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アジアのユダヤ人と化すロヒンギャ族のボート難民
アンダマン海で6000人が漂流、欧州の暗黒時代との相似
2015.5.22(金) Financial Times
(2015年5月21日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
東南アジアで横行するロヒンギャ人らの人身売買
ロヒンギャ族の難民を乗せ、タイのリペ島沖を漂流していた船〔AFPBB News〕
1939年5月13日、ドイツの外洋船セントルイス号がハンブルクを出帆した。乗っていたのは、欧州で勢いを増す抑圧から逃れようとする915人のユダヤ人難民だ。豪華客船ではダンスやコンサートが繰り広げられ、寛大な船長は乗客たちがアドルフ・ヒトラーの胸像にテーブルクロスをかぶせるのを許した。
2週間後、セントルイス号はハバナにいかりを下ろし、キューバのビザを買っていた乗客が確信していた温かい歓迎を待った。
ところが、そうはならなかった。キューバ当局は彼らを追い返し、その後、米国、カナダ当局も追い払った。
セントルイス号は欧州に戻ることを余儀なくされた。推定で乗客の4分の1が結局、ナチスの強制収容所で死んだ。
セントルイス号の物語は、我々の先祖の恥ずべき罪として語り継がれている。だが、それから75年後、まさに同じくらい醜悪なことがアンダマン海の紺碧の海で起きている(地中海で起きていることは言うまでもない)。
入国を拒否され海上で漂流
この数週間で少なくとも6000人の難民がタイ、マレーシア、インドネシアに入国を拒否され、海で漂流している。国連によれば、今年、およそ300人が命を落とした。彼らは脱水症状を起こし、やせ衰え、絶望的になっており、事態が急変しない限り、もっと多くの命が失われることになる。
難民の大半を占めるロヒンギャ族にとっては、欧州におけるユダヤ人の扱いと似たところがある。多くの人は、強制収容所になぞらえられる難民収容所から逃げ出している。彼らはミャンマーとバングラデシュのイスラム教徒のマイノリティーだ。
「ジェノサイド防止のためのサイモン・スコットセンター」は3月、ミャンマーに調査団を送り込んだ。同国ラカイン州には100万人のロヒンギャが住んでいる。調査では、ロヒンギャが「激しいヘイトスピーチや市民権の拒否、移動の自由の制限を通じて、人間性の喪失に見舞われている」ことが分かったという。
同センターの報告書は、2012年の集団暴行で少なくとも170人が死んだロヒンギャは「さらなる大量残虐行為やジェノサイド(大虐殺)に見舞われる重大な危険」にさらされていると結論づけた。
この結論は早計かもしれない。政治アナリストのリチャード・ホーシー氏が指摘しているように、ジェノサイド防止を存在意義としている組織は、そのレンズを通してものを見る傾向があるからだ。
それでも、ロヒンギャ――その大半はミャンマー、バングラデシュ両国から市民権を与えられずにいる――が置かれた状況は悲惨で、悪化している。
ロヒンギャ族とは誰なのか
ロヒンギャとは、誰なのか。民族が絡むあらゆる問いと同様、この問題は激しい論争になる。ラカイン州の多数派である仏教徒にとっては、色黒のロヒンギャはバングラデシュから来た侵入者であり、侮蔑的に「ベンガル人」と呼ばれる。誇らしい独立の歴史を持つラカイン族自身が迫害されている少数派だ。
ラカインにおけるロヒンギャの起源は15世紀にさかのぼる。さらに多くの人が、ラカインとベンガルがともに英領インドの一部だった1825年以降の英国植民地時代にやって来た。第2次世界大戦では、ロヒンギャが英国とともに戦う一方、ラカイン族が一時は解放者と見なされていた日本を支援した。その時代からの恨みは今日まで続いている。
何十年もミャンマーを支配してきた軍部が徐々に抑圧を緩め始めた2010年以降、より一般的な反ロヒンギャ、反ムスリム感情が強まった。言論の自由の拡大は、ヘイトスピーチの増加を意味した。その大半はイスラム教徒に向けられた。
今年4月、ロヒンギャに投票してほしくないと思っている仏教徒からの反発を受け、ミャンマー政府は一時的な身分証明書を撤回した。公式な身分を失った今、大半のロヒンギャはこれまで以上に恣意的な逮捕にさらされ、生計を立てる力を危うくする移動の制限に見舞われる。絶望感から、逃げ出す人が増えている。
ロヒンギャが逃げ込んだ船は、ダンスや船内エンターテインメントを提供していない。
海で漂流している今、ロヒンギャはセントルイス号に乗っていたユダヤ人と同じように、安全な避難先となり得る国々から入国を拒否されている(もっとも、マレーシアとインドネシアは一時的な避難所を提供すると発表した)。
少なくとも当面、密航ルートが絶たれた今、まだ海で漂流している6000人前後の人々を救助し、彼らに住まいを見つけることは、比較的簡単なことであるはずだ。
ミャンマーは差別的な政策を覆せるか
それでもまだ、もちろん、ミャンマーがあからさまに差別的な政策を覆せるかどうかという解決の難しい問題が残る。ミャンマーの民主主義の象徴であるアウン・サン・スー・チー氏でさえ、仏教徒の有権者を怒らせることを恐れてロヒンギャという言葉を使うのをためらう時、その可能性はあまりないように見える。
だが、希望をくじかれたこのマイノリティーの苦しみを和らげるために何も対策が講じられなければ、1930年代の欧州のユダヤ人との比較はますます的確に見えるようになるだろう。
By David Pilling
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43851
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