(2015年4月7日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
「ローマは滅んだ。バビロンは滅んだ。ハインドヘッドの番が来る」。ジョージ・バーナード・ショーが戯曲「Misalliance(不釣り合いな結婚)」で書いた名文句は、すべての帝国はいつか衰退し、滅ぶということを、1910年の英国の劇場の観客に思い出させるものだった。
ハインドランドがイングランドの村だという事実は、重大な核心を気軽な雰囲気のオブラートで包んでいた。
アイルランド人のショーはイングランド人よりも、大英帝国の衰退について冗談を言いやすかったのかもしれない。
しかし近年は、現代随一の大国である米国の衰退について論評し、インサイダーでもある部外者の役割を果たす責任は、米国に本拠を構える英国人学者の肩にかかることが多い。
米国の国力の将来に関する長期にわたる議論では、最も大きな影響力を持つ「衰退論者」の一部は、米国の大学に在籍する英国人の歴史家だ。エール大学のポール・ケネディ氏、ハーバード大学のニーアル・ ファーガソン氏、スタンフォード大学のイアン・モリス氏の3人だ。
米国という「帝国」の衰退を論じる英国人トリオ
米国の「帝国」が衰退していると考える英国人の傾向は、知的な議論の好奇心以上のものだ。現実世界に対する効果もある。
舞台裏では、英国の多くの政策立案者も、継続的な中国の台頭と米国の相対的衰退は不可避だとの前提に基づいて動いているように見える。
その結果、彼らはこの変化の風への慎重な適応を反映した決断を下している。英国が最近、米国政府に逆らって、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に参加する決定を下したことは、その風向きを示す1つの兆候だ。
英国人の「衰退論者」は、将来に関する米国自身の議論にも大きな影響を与えてきた。ケネディ氏の『The Rise and Fall of The Great Powers(邦訳:大国の興亡)』は1987年に出版された時に米国でベストセラーとなり、以来ずっと、この議論を形成してきた。
巨額の貿易赤字と産業衰退の時代だった1980年代後半には、米国は――先行したスペインや英国のように――「帝国の無理な拡大」で倒れるというケネディ氏の意見は、特に説得力があるように思えた。
バーナード・ショーの言葉を言い換え、同氏はこう予想した。「ローマは滅んだ。バビロンは滅んだ。スカーズデールの番が来る」
大英帝国などに関する歴史家のファーガソン氏も、米国で有名な知識人となった。同氏の『Colossus: Rise and Fall of the American Empire(巨像:アメリカ帝国の興亡)』(2010年刊行)は、ちょうど米国がイラクで泥沼にはまり込んだ2004に上梓された。
同氏は後に、「21世紀は中国のものになる」と論じた。
英国人衰退論トリオの3番目のメンバー、イアン・モリス氏は、2010年の『Why the West Rules--for Now(邦訳:人類5万年 文明の興亡 なぜ西洋が世界を支配しているのか)』でセンセーションを巻き起こした。
モリス氏も帝国の興亡に心を奪われ、現代の米国とエドワード朝の英国に類似点を見いだした。
昔の大英帝国と今日の米国の大きな違い
在米の英国人教授は、米国の将来を曇りのない目で見通すために必要な知識と距離感の適切な組み合わせを持っているという可能性はある。その一方で、大英帝国がたどった運命を、自国よりだいぶ力強い米国の後継者に過度に投影している可能性もある。
ハーバード大学教授(そして米国人)のジョセフ・ナイ氏は次のように指摘する。「第1次世界大戦が勃発した頃には、英国は列強の中で・・・GDP(国内総生産)で4位、軍事費で3位につけた程度だった」
それとは対照的に、米国はまだ(どの指標を使うかによって)世界最大、または第2位の経済規模を誇っており、軍事予算は優に世界一だ。
さらに言えば、大英帝国の崩壊は、英国を破産寸前に追い込んだ2度の世界大戦の消耗効果によって引き起こされた。
米国が同じような世界紛争に巻き込まれるのを避けることができれば、もっとうまく勢力を維持できるはずだ。
だが、たとえ英国人が自分たちの過去を米国の未来に投影することが間違っていたとしても、この癖は深く染みついたものだ。
筆者自身もそれを目の当たりにしている。
最近のあるイベントでは、定年間近の英国人官僚が、自分のキャリアを通して英国の影響力が低下していったことについて雄弁に語ったうえで、次の世代は米国の勢力について似たような衰退を目にするだろうと予想した。
別の夕食の席では、英国のある閣僚がワシントンから来た訪問客に向かって、英国がかつて「アデン以東」から撤退したように、米国もいずれ西太平洋から撤退しなければならないだろうと言った。唖然としたゲストは、ただ首を振るだけだった。
「不実の英国」と呼ばれる所以
この種の考え方が英国の政策や西側の連帯感に及ぼす影響は、まだ出始めたばかりだ。
大英帝国の脱植民地化が1960年代に勢いを増し、米国が勢力を伸ばすと、当時のハロルド・マクミラン首相は、英国人は、力強く、勃興する米国のローマ人に対して、賢くも衰え行くギリシャ人の役割を果たせるかもしれないと示唆した。
しかし、英国人がこのローマ・ワシントンが衰えつつあるのかもしれないと感じている今、彼らはまたしても軌道修正し始めている。
英国人には、実利的な調整を行ってきた歴史がある。
大英帝国の喪失を受け、マクミラン政権は英連邦内の元植民地との関係を弱め、代わりに台頭する新興勢力に加わった。
それは――当時は――、欧州経済共同体(EEC)であるように思えた。
保守派の中には英連邦の「親類縁者」を見捨てることに不満を述べる者もいたが、商業的、政治的な判断の方が重視された。
英国が北京に本部を構えるアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加を決めた決断は、「欧州に参加する」決断と比べると、ずっと小さく、重要度が低い動きだ。これは米国との特別な関係の拒絶というよりは、将来に対するヘッジだ。
とはいえ、今後数十年、英国が世界の勢力図の変化にどう対応しそうかを示す小さな兆候ではある。我々英国人は、何の理由もなく「perfidious Albion(不実なアルビオン)」と呼ばれているわけではないのだ。
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