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「創設者ジャン−マリ・ルペン氏の政治力はさすが:国民戦線が極右扱いから脱却し飛躍できるきっかけを用意」
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『ニューズウィーク日本版』2015−4・14
P.50〜51
「ルペンが招くフランス分裂
仏政治:主流政党は極転・国民戦線への恐怖をあおるが国民はイデオロギー合戦の政治にうんざり
1月の仏週刊誌シャルリ・エブド襲撃事件以来、フランス政治の視界は恐怖という雲にすっかり覆われてしまった。国家レベルで傷を負った後によくありがちな恐怖というだけではなく、もはやそれは集団ヒステリー。主流政党の政治家たちの言動にまで、その空気感が如実に表れている。その恩恵を誰より受けているのが、フランスの極右政党・国民戦線だ。
先月行われた統一地方選挙で、反EU・移民排斥を掲げる国民戦線は98県で62議席を獲得。選挙前の予想には届かず、どの県でも過半数は獲得できなかったものの、08年の前回選挙から大きく躍進した。
党首マリーヌ・ルペンはこれまでのところ、この国の政治論争をリードし続けている。メディア戦略にたけ、その手腕とずる賢さは党を創設した父親のジャンマリ・ルペンよりも数段上。統一地方選の第1回投票後に、国民戦線が「第1党を逃した」との見出しが数々のメディアに躍ったことが、多くを物語っているだろう。
選挙が迫るにつれ、与党・社会党と野党・国民運動連合(UMP)の間の主な論点は、慢性的な失業問題や国家債務についてではなく、ルペンをどうするか、という一点に集中した。昨年5月に欧州議会選挙で国民戦線がフランス第1党に躍進すると、「ルペン大統領」の座も視野に入ったとメディアは一斉に報道。マニュエル・パルス首相は最近のインタビューで、ルペンの党が「フランスを分裂させる」恐れがあると語っている。
政府の実績や社会党の選挙戦については言及を避けながら、パルスはルペンの台頭でフランスに訪れる「重大な危険」について繰り返し訴えた。「国民戦線が欧州議会で25%の得票率を獲得し、今度の統一地方選で25%の票を得たら、次には政権を取ってしまうことになりはしないか? 2022年でも29年でもなく、17年の話だ!」
パルスは巧みに、懸念の根拠を示した。「左派が分裂し、UMPの一部有権者が流れることで、国民戦線が勢いづいている。堤防が壊れかけている証拠ではないか」
ジャンヌ・ダルクも利用
一見したところ何気ないこの言葉で、パルスは自身の社会党内の抵抗勢力に、はっきりとしたメッセージを送っている。政府が初心を忘れて新自由主義に傾きつつあると批判する党内左派に向かって、パルスはこう言っているのだ。国民戦線を勝たせたくないのなら、われわれに従ったほうがいい。
先月初め、フランソワ・オランド大統領は統一地方選の社会党候補者らに、国民戦線の票を「剥ぎ取れ」と対抗心むき出しで呼び掛けた。ルペン支配への恐怖をあおるこの戦略のおかげで、彼女が次期大統領になるという悪夢(人によってはいい夢)は、いつしか国を挙げての本格的な議論になっていった。
ルペンはこれまで、主流政党からさんざんこき下ろされてきた。そのせいでむしろ、政界から迫害を受ける彼女には、カルト的な崇拝すら集まっている。
父ジャンマリが党のシンボルとして担ぎ出したのが、フランスの国民的ヒロイン、ジャンヌ・ダルクだ。ルペンは父親以上に効果的に、そのイメージを利用しようとしてきた。
実際のところルペンは政界名門の裕福な出であるにもかかわらず、常に自らをドラマチックに演出してきた―彼女を迫害し、口を封じようとする政治的エリート主義や堕落した「システム」と闘い、よりよいフランス実現のために人生のすべてを捧げてきた女だ、と。
さらにルペンは、フランス国民に受けのいい革命の思想もよく引き合いに出してきた。
テレビ局BFMTVの最近のインタビューでルペンは、国民戦線の党員が相次いで投稿する人種差別的で反同性愛、反ユダヤ、反イスラムのツイートについて指摘されてもあっさりとかわし、こう主張した。国民戦線は「国民の憎悪や階級的嫌悪の犠牲になっている」。さらに、「特権階級は、商売人や母親や学生といった人々が、彼らに代わって政治を担うという考えに我慢がならない」と語った。
たかが地方選でこの大仰な言い回しは滑稽に感じられるかもしれない。通常、地方選で論じられるのは、地元のバス路線廃止の是非といった地域密着の話題のはず。ここにフランス政治特有の問題点が垣間見える。道徳の高さを競う争いになりがちなところだ。どの党が最も効果的な解決策を示せるかではなく、どの党が正しいかという争いに終姶する傾向がある。
ファシストの顔は見せず
厄介なことにルペンは、ファシスト的な顔を否定しているだけではない。われこそはフランス共和制の真の後継者だと主張している。
ルペンの選挙戦の特徴は、詳細な文章が皆無であること。冊子も配られず地方メディアに記事も載せず、代わりにこんなスローガンが記されたポスターが至る所に貼られている。「裏切りのUMP、希望のブルー・マリーヌ(国民戦線による極右連立の名称)」
道徳をめぐる争いにおいては特定の政策に跨み込まないほうが得策であることを、ルペンは心得ている。適当なイメージを示して感情に訴えれば十分だから、現代フランス社会に広がる恐怖と、過去への郷愁をあおる。「村には郵便局を取り戻そう。フランスの宝である農村風景を、漁業社会を守っていこう」。それは、グローバリゼーションや資本主義の覇権に侵されることのない、不変のフランスの姿だ。
フランスの多様な有権者が共通して抱いているのは、近代化の波に対する恐怖感。ルペンは彼らに牧歌的な構想を示す一方で、自身のファシスト的な側面は慎重に覆い隠している。世界ユダヤ人会議(WIC)フランス支部代表のロジェ・ツケルマンですら、「ルペンはとがめるべきところは何もない」と述べるほどだ。
パルスが最近、ルペンへの強い懸念をラジオで語ると、野党UMPの報道官セバスチャン・ヒユーグは彼を「放火魔の消防士」と非難した。英雄を演じるために自ら火を付ける彼の戦略は、長い歴史を通じて崇高な理想のために炎を燃やしてきたフランスにとっては、明らかに危険だという。
一方で、多くの国民、特にグローバリゼーションに抵抗感のない若者世代は、こうしたイデオロギー合戦にうんざりし始めている。彼らは現実的な解決手段を渇望しているのだ。
われこそが道徳的に正しい、と主張するためだけにフランスの歴史を掘り起こしては利用する―そんな長年の悪習から勇気を持って足を洗い、現実的な政策を語れるのは誰か。その実断を下すことができる政治家が現れれば、誰であれフランス国民から歓迎されるのは間違いないだろう。
ルーシー・ウェイダム」
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