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日本人が人質になり身代金を要求された事件に伴い、これまで我々には関係がないと思っていた中東の国々に注目が集まっている。テレビや新聞で各種の情報が伝えられているが、ここではもう少し根本から中東で起きていることを考えてみるために、シリアとヨルダンの人口の趨勢と食料について解説したい。
人口と食料はその国の社会のあり方を大きく規定する。人口の趨勢と食生活の水準が分かるとその国の様子をある程度知ることができる。この手法は、特に開発途上国について有効である。
シリアとヨルダンでは人口が急増している。1961年のシリアの人口は470万人、ヨルダンは93万人。世田谷区の人口は約80万人だから、50年前のヨルダンは世田谷区のようなものだった。それが2015年にはシリアが2200万人、ヨルダンが770万人になった。シリアが4.7倍、ヨルダンは8.3倍である。これほど人口が増えれば、もめ事が増えるのは当然だろう。
図1と図2に両国の人口ピラミッドを示す。両国共にきれいな三角形の形状をしており若者が多い。2015年の合計特殊出生率はシリアが3.0、ヨルダンが3.3だが、現在20歳から25歳になる人々が生れた頃の出生率はシリアが4.8、ヨルダンは5.1だった。つまり、両国の若者には兄弟が数人いることになる。
それは戦前の日本に似たような状態であり、ちっと景気が低迷すると若者の失業が大きな問題に発展する。危険なのだ。
両国の食料について見てみよう。両国共に砂漠の国とのイメージがあるが、シリアは意外にも農業国である。後藤健二さんが拘束されていたと言われるラッカはユーフラテス川のほとりにある。その周辺は農業地帯だ。
シリアの1960年代の穀物自給率は8割程度だったが、21世紀に入ると6割程度に低下している。ただ、これほど人口が急増したにもかかわらず、穀物を6割も自給していることは、ある意味で立派と言える。シリアは農業国であり、現在でも国民の約2割が農業に従事している。
一方、ヨルダンの自給率は低い。1961年の時点でも50%であったが、その後に急速に低下し、21世紀に入ると数%でしかない。現在、ヨルダンは穀物をほとんど作っていない。パレスチナやシリア、イラクから難民が流入するとされるが、彼らが食べているのは輸入された穀物だ。
両国の人々は主に鶏肉を食べている。昔は羊肉も食べていたが、草原での生産に限界があることから、人口が増えたために1人当たりの消費量は大きく減少した。
1970年頃、両国共に1人当たりの肉消費量は10キログラム程度であった。それが、現在、ヨルダンの消費量は45キログラムぐらいになった。一方、シリアの消費量はその半分程度にとどまる。本来、農業国であるシリアの方が肉の生産量が多いはずだが、ヨルダンは飼料を輸入して大量に鶏肉を生産している。ヨルダンの肉消費量は日本と変わらない水準になっている。
ヨルダンはリン鉱石や天然ガスを産する。それを輸出して外貨を稼ぎ、かつ巧みな外交によって西側諸国から援助を得ている。食料の輸入に困らない。
人間の食べ物に対する欲求は基本的なものだ。腹が空けは怒りっぽくなる。一方、美味しいものを食べれば満足して温和になる。そのために、開発途上国の政情を考える時、肉の消費量はその国の政治を考える上で重要なファクターになる。
人間は肉が好きだ。ヒンズー教徒が多いために、豊かになっても肉の消費量が増えないインドのような例もあるが、多くの国では所得が向上すると消費量が増える。肉消費量は開発途上国の生活水準をよく表している。
アラブの春によって、シリアのアサド政権は内戦に引きずり込まれることになったが、それは生活水準がなかなか改善されなかったからだろう。一方、ヨルダンのアブドラ国王は危機が叫ばれながらも、なんとか政権を維持している。それは、肉の消費量が順調に増加したことに見られるように、生活水準が改善したためと考えられる。ヨルダンの人々に不満がないわけではないが、シリアよりはよいと思っているのだろう。
アラビア半島に住む人は放牧によって食料を得てきた。チグリス・ユーフラテス川沿いでは小麦も作られて来たが、降雨量が少ないためにその流域の多くは草原である。多くの人が放牧に従事してきた。ベトウィンはその典型だ。
遊牧を行う人は同じ部族の人間しか信じない。それは、放牧は少人数で行うものであり、草地の利用権を他の部族と争うためだ。彼らは、国境を越えてどこへでも行く。そもそも、アラビア半島の国境は第1次世界大戦の後にイギリスとフランスが勝手に決めたものだ。
遊牧を行う人々は国家にはとらわれない。部族社会を形成する。そして、遊牧で養える人口は少なかったから、シリアもヨルダンも50年前の人口は少なかった。それ化学肥料が使用されるようになって穀物生産量が増加すると、余った穀物が貿易を通じて砂漠の国にも流入した。それが人口を増加させた。
食料を輸入できるようになると、人々は遊牧を止めて都市で暮らし始めた。しかし、都市で暮らしても遊牧時代の記憶はなくならない。人々は国家ではなく、部族を信頼している。シリアもヨルダンもその実態は部族連合国家である。
そのような国を統治するためには、強力な独裁者が必要になる。イラクのサダムフセイン、シリアのアサドはまさにそのような人物だった。ヨルダンの王家は人口が少なかったために彼らほどの独裁的な政治を行う必要はなく、部族間の力関係を調節する巧みに操縦することでなんとか国家を維持してきた。それが欧米に好感をもたれたのだろう。ヨルダンは西側について援助を引出して、それなりに発展することに成功した。
シリアもヨルダンも人口が急増している。そして部族国家である。このことを忘れてはいけない。両国はコメ作りに文化の基礎を置く日本とは、最も離れた国と言ってよい。
そして、若者が多すぎることに悩んでいる。少子化に悩む日本とは異なる。それを忘れて自分の物差しで測ると、大きな間違いを犯すことになる。今回の事件は日本人にいろいろなことを教えてくれている。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42853