エチオピアの青ナイル

 アフリカの小国ブルンジで混乱が続いている。ピエール・ンクルンジザ大統領が、新たなる任期を目指すことを表明して以来、抗議デモが続くなか、そのタンザニア訪問の隙をつき、クーデターが発生したのである。

 結局、未遂に終わったものの、ルワンダ、タンザニアなど隣国に避難民が溢れているとの報道もある。ルワンダ同様のツチとフツの対立で30万人もの犠牲者を出した12年間の内戦の記憶も新しいが、今回の対立は民族的なものではないという。

 ブルンジと聞いてまず思い浮かべるのは、外貨収入の8割を占める「ブルンジ・コーヒー」だろうか。最貧国の1つとのイメージも強いかもしれない。

 4月、国連の発表した「World Happiness Report 2015」でも158か国中、僅差でトーゴに次ぐワースト2位だし、同様のインデックスで常に最下位争いをしている。

 そんなブルンジを舞台とした数少ない映画が『カニング・キラー 殺戮の沼』(2007/日本劇場未公開)。一説には300人もの人間を殺したとも言われる実在する巨大ナイルワニ「グスタヴ」を生け捕りにしようとするTVクルーの物語だが、そこには戦禍の影がある。

2つの湖の源流をめぐり大論争

 そんなグスタヴの生息する大河ルジジは、コンゴ民主共和国との国境を形成したのち、河口域でブルンジ領内に入り、首都ブジュンブラ近くでタンガニーカ湖に流れ込む。

 アフリカ第2の大きさを誇るこの湖に、19世紀半ば、初めて欧州人がやって来た。ナイル源流探検を続ける英国人リチャード・バートンとジョン・スピークである。さらに、スピークはもう1つの湖を単独で「発見」、時の女王名からヴィクトリア湖と名づけた。

 帰国後、2つの湖の源流説をめぐり、世を巻き込んだ大論争となる。そして、そんな2人の葛藤劇『愛と野望のナイル』(1989)でも描かれるスピーク謎の死ののちも論争はやまず、探検実績豊富なデイヴィッド・リヴィングストンが派遣される。

 しかし、消息不明となってしまい、さらにその捜索に向かったヘンリー・モートン・スタンリーが、リヴィングストンをタンガニーカ湖畔で「発見」したのち、ヴィクトリア湖源流説を証明したのだった。

 そんなヴィクトリア湖へのアクセスは、いまなら、実に簡単。ウガンダの首都カンパラにほど近い湖畔に国際空港があるのだ。

 その地エンテベ空港は、1976年、パレスチナ解放人民戦線の分派などが起こしたハイジャック事件で、イスラエル国防軍による劇的な人質救出が行われた場所。

 当時、ウガンダは、クーデターによりその地位を得、自国民を30万人は殺したとされる独裁者イディ・アミン大統領の支配下にあった。

 そして、ザイール(現コンゴ民主共和国)との国境には「イディ・アミン湖」と呼ばれる湖があり、その水は、同様にクーデターを経て大統領となった隣国ザイールの独裁者名を冠した「モブツ・セセ・セコ湖」を経て、ナイルに注いでいた。

 しかし、いま、地図にその名を見ることはない。表記が帝国主義時代に英国皇族名からつけられたアルバート湖やエドワード湖に戻っているからだ。

 帝国主義の特権階級者名は残り、元植民地の独裁者名は消えたのである。

ドイツもタンガニーカ湖以東を獲得

 スタンリーはさらにコンゴ川水系を探検、パトロンとなったベルギー王レオポルド2世の現地有力者懐柔依頼にも応えた。そして、その実績を盾に、植民地を渇望する「新興国」は既得権国のなかに割って入り、ベルギーはコンゴを国王私領として得た。

