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「虹の国」に衝撃=南アで反移民暴動が激化−高失業率、不満のはけ口に
http://www.asyura2.com/15/kokusai10/msg/549.html
投稿者 rei 日時 2015 年 4 月 22 日 17:01:51: tW6yLih8JvEfw
 

「虹の国」に衝撃=南アで反移民暴動が激化−高失業率、不満のはけ口に

16日、南アフリカ・ダーバンで地元住民と移民の衝突が起き、逃げ惑う人々(AFP=時事)
 【ロンドン時事】南アフリカでアフリカ諸国出身の移民に対する暴動や襲撃が相次ぎ、軍が出動する事態に発展した。少数白人政権によるアパルトヘイト(人種隔離)政策に抗した故ネルソン・マンデラ元大統領は、さまざまな人種が共存する「虹の国」を目指した。しかし、かつて差別・抑圧された黒人がアフリカの同胞に暴力を振るう現実に、南ア社会と周辺諸国では衝撃が走っている。
 南アのメディアによると、暴動は最大部族ズールー族の指導者が先月、移民を「シラミ」に例えて追放を訴えたことが発端となった。暴力は先週から過激化し、最大都市ヨハネスブルクや東部ダーバンなどでは移民系の商店が襲われ、少なくとも7人が死亡。移民数千人が臨時キャンプへの避難を余儀なくされた。
 情勢緊迫を受けて、ズマ大統領はインドネシアで開催されるアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議への出席を急きょ取りやめ、移民キャンプを訪問した。これまでに移民襲撃に絡んで300人以上が逮捕されたが、21日には軍が治安維持のためにヨハネスブルクへ投入されるなど、完全な沈静化には至っていない。
 アフリカ大陸で最も経済・産業基盤が整う南アには、ムガベ政権の失政で経済崩壊した隣国ジンバブエをはじめ、サブサハラ(サハラ砂漠以南のアフリカ)諸国から大量の移民が流入。鉱山や農場などで低賃金労働に従事している。
 一方で南アの失業率は2014年10〜12月期で24.3%と高水準。十分な雇用創出には「4〜5%の経済成長率が必要」(南ア中央銀行)とされるが、ズマ政権の経済改革は遅々として進まず、14年の成長率は1.5%にとどまる。閉塞(へいそく)感から特に失業率が高い黒人層が「職を奪った」として、不満のはけ口を移民に向けた格好だ。(2015/04/22-14:39)
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http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2015042200529  

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コメント
 
01. 2015年4月24日 07:58:24 : jXbiWWJBCA

南ア、移民排斥が激化 東部の暴動飛び火、7人死亡 近隣諸国のバスで脱出
2015年4月24日05時00分


襲撃を恐れ、南アの避難キャンプから母国マラウイへと向かうバスに乗り込む移民たち=21日、ダーバン、三浦英之撮影
写真・図版
 多人種が融和する「虹の国」を目指してきた南アフリカで、近隣諸国からの移民の排斥を目的とした暴動が続いている。東部ダーバンで発生した暴動が最大都市ヨハネスブルクにも飛び火。少なくとも7人が死亡し、当局は300人以上を逮捕した。近隣の諸国は、移民を帰還させるバスを出している。

 ダーバン中心部では、移民が経営する商店や自宅が襲われた。記者が取材に入った21日、若者らが「移民は出ていけ」と声を張り上げていた。移民が多い地区では店のシャッターが下ろされ、至る所に警察車両が配備されていた。

 南ア政府がダーバン近郊の競技場に設けた避難所の一つには同日、20張りほどの大型テントに約3200人が身を寄せていた。モザンビークやマラウイの政府が準備したバスが到着すると、人々が殺到した。キャンプの運営担当者によると、両政府は千数百人の自国民を逃がす計画だ。

 ■蹴られ盗まれた

 モザンビークから2年前に出稼ぎに来たという建築作業員レアゲ・ブンドゥさん(30)は「夜中にいきなり家の窓を割られ、銃を持って乗り込んできた若者に『ここはお前らの国じゃない』と言って蹴られ、テレビや鏡を盗まれた」と話した。マラウイ行きのバスに乗ろうとしていた飲食店経営キレラ・ソボウさん(35)は「店や家具を残したままでの脱出で不安だが、命には代えられない」。暴徒は顔つきや服装、ことばなどで見分けて襲撃しているようだ。

 背景には、南アフリカと近隣国との格差、そして南ア国内の経済停滞がある。

 国勢調査によると、南アの人口約5300万人(2011年)のうち、外国人は約170万人。しかし、この数は滞在許可証などを取得している数で、実際にははるかに上回る数が近隣諸国から流入しているとみられている。多くは賄賂を払ったり、命がけで国境警備の薄い川を渡ったりしているとされる。

