★阿修羅♪ > 国際10 > 326.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
生き残ったユーラシア大陸の改革者 ゴルバチョフの思い(世相を斬る あいば達也)
http://www.asyura2.com/15/kokusai10/msg/326.html
投稿者 笑坊 日時 2015 年 3 月 24 日 15:45:25: EaaOcpw/cGfrA
 

http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/657b2d82a22f4565dd1259d307faabb4
2015年03月24日

仕事の途中だが、読んでみたい寄稿文が目についたので、掲載しておく。今気になる世界は、ロシア、ドイツ、シリア・イラク・イエメン地域、そして琉球王国だ。

≪ 今、ペレストロイカについて

2015年3月23日 ミハイル・ゴルバチョフ, 元ソ連大統領

  30年前、ソ連では、国と世界を変貌させる改革が始まりました。歴史は、7年足らずというその尺度からすれば僅かな期間をペレストロイカに割り当てました。けれども、それに関する議論は、今も熄んで(やんで)いません。当時何がそして何故起きたのかを詳らかにし、ペレストロイカを理解すること、これは、今日重要かつ必要である、と私は確信しています。

■大改革の背景

 ペレストロイカは、何よりもまず、20世紀の最後の数十年間に国が直面していた歴史的な挑戦への応えでした。1980年代半ば、国は、自国の発展における困難な時期を歩んでいました。

 中央集権化された行政指令システムは、国民の発意を縛り、経済を“拘束服”で抑え、それでもやはり発意を現そうとする人々を罰し、厳しく罰したのでした。

 その結果、1980年代初め頃には、わが国の労働の生産性は、先進諸国と比べて、工業においては5分の2、農業においては4分の1となっていました。経済は、軍事化されており、軍拡競争の重荷を負うのがますます苦しい状態でした。

 私は、私たちは名誉や栄光のために変革へ踏み切ったのではない、なぜなら、私たちは国民がよりよい生活とより大きな自由に値することを理解していたから、と言うことができます。

 その一方、私たちは、相互に関連し依存する世界で進行中の全世界的なプロセスの一部としてペレストロイカを見ていました。

■グラスノスチ

 ペレストロイカの最も重要なツールとなったのは、グラスノスチ(公開性)でした。グラスノスチとは、いったい何でしょう?それは、もちろん、言論の 自由です。人々は、検閲や弾圧を怖れずに切実な問題について公然と語り自身の意見を述べる可能性を得ました。けれども、グラスノスチ、これは、さらに国家の行動における公開性でもあり、これは、自らの決定を説明し国民の意見を尊重することを指導部に対して求める要求でもあるのです。

 グラスノスチは、社会を揺り動かし、国の指導部の目を多くのものに対して開かせました。私たちは、国民がより速やかな進展を欲しているのを目の当 たりにしました。1988年、党の会議で、オルタナティヴな原則に基づいた(選択の余地のある)最高権力機関選挙の実施に関する決定が採択されました。こ れは、民主主義へ向けた極めて重要な一歩でした。

 当初は、文字通り凡ての人が、変革を支持していました。けれども、その後、大胆とはいえ進化的な変革を目指す路線が、凡ての人を満足させているわけではまったくない、ということが分かりました。大衆においても、指導部においても、いわゆる「エリート」層においても。

■急進派と保守派のはざまで

 一方では、分離主義者たちと繋がっていた急進派の人々が、大衆とりわけインテリ層の焦燥を感じつつ、「凡てを根底から破壊すること(『インターナ ショナル』のロシア語歌詞の捩り)」を要求し、一〜二年後にはこの国に地上の楽園が訪れるという無責任で実現不可能な約束を大衆に対して行いました。

 もう一方には、過去に留まり、現実的な変化を怖れ、国民の自由な選択を信用せず、既得の特権にしがみついている、保守派の人々がおり、まさに、彼 らが、開かれた政治闘争に敗れ、1991年8月、国の大統領としての私の立場を弱めて数ヶ月後に連邦を崩壊させた急進的な勢力に道を開く結果となるクーデ ターへ踏み切ったのでした。

■8月クーデターそして連邦崩壊

 私は、政治的な手段によって連邦国家の存続を目指して闘っていました。政治的な、という点を、強調しておきます。私にとって、国を内戦の瀬戸際に立たせかねない武力の行使は、受け入れられないものでした。

 クーデターの敗北において肯定的な役割を演じたロシアのボリス・エリツィン大統領は、裏表のある立場を取っていました。ロシアとウクライナとベラルーシの首脳が連邦の崩壊を宣言したベルベージの森での会議は、秘密裡に準備され実施されました。