 同様に、もう1つの「新興国」ドイツも、タンガニーカ湖以東などを獲得した。

 一方、ケニア、ウガンダなどをものにした英国は、ナイル下流域エジプトで、トルコの宗主権とムハンマド・アリー朝政府を残しつつ事実上の支配権を得ていた。

 しかし、スーダンで、ムハンマド・アフマドを「マフディ(約束された指導者)」とした反乱軍が蜂起。財政事情もあり、スーダンから引き上げるべく、英国軍人チャールズ・ゴードンが送り込まれたもののハルツームは陥落。

 『カーツーム』(1966)のチャールトン・ヘストンとローレンス・オリヴィエのシェークスピア劇的演技がその絶望的戦いを表している。

 やがて、ムハンマド・アフマドは他界、兵器差もあり、1898年のオルドゥルマンの戦いを経て、英国エジプトのスーダン共同統治は確定した。

 そんな戦いの中にいた軍人たちの物語『四枚の羽根』(39)では、「臆病者」の印として羽根を送られた男が、戦いの中で勇気を取り戻す。そして、「タンガニーカ湖の戦い」もあった第1次世界大戦でのドイツの敗戦で、英国は、独領東アフリカの多くを得、アフリカ縦断政策は達成された。

 一方、独領東アフリカの一部は「ルアンダ・ウルンディ」としてベルギー領となった。そして、その植民地政策が、昔から農耕民が多く暮らし、遊牧民と共存してきたその地を変えた。

 鼻の形、虹彩の色など、外見的特徴を基に、当時ヨーロッパで使われ始めていた民族の概念で、少数派遊牧民「ツチ」と、多数派農耕民「フツ」が「誕生」。ルワンダ、ブルンジとして独立してから、長く続く紛争のもとを作ったのである。

700年続いたエチオピア帝国の終わり

 分割は完了し、独立を保ったのは、リベリアとエチオピアだけだった。

 そのエチオピアも、一時、ムッソリーニ・イタリアの侵略を受けるが、ハイレ・セラシエ1世下の帝国は独立を回復した。しかし、1974年、餓死者が10万人とも言われる大干ばつや物価上昇など社会混乱が続くなかのクーデターで廃位。

 700年余り続いたエチオピア帝国の歴史の幕は下りた。

 エチオピア映画『テザ 慟哭の大地』(2008)には、そんな歴史的瞬間を映し出すテレビ放送を見る主人公の姿があるが、やがて、主人公は、政権の座についた親ソ社会主義のメンギスツ・ハイレ・マリアム独裁下ではびこる密告と粛清の犠牲者ともなってしまうのである。

 そんな映画の白眉とも言えるのがタナ湖の風景。修道院が点在、歴史も感じるその湖から流れ出す「青ナイル」は、ヴィクトリア湖から「神の抵抗軍」支配域もあるウガンダ北部や、ナイルの交通を事実上分断する南スーダンの広大な「サッド(湿地帯)」など、地理的治安的難所を通り抜けてきた「白ナイル」と、ハルツームで合流する。

 そして、アスワン・ハイダムとともにできた世界最大の人工湖ナセル湖まで下れば、エジプトとの国境だ。

 2つの世界大戦を終えたエジプトは、パレスチナをめぐる戦いへと進んだ。しかし、初戦敗退し、経済も不調。不満渦巻く社会は、1952年、ガマール・アブドゥル・ナセルなど自由将校団によるクーデターを生み、ムハンマド・アリー朝は消えた。

 しかし、英国主導のアスワン・ハイダム建設計画も中断、米国からの資金調達も頓挫すると、スエズ運河は国有化され、第2次中東戦争が勃発した。

 1970年、ダムは完成するが、ナセル大統領は急死。後を受けたアンワル・サダトは、78年、キャンプ・デービッド合意を経て、翌年、イスラエルとの間に平和条約を締結、エジプトが地域緩衝国となるなか、81年暗殺されてしまう。

 そして、ホスニー・ムバラク長期政権が始まる。

権力にまみれた暴力の応酬

 一方、スーダンでは、1956年の独立を前に、南北対立が激化、内戦は17年間続いた。さらに、国政にシャリアが導入されると再び内戦状態となり、そのさなかの89年、クーデターで権力を得たのがオマル・アル・バシール現大統領だった。