 アフリカ大陸で比較的豊かな南アフリカは、12年の統計で1人あたりの国民総所得が約7600ドル(約91万円)。モザンビークの510ドル(約6万1千円)やマラウイの約320ドル(約3万8千円)と比べると突出しているためだ。

 雇用する側にとっても、自国民の半分以下の給料で雇えるほか、解雇や契約更新の際に煩雑な正規手続きを無視できる。このため南ア社会全体に不法移民が入り込んでいる。

 暴動のきっかけとなったダーバンでは特に不法移民が多いとされ、同市の警察当局者によると、人口約340万人のうち、約150万人が「不法移民」とみられるという。

 ■高失業率に不満

 一方で南アフリカは近年、経済が停滞。14年の成長率は1・5%に落ちた。失業率は約24%で、特に失業率の高い若者の黒人層に不満がたまっている。

 これらの不満を受けて、最大部族のズールー族の指導者が、南アの高い犯罪率は移民が原因であり、移民は南アから出て行くべきだと演説した。これが暴動の引き金になった。

 暴動の激化を受け、指導者は20日、「(演説は)誤解して伝わっている」と釈明し、「移民への暴力は恥ずべき行為だ」と訴えたが混乱は収まっていない。

 これに対し、近隣諸国では激しい抗議デモが発生。各国首脳が南ア政府の対応を非難するなど、国際問題に発展している。(ダーバン=三浦英之)


02. 2015年4月24日 08:03:55 : jXbiWWJBCA

2015年4月23日 橘玲
「アフリカからもっとも近い、“黒人のいない”リゾート」モーリシャス
[橘玲の世界投資見聞録]
 モーリシャスはインド洋に浮かぶ島だが、地図を見ればわかるようにアフリカ大陸に近い。私が訪れたのは昨年の12月半ば過ぎで、ヨハネスブルグから約4時間のフライトはクリスマスをこの島で過ごす白人の家族連れで満席だった。

 アメリカの作家マーク・トウェンがここを訪れたとき、「神はモーリシャスというパラダイスを創り、それを真似て天国を創った」と語ったという。その賞賛の言葉どおり、美しいビーチと高級ホテルで知られる世界的なリゾートで、面積は約2000平方キロだから沖縄よりひとまわり大きく、そこに130万人のひとびとが暮らしている。

 モーリシャス空港の第一印象は、入国管理がきわめて厳しいことだ。この時期はまだエボラ出血熱の騒ぎがつづいていて、アフリカからの入国者は、感染地域を訪れていないかパスポートで入念に確認された。

 だが、入国審査に時間がかかる理由はそれだけではない。

 たいていの国で日本人はフリーパスだが、ここでは帰りの航空券の提示も求められた。出国時にも、渡航先(マダガスカル)だけでなくその先のヨハネスブルグ行き航空券を示し、モーリシャスには戻ってこないことを証明しなければならなかった。それだけ不法労働者の入国に神経を尖らせているのだ。

 モーリシャスがどのようなところか、ひと言で説明するのは難しい。あえていえば、「インドにとってのシンガポール」ということになるだろうか。ここは華僑ならぬ「印僑の島」なのだ。


モーリシャスのビーチ。パラセーリングをしている    (Photo:©Alt Invest Com)

フランス東インド会社によって開発が始まった

 17世紀半ばにオランダが植民を開始した頃は、モーリシャスはほとんど無人に近い島だった。1715年にフランス領になってから、フランス東インド会社による奴隷の輸入と農業(プランテーション)開発が始まったが、1735年の調査でも人口は838人で、それに2612人の奴隷がいるだけだった(当時は奴隷は人間以下とされていたから、人口には加えられていない)。

 モーリシャスを所有していたフランス東インド会社は、オランダやイギリスに対抗してつくられた国営商社で、北米のミシシッピ川河口にニューオリンズを建設し、大規模開発を行なったことで知られている(この開発計画が破綻し、ルイ15世が発行した紙幣が紙くずになったことがフランス革命の遠因になった)。

 それとほぼ同時期に東インド会社は、「3年以内に開墾を始める」という条件でモーリシャスの土地の払い下げを行なった。植民者には20人の奴隷が与えられ、その代わり毎年の生産物の10分の1を東インド会社に支払うことになっていた。これに応募した一人がフランスのノーベル賞作家ル・クレジオの先祖で、その邸宅は「ユーレカハウス」として公開されている。


典型的なコロニアル様式のユーレカハウス       (Photo:©Alt Invest Com)

