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http://suinikki.blog.jp/archives/25079149.html
2015年04月01日
古村治彦です。
今回はアメリカ社会の格差についての記事を2本ご紹介します。2本目は書評です。取り上げられているハーヴァード大学教授ロバート・パットナムについては、拙著『ハーヴァード大学の秘密』でも取り上げましたが、現代アメリカの重要な社会科学者です。著書『孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生』(柴内康文訳、柏書房、2006年)は、アメリカでベストセラーになりました。私にとっては、『哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造』(河田潤一訳、NTT出版、2001年)が思い出深いです。こんな何を言っているのか全く分からない邦題ですが、原題は、Making Democracy Workです。政治学をアメリカで学んでいる時に読んだのですが、比較政治分野における素晴らしい本の一つといえます。パットナムは「社会関係資本(Social Capital)」と呼ぶ、簡単に言えば人間同士の信頼とつながりという概念を使って、社会や政治の構造を分析しています。現在の日本もこの概念を用いて分析することが可能です。
アメリカ(そして日本でも)では、大学教育を受けることが中間層への確実な道であり、そのために、オバマ大統領は「大学2年まで(短期大学)の学費を無償にする」ことを訴えています。現在でもアメリカでは、お金がない人は学費が安い短期大学に行き、そこから学部の3年生に編入して学士号取得を目指します。
このような社会制度の整備をしても、アメリカ社会の問題である人種と階級の問題を解決することは大変に困難です。恐らく完全に解決することは不可能でしょう。そうした諦観を2本目の書評には感じてしまいます。しかし、それがより現実的な反応であると思います。日本では、生活保護受給世帯の子供たちが奨学金を得るとその分を減額するということがなされています。これでは新たな格差を生み出すだけのことでしょうし、長期的な視点で見れば国益を損なう、まさに公務員が「法匪」となる具体例です。
『ニューヨーカー』誌のジル・レポーレはロバート・パットナムの本の書評論文”Richer and Poorer: Accounting for inequality”(2015年3月16日付)の中で、ジニ係数やトマ・ピケティなどの研究に言及しています。その中で、政治学者アルフレッド・ステパン(コロンビア大学)と故ホアン・リンツの民主政治体制と格差についての研究を取り上げています。2人は研究の中で、「拒否プレイヤー(政策決定を阻害できる個人や組織)」に注目し、アメリカには4つの拒否プレイヤーがいること、そして、拒否プレイヤーの数が多いほど、国内の経済格差は大きくなることを発見しています。
※記事のアドレスは以下の通りです↓
http://www.newyorker.com/magazine/2015/03/16/richer-and-poorer
「格差」は先進諸国を蝕む脅威となりつつあります。日本でも脅威となりつつあります。格差を少しずつでも小さくするためには、結局のところ、「子供たちに教育を受けさせること」が必要となります。そのためには、「機会の平等」が保証されるようにすべきです。しかし、現在の先進諸国では、社会階級や人種のためにそれが実現していないのが現実であり、「生まれてしまった家」によって、子供たちのそれからの人生が決まってしまっているのです。能力で差が出てしまうのは当然として、このような生まれた時からすでにギャンブルのような社会が不安定になるのは当然のことです。
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オバマ大統領:大学教育こそは中間階級になるための「最も確実なチケット」だ(Obama: College ‘surest ticket’ to middle class)
マーク・ヘンシュ筆
2015年3月14日
『ザ・ヒル』誌
http://thehill.com/blogs/blog-briefing-room/235730-obama-college-surest-ticket-to-middle-class
今週土曜日、オバマ大統領は、アメリカ国民に対して、「学生援助権利章典(Student Aid Bill of Rights)」に署名し、一緒になって高等教育にかかるコストを削減するように努力しようと呼びかけた。
オバマ大統領は土曜日恒例の演説において、「技術革新に基礎を置いた経済においては、最も売り物になる重要な技能となるのは知識だ。従って、高等教育は中間階級になるための最も確実なチケットになる」と述べた。
大統領は続けて「しかし、高等教育は重要であるがゆえに、どうしても高価なものとなってしまう。高等教育が平均的な大学生が卒業するまでに約2万8000ドルを学生ローンから借りることになる」と語った。
