(文中敬称略)
6月7日のトルコ総選挙の結果は、事前に政権与党・AKP(公正発展党)の苦戦が伝えられてはいたものの、その予想をも上回る同党の敗北で終わった。
第1党の座は保っても、13年にわたり議会で維持してきた単独過半数は失われ、同党を事実上率いる大統領のレジェップ・タイイップ・エルドアンが描いた憲法改正による議員内閣制から大統領制への移行は、少なくとも当面は夢と消えた感がある。
主義主張が大きく異なる政党間(イスラム対世俗主義、民族主義対クルド人)で連立与党が組めるのか、何とか組めたとしてもエルドアンの狙う憲法改正に持ち込めるのか(最低でも議会定数550人の5分の3以上の発議が必要)、あるいはエルドアンが再選挙に向けて強行突破を図るのかなど、俄然トルコの政治状況は不透明感が満ち溢れるようになってしまった。
これからどうなるのかの予測は、トルコを専門とされる方々にお任せするが、エルドアンに賭けてトルコへの傾斜に大きく動いたロシア大統領のヴラジミール・プーチンにとっても、その先行きは大いに気になるところではある。
バチカンでのローマ法王との会談を終えてからの帰途に、彼はアゼルバイジャンのバクーに立ち寄り、そこへ来合わせていたエルドアンと13日に早速何やら話し合っている。
サウスからトルコ・ストリームへ
昨(2014)年7月のこのコラムで、サウス・ストリームと呼ばれる、ロシアから欧州に向かうガス・パイプライン計画について書いた。黒海の海底を通ってロシアからブルガリアへ繋がり、そこからセルビア、ハンガリー、スロバキア、オーストリアへと向かう基幹線で、現在のウクライナ経由での欧州向けパイプラインに代わるガスプロムの試みである。
この計画が、昨年12月の初めにトルコ・ストリーム(Turkish Stream、またはTurk Stream)と呼ばれる案へと衣替えしたことは、その後このコラムでも簡単に触れたが(1、2)、このトルコ・ストリームこそがエルドアンに張りに行ったプーチンの賭けなのだ。
EUのガス指令(上下分離=アンバンドリング)とガスプロムとの利害関係が衝突する中で、昨(2014)年8月にEUはサウス・ストリーム建設についに直接待ったをかける。
EU加盟国でありサウス・ストリームのEU上陸地点でもあるブルガリアに対して、ガス指令の原則遵守と工事の中止を強く要求し出した。背景にウクライナを巡るロシアと欧米との対立があったことは疑いを容れないだろう。
ブルガリアがこのEUの要求を受け入れたために、既に着手されていたパイプライン建設(通過予定国・ブルガリア内では2013年10月に工事開始)は停止を余儀なくされ、今後の見通しが立たなくなってしまった。
ブルガリアのボイコ・ボリソフ政権は、過去にもロシアからの原子力発電所購入契約の破棄や、ボスポラス海峡迂回を目指したロシアの原油パイプライン建設計画でも途中で不参加を言い出すなど、およそ親露的とは言えない政策の前科がある。
サウス・ストリームだけは積極参加を標榜してきていたものの、EUや米国からの圧力のゆえか、結局はロシアに対してやはり「ノー」を突きつける。
こうしたことから、もはやこれまで、との判断をプーチンが下したのだろう。しかし、それは単に1つの巨大プロジェクトの実現を断念する、といった次元にとどまらない。彼の欧州に対する決別宣言とすら言えるほど、ロシアの大規模な「西から東へ」の政策転換を象徴するものであった。
ロシアがEUに突きつけた「ノー」
以前にも書いたように、サウス・ストリーム断念の発表がなされた直後に西側の報道は、プーチン肝煎りの案件の挫折、対露制裁の成果、ブルガリアに代えてトルコに上陸する案など急拵えの虚仮脅しに過ぎまい、などと有体に言えば小バカにしていたのだが、筋書きの内容が徐々に見えてくるにつけ、こりゃひょっとしてマジで本気なのでは、といった驚きと当惑の声が出始める。
通過国に当っていた諸国から、ロシアが逃げてしまってどうしてくれるんだ、とねじ込まれたからか、それまでサウス・ストリームに否定的な態度をとってきたはずのEU委員会のエネルギー関係幹部までが、この案件に反対しているわけではない、などと慌てて言い訳ともつかない発言に走る。
トルコ・ストリームと先代のサウス・ストリームとの大きな違いは、パイプラインのEU内の部分でガスプロムがその建設や操業への持分確保に手を出さなくなった点にある。
これだけ捉えて見れば、ロシアのEUガス指令への譲歩、あるいは敗北にも見えるかもしれない。だがそれは、もうこれ以上EUとはこの件で交渉はしない(相手にしない)、という意思表示でもある。