 奴隷は主にアフリカ大陸とインド大陸から連れてこられた。このうちアフリカ系の子孫はクレオール(植民地生まれ)と呼ばれる。首都ポートルイスにある世界遺産アープラヴァシ・ガートは、1835年の奴隷制廃止後に、人手不足を補うためクーリー貿易によって送られてきたインド移民の受け入れに使われた建物群だ。


世界遺産アープラヴァシ・ガート。ここでインドからのクーリーの登録が行なわれた  (Photo:©Alt Invest Com)

 現在のモーリシャスの民族比率はインド系68%、クレオール27%で、それ以外は華人3%、フランス人2%となっている。

 フランスの植民地支配が1世紀続いたあと、1810年にイギリスに占領され、14年にイギリス領となった。だがその後もフランス文化の影響は強く残り、いまでも国民の大半がモーリシャス・クレオール語(植民地化したフランス語)を話し、新聞・テレビでもフランス語が使われている(外国人に話しかけるときも最初がフランス語で、それで通じないと英語になる)。

タックスヘイヴンとしてのモーリシャス

 モーリシャスの経済はサトウキビや茶などのプランテーションに依存していたが、1968年の独立後は観光業にちからを入れ、またタックスヘイヴン政策を採用することで金融ビジネスを発展させた。

 ポートルイスの港を再開発したウォーターフロントから政府庁舎や市庁舎へと向かうメインストリート(プラス・ダルム広場)にはずらりと銀行が並んでいる。

 オフショア金融センターとしてのモーリシャスの強みは、インドとの二重課税防止協定によって、モーリシャスの居住者(個人および法人)がインドに投資して得たキャピタルゲインがモーリシャス国内でしか課税対象にならないことだ。

 タックスヘイヴンであるモーリシャスのキャピタルゲイン課税は3%なので、インドに投資する際にモーリシャスを経由すれば租税コストを大幅に軽減できる。これは「モーリシャスルート」と呼ばれ、2001年から11年の10年間でインドへの投資の39.6%がモーリシャスからのものになっている。同様の二重課税防止協定はシンガポールとのあいだでも締結されており、両者を合わせると海外からインドへの投資の48%を占める(以上の記述はWikipedia英語版「Mauritius route」)。

 ただし、モーリシャスの金融業を大きく発展させたこの特例も、インド国内の投資家による悪用が問題となり、両国間の懸案事項になっているようだ。


プラス・ダルム広場にはプライベートバンクが並んでいる (Photo:©Alt Invest Com)


 ポートルイス中心部の中華門が象徴するように、ここには華人のコミュニティもある。

 じつは、香港の私の友人の一人がモーリシャス出身の華人(客家)だ。彼の話を聞いてこの島に興味を持ったのだが、“南海の孤島”での人生はあまりにも孤独で、裕福な華人の子弟は高校を出るとほとんどが欧米の大学に留学するのだという。

 彼もアメリカの一流大学を卒業したあと香港で事業を起こし、モーリシャスにはいちども帰っていないという。結婚して子どもができると両親が孫に会いに香港にやってくるようになり、やがてモーリシャスでの事業(ホテル経営)を売却して香港に移ってきた。この島で商売をつづけるよりも、急成長する中国やアジアを拠点にした方がいいと考えたのだろう。

 このようにして、私が訪れたときは、ポートルイスの中華街に華人の店はまったく残っておらず、布やスパイスを扱うインド系の店に変わっていた。


ダウンタウンの中華門                (Photo:©Alt Invest Com)

華僑が建てたビルも、入居者はすべてインド系に変わっていた        (Photo:©Alt Invest Com)

どこに行ってもインド人しかいない

 モーリシャスがどんなところかは、写真で紹介するのがいちばんだろう。

 ここはポートルイスのウォーターフロントで、ホテルやレストラン、ショッピングセンターなどが集まっている。


再開発されたウォーターフロント           (Photo:©Alt Invest Com)

 下はショッピングセンター内のカフェだが、ご覧のように客はみんなインド人だ(インド系モーリシャス人のほかに、インドからの観光客もたくさん来ているから、合わせて「インド人」と呼ぶ)。


ショッピングセンター内のカフェ           (Photo:©Alt Invest Com)

 下はポートルイスの街角。いたるところで衣類や雑貨などが広げられて大変な賑わいだが、集まっているひとたちはみなインド人だ。


ポートルイスの路上で雑貨の品定めをするひとたち  (Photo:©Alt Invest Com)

狭い通りに屋台が並んでいる              (Photo:©Alt Invest Com)

