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極右化する欧州を襲う真の危機とは何か?二〇一七年、仏で国民戦線のルペン党首がサルコジに続いて次点で選挙を終える。緊迫感に満ちた欧州の未来を『撤退するアメリカと「無秩序」の世紀』の著者でもある、ピューリッツァー賞受賞・WSJコラムニストが予測する。
二〇一七年春、フランスで大統領選が行われた。保守派を率いるニコラ・サルコジ前大統領は、第一回投票で現職のフランソワ・オランドに圧勝した。だが最大の衝撃は、次点が極右・国民戦線のマリーヌ・ルペン党首だったことだ。
ルペンは第二回投票でも三四%の票を獲得。父親のジャンマリ・ルペンが二〇〇二年の大統領選に出馬したときは、第二回投票で一八%しか得票できなかった(対するジャック・シラクは八二%)から、国民戦線としては大躍進だ。
ヨーロッパにおけるネオファシズムの台頭はかねてから予測されていたが、いまやそれは疑いようのない事実となった。
過去一〇年近く若者の失業率が五〇%前後で推移しているスペインでは、フランシスコ・フランコの崇拝者が復活しつつあった。その多くは、フランコ時代を知らない若者たちだ。
ベルギーでは排外的な政党フラームス・ベランフが、フランドル地方の政治を牛耳り、ベルギーの解体を強く求めていた。ギリシャの議会選挙では、ネオナチ政党「黄金の夜明け」が一七%の票を獲得。二〇〇九年の〇・九%と比べてこちらも躍進した。
台頭している過激主義はファシズムだけではなかった。五年で人口の一〇%以上が国外に移住したポルトガルでは、共産党が社会党を上回る左派の最大政党に躍り出た。ヨーロッパ全体でイスラム教徒居住地区(ベルリンのノイケルン区、パリ近郊のセーヌ・サンドニ県、ロンドンのタワーハムレット区など)は、一般社会とは異質の自治区のようになっていた。女性の服装には厳しいルールがあり、たまたまこの地区に迷い込んだ人が自警団に襲撃される事件も後を絶たなかった。
だが、二〇一七年のヨーロッパ政治の最大の問題は、極左や極右の台頭ではなく、中道の崩壊だった。
ヨーロッパの指導者たちは長年、ヨーロッパ病の原因を見誤り、その治療に失敗してきた。実のところ、ヨーロッパの問題は「債務」危機でも単一通貨でもなかった(ユーロは懐疑派が思っていたよりもずっと再生力があることがわかった)。
ヨーロッパの問題は成長危機だった。それなのに支払い能力のない国への流動性供給や、すでに重い税負担に苦しむ企業や個人への増税や、まともに執行されないヨーロッパ全体の財政「連携」メカニズムなど、間違った治療法の実行に長い歳月が浪費されてきた。
ヨーロッパに必要なのは新しいビジネス(と雇用)の創出を後押しする仕組みと、労働と投資を促す税制だ。だが、こうした思い切った政策はわずかな支持しか得られず、組合や知識人、さらには雇用保護や補助金、給付金、規制といった既存の枠組みの恩恵を受けている人々から猛烈なイデオロギー的反発を受けた。
「ヨーロッパは間違った進化モデルを歩んできたようだ」と、あるドイツの政治評論家は指摘した。「現在の統合論者の考え方は、突然隕石でも降ってこない限り変わらないようだ。ヨーロッパは成長しないし、学ばないし、考えを曲げないし、(環境の変化に)適応しない。ただ停滞と危機の間を行ったりきたりするだけだ」
だが、その「隕石」が降ってくるまで長く待つ必要はなかった。ヨーロッパの金庫番で経済のエンジンであるはずのドイツの成長が鈍化し始めたのだ。二〇一七年第2四半期にマイナス局面に入ると、状況はどんどん悪化していった。そして二〇一八年九月、総資産二五〇億ユーロの州立銀行の一つが破綻した。
ドイツは長年、ユーロ圏経済のエンジンの役割を果たしてきた。だがいまは違う。自国経済の不振で、ドイツはヨーロッパの金庫番という重荷を背負う気になれなかった。ヨーロッパの「結束」という言葉が急に安っぽく感じられるようになった。これからはどの国も自分で自分の面倒を見ろ、だ。
彼らにとって、ヨーロッパは政治的かたまりでもなければ共通文明でもない。ビスマルクがかつて言ったように、単なる「地理的表現」にすぎなかった。