また、ガスの流れでは、黒海海底からブルガリアに向かう予定の経路がトルコのイスタンブール近辺へとの変更されただけであり(もっとも一時は、サウス・ストリーム用に買いつけられた鋼管の契約も破棄されるのでは、とメディアで取り上げられ、関与した日本企業が多いに気を揉まされもしたが)、供給総量も630億m3と、以前と変わりなしである。
そうなると、EUにとってはロシアのウクライナ回避策阻止やロシアからのガス輸入依存度を下げるという目的達成が簡単ではなくなる。そればかりか、プーチンとの直接交渉がなくなっても、代わりにエルドアンのトルコが通過国として前面に出てくる結果になった。
これがEUを最も当惑させた要素だったのではあるまいか。英国の元首相ウィンストン・チャーチルが生きていたなら、欧州には「worse」と「worst」という選択の余地しか残されていない、と嘆いたかもしれない。
プーチンに遅れること3年の2003年に首相の座に就いたエルドアンは、10年以上にわたって政権を担当し、2014年8月にはトルコ初の直接選挙で大統領に選ばれている。
首相在任時代のトルコ経済は新興市場の一員として概ね好調だった。リーマン・ショックの影響で2009年には人並みに成長率がマイナスに陥ったものの、この間で名目GDP(国内総生産)は約3000億ドルから8000億ドルへと2倍以上に拡大している。
しかし、それで野心があるいは膨らみ過ぎたのかもしれない。
虎の尾を踏んだエルドアン
国内では、彼のイスラム的な要素と次第に強権化する手法を感じ取った国民の一部が、世俗派を中心として2013年にイスタンブール市内の再開発計画を巡る問題をきっかけに反政府運動へと動き、政権側はそれを抑えようとして情報・報道や司法への統制をさらに強めた。
こうしたエルドアンの動きは、欧米諸国からの批判も呼ぶようになる。
イスラム化への動きと強権独裁という、どう考えても欧州が表立って賛意を表すわけには行かない要素を兼ね備えてしまったのだから、これは当然の結果でもあろう。10年越しとなるEU加盟交渉もすっかり双方の側で熱気を失ってしまった。
トルコと西側との絆は、経済とNATO(北大西洋条約機構)加盟国であることで辛うじてつなぎ止めてられている。それでも隣国・シリアの内紛でクルド人も動き始めると、アサド政権やその背後にいるイラン、それにIS(イスラム国)の勢力伸長には反対であっても、シリアへの米国他NATO加盟国の作戦で自国の軍事基地の使用を拒否するといった挙にも出て、西側との軋轢を生む。
エルドアンも、一部が恐れるようなかつてのオスマン帝国再興を夢ではないと思い込むほどナイーブではあるまい。それでも、多くの新興国が目指すように、経済発展を達成しながら地域の中心的存在となり、欧米諸国の指図に一々言いなりにならないで済むような国にはなりたいし、なれるとも思っているのだろう。
それは欧米から見れば、扱いにくくなることを意味するだけで、いわばプーチンの相似形でもある。
そして、そのようにエルドアンもプーチンを見ているのかもしれない。西側には屈しないという共通点があるなら、少なくとも当座は自分と組める相手だ、と。シリアやイラン、それにアルメニアやクリミヤを巡っては相容れない立場に互いがいると分かってはいても、である。
トルコ・ストリームがもし実現したなら、そうしたトルコに欧州はガスの重要な輸入経路を一気に握られてしまうことになりかねない。
ロシアへのガス輸入依存度軽減のために、EUは10年以上前からアゼルバイジャンやトルクメニスタンからのガスをトルコ経由でEUに引き込む計画を推進してきた。その結果、量的にはまだ十分とはおよそ言えないものの、まずはアゼルバイジャンからのガス・100億m3の2019年からの輸入をほぼ手中にした。
アゼルバイジャンからトルコまで(南コーカサス・パイプライン)、トルコ横断でギリシャまで(TANAP=トランス・アナトリア・パイプライン)、ギリシャからイタリアまで(TAP=トランス・アドリア・パイプライン)の3本のパイプラインを経由してバルカンとイタリアへのガス供給を行う。この計画はEUにより、南回廊(South Corridor)とも呼ばれている*1。
地図を見れば一目瞭然で、トルコはEUへのガスの通過国として重要な立場にある。それもロシアへのガス輸入依存度軽減のためのガスに対してである。
そのトルコが、ロシアからのガスも受け入れて欧州へその多く(完売なら470億m3)を流すことに同意したとすれば、EUの目的にとってどこまで信頼できる相手なのか、という深刻な疑問を生じさせる。