 私は、最大限の経済の脱中央集権化および共和国への極めて幅広い権限の供与に同意する用意がありました。けれども、まったく別の決定が、ロシア議 会の拍手喝采のもとで採択されました。その結果、凡ての関係が、そして、連邦国家の一元的な防衛といった極めて重要な財産さえも、潰え去りました。

■ペレストロイカの功罪

  とはいえ、多くの人が、ある人は無知ゆえに、ある人は悪意を抱いて、そうしているように、ペレストロイカの結果を連邦の崩壊に帰してしまうことがで きるのでしょうか?いいえ、できません。ソ連の崩壊、多くの人がとりわけ1990年代に味わった苦難や窮乏は、ペレストロイカの破綻の結果です。けれど も、ペレストロイカは過去への回帰を不可能にした抜本的な変化を私たちの生活にもたらした、という肝心なことが、これによって取り消されるわけではありません。

 それは、何よりもまず、人間の政治的な自由や権利です。今ではあたりまえと思われている権利や自由、すなわち、それは、選挙で投票し自分たちの指 導者を選ぶ可能性であり、包み隠さず自分の考えを述べる可能性であり、自身の信仰や自身の宗教を奉ずる可能性であり、自由に国外へ赴く可能性であり、自ら事業を起こして裕福になる可能性です。

 私たちは、軍拡競争を終わらせました。核兵器削減のプロセスを開始しました。私たちは、西側や中国との関係を正常化させました。アフガニスタンから軍隊を撤退させました。多くの地域紛争を解決しました。国の世界経済への統合のプロセスが始まりました。

■冷戦終結とともに新たな世界的秩序の可能性が開かれたが…

 これは、現実の成果です。けれども、今日、多くの人が、こう問うています。いったいなぜ、世界は今こんなにも不安なのか?もしかすると、これも、ペレストロイカや私たちが世界に提案した新思考のせいなのではなかろうか?

 いいえ、私は、これに同意することはできません。今日の危険は、ペレストロイカの破綻、ソ連の崩壊、新思考の原則からの逸脱、そして、グローバル な相互に依存する世界の現実に見合った安全と協力のシステムを構築することが新世代のリーダーたちにできていないことの結果なのです。

 「冷戦」の終結とともに開かれた可能性は、取り逃されてしまいました。それらは、然るべく用いられませんでした。

 国内の原因によって引き起こされた連邦の崩壊は、西側の多くの人によって歓呼して迎えられました。双方および全世界がそこから利を得た「冷戦」の終結は、西側および米国の勝利と宣言されました。

 結果として、世界は、より安全にはなりませんでした。私たちは、「世界の秩序」のかわりに「グローバルな動乱」を手にしました。紛争は、「第三世界」の国々ばかりでなく欧州にも及んでいます。そして、現在、軍事紛争は、わが国の文字通り敷居のすぐそばで起きています。

■グローバルな動乱をいかに解決すべきか?

 ここで、ウクライナ紛争について詳しく述べることはしません。その根本の原因は、ペレストロイカの破綻、ベロベージの森でロシアとウクライナとベ ラルーシの首脳によって採択された無責任な決定にあります。それに続く年月は、ウクライナにとって分裂の試練となりました。西側は、この国を「欧州大西洋共同体」へ引き入れつつ、ロシアの国益を公然と蔑ろにしました。

 たしかに、ペレストロイカや新思考に基づいた外交の経験は、今日的問題解決のための既成の処方箋を与えてはいません。世界は、変化し、世界政治に は、新たな「登場人物」、新たな危険が現れました。けれども、人類が直面する問題は、一つの国の努力によっては、あるいは、国家グループの努力によってさえ、一つも解決できません。それらの問題は、軍事的には一つも解決できません。

 ロシアは、現在の「グローバルな渾沌」を克服するうえで大きな貢献を果たすことができます。西側は、このことを認識すべきです。 ロシアの政治においては、ペレストロイカの時代に懸案だった多くの課題が未解決のままとなっています。これは、多元主義的で競争のある政治システムや現実的な複数政党制の創出、分立する権力の権限を平等にする抑止と均衡のシステムの形成、周期的な政権交代の保障です。

 私は、ロシアおよび世界の政治が陥った袋小路からの脱却は、民主主義の道においてのみ可能である、と確信しています。言い換えれば、私たちに必要なのは、ロシアの政治の民主化および国際関係の民主化であり、ほかに道はありません。 ≫(ロシアNOW:特別寄稿―ミハイル・ゴルバチョフ)

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2015年3月26日 06:53:16 : 9WAi63ghLk

【第274回・最終回】 2015年3月26日 田中秀征 [元経済企画庁長官、福山大学客員教授]
冷戦の檻から解放された二匹の猛獣
世界の無秩序化に歯止めはかかるか?

