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広東省出身の曽祖父を持つリー・クアンユー氏は、シンガポール首相として初めて中国を訪問した際、中国側のホストに対して家族が抱いた印象について、こう語った。「私たちは中国人と彼らの慣習を異質に感じた」
だが、英国で教育を受け、先日91歳で死去したリー氏は、病を患っていた毛沢東国家主席と手短に握手した1976年の最初の訪中後の度重なる訪問で、中国および中国の指導体制について極めて鋭い理解を深めていった。
実際、常に米中双方の政府と良好な関係を維持したリー氏以上に、過去数十年間の中国の秘密主義の指導者とその政治体制をよく理解していると主張できる世界の指導者は恐らくいないだろう。
オーストラリアのフリンダース大学で国際関係学科の准教授を務めるマイケル・バー氏は「彼は誰よりも早く中国の台頭に気づいた」と言う。
リー氏は一連の訪中について詳細に記録した回顧録で、その市場志向の改革が今日の中国という経済大国を解き放ったケ小平のことを「中国と世界の運命を変えた偉大な指導者」と断言している。
中国を鋭く観察した現実主義者
だが、リー氏は決して賛美に迷い込まず、中国共産主義の官僚制度の限界と、北京の権力の中枢と地方の省の関係を理解する重要性について、明晰な現実主義をもって書いた。
リー氏が、周恩来首相の死後、先陣を切って中国を訪問した外国首脳の1人になり、多くの人に先んじてケ小平と会うことになったのは、この理解があったからだ。この関係から、ケ小平はリー氏が赤道直下の小さな島に築いた経済的奇跡を見るために1978年にシンガポールを訪問することになった。
シンガポールの統治モデル、中国の指導者を魅了
ケ小平が1970年代終盤に伝統的な毛沢東主義を放棄して以来、中国の指導者たちは「管理された民主主義」ないし「慈悲深い独裁」というシンガポールモデルに魅了されてきた。多くの政府高官は長らく、そのような制度が共産党の究極の目標であるべきだと感じていた。
過去数十年間にわたり、共産党幹部の大群が毎年、視察旅行のためにシンガポールに飛んでおり、両国の商業的関係は常に緊密だった。
標準中国語を話すリー氏は、中国がいつの日か一種の欧米流民主主義を受け入れるかもしれないという考え――西側の一部の人が抱いた考え――を否定した。中国は「より多くの人が参加する政府の形態に向かう可能性は高い」ものの、中国にとっては一人一票という考え方は非現実的だと考えていた。
「どうやって13億人の支持を取り付けるのか?」。リー氏は90歳になった2013年に出版した最後の著書『One Man's View of the World(1人の男の世界観)』で、こう述べた。
残念ながら、外国投資におけるシンガポールと中国の最初の取引に関しては、このような明瞭な分析も、リー氏が中国人を見誤るのを防げなかった。シンガポールの工業的ノウハウを展示する手段としてリー氏が1994年に精力的に推進した蘇州市の巨大工業団地(総工費30億ドル)建設計画は、同市幹部が競合するプロジェクトを支持したために頓挫した。
リー氏は回顧録でこれを失敗と描写することを拒んだ。だが、何年も経った後、この一件から学んだように思える教訓について説明した。後に多くの外国人投資家がよく知るようになった教訓だ。「中国人は、合意文書に署名した時にそれが正式に確定するということを受け入れていない」とリー氏は述べた。
多くの人に先駆けて中国の台頭を予見
1990年代初頭、天安門事件の大虐殺とソ連崩壊からさほど時間が経っていない頃に、リー氏はすでに、アジア、さらには世界の傑出した大国として中国が遠からず米国に挑戦すると語っていた。
中国の指導者たちをおだてて喜ばせるリー氏の才能は伝説的だ。
同氏は2013年に、昇格したばかりの習近平国家主席を南アフリカのネルソン・マンデラと比較し、習氏は「度量が大きい」と語った。
ケ小平がシンガポールを訪問した時には、リー氏は直々に、陶器の痰ツボをケ氏の隣に置くよう手配した。会議の最中に痰を切る、よく知られた癖を理解してのことだ。
シンガポールの外交官は今も、自国をしっかり米国とその同盟国の陣営にとどめおきながら、中国と温かく友好的な関係を維持する能力を自負している。
シンガポールの港は1年の大半の期間を通じ、地域にローテーション配備される米国海軍の船舶で混雑している。
リー氏の中華系の民族性と、「アジア的価値観」、特に中国の儒教的価値観に対する同氏の支持のほかにも、少数のエリート層によって統制される豊かで従順な国民のモデルは、中国の指導者にとって非常に魅力的だ。
一方、小さなアジア都市国家のシンガポールは、香港に次いで世界第2位の規模を誇る人民元取引のオフショアセンターとしての役割を通じ、中国との緊密な金融、商業関係を急激に発展させている。
(関連;<「実質的なアジアの首都」シンガポールの建国の父・リー・クアンユー元首相が亡くなりました(古村治彦の酔生夢死日記)>http://www.asyura2.com/15/kokusai10/msg/381.html)
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