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インドとバングラデシュ、国境問題に終止符
双方の領土内の飛び地を交換、経済協力を推進へ
2015.6.9(火) Financial Times
(2015年6月8日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
インドのナレンドラ・モディ首相とバングラデシュのシェイク・ハシナ首相は、両国の入り組んだ国境線を引き直すことで正式に合意した。これにより、双方が相手国の領土内に数々の飛び地領土を持つ事態に至った歴史の歪みを正す。
「我々は、独立以来、なかなか消えなかった問題を解決した」。モディ氏が週末にダッカを訪問し、両首脳が批准された条約文書を取り交わした際に、同氏はこう語った。「我々2カ国は境界線を画定した」
インド政府は、バングラデシュ領の奥深くにある111カ所のインドの飛び地(総面積1万7160エーカー)を、インド領内にある51カ所のバングラデシュの飛び地(同7110エーカー)と交換する。
こうした飛び地には約5万1000人が住んでいる。居住者はこの地域でも特にないがしろにされてきた人々だ。住民の地位が確定しておらず、どちらの政府も物的インフラや社会的サービスを提供してこなかったからだ。
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチの南アジア担当部長、ミナクシ・ガングリ氏は言う。「こうした人々は事実上、無国籍の状態に置かれてきた。両国の市民が得られる恩恵や手当も一切受けられなかった。どちらの政府もこれら地域について責任を取らなかった」
隣国との関係改善を優先したモディ首相
インド首相、自分の名前入ったスーツ着用 ネット上では失笑
週末にダッカを訪問し、バングラデシュと歴史的な国境協定に調印したインドのナレンドラ・モディ首相〔AFPBB News〕
飛び地の起源は何世紀も前にさかのぼる。飛び地はかつてのクチビハール王国とムガール軍の武力衝突の遺産で、その結果、権限が継ぎはぎになるパターンが生じ、政体が変わっても、そのまま残ることになったのだ。
より合理的で管理しやすい国境を築く努力は、バングラデシュが1971年にパキスタンから独立した直後に始まり、最初の合意は1974年に調印されたが、飛び地の問題――および、国境線のうち61キロにわたって線引きが不明瞭な区域の問題――は未解決だった。
2011年には、飛び地の住民との協議の後、インドのマンモハン・シン首相(当時)とシェイク・ハシナ首相が住民の大規模移住なしで飛び地を交換することに合意した。だが、インドは合意を批准しなかった。当時野党だったインド人民党(BJP)が批准に反対し、現在財務相を務めるアルン・ジェートリー氏が、インド政府は主権領土を放棄、変更することはできないと訴えていたためだ。
だが、モディ氏はインドの隣国との関係改善と経済的な絆の深化を優先事項に掲げた。国境問題の解決は、その進展に必要な前提だった。モディ氏は5月、合意を批准するための憲法修正案をインド議会で可決させた。
「彼はこれがいかに深刻だったか、どれほど重要かを理解していた」。ニューデリーのオブザーバー・リサーチ財団で戦略研究部門のトップを務めるC・ラジャ・モハン氏はこう語る。「ひとたび国境が画定されれば、国境をまたぐ協力体制を構築するのが容易になる」
経済統合も推進
バングラデシュのファルーク・ソブハン元外務次官は言う。「我々はついに批准された国境協定を得た。国境近辺では、麻薬と人の密売・密航から安全保障に至るまで、両国に影響を与える問題が半ダースもある」
モディ氏のダッカ訪問中に、インド、バングラデシュ両政府は経済統合を深めた。その1つが、インドの貨物船がバングラデシュの2つの港を利用することを認める協定だ。また、モディ氏はバングラデシュがインフラプロジェクトに使うことができる20億ドルのインドの与信枠も発表した。
By Amy Kazmin in New Delhi
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43982
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