 2005年、内戦は終わり、エジプトに「アラブの春」が訪れるなかの2011年、独立国家南スーダンが誕生した。

 その後も混乱が続くなか、先月末、バシール大統領が圧勝で再選、とのニュースも入ってきている。

 さらに、アラブの春で失脚、終身刑となっていたムバラク元大統領に禁錮3年の判決、既に刑期満了として釈放が命じられ、「事実上のクーデター」後、その座を追われたムハンマド・ムルシ前大統領には、アラブの春の際の脱獄関与が「死刑に相当」との判決、との報道もある。

ウガンダ、ヴィクトリア湖のナイルの源流

 権力欲にまみれた暴力の応酬の歴史そのものに、ナイルは今も流れ続けている。

 デンマークは「World Happiness Report」第1回、第2回で1位、3回目となる15年版では僅差の3位となった。『未来を生きる君たちへ』(2010)は、そのデンマークとスーダンの難民キャンプを舞台とした医師の葛藤の物語。

 暴力の蔓延とその結果をスーダンで目の当たりにしている主人公が、最も「幸福な国」であるはずのデンマークでも、暴力の災禍からは逃れられない現実、そして、「暴力には暴力」の虚しさを子供に伝えようとする姿は、悲痛でさえある。

 そんなデンマークよりはるか下、「幸福度」46位の国日本に住む我々の現実はどうなのだろうか。机上の空論に終始し、暴力や戦争について真剣に討論しているように見えないのだが・・・。

(本文おわり、次ページ以降は本文で紹介した映画についての紹介。映画の番号は第1回からの通し番号)

(1018) カニング・キラー 殺戮の沼 (75) (再)愛と野望のナイル (77) (再)カーツーム
(78) (再)四枚の羽根 (733) (再)テザ 慟哭の大地 1019) 未来を生きる君たちへ
カニング・キラー

1018.カニング・キラー 殺戮の沼 Primeval 2007年米国映画(日本劇場未公開)

(監督)マイケル・ケイトルマン
(出演)ドミニク・パーセル、ブルック・ラングトン

 ブルンジで国連の白人女性が巨大ワニに襲われ死亡した。

 「グスタヴ」と呼ばれ、これまで数百人を殺したというそのワニを生け捕りにしようと、ニューヨークのテレビ局からクルーたちがブルンジ入り・・・。

 内戦は休戦中だったが、その地ウジジ川は、「リトル・グスタヴ」と呼ばれる男が幅を利かせる戦闘地帯。取材は困難を極め・・・。

 ブルンジで300人とも言われる人々が犠牲となっているという実在する大ナイルワニをモデルとしたサスペンスホラー。

 「プリズン・ブレイク」で人気となったドミニク・パーセルを主役に、南アでロケされた。

愛と野望のナイル

(再)75.愛と野望のナイル Mountain of the moon 1989年米国映画

(監督)ボブ・ラフェルソン
(出演)パトリック・バーギン、イアン・グレン

 19世紀半ば、ザンビアですでに名を成していた探検家リチャード・バートンと意気投合するジョン・スピーク。

 1858年、2人はナイルの源流探検に出発。アフリカ東岸から向かったその地で湖を発見する。さらにスピークは単独でもう1つの湖を見つけ、帰国後、源流論争は激化し・・・。

 本作の主人公の1人、リチャード・バートンは大胆な行動と多才ぶりで知られ、20カ国語にも及ぶポリグロット(多言語話者)。当時の探検家たちが興味を示すことのなかったアフリカの言語をも習得しようとしていたという。