オバマ大統領は高等教育にかかるコストを下げるためにいくつかの試みを行っている。税額控除の幅の拡大、連邦政府による奨学金(Pell Grants)の拡大、学生ローンに関するプログラムの改革、そして、進歩の例としてコミュニティ・カレッジの無償化を進めている。 これらの努力は行われているが、それでも十分ではないと大統領は述べている。
オバマ大統領は次のように語っている。「選挙で選ばれた政治家、各大学、財界のリーダーたち全てが一緒になって大学教育にかかるコストを引き下げるように努力する必要がある。そのために今週、私はより多くのアメリカ人が大学教育を受けられるようにするために新たな試みを発表したのだ。これに関しては新しい支出も官僚制度の創設も行わない。これは価値観の簡潔な宣言書である。私はこれを“学生援助権利章典”と呼ぶ」。
オバマ大統領は、この宣言書には4つの基本原理が書かれていると述べた。その第一条は、全ての学生は「質の高い、学費に見合うだけの教育」を受けられるというものだ。
それに続いて、学生ローンを借りている学生たちが「大学の学費を払えるだけの支援」と「実現可能な返還プラン」を持てるようにすべきだと宣言書に書かれている。
最後に、学生ローンの利用者たちは、返還プロセスにおいて、「質の高い消費者向けサーヴィス」「信頼できる情報」「公平な取り扱い」を利用できるようにしなければならない。
オバマ大統領はアメリカ国民に対して、彼の出した新たな宣言書に署名するように求め、この宣言を出来るだけ多くの友人、家族、学生たちに知らせて欲しいと述べた。
オバマ大統領は次のように語った。「アメリカにおいては、より高等教育は数少ない人々のために準備された、庶民の手に届かないものになってはならない。高等教育はそれを手に入れたいとして努力する人々全てに利用可能なものでなければならない」。
「学生援助権利章典」はウェブサイト「WhiteHouse.gov/CollegeOpportunity」で閲覧できる。
(終わり)
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書評:ロバート・D・パットナム著『我らが子供たち:危機にあるアメリカン・ドリーム』
アラン・ウルフ筆
2015年3月6日
『ワシントン・ポスト』
1950年代末、卓越した社会科学者で2000年に現代において影響力を持つ著書『孤独なボウリング』を出版したロバート・パットナムは、オハイオ州ポート・クリントンの高校の学級委員長の選挙に敗れた。委員長に選ばれたのは学校にはほとんどいなかった黒人の学生であった。彼は学校でもスターの運動選手であった。彼は設備工から身を起こし、ロサンゼルスの教育界で出世を重ね、校長と地区の教育委員長になった。彼はキャリアにおいて大変に出世したと言える。しかし、彼の出世をパットナムの出世と比べるとその凄さが薄れてしまう。パットナムは、ハーヴァード大学の公共政策に関するピーター・アンド・イザベル・マルキン記念教授である。
個人がそれぞれ人生において全く異なるキャリアを積むのだが、それを決定する要素は何だろうか?こうした要素は時代と共に変化しているのだろうか?パットナムはこれらの疑問を新刊『我らの子供たち』の中で取り上げている。そして、ある人々の人生を取り上げ、社会的、経済的移動についての大量のデータに基づいた分析を行うことで答えを導き出している。そして、パットナムは現代アメリカにおける、唯一の最もひどいスキャンダルを白日の下に晒した。それは、人生の成功を収められるかどうかにおいて社会階層が果たす役割は過度に大きなものとなっており、それに伴って、この半世紀で社会階層の差を乗り越えることが困難になってきた。つまり、低い社会階層から高い階層へと移動することは大変困難な状況になっているのである。
高校の学級委員長になるにはパットナムに限界があったことを私は知っている。それは、この本の第1章でパットナムが高校時代に住んでいたポート・クリントンで起きていたことや過去半世紀にわたりこの町に住み続けてきた人々のことを書いているからだ。パットナムはポート・クリントンに生まれて幸運だったのだ。それは、1950年代のこの町は安全で、比較的のんびりした場所であったからだ。そして、オハイオ州が国政選挙のたびに勝利する政党が変化するスイング州であったために、大統領選挙では勢力を均衡させるような結果を出してきたので、オハイオ州がアメリカ全体の縮図のようなものだったからだ。私たちはこれまで、中西部各州の各都市の空洞化(とごくごくたまに再生)について耳にしてきた。パットナムが自分の生まれた町を見るまなざしは特に辛辣である。景気後退のあおりを受けて工場は閉鎖されたが、エリー湖湖畔の一地区は富裕層の別荘地帯となったために賑わいが戻っている。
しかしながら、ある国全体を描き出すことは、その最も小さな部分(個人)を描き出すことよりも困難である。それでもパットナムはそれをやっており、第1章はそれに終始しているために、分かりにくくなっている。確かに、パットナムは、オレゴン州ベンドからアトランタまで様々な実際に生きている人々の人生を本の中で描き出している。しかし、これらの人生模様の描き方には活き活きとしたものを感じない。: 取り上げられた人々の人生について、パットナム自身がそれほど関心を持たず、ただ大きな主張をするための材料していることが説教臭さが出ている理由である。更に言えば、取り上げられた人々の数が多過ぎて、読んでいて、「サド」が生まれた場所を忘れてしまったり、「シモンヌ」が抱えている問題を忘れてしまったりする。パットナムが持つ最大の強みは、明確なそしてわかりやすい言葉でチャートや表を説明できる能力であり、人々の語りよりもデータに集中した方が、この本はより良くなったことであろう。