トルコにとってみれば、これは自国の立場を強めるという点で願ったり叶ったりの話である。通過国の立場になることで、生産国・ロシアへの発言権が増すだけではなく、ロシアとコーカサス(そして将来のトルクメニスタン、イラク、イラン)からのすべての欧州に向かうパイプライン・ガスの流れの咽喉を扼(やく)することになる。
そうなれば、トルコは単なる通過国では満足せず、生産国からトルコがいったんガスを買いつけ、それをEUへ転売する形を通じて、自らを疑似生産国の(「いやなら売ってやらない」を言い出せる)立場に引き上げることもあり得るかもしれない。
生産国に対しても同様で、トルコへの売却がいやなら通さない、でいざとなれば強腰にもなれるだろう。
*1=ロシア語で同じ用語が、トルコ・ストリームに接続するロシア国内パイプラインを呼ぶ際に使われているので紛らわしい
野心満々のエルドアンならやりかねまい――とEUが懸念してもおかしくはない。
ロシア産ではなくとも、イラクで事実上クルド人の自治下に置かれた地域から出てくるガスや、中東の大国として自国とライバル関係に立つことが避けられないイランのガスが自国領を通過して欧州に向かうことに、トルコが将来ともに素直に応じるのか、と疑念は膨らんでしまう。
一方、EUの鼻は明かして見せたものの、ロシアにとっても問題は多々である。サウス・ストリームの場合は黒海海底部分へのパイプライン敷設での必要資金(推定170億ユーロ)は、投資部分の半分を参加外資に負担させることができたが、トルコ・ストリームでは彼らは抜けてしまった。
このままなら、借入も含めて100%ガスプロムが工面しなければならない。経済がへたってきているロシアにあって、それだけの資金調達は対露制裁からの影響も避けられないから楽にできるはずもなかろう。
そして、仮にトルコ・パイプラインが完成して対欧輸出が実現したとしても、トルコからのあれこれを無視することはできなくなる。
既に使用されているロシアからトルコに向けた黒海海底パイプライン(ブルー・ストリーム)では、2002年12月のその運開からほどなくしてトルコが需要減を理由に引き取り拒否に出て、ガスプロムが事前に合意済みだったガス価格の下方修正を強いられる、という苦い経験もある(2003年4月に始まって数カ月続いたこの値下げ交渉は、皮肉なことに同年3月に首相に就任したエルドアンの対露初仕事だったかもしれない)。
トルコが従順なガスの顧客ではないことは分かっている。今回もトルコ・パイプライン実現への同意を得るために、トルコへのガスの販売価格を1割以上値下げさせられてもいる。その見返りのはずのトルコ・パイプラインに関する露土間の政府間協定は、まだ結ばれていない。
しかし、その不利益を考えても、ウクライナ経由よりはまだマシとの結論にロシアは達したのだろう。ガスプロムは、現在のウクライナ通過契約が失効する2019年以降はその延長は考えない旨を明言している。それ以上は、今後ウクライナとの関係が好転しようとしまいと、もう同国を通過国として扱わないという意思を鮮明にした。
そうなると、現在ウクライナ経由で欧州に向かう800億m3前後(2014年は600億m3近くまで減少した模様)の輸送はどうなるのかだが、計算上ではトルコ・ストリームの630億m3と、バルト海を通るノルド・ストリームの建設済み未稼働部分*2225億m3を足し合わせれば、双方合わせて800億m3を超える代替輸送能力が得られることになる。
トルコ・ストリームは、2019年までにEU領内側のパイプラインの経路が決定されてその建設の完了に到らなければ、ガスをロシアから送れない。これは一義的には受け取り側のEUのリスクで、それはEU自身が解決せねばならないという見方をロシアは採る。
*2=アンバンドリング政策のため、現在ノルド・ストリームは稼働率を半分に抑えられてしまっている。この問題では、ウクライナ経由の停止が本当に起こるとの認識が広まれば、EUも譲歩せざるをないとガスプロムは踏んでいるものと思われる
だが、それでEUに対する供給者としての責任は逃れられたとしても、対欧供給量が一度に大きく減ってしまえば、その分はロシアの生産を減らせばよい、とは行かないのが西シベリアのガス田の性(さが)である。その地質構造が理由で、生産量を急減させればガス井そのものが技術的におシャカになってしまう惧れすらある。
従って、ロシアは万一に備えてかなりのガス量を他に持って行けるような体制を整えねばならない。その帰結が中国と交渉中のアルタイ・パイプラインによる西回りの供給案(西シベリアから)である。上記の背景を見れば、この交渉の決着をなぜロシアが急ぐのかの理由が納得できる。