カーツーム

(再)77.カーツーム Khartoum 1966年アメリカ映画

(監督)バジル・ディアデン
(出演)チャールトン・ヘストン、ローレンス・オリヴィエ
(音楽)フランク・コーデル

 シェークスピア劇を演じることも多かった2人の名優が見せる大スケールの植民地戦時絵巻。

 本作でチャールトン・ヘストンが演じたチャールズ・ゴードンは大英帝国が植民地支配を「崇高なる天命」のもと行うなか、発生した叛乱鎮圧の切り札として世界中に派遣されていた人物。

 一方、ローレンス・オリヴィエ扮する敵役、救世主を意味する「マフディ」と呼ばれたムハンマド・アハマドは十字軍以来最大のイスラムの英雄。

 「崇高なる天命」対「マフディ」の戦いは、宗教戦争という要素が強いものでもあった。

四枚の羽根

(再)78.四枚の羽根 The four feathers 1939年英国映画

(監督)ゾルタン・コルダ
(出演)ジョン・クレメンツ、ラルフ・リチャードソン

 スーダンの戦地に赴くことを拒否し除隊した主人公に、親しい3人の仲間と恋人から送りつけられた臆病者の烙印としての四枚の羽根、という端緒が本作の題名の意味するところ。

 スーダンで傭兵となった主人公がその羽根を返すべく勇気を回復していくまでの葛藤劇である。

 1902年、帝国主義全盛時代の英国で発表されたA・E・W・メイスンの小説の映画化で、これまで日本で公開されたものだけでも4作品あるほどの人気作である。

 本作が製作された1939年当時、スーダンは植民地、自分たちの思いのままにできる前提があったこその映像が今では貴重な存在。

 2002年製作の『サハラに舞う羽根』(原題は同じく「四枚の羽根」)では、主人公は英国の植民地政策そのものへ疑問を呈し除隊している。時代とともに、明らかに視点の変化があることが分かる。

テザ 慟哭の大地

(再)733.テザ 慟哭の大地 2008年エチオピア映画

(監督)ハイレ・ゲリマ
(出演)アーロン・アレフェ、アビュユ・テドラ

 1990年、生まれ故郷に帰ってきたアンベルブル。様々な過去の記憶が錯綜する。

 医師を志し、ドイツに留学した1970年代。仲間とともに見るテレビが映し出すエチオピア、ハイレ・セラシエ1世廃位のニュース。

 1980年代のアジスアベバ。密告と粛清が渦巻くこの町で、アンベルブルは反革命分子の疑いで尋問にかけられる。

 そして向かった東ドイツで、暴漢に襲われ、片足を失う。

 故郷に戻ってきた傷心のアンベルブル・・・。

 1970年代から90年にかけての激動のエチオピア現代史を背景に、変わりゆく社会、イデオロギーや因習といったものに翻弄される主人公の姿を、過去と現在を行き来しながら描く。

 青ナイルの源流タナ湖をはじめとしたエチオピアの風景が美しい。
ベネチア国際映画祭で審査員特別賞、金オゼッラ賞(脚本)などを受賞している。

未来を生きる君たちへ

1019.未来を生きる君たちへ Havnen 2010年デンマーク映画

(監督)スサンネ・ビア
(出演)ミカエル・パーシュブラント、トリーヌ・ディルホム

 スーダンの難民キャンプで医療活動をする医師のアントン。

 デンマークで母と弟モーテンと暮らすその息子エリアスはいじめられっ子だが、母を亡くしたばかりの転校生クリスチャンと友人となる。

 クリスチャンは、いじめっ子に報復、大けがを負わせてしまった。「報復ばかりではきりがない、そうして戦争は始まる」と諭す父の言葉に納得しないクリスチャン。

 ある日、子供の喧嘩の止めに入ったアントンは、喧嘩相手の父親に殴られてしまう。

 そのことを、アントンは意に介さなかったが、クリスチャンは怒りを覚え・・・。

 「復讐」を意味する原題、「In a better world」が英題の、『しあわせな孤独』(2002)『ある愛の風景』(2004)などのスサンネ・ビア監督による本作は、アカデミー外国語映画賞を受賞した。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43862  

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