それでは私たちはこの本から一体何を学び取ることが出来るのか?明らかなことは、子供に投入する資源を多く持っている親がいることで、子供たちは人生で多くのものを達成できるということだ。より重要だとパットナムが強調しているのは、不幸な子供たちが成長し、やがて彼らが親になる将来に起きる危機である。地球温暖化と同様、将来の危機に備えて、今行動を起こさねばならないのだ、と彼は主張している。しかし、彼の意図は素晴らしいし、彼の研究もイデオロギーの枠組みを超えるものであるのだが、政治システムは物理的な社会資本を修理することは不可能だと人々は思い始めており、社会的、文化的な社会資本の修復すらも不可能だという考えにまで進んでいるのである。
我が国の政府が機能するのなら、私たちはアメリカに存在する2つの大きな断裂線(fault lines)について率直な議論を必要とするだろう。それは人種と階級である。パットナムの本はこの2つの断裂線を乗り越えることが将来においてもいかに困難かを見通している。私たちが直面しているこの問題の深刻さを明らかにするために、パットナムはある人の幼少期にスポットを当てている。家族、学校、ご近所が社会性の発達のために果たす役割を取り上げている。両親が揃った家庭で育った子供たち、どちらか一方しか親がいない子供たち、そして両親がいない子供たちもたくさんいる。パットナムは、親から捨てられたある子供に「イライジャ」という仮名を付けている。彼は本当にひどい人生を送ってきた。放火の罪で服役して出所後、父親に殴られ、飲酒と麻薬の常用のために母親によって家から追い出された。そのために街の不良たちに魅了されてしまった。「デズモンド」はイライジャとは全く別の人生を送った。彼の両親は彼が少しでも良い学校に行けるように引越しをした。本を読むように勧め、彼は一流大学へ入学を果たした。この二人の若者は、幼い頃の一時期を共にアトランタで過ごした。それなのに、彼らの人生は全く異なるものとなり、全く別の場所に至った。それは、一人は年長から支援を受けることが出来たが、もう一人は受けられなかったからだ。
「イライジャ」と「デズモンド」は二人ともアフリカ系アメリカ人だ。しかし、この本ではそのことについて重きを置かれていないようだ。子供のことを考える両親に育てられた子供は人種の壁を乗り越えて成功する。しかし、これは個人の特殊な物語でしかない。もしそれが、パットナムが「幼児の経験はあなたの肌の下で力強く息づいている」と書いたことが本当ならば、幼児期において起きることとあなたの肌の色は相関関係を持っていることもまた事実なのである。パットナムが人種に関係なく子供たちを全員助けたい、彼らの才能を開花させたいと望んでいるのは全く疑いようがない。しかし、彼は幼児教育において重要な要素となるものを本の中で軽視している。それは人種だ。都市部のゲットーで育つ貧しい黒人の少年たちは、アメリカの他の子供たちよりも厳しい障害に直面していることに思いを致さざるを得ない。「統計的に見れば、イライジャは常に死と隣り合わせで生きている」とパットナムは書いている。彼と同じ黒人の少年たちの多くが同じような生活を送っている。
パットナムは改革を望んでいる。しかし、彼が本書で描いた富裕層と貧困層、もしくは黒人と白人の格債の深刻さを実現可能な改革で乗り越えることが出来るだろうか?彼は、幼児教育の重要性について、「これはもっと大きくなってからの教育が有効ではないということを意味するものではない」と書いている。階級を基にした格差は紙が与えたものでもないし、元々決められたものでもないとも主張しているが、幼児教育を行うことの重要性を特に強調している。しかし、幼児教育が決定的な要素となるのかどうか、人は様座な主張を行う。チャールズ・マーレーのような右翼的な学者たちが指摘するように、大きくなってからの教育は効果を生み出すのが困難である。もしそうでなければ、パットナムが描いているような階級と人種の格差はそこまで酷いことはないであろう。パットナムの描き出す物語を読むとそこには希望が溢れているが、彼が提示しているデータを見れば、希望などどこにもないことがはっきりしている。
私は、この『我らの子供たち』が『孤独なボウリング』と同じような衝撃を与えることが出来るとは思っていない。それは、私たちが貧困層の急増よりも中流階級の不幸せにより関心を持っているからだ。しかし、私たちは貧困層の増大にこそ関心を持つべきだ。本書は様々な欠点を持っているが、このパットナムの新刊は私たちの目を開いてくれるものだ。選挙の候補者たちが真剣に「アメリカには階級など存在しない」などと言ったとしても、パットナムが現実を私たちに見せてくれる。その点でとても心強い一冊である。
※アラン・ウルフ:ボストン・カレッジで政治学を教えている。著書に『国内の亡命者:故郷からの離散がユダヤ人たちにとって何故良いのか』がある。
(終わり)
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