http://www.asyura2.com/15/kokusai10/msg/291.html
Tweet |
日本人3名を含む23名が犠牲となってしまったことにお悔やみを申し上げたい。
他にも襲撃犯とみられる2名も銃撃戦で死亡している。
-------------------------------------------------------------------------------------------
※ 今回の銃撃事件について、昨年12月に就任したエセブシ大統領や先月発足したエシード内閣(ともにベン・アリー大統領時代の与党の流れをくむ政党「チュニジアの呼びかけ」の出身)による自作説(治安組織単独の可能性も)も消せないと思っているが、ここではそれを採らずに、チュニジアの政治抗争の一環として考えた。
-------------------------------------------------------------------------------------------
今回の襲撃事件もテロと言えるが、イスラム過激派の西側世界に対するテロ活動に敏感になっている西側メディアの見立てとは異なる構図だと思っている。
日本人3人が亡くなり負傷者も出ているため、日本のメディアも大きく取り上げているが、今回の銃撃テロは、端から外国人観光客を狙ったものとは考えられず、チュニジア内部の政治抗争に外国人観光客が巻き込まれたと判断している。
今回の銃撃が、西側諸国に対する敵意に基づくものであったにしろ、観光産業に打撃を与え政権を揺さぶる目的であったにしろ、外国人観光客が本来の標的であったなら、犠牲者の数は23名では済まず、犠牲者が100名を超える惨劇になっていたはずである。
外国人観光客が本来の標的であれば、警備が固い議事堂に向かうことなく直接バルドー博物館に入り、銃(カラシニコフ)を乱射したと思われる。
武装グループが館内に入った時点で既に700名ほどが館内にいたという情報もあり、観光客を標的にしていたのなら、より悲劇的で凄惨な事態が現出したと容易に推測できる。
テロ組織と徹底的に戦うと宣言したエセブシ大統領−エシード首相のチュニジア政権は、今回の銃撃事件を反テロ政策強化の理由に活用したいと考えているので、武装グループは観光客を“盾”として使ったが銃撃はしていなかったなど、事件に関する“中立”的な検証がなされない可能性もある。
スペインTVEやフランス2を中心に様々な報道を参考にしながら銃撃事件の構図をまとめると、
1)銃撃事件が発生した18日午前、国民議会議事堂では「反テロ法」の審議が行われていた。(詳細は不明だが、「反テロ法」は、襲撃したグループにとって壊滅の危機を感じるような内容だったのだろう)
2)反政権過激派に属すると思われる数人(3人は兵士の格好)の武装メンバーが、「反テロ法」を審議している国民議会議事堂に押し入ろうとした。
3)議事堂に侵入しようとした武装グループは、警備兵に押しとどめられたため、そばにあるモスクに逃げ込んだ。
4)警備兵がモスクにやってきたため、武装グループは、モスクを出てバルドー博物館へと向かい、ちょうど着いた外国人観光客が乗ったバスに銃撃を加えた。
5)武装グループは、バスに銃撃しながらバルドー博物館のなかに入った。治安部隊の増強も行われ、館内に大勢の外国人観光客がいるなかで、銃撃戦が4時間ほど続いた。
銃撃戦時とされる館内映像(身をかがめて難を避けようとしている姿など)を見たり、館内にいた外国人観光客へのインタビューを聞いたりしたが、武装グループが館内にいる外国人観光客に狙いを付けて銃撃していたという印象は持てなかった。
武装グループと治安部隊は、あいだに観光客などの一般人がいても、おかまいなしで銃撃戦が続け、流れ弾に当たったり“盾”として使われた人が亡くなったり負傷したのではないかと思われる。
最後に一言。
チュニジアを「アラブの春」の唯一の成功例とし、今回のようなテロ事件が起きたことに対する衝撃が語られることも多いが、チュニジアとエジプトの“政変(アラブの春)”には相似性というか類似性があると思っている。
端的に言えば、旧政権内部の一部が、クーデタというわかりやすいかたちではなく、国民の政治的運動を利用することで反撃を受けることなく恐い親分を排除し、その後“時間をかけて”権力を奪取してしまうという共通性である。
エジプトのシシ大統領はムバラク時代の軍幹部であり、昨年12月に大統領に当選したチュニジアのエセブシ氏も、11年1月に国外に脱出したベン・アリー政権時代の幹部だった。
エジプトのシシ派は、青年を中心とした反ムバラク運動を“放置”することでムバラクを失権させ、その後いったんはムスリム同胞団のモルシ氏に政権を取らせシシ氏は国防相についたが、およそ1年後には反モルシの大衆運動をしかけ、それを口実にクーデタを決行した。その後、シシ氏は“正規”の選挙で大統領に当選し“政治的正当性”を手に入れた。
チュニジアも、屋台で商売をしていた青年が治安組織による迫害を理由に自殺したことがきっかけで反政府運動が高まったが、治安組織はいつもながらの弾圧には動かず、そのため1ヶ月足らずでベン・アリー大統領は国外に逃げた。
そして、11年10月に行われた選挙でアンナハダというムスリム同胞団の影響も受けている穏健的イスラム主義政治勢力が第一党になるが、野党指導者たちの“暗殺”など治安が悪化したことにより政権の体制は落ち着かず、昨年秋から年末にかけて議会選挙と大統領選挙が行われた。
この議会選挙と大統領選挙で勝利したのが、ベン・アリー大統領の与党であった立憲民主連合の幹部たちが中心になって組織した政党「チュニジアの呼びかけ」である。
エジプトもチュニジアも、ムバラク氏やベン・アリ氏といった長期独裁的執権者に政権側勢力の一部が嫌気(権益の問題や一族での権力継承問題もあるだろう)を覚え、国民の政治運動を利用することで、うまく“怖い”独裁的執権者を権力の座から引きずり降ろし、時間をかけながらも旧政権内の一部が最終的に権力を掌握する政変劇だったと言えるのではないだろうか。
- 無慈悲で残忍「イスラム国」と一致 チュニジア襲撃:ホワイトハウス:なんでもISと絡ませればいいわけでない:どこが一致? あっしら 2015/3/20 12:46:52
(0)
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。