 こちらはモーリシャス北部に新しくつくられたショッピングコンプレックス、「ラ・クロワゼット」。100軒以上のブティックショップやレストランのほか、映画館やオフィス棟もある。そのなかのフードコートにいるのも、やはりインド人ばかりだ。


モーリシャス最大のショッピングコンプレックス、「ラ・クロワゼット」   (Photo:©Alt Invest Com)

巨大なフードコート               (Photo:©Alt Invest Com)

 モーリシャスの人口は約130万人で、そのうち7割がインド系、3割がクレオール(アフリカ系)なのだから、この島には40万人ちかい黒人がいるはずだ。だがポートルイス市内やショッピングセンターなど、どこに行ってもインド人しかいない。

 だったら、クレオールはどこにいるのだろう。

 この疑問が解けたのは偶然だった。

 レンタカーで島の中央部にある山岳地帯を越え、東側を回ってポートルイスに戻ろうとしたのだが、その途中に小さな町がいくつかあって、そこにクレオールのひとびとが集まっていた。運転中なので残念ながら写真は撮れなかったが、そこはまさに“アフリカ”で、黒人しかいないのだ。


中央部の山岳地帯。インド系の家族が観光に来ていた   (Photo:©Alt Invest Com)

 このようにモーリシャスでは、インド系とクレオールの居住地域が明確に分かれている。ここまで人種間の分離が進んでいると、インド系の住人たちはクレオールと知り合うことすらないだろう。

少数派のクレオールは就業機会が少ない

 モーリシャスで泊まったのは、200室以上の客室がある大型リゾートホテルだった。

 最初に驚いたのは、インドからの団体旅行者の多さだ、宿泊客の7割以上がインド人で、あとは中国人と欧米人という感じだろうか。

 大きなビュッフェレストランは団体客用で、個人旅行者のためにはフレンチ、イタリアン、中華の高級レストランが別に用意されていた。プールやビーチもふたつに分けられていたが、インド人は肌を露出するのを嫌うので、これはどちらもすいていた。


ホテルのビュッフェ                  (Photo:©Alt Invest Com)

ほとんど利用者のいないホテルのプール         (Photo:©Alt Invest Com)

 しかしそれよりも驚いたのは、ホテルの従業員がインド人しかいないことだ。3日間でインド人以外のスタッフと会ったのは、挨拶をしたゼネラルマネージャー(イギリス人)と白人のバーテンダーだけだった。

 インド人のスタッフはお互いにヒンディーで会話していて、宿泊客もインドからの旅行者が多いのだから都合がいいのかもしれないが、モーリシャスの民族比率を考えると違和感は否めない。3割のクレオールたちは、ホテルでの就業機会から完全に排除されているようなのだ。

 中国やインドの経済成長を背景に、モーリシャスでも金融業や観光業が拡大した。しかしそれでも失業率は8%台で、経済格差が社会問題になっている。多数派のインド系の就業機会を優先するため、少数派のクレオールが貧困に追いやられているのだという。

 インドの宿痾はカースト制だが、モーリシャスでは宗教の桎梏をほとんど感じない(そもそもヒンドゥー寺院自体がそれほど目立たない)。これはフランス統治下で近代主義的(啓蒙的)な教育が行なわれたためかもしれないし、あるいはこの島のインド人が、家系を辿ればみんな下層階級の出身だからかもしれない(バラモンやクシャトリアなどの支配階級が奴隷やクーリーになるはずはない)。

 インドよりもずっと近代的で世俗的なモーリシャスは、インド人にとっても過ごしやすい。これが多くの観光客を集めるリゾートに成長した理由だろう。

 しかしその一方で、インド系とクレオールのあいだには明らかな差別があり、彼らはお互いに混じり合うことがない。

 そんなモーリシャスの現実を見て、ヨハネスブルグからモーリシャスへのフライトが白人の家族連れで満席だった理由がようやくわかった。

 モーリシャスでは、空港からホテルや観光地、ショッピングセンターやレストランに至るまで、旅行者はインド系のひとたちとしか出会わないようになっている。すなわちこの島は、南アフリカの白人にとって、「アフリカからもっとも近い、“黒人のいない”リゾート」なのだ。

 シンガポールを「華僑の島」だとすれば、モーリシャスは「印僑の島」だ。そしてどちらも、本国に比べて大きな社会的・経済的成功を収めた。

 その努力を批判するつもりは毛頭ない。ただどんな「楽園」にも、光もあれば闇もあるというだけのことだ。



作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(以上ダイヤモンド社)など。中国人の考え方、反日、政治体制、経済、不動産バブルなど「中国という大問題」に切り込んだ最新刊 『橘玲の中国私論』が発売中。
●DPM(ダイヤモンド・プレミアム・メールマガジン)にて
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