ブッシュ大統領とゴルバチョフ大統領。1989年マルタ会談の冷戦終結宣言後に行われた1990年のヘルシンキ会談にて
「われわれは、米ソ冷戦の終結が世界の政治や軍事に大きな好影響をもたらすとして歓迎したが、反面それが世界の経済に与える影響について冷静に予想し検討したと言えるだろうか」

 宮沢喜一元首相は私にこんな趣旨のことを言った。1994年に「自社さ政権」が始まったころだったと思う。

 89年に米ソの冷戦終結が宣言され、その11月に東西分断の象徴的な存在であったベルリンの壁が崩壊した。すると、あっという間に東欧が次々と体制転換を果たし巨大なソ連邦も解体してしまった。

 半世紀近く続いた厳しい東西冷戦を知る世代にとっては、こんなにも早く冷戦が終わることは想定外であった。ほとんどの人は、これで第三次世界大戦も核戦争も回避され平和な世界が到来すると信じたのだ。

 その直後の90年8月、イラクがクウェートに侵攻すると、国際社会は一丸となってイラクに立ち向かって湾岸戦争で撃退。冷戦後の世界に一段と明るい展望を可能にしたのであった。折から首相に就任した宮沢氏は所信表明演説で「新しい世界平和秩序の構築」を内外に向かって訴えたのである。

 しかし、その後の世界は決して思わしいものではなかった。むしろ冷戦期のほうが平和で安定していたのではないかと思われる面さえある。

 なぜそうなってしまったのか。

 それは冷戦の終結、冷戦体制の崩壊があまりにも急激で大規模であったために、それに備える政治の構想力が追いつかなかったからであろう。

 新しい家の設計図がないまま古い家が壊されてしまったということだ。

政治のナショナリズムと経済のグローバリズム
二匹の猛獣は未だ調教されていない

 われわれは現在、政治のナショナリズムと経済のグローバリズムの際限ない展開に手を焼いている。考えてみるとこの2つは強固な冷戦体制という檻に閉じ込められコントロールされてきたものだ。それが檻の崩壊とともに野に放たれたのである。

 米ソの冷戦体制は、その圧倒的な軍事力と厳しい思想対立によって、結果的に国家、民族、宗教の抗争を封じ込めてきた。その体制が崩壊すると、それまで封印されてきた、国家間、民族間、宗教間の歴史的抗争が再燃することになった。その象徴的な事例がユーゴスラビアの解体過程であり、イスラム過激主義の暴走だ。

 冷戦期の世界経済は、自由主義経済圏と社会主義経済圏に明確に二分されていて、陣営間のヒト、モノ、カネの交流は極度に限定されていた。

 だが、冷戦が終わると、突如として経済圏が統合されてグローバル経済が始まった。当然のことであった。国境を越えてヒト、モノ、カネが流れ、経済力や生活水準の“平準化”に向かって止めがたい勢いで動き出したのだ。

 ナショナリズムとグローバリズムを冷戦の檻から解放された猛獣に例えるなら、この二匹の猛獣は未だ調教されていない。コントロールされていない。ただ檻から飛び出して好き勝手に走り出しただけである。

 さてわれわれがこの二匹の猛獣のプラス面を伸ばし、マイナス面を除くことに成功しなければ、日本にとっても世界にとても望ましい将来像を描くことは決してできない。

 もしも、日本がこの流れを肯定して「行け行けドンドン」と突進するなら、われわれは破滅に向かって進むようなものだ。

 世界が無秩序化に向かうことを阻止しようとするなら、それはあらゆる面で「自制心」を発揮する他はない。「他国も自制するなら自分も自制する」という姿勢では何も始まらない。まずは日本がナショナリズムについてもグローバリズムについても「自制する国家」を目指すのが先決だろう。今のところ安倍晋三政権は逆の方向を向いているように見える。

 今回で定期の本欄執筆を終えるが、今後も読者諸君と共に確かな時代認識を備えて、この困難な状況に立ち向かいたいと思う。
http://diamond.jp/articles/-/69058


  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 国際10掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
国際10掲示板  
次へ