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ブラジルで見た「医療難民」のリアル 平等政策が生んだ弊害
2015年2月24日(火) 林 英樹
火曜日の午前8時過ぎ。ブラジル・サンパウロ市の中心部に位置するサンパウロ大学医学部附属クリニック中央病院で、早朝にもかかわらず、続々と患者が詰めかける異様な光景を目にした。
2014年のサッカーワールドカップ、2016年の五輪と、一大イベントに挟まれた今年。何台も連なる大型トラックが渋滞を作り、ヘルメット姿の労働者が歩道を闊歩するなど、市内の至る所で建築ラッシュに沸いていた。
だが病院内だけは、そんな活気に溢れる市街地とはまったく異なる、陰気な雰囲気に包まれていた。
廊下に並べられたソファだけでは足りず、大半の患者は地べたに座りながら順番を待つ。診察室から医師が姿を現せば、彼らは瞬時に顔を上げ、自分の番ではないことが分かると、すぐに目を落とす。廊下を歩くのが難しいほどにひしめき合っているが、患者たちはこの状態に慣れっこのようで、本を読んだり、目を閉じてうつらうつらしたりしながら時間を過ごしている。
「今の時点で3時間待ちぐらいかな。今日が特別という訳ではない。いつもこんな感じです」。院内を案内してくれた、胃腸科専門医のデシオ・シンゾン医師はこう話す。3時間待って診察室に入れればまだいいが、1日中待たされた挙げ句、翌日以降の診察に回されることもしばしば。たとえ診察を受けられたとしても、次の診察の予約が3〜6か月後にしか入れることができず、しかも、再び長蛇の列に並ばなければならない。千葉県の「夢の国」もびっくりの現実が、ブラジルでは日常風景になっている。
サンパウロ大学医学部附属クリニック中央病院の入り口。早朝から多くの患者が門をくぐって行く
なぜこのような悲惨な状況が生まれたのか――。
ブラジルは1988年に制定した新憲法で「健康であることは万人の権利」との文言を明記。その理念を具現化するために、1990年に「統一保健医療システム(SUS)」を整備した。
患者増に耐え切れない病院
以前は、労働手帳を持つ大手企業のサラリーマンだけを公的医療の対象に限定していた。それがSUSの誕生で、誰もが無償で公的医療サービスを受けられるように改められた。一見すると、大幅な環境改善につながったように見える。
だが、現実はそうならなかった。受け皿となるべき病院側の体制が整っていないからだ。
医療経済研究機構の調査では、ブラジルの人口1万人当たりの病床数は2010年時点で24.2床。1995年の32.9床と比べ大幅に減少しており、日本の6分の1程度の水準にとどまる。ただでさえ病床数が少ない上に、約2億人の人口のうち半分近くが無償のSUSを活用し、病院に駆け込むようになったため、患者数が急増。たちまち病院はパンク状態に陥ったのだ。
しかも、SUSの給付額は低く、その範囲内で十分な医療サービスを提供できない。政府による医療費の償還は手続きに時間がかかるため、インフレ率が高いブラジルでは、SUSのサービス提供分だけ、医療機関の負担が増える。その結果、民間を中心に財政難から閉鎖に追い込まれる病院が増え、それによって、さらに治療を受けられない患者が溢れるという悪循環を生み出している。
医師不足も深刻だ。サンパウロ大学医学部附属クリニック中央病院の胃腸科病棟を覗いてみた。患者が診察室に入ると、出迎えるのはまだ若い研修医たちだった。
基礎的な問診は研修医が手がける。シンゾン氏らベテランの医師たちは複数の診察室とドア1つ隔てた、細長い“うなぎの寝床”のような部屋で待機している。往診で疑問点などが生じれば、すぐに診察室に顔を出し、研修医を指導する。「早く一人前の医師に育ってもらわないと困るから。現場で鍛えるしかないよ」。あるベテラン医師はこう力なく話す。
ブラジルの医師数は2010年時点で約35万5000人。政府の規制緩和などから、10年前と比べ2倍以上に増えた。だが高給が保証される都市部と異なり、給与水準が低い地方では、依然として慢性的な医師不足に頭を抱えている。
政府は2013年、過疎地域への医師の派遣を盛り込んだ「マイス・メジコス(より多くの医師を)」政策を発表した。だが、そこで支払われる週40時間の労働で月1万レアル(約42万円)という報酬は、都市部の民間病院で働く場合の給与水準と比べ、大きく見劣りするため、想定ほどには医師を集められていないのが現状だ。
街中でiPhoneを取り出すな
サンパウロ市の金融街を歩いた際、写真のような電光掲示板を目にした。
目まぐるしく数字が変わる電光掲示板
掲示板の数字は、国民の納税金額の総額を示している。世界でもトップレベルの納税大国であるブラジルの税金の高さを皮肉った内容で、年度末に向けて数字がどんどん増えていく仕組みになっている。
「街中ではiPhoneで電話をかけたらダメだよ。すぐに強盗に遭うから」。目抜き通りで携帯電話を触っていると、こんな注意を受けた。iPhoneには関税とは別に4割程度の付加価値税がかけられ、中流階級では手に入れられないほどの高値で販売されているからだ。一世代前の機種であるiPhone5s(16GBモデル)は正規価格で12万円を超えるという。
iPhoneだけではない。生活必需品である水や食料品なども1〜4割の付加価値税がかけられる。今の円安水準を割り引いたとしても、サンパウロのコンビニで買い物をしたり、レストランで食事をしたりする度に「日本より結構高いな」という印象を受けた。
このような高額な税金が課されるようになった状況は、もちろんブラジル特有のインフレ体質に依るところが大きいが、膨張する医療費問題も少なからず影響している。
ブラジル保健省の予算総額は2013年度に900億レアル(約3兆7800億円)に達し、この10年間で3倍に増えた。やはりここでも目立つのは、SUS関連の支出。中でも、医薬品購入に関する予算は10年で4倍に拡大し、全体の13%に達した。
昨年のワールドカップ開催直前、ブラジル各地で大規模なデモが発生。デモの中身でも、医療サービスの向上が圧倒的な多数を占めていた。国民的スポーツであるサッカーの祭典開催すら受け入れることができないほど、彼らの不満感は広がっている。
一筋縄ではいかない新興国攻略
そもそも、記者がブラジルを訪れたのは、武田薬品工業の取材が目的だった。武田は新興国市場を攻略するため、2011年に約1兆1000億円を投じ、新興国を中心とした70か国で事業展開するスイスの製薬会社、ナイコメッドを買収。そのかじ取りを託すために、昨年6月にライバル会社の幹部だったフランス人、クリストフ・ウェバー氏を招き入れ、社長に据えた。
だが、それだけではない。武田では役員や部長に至るまで、外国人が次々とポストを占拠している。なぜ外部の外国人を大量登用するという思い切った策が必要だったのか。それによってどのような軋轢が生じ、逆にプラスの効果が生まれたのか――。
詳細については3月2日号日経ビジネスの特集記事を一読頂きたいが、少なくとも武田の思い切った人事は、新興国でのビジネス展開が一筋縄ではいかない事実を暗に示している。新薬承認や薬価改定など政府の動向に左右される業種故に、余計にかじ取りが難しい面があるのだろう。
公的医療サービスの不備、都市部と地方の格差といった新興国の闇は、人口増加率、成長率というきらびやかな数字の裏にとかく隠れてしまいがちだ。ブラジルの医療現場を歩いてみて、日本の常識だけでは計れない「非常識」が日常として溶け込んでいることを知った。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20150223/277888/?ST=print
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