元々は、対欧輸出が減少した2009年にその先行き不安から復活した案であるが、ウクライナ問題の深刻化によって、その検討が加速されることになった。こうして、欧州向け、ウクライナ経由、トルコ向け新規パイプライン建設、それに中国向けの話がロシアの中では密接な関係でつながることになる。
それでも、ここでまた「But」となる。
中国向けの西回り案でロシアの思惑通りに話が近い将来にまとまるのだろうか。中国経済が活気を取り戻せずに、このまま不調の坂を転がり落ちて行ったらどうなるのか。将来への不安で疑いを膨らませれば切りがない。
保険の上の保険が必要に
経済は何とか持ち堪えてガスの需要も増えるという場合でも、西回りでの対露輸入は中国にとって優先度1位ではないとの説もある、そのガスの受け入れには、5本目の中国内の西気東輸を建設せねばならないが、その5本目にはパキスタン経由でのイランからのガス輸入がすでに充てられることになっている、とか。
ユーラシア大陸を丸ごとどう料理しようかと考えるに到っている今の中国にとって、これは多分空想でもなんでもないのだろう。
ならばロシアは、保険の上にまた保険をかけるしかなくなる。EU内のことはEUが自分の責任で、のはずなのだが、欧州内でトルコ・ストリームからのガス供給(とガスの通過料収入)を要望する国が出てくれば、過去の経緯もあるからそれを無視はできない。
その結果、ギリシャ、マケドニア、セルビア、それにハンガリーへつながる欧州内での接続パイプライン案が浮上して、そこでロシアが建設費の融資を行うといった話にも巻き込まれていく。これに遅れてスロバキアも、別のEU内パイプライン構想(Eastring)をロシアに持ちかけだした。
そこへ米国が首を突っ込んでくる。
すっかりEU内の問題児となってしまったギリシャに対し、ロシアがその領内でのガス・パイプライン建設での資金援助(ギリシャは20億ユーロと皮算用)を通じ影響力を高める可能性が西側で懸念され始めると、ギリシャの地政学上での価値を重視する米国はロシアの動きを警戒し、トルコ・ストリームの建設自体へ明確な反対の意思を表明する。
ロシアからのガスを得たいと表明してきたマケドニアでは、国民に対する盗聴活動が暴露されたことが原因で国内での反政府運動が高まった。ロシアはロシアで、これがガス供給計画を阻むために米国が仕組んだ騒動、との見方を強める。これに機を合わせてマケドニアの首相が、EUの合意を受け入れ条件につけてきたからだ。
このように、トルコ・ストリームの話は、プーチンがエルドアンとの共闘に賭けてはみたものの、その政治状況が不透明になりつつあるトルコを中心として、多くの「たら、れば」の積み重ねの上に乗って走り出しているのが実情のようだ。
はっきりしているのは、以前からもそうであったが、この種の大がかりなプロジェクトは直接の対象であるガスの話だけでは済まないことだ。そして、その度合いは益々強まってきている。
これまで述べてきた諸相だけではない。
東進政策の脆弱性
ISやクルドの動きが、これからトルコのみならずロシアにもどう影響を与えるのかに始まって、米国のイランへの制裁解除への動きや、そのイランの上海機構参加をロシアと中国が認めた場合のトルコの出方、ギリシャのユーロ圏離脱の可能性、そして中国の「絹の道」構想とAIIB(アジア・インフラ投資銀行)のユーラシアでのこれからの動き、など、過去10年余りの間では想定もされなかったような状況と要素がガス・パイプラインの実現度を左右しかねなくなっている。
東で中国、西でトルコ、とロシアはウクライナ問題を契機にユーラシア大陸の中で恰も両腕を伸ばすようにガスで動こうとしている。それがプーチンの東進政策の要でもある(無理して言えば、トルコも元々は「近東」)。
だが、プーチンの政策全般を圧倒的多数で支持するロシア国民でさえ、東方の民と仲良くなることには反対しないが。それが欧州への訣別とか言われれば、さすがにそこまでは一寸、になるだろう。
そして東進政策は、今のところただの線でもあり、線でしかないことからの脆弱性から逃れられずにいる。
これに対して中国の西進策は、面全体を自らの経済圏に呑みこもうとする。ロシアが期待しているかもしれない、線が面を縛りつけるという結果が、果たしてこれからあり得るのだろうか。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44061
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