発銀行も世界銀行もそれほど資金を拠出してこなかった。
中国が資金大国になって、世界のためにインフラ開発に取り組もうというのは適切だと思います。米国も早晩参加すると見ています。日本も数年以内に参加するでしょう。中国の一帯一路の発想も悪くない。AIIBに参加する各国が中国と議論をしつつ世界の法律、秩序に従い事を進めればいい。
安倍首相の米議会演説で戦争責任への言及は十分ではなかった
では、安倍晋三政権のアジア政策への評価をお聞かせください。
ヴォーゲル:まず安倍首相の2013年末の靖国神社参拝は間違いだった。中国だけでなく、欧米諸国もそう見ています。
やはり、日本が中国ともう少し友好的、協力的にならなければ危険です。安倍首相が4月末に訪米して米議会で演説した際、日本の「戦争責任」についての言及はそれほど明白ではありませんでした。反省として、確かにあの戦争について「deep remorse(悔恨)*4」という言葉は使った。それはまあいいんですが、中国との関係を悪化させないための最低限、ミニマムの表現にすぎませんでした。
*4 安倍首相は演説前に米国で第2次大戦メモリアルを訪れたことについて演説で触れ、「私は深い悔恨(with deep repentance)を胸にその場に立って黙とうをささげました」と語ったが、この悔恨は米国及び戦争で命を落とした米国兵に対して発せられたと受け止められている。演説の中で戦争責任について言及したのは、その後、戦後の日本を語るくだりで、「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省(deep remorse)を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代首相と全く変わるものではありません」と語ったのみだった。
村山談話という言葉を使わなくてもいいですが、中国や韓国との関係を改善するために「戦争で我々は間違った」とはっきりと認め、「深く反省しており、悔恨の気持ちがあり、二度と同じ過ちは犯さない」というもう少し気持ちの入った踏み込んだ表現があってよかったと思います。
今の中国の若い人の中には祖父を日本兵に殺されたという人がいる。彼らの日本への気持ちは非常に強いものがある。しかし、そうした事実を知らない日本の若い人がいます。日本は、若い人に現代史、特に戦争中の事実を十分に教えていない。もう少し、詳しく教えるべきです。
中国も若い人に、日本が戦後、中国の経済発展のためにいかに貢献したかを教えていない。これも教えるべきです。どの国の指導者も誇りに思うことを若い世代に教えたいと考える。それは分かる。だが「間違ったこと」についても認め、伝えていく必要があります。
米国も、ネイティブアメリカンや黒人に対してやってきた過去の間違いを認める必要があります。そうして初めて相互の理解が進むのではないでしょうか。
中国や韓国が過去の歴史について大げさに言うことがあります。「南京事件で30万人の中国人が殺された」という議論はその1つと言えます。しかし、こうした数値や事実については歴史家の研究や発言にまかせるべきです。日本の指導者は「それは大げさだ」といった発言は控え、中国、韓国との関係を築いていくために過去の過ちを認め、そうした発言をするべきだと思います。
戦後70年の談話発表は日米韓にとり好機
安倍首相が訪米から帰国した直後の5月5日、欧米などの日本研究者186人と「日本の歴史家を支持する声明」を発表されました。
ヴォーゲル: あの声明は、日本が植民地時代に行った過ちについて研究したり、発表したりしている日本の学者が最近、大学の職を奪われたり左遷されたり、右翼の攻撃を受けたりしている現状を聞き、同じ学者として学者の研究の自由は守られるべきだし、そうした日本の学者、研究者を支持したいと表明することが狙いでした。そうした研究の自由は守られるべきですから。
安倍首相が訪米する数カ月前からああした公開書簡(open letter)を書こうということで動いていましたから、必ずしも安倍首相による米議会での演説と直接関係しているわけではありません(下記の補足記事をご覧下さい)。
実は、声明は私が音頭を取ってまとめたのではありません。しかし、内容は正しいし、同感したので私も署名しました。
やはり大事なのは事実認識です。私には最初に来日した1957年以来、多くの友人が日本にいます。中国にも友人は多くいる。米中関係も、日中、日韓関係も今後、世界が発展していくためには非常に大切です。それだけに8月15日に向けて安倍首相が発表する談話には期待しています。謝らなくても日本の指導者がもう少し心を開けば、中国、韓国との関係を改善する好機となります。日中韓の関係がよくなることは、何より日本の将来のためになりますし、それは私の希望でもあります。
「日本の歴史家を支持する声明」の取りまとめに尽力したメンバーの1人である米コネチカット大学のアレクシス・ダッデン教授(専門は現代日本史、現代韓国史)に声明作成の狙いと経緯を聞いたので紹介しておきたい。
日本を含むアジアの歴史、世界の歴史を研究してきた欧米などの研究者、歴史学者たちは、過去何十年も日本にいる歴史研究者たちと互いに協力しながら研究を進めてきた。だが、この1〜2年、日本における日本現代史を研究する学者やライター(ノンフィクション、フィクションの双方を含む)が、日本政府の方針を反映した指導などを通じて、様々な圧力を受けたり、日本近代史、現代史に関する特定の事柄について扱うことが難しくなるケースが増えてきている。
こうした事態に懸念を持った学者たちが今年3月、アジア研究協会(アジアを専門とする研究者の連絡・情報交換を目的として1941年に設立された米国の学術団体)の年次総会がシカゴで開催された際に、多くのアジア研究者が集まる貴重な機会と捉え、この問題について議論をする場を設けた。ただし、この会合は年次総会の一貫としてではなく、年次総会とは独立した形で開かれた。そして、そこでの議論を経て、日本に向けて何らかの公開書簡を作成することを決めた。その後、この時の議論に参加した中の5〜6人がコアメンバーとなってインターネット上でやり取りを重ね、様々な学者の意見を取り入れながら、あの声明を作り上げていった。
声明は、安倍首相の訪米前に完成していたので、すぐ発表することも考えたが、米議会で演説することが決まっていた以上、安倍首相が演説でどんな話をするかを踏まえたうえで発表した方がいいと判断し、5月5日の発表となった。
我々はみな、戦後、日本が開かれた社会であることにより恩恵を受けてきた。そうした社会の在り方を脅かすような事態について注意を喚起したいとの願いから今回の声明を作成、発表した。その趣旨に対する理解が深まることを願っている。(談)
このコラムについて
キーパーソンに聞く
日経ビジネスのデスクが、話題の人、旬の人にインタビューします。このコラムを開けば毎日1人、新しいキーパーソンに出会えます。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/238739